5話&6話
1日目午後5時
「おい、起きろ」
声と同時に左頬に衝撃が走り、僕は目を覚ます。目の前には加藤さんをマイルドにした感じの男が右手の平を構えていた。衝撃の正体は、本気ではないが、容赦のないビンタだったようだ。
「よっしゃ、行くべ。もう夕方だから」と男はそう言いながら歩き出す。
そんなに寝てたのかと思いながら、僕は慌てて体を起こしてその後を追う。どうやら、あの男が用意された加藤さんの肉体らしい。全く同じじゃ死んだ人間が歩いてる事になるから、ある程度似せた顔にしてるんだろうな。
「事務所、歩いて行ける距離だから、こっち」と僕を誘導する上機嫌な加藤さん。ニコっと笑うとやっぱり前歯が欠けていた。というか、よく見ると違うのは目付きが優しくなって口ひげが無くなっているだけだった。しかし、三日月形の目をギラつかせた不気味な笑顔も、目尻が下がっただけで仏の笑みのようになっている。
「しかし、歩いて行ける所で良かったよなぁ。俺ら財布ねぇし、北海道とかで目覚ましてたら一発アウトだったべ?」
加藤さんは上機嫌で、いつもより饒舌になっていた。機嫌が良い時は語尾に『べ』が付くのかな、という事に気付く。覚えておこう。
「あそこのビルの4階、事務所」と加藤さんが前方のビルを指差す。
普通に人が往来する繁華街のど真ん中。ヤクザの事務所ってこんな所にあったのか……と少し緊張する。
「じゃ、行くべ」と軽い足取りで加藤さんがビルに入っていこうとする。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください。このまま行くつもりですか? まだ遺書の用意してないですよね? しかも、加藤さんの顔、今別人ですよ? 入れるわけじゃないですか」と慌てて加藤さんを制止する。
「あ~、なんかお前の顔そんなんだっけな~って思ってたけど、俺ら、顔変わってんのか、んじゃ、あそこのゲーセンにノートと鉛筆あるから、そこで書いて郵便受けにでも入れとくか」
加藤さんはそう言って自分の顔を触りながら、観光ガイドのように手際よく見知った街を案内し始める。
加藤さん、嬉しそうだなぁ、遺書を残せるのもそうだけど、新宿を歩いてるのが嬉しいんだろうなあ。僕もこうして普通に街中を歩いていると、自分が死んだ事を忘れられるような気がして、少し幸せな気分になる。
そんな事を考えながら、加藤さんの後ろに付いてゲームセンターに入っていく。
ゲームセンターの中は様々な電子音や大声でしゃべる客の声、メダルがじゃらじゃらと鳴り響く音でごった返していた。外からでもうるさいのに、中に入った瞬間、一斉に機械達が音量を上げたような感覚は、普段こういう場所に来ない僕にとっては少し新鮮な体験だった。
『ビリビリビリーーーーーーーーッ』
突然、紙が破れる音が店内に響いた。客は勿論、機械まで驚いてそっちを見たのではないかと思うほど、一瞬静かになり、その音は騒音の中で不思議なほどに目立った。
「見んなよ」と言って、ニコニコしながら加藤さんは遺書を書き始めた。
端から見たら、遺書を書いているようにはとても見えない。遠距離恋愛の恋人に手紙を書いている人みたいだなと見守っていると、何を書いているのか気になってきた。覗き見するような事はしないが、書き終わったら加藤さんに聞いてみようと思う。今の加藤さんになら聞ける気がする。
「よっしゃ、行くぞ」と遺書を書き終えた加藤さんがマイペースに歩き出すので、それを追う。店から出る時、また、周りの音量が小さくなり、もう少し離れると、今度は道を行きかう人達の声や足音が聞こえてきて、少し面白かった。
少し歩くと、加藤さんが口笛を吹き始めたので、今なら何を言っても怒られない、チャンスだ! と、思い切って遺書について聞いてみた。
「加藤さん、その遺書、誰に見せるんですか?」
少し緊張しながら加藤さんの反応を待つ。
「ん~?まぁ、兄貴と弟分にな、あとついでに部下達にも、今までありがとよ! ってなことをちょちょいとな」
思いの外、まともな内容で少し驚いた。『俺が売ったヤクの売り上げ金はどこそこに隠してある』みたいな内容をちょっと想像していた。
「弟分にな、たかしって奴がいてな、そいつがかわいいんだよ、『兄貴~兄貴~』っていっつも後ろ付いて来てな、体はちっちぇえんだけど、肝っ玉は一丁前でよ、中坊で暴走族でヤンチャしてる時に拾ってやったのよ。そいつがこないだ20歳になってよ、祝い酒だ~って二人で飲んでたら、『俺、兄貴には本当に感謝してます。兄貴のためなら俺、死ねます』って言ってくれたのよ。いい奴だべ?」
訊いてもいないのに落語の小芝居のように語り出す加藤さんを見て、本当に別人になったんじゃないかと疑ってしまう。
「兄貴はどんな人なんですか?」と訊いてみる。
「兄貴はなー、寡黙っつーの? あんまりしゃべんないんだけど、シブくてカッケェんだよ。俺が中坊の時、間違ってヤクザに喧嘩売って、ボコボコにされて死にかけてた時に助けてくれてよ、それからはずっと今の組で面倒見てくれてんだ。たかしが俺を慕ってくれてるのと同じくらい俺も兄貴を慕ってるってわけよ」
加藤さんの過去話を聞いている間に、事務所のビルに着いた。
「じゃあ、加藤さん、その遺書、郵便受けに入れて帰りましょうか」
郵便受けに遺書ってどんな状況だ? とも思ったが、これで無事に帰れると思うと、それでも良い気がしてきた。予想外に何事も起こらず、加藤さんも別人のように穏やかになっていたせいで忘れていたが、加藤さんが問題を起こせば、即、地獄行きの危険なツアーだった事を思い出した。
「おぅ」
加藤さんは先ほどまでのハイテンションから一気にしんみりとしてしまって、別れを惜しんでいるように見える。
「中に入って、ちょっと顔見てくるとか、絶対駄目ですからね? 余計に別れが辛くなるだけですから」
少しでも問題になりそうな事は回避するよう、念を押す。
「おぅ」
今にも消えてしまいそうな声で答える加藤さんを見て、僕もこれ以上は野暮かな、と思い、見守る。
すると、向こうから2人のヤクザっぽい男達が歩いてくるのが目に入った。一人は50代くらいで、高そうな白スーツを着た肥満体型のブサイクな男、もう一人は20代くらいの、いかにも下っ端といった感じの背中にドラゴンの刺繍が入っていそうなジャージを着た男だ。
まずい、加藤さんが喧嘩でも始めたら僕まで地獄に落とされる。ひとまずここを離れるか? それともさっさと遺書を郵便受けに放り込んで加藤さんの手を引いて逃げるか?
おそらく、どちらも間に合わなかっただろう。気付くのが遅すぎた。「まずい」と思った時にはもう、下っ端の肩が加藤さんにぶつかっていた。
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1日目午後6時
「っテーな、どこで突っ立ってんだこのボケ」と下っ端が捨て台詞を吐き、二人はビルの中へ入って行った。
咄嗟に、僕はビルの入り口で腕を広げ、加藤さんが後を追わないよう、通せんぼの格好を取る。
「駄目です。絶対に駄目です!行かせま、せ……ん?」
向き合った加藤さんの顔を見ると、涙を流して、目を輝かせている。歓喜の涙だ。
「アニキ…」加藤さんが小声でそう言った。
え? 今のが加藤さんの兄貴? デブの方? あの、ゲフゲフ言いながら笑いそうなブサイクが、寡黙でシブくてカッケェ兄貴? 驚きと、加藤さんが暴走しなさそうなので安心したのも束の間、後ろから二人組の会話が聞こえてくる。
「今の奴、ちょっと加藤に似てませんでした? チョーウケるんスけど。てか、あの人死んでくれてから、組の雰囲気良くなりましたよねぇ。あの人、超絶やっかい者なのに役職だけは良くて、あいつの猿みたいな鳴き声が面白ぇって理由で親父がかわいがるから、邪険にもできなかったし、兄貴もあいつがいなくなってくれて嬉しいんじゃないスか?」
下っ端が地雷原をロードローラーで横断していくかの如く、言ってはいけないことを言っていく。
目の前の加藤さんの顔がみるみると本来の加藤さんの顔に変わっていく。キラキラと輝いていた目は血走り、顔が真っ赤に染まり、肩がプルプルと震えている。泣きながら怒っている分、今まで見た中で一番怖い顔になっている。
後ろの会話はまだ続く。
「あいつはな、頭悪そうだし、鉄砲玉にするつもりで拾ってきたんだけどな、売人やらせたら自分でヤク使いやがって、ああなっちゃ終いだよ。なんの仕事も任せられねぇ。お前もヤクにだけは手出すんじゃねぇぞ」と見た目の割に渋い、兄貴の声が耳に届いてくる。
「うぃっス」という下っ端の返事を最後に二人はエレベーターで姿を消して行った。
これは終わった。あと少しだったのに、何故こんな事になってしまったのか、どこで間違えた? いや、今更そんな事を考えても仕方がない、しかし、打開策を考える気になれないほど僕は絶望していた。地獄かぁ、針の山か血の池かぁ、針は痛そうだよなぁ、血の池ってなんだろ? ただの血の池なら気持ち悪いけど、そっちの方が楽そうだから、閻魔様にお願いしてみようかな? そういえば、そもそも閻魔様が無理やり僕をこの人と一緒に来させたのが悪いんだよ。これ、告発とか出来ないの? どこに? 誰に聞けば教えてくれるの? そもそも、僕は生まれた時から運がないんだよ、25歳で通り魔に殺されるくらいだしね、はは……って笑えないな、これ。あぁ、笑いたいなぁ、笑っちゃうほど絶望的な状況って笑いたくなるんだぁ、へぇ~。そういえば先週の笑点、結構笑ったなぁ、あぁ、あんなこともあったなこんなこともあったなetc.──
実際に死んだ時には見えなかった走馬灯が少し見えた気がする。
もうどうなってもいいや、と諦めて、鼻で笑いながら地べたに座り込んでいたら、加藤さんの様子がおかしい事に気付く。
怒りのボルテージが限界突破して、髪の毛が金色になって、目が緑色になって空を飛んでビルの4階に窓から突っ込んで行くのかと思いきや、真っ赤だった加藤さんの顔は青白く、血の気が引いていて、腕をだらんと垂らして、首を前に出して目は完全に焦点が合っていない。真っ白な灰状態になっている。
どうやら、兄貴に裏切られた精神的ダメージが、怒りに変換される前に加藤さんの心を粉々に砕いたらしい。
もしかしたら加藤さんも走馬灯を見ているのかもしれない。
「あのぅ、加藤さん? 生きてます?」
死んでる人間に頓珍漢な質問を投げかける。
返答はない。
とりあえず、ここで放置しておくのはまずい。加藤さんを抱えて、なんとか人気の少ない所まで移動する。
人気のない公園のベンチに加藤さんを寝かせた時にはもう日は完全に落ちて夜になっていた。
しばらくすると、加藤さんは正気に戻ったのか、起き上がったがベンチに座ったまま一言も言葉を発しない。僕も隣に座って途方に暮れていた。とてもじゃないが、加藤さんに掛ける言葉が見つからなかった。沈黙と時間だけが過ぎていった。
日付が変わる頃、加藤さんが未だに握り締めていた遺書を静かに破り捨て、ふっと立ち上がり、どこかへよろよろと歩き出した。ばらばらになった紙片の一つに『ありがとう』の文字が見えて悲しくなった。
「どこへ行くんですか?」と加藤さんを呼び止める。
「……遺書」とだけ加藤さんが答える。
言葉の意味を考えていると、「……書き直す」と加藤さんが言ったのを聞き、ようやく理解して、加藤さんの後を付いて行った。
その後、加藤さんは夕方に行ったゲームセンターでまた遺書を書き、事務所の方に歩いていくと、今度は事務所の前の道路を挟んで、向かい側のビルの下で座り込んだので僕も隣に体育座りをして俯いていた。今日はもう疲れた。疲れ切っていた。
「なぁ、これ、お前が渡してくれ」そう言って、新しく書いた遺書を渡される。
「え? 誰にですか? 兄貴にですか?」と唐突なお願いに、思わず聞き返してしまった。
「そィつの話をするンじゃねェよ、殺ッぞォ!!」
声が裏返っている。いつの間にか、怒る元気が戻ったのは良いが、殺すぞは勘弁してもらいたい。
「ねぇ、加藤さん、その、殺すって言うのやめてくれませんか?」
今日1日で信じられないほど加藤さんに耐性が付いたのか、加藤さんが本調子じゃないからなのか、僕は全くビビらずに思っていた事を自然に口に出せた。
「あァ? 殺すってのは口癖だからよ、イチイチ気にすんじゃねぇよ。ヤクザが本気で殺す時は殺すって言わねぇんだ。『埋める』とか『沈める』って言うんだよ。そもそも、お前もう死んでんじゃん」
口調から加藤さんが大分回復しているがわかり、安心した。こんなに疲れているのにヤク中のヤクザの心配をするなんて、僕はなんて善人なんだろうと我ながら関心する。
「で、誰に渡すんですか?」と片手で遺書をひらひらと揺らしながら訊き直す。
「たかしだよ、たぶんもうすぐ出てくっから、そしたら、俺から預かってた手紙だって言って渡せ」
「うぃ~っす」と体育座りで俯きながら、気だるげに、今日どこかで聞いたような返事をする。
いつの間にか、体育座りのまま、うとうとしていた僕の肩を加藤さんが叩き「あれだ、あの黒いスーツの奴、たかしだ。行け」と指をさす。
指の先を確認すると、20歳くらいで短髪の好青年が一人、黒いスーツ姿にセカンドバックを片手に持ってビルから出て来た。ヤクザだから好青年じゃないんだろうけど。
とぼとぼと歩き出し、横断歩道を渡り、横断歩道の向こうで信号待ちをしていた『たかし』に声を掛ける。
「たかしさん、加藤さんからお届け物です」
そう言って預かった手紙を手渡した。たかしはキョトンとしながら無言で受け取ってくれた。そして、再び赤信号の横断歩道を渡りながらポケットからスマホを取り出し、適当な番号で電話を掛けた。
呼び出し音は無く、しばらくすると閻魔様の声が聞こえてきた。
「やぁ、長かったね。こんな時間だけど、まだ寝てなかったからギリギリ許してあげよう。上からの呼び出しが無かったって事は無事に遺書は残せたって事だね? いやぁ、良かった良かった。君が頑張ってくれたんだろう? 加藤の様子はどうだい? 改心の兆しくらいは見えたかな?」と能天気な閻魔様の声を無視して
「終わりました」とだけ告げ、僕は加藤さんの隣に腰を落とし、再び眠りに就いた。
人生で一番疲れた一日が幕を閉じた。




