4:19「罪深きは恋心」
エルナ→ラメールと視点が変わります。
「うぅ……お尻痛い」
「もうすぐ中腹だよ。そこまで行ったら休憩しようか」
山道を登り始めてまたしばらくの時間が過ぎた。
馬の乗り方は店員さんやラメールからしっかり教えてもらったし、何もしなくても大丈夫とまで言われて甘く見ていた。
結果、中腹を目前に俺の臀部が今、ズキズキと悲鳴を上げている。
それから5分も経たないうちだろうか。
下の景色が見え、ひょうたん型に開けた場所に出る。
早速馬を降りた俺は、柵のかかった端まで歩き大きく体を伸ばし、屈伸させ、体いっぱいに自然の空気を吸い込んでいく。
ここからの景色も十分に美麗な物ではあるが、それは山頂まで行ったからのお楽しみだ。
「んーーっ はぁー……」
「ははは、よっぽど来てたみたいだね」
「うん……思ってたよりきつかった」
「まだ日没までは少し余裕がある。ゆっくり休むとイイよ」
「じゃ、お言葉に甘えて」
肩から斜めに提げている、先ほどカフェで見繕った水筒に手をかけ水分補給を済ませると、近場に設置されていたベンチの上でうつ伏せになる。
傍から見たら随分だらしなく見えてしまうかもしれないが、今はは大目に見て欲しい。
「ふぅ……」
だらしのない体制でだらしのない声をあげるが、できればこれも多めに見て欲しい。
疲れた時にこんな体制とると出ちゃうじゃん?
仕方ないよね。
何だかラメールがものすごく凝視してきているような気がするのだが、今は動きたくないのでそちらも多めに見てやろう。
一応何かあった時のために杖と魔力の準備はするが。
「魔杖っと…………ん?」
宙ぶらりんになった右手に杖を精製し、魔力を込めようとしたその時。
周囲の精霊たちを強く感じ取った瞬間に、俺はちょっとした違和感を覚えた。
ルーイエの里でもあったように、精霊は各々にある程度の意思があり、神樹さまと契約をしているエルフの民は彼らと共存することができる。
具体的には髪の受容体に精霊たちの住処を与え、その対価として彼らの力を使役する。主要数が多ければ多いほど精霊たちにとっては環境が良く、引き出せる力も大きいのだとか。
そして俺や母さんのように髪が長い……すなわち精霊の受容数がチートレベルに多いと、彼らは勝手に色々な情報を教えてくれることがある。
俺が感じた違和感は、そこから来るものだった。
ひょうたん型にくびれたこの広場。
その山側のくびれ部分に、明らかに怪しげな人影があるのだ。
本当にそうなのかは分からないが、精霊たちが言うところはそういうことなのだと思う。
彼らは嘘をつかないが、『何がそこにある』とか『何かが見てる』とか、簡単な情報しか発信することができない。それをどう自分に落とし込むのかは己次第だ。
今回のを要約すると、この場に『9人』の人がいて、そのうち5人が近くでこっちを見ているというのと、くびれ部分で変なことをしている2人がいると言うもの。
残りの2人は俺とラメール……見ているというのは、ついてきているであろう両親たちで間違いない。
問題は変なことをしているという2人。
もちろん決めつけるのはまだ早いが、どうにも不穏な気がしてならなかった。
杖にある程度魔力が充填されるのを確認した俺は、ベンチから立ち上がってその2人がいるであろう方向を見る。
うまいこと木と草むらが重なって向こう側の広場は見えないが、それが余計に怪しく感じられた。
「ラメール、ちょっとあっち行ってるね」
「あ! エルナさんそっちは」
「……何?」
「あっと……いや、何でもない。気をつけて」
俺を引き留めようとするラメールに、思わず不信感が募るのを感じた。
こいつは信頼には値しない人物であることに違いないが、愛に従順で紳士な面もあるということは信用している。
何か企んでいる……なんて勘ぐってしまうところではあるが、その信用に免じて深く突っ込んだりはせず、まっすぐ目的の方向へと歩みを進めて行った。
くびれ部分……大人4人が通れるか程度の狭い通路を抜る直前、杖を握る右手にぎゅっと力を込める。
まあ、万が一があっても今は強力な助っ人が近くにいるから大丈夫だとは思うが、それでも体の方は少しばかり緊張していた。
意を決すると同時に唾を飲み込み、目的となる広場に足を踏み入れる。
そして首をそっと山側へ向けてみると、そこには――。
――そこにはうつ伏せにされ、腰で両手を掴まれている160センチそこそこの男と、その上にまたがり彼の首元にナイフを突きつけているミァさんの姿があった。
「…………ぬぇ?」
全く思いもよらない光景が飛び込んできて、状況を理解できない……なんとも名状しがたい声が漏れてしまった。
「おっ、お嬢様!?」
「声でかい しー!」
「あ、すみません」
すみませんと言いながら、ミァさんはナイフを持った手で男の首に手刀を入れる。
あまりの早業に男は反応もできず、白目をむいて気絶してしまった。
「容赦ねえ……」
「もう必要な情報はありませんので、眠っていてもらうだけですよ」
「そ、そう」
ミァさんは男の上から立ち上がり彼を木の影に捨ておくと、改めて俺の前に立って頭を下げる。
「お見苦しい姿をお見せしてしまいました。申し訳ございません」
「いや、それはいいんだけど……そんなことより、説明してもらっていいかな。この男のこともだけど、多分ミァさんは全部把握してるんだよね?」
「…………」
俺の言葉を受け、ミァさんは口ごもる。
「……本当によろしいのですか。お付き合いに水を差すことになってしまいますが」
「いいよ、正直気になってそれどころじゃないし」
もう差しまくってる……と言うのは野暮だろう。
しかしミァさんの言うことからして、やはり俺たちのデートに関係していたことは間違いなかったらしい。
俺はミァさんの目を見て真剣に返答をすると、ミァさんは少し俯いてから、覚悟を決めるようにして俺の目を見直した。
「そこまで仰られるのなら……承知しました」
* * * * * * * * * *
「……潮時だね」
エルナさんを反対側の広場に見送ったボクは、中腹から見える景色を前に独りそう呟いた。
彼女が向かった先には、『ボクが雇った冒険者の最後の1人』が待ち構えている。
しかしこれまでのことからして、失敗に終わること請け合いだろう。
まさか気が付かれていたとは……それも彼女のご家族が全力で止めに入ってくるなど、思いもしなかった。
ボクが雇った冒険者は合計8人。
3人の護衛には黙って他に5人、デートの妨害役として雇っていたのだ。
当初の手筈としては、エルナさんに降りかかる災難をボクが寸での所で振り払うというものだった。
しかし結果としてはどれも未然に防がれ、残ったのは深い後悔のみ。
本当に、我ながら愚かなことだと思うよ。
どうしてもエルナさんをボクの方へ振り向かせたくて、いいところを見せようと……吊り橋効果なんかに頼ろうとしたんだからね。
「本当に、貴女は罪な人だ……恋焦がれるというものがこんなに苦しいだなんて、ボクは知らなかった」
何が何でも、彼女をものにしたかった。
一目惚れしたその時から、他の女性とは違う何かを感じずにはいられなかった。
孤児院を出たその時から、ボクは不安で仕方なかった。
いつもはすぐに目移りしてしまうこの心が、いつになっても彼女のことで一杯だった。
初めて覚えた本物の恋を前にして自分で自分を抑えきれず、レイグラスへ立ち寄ったボクはエルナさんに念話を送った。
そうして彼女の声を再度聞いたその時には、もう自我を保つ自信がなかった。
他に思い人がいると告白された時、もう禁忌を犯さずにはいられなかった。
「……罪なのは、ボクの方か」
恐らくエルナさんのご両親も、先の執事殿も近くにいるのだろう。
今更何をしたところで弁解の余地はない。
咎人が罰せられるのは世の常だ。
「しかしせめて……今だけは許してはくれまいか。山頂に着く、このデートの最後の時までは」
紳士さなど欠片もない。強欲な自分に反吐が出そうだ。
だがそれでも、1秒でも長く彼女と共に居たい。
だからその時が来たら正直に謝ろう。
謝ったうえで、この気持ちを告げよう。
赦しを請う気は無い。
彼女の男として相応しくないこのボクを、正面から斬ってもらうために。
全ては彼女の……エルナさんの幸せのために。
「……この考えも、高慢で欲深いボクらしいな」
こうしてボクは、エルナさんを……何も知らない、もう手の届くことはない思い人が、無邪気な微笑みを見せながら戻ってくるまで、ただじっと待っていた。
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