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19話

3日目 午後10時30分


 伊藤さんをトイレの個室に残して、僕と柏木さんは二人で幽霊探しを開始する。入院病棟の5階に着いた時、廊下の明かりが一斉に消えた。僕の服を掴む柏木さんの手に力が入り、心なしか密着してくる。


 僕達は改めて5階の廊下を一周して、4階、3階と幽霊に遭遇しないかを試みた。


 誰もいない病院の廊下はうす気味悪かった。明かりが無くなるだけでどうしてこんなにも人は不安に駆られるのか。スマホから聞こえて来る伊藤さんの声がこの時だけは有難かった。


 しかし、幽霊を見つける事は出来なかった。やはり、時間が早すぎたのだろうか。念のため、入院病棟以外も一通り巡ってみたが、それも徒労に終わり、僕達は再び1階のトイレに戻って来た。


「やっぱり、幽霊なんていないんですかね?」と柏木さんに尋ねる。


「閻魔ちゃんは幽霊と会話出来るって言ってたから、いないって事は無いと思う」


「う~ん、じゃあやっぱり時間かなあ、丑三つ時って何時くらいの事でしたっけ?」


「午前2時くらいですね、後1時間以上あるけど」


「なァ、しりとりしない? 食べ物しりとり。りんご、次小林ね」と伊藤さんが突然しりとりを始めるので、仕方なくそれに付き合いながら今後の相談をする。


「胡麻。そうだ、伊藤さんを連れてもう一度、入院病棟行ってみませんか?」


「はい、私もソレを言おうと思ってました。ま、マンゴー」と柏木さんもしりとりに付き合う。


「ゴ? ゴ、ゴーヤ!」


「野菜。じゃあ、エレベーター、いや、階段の方がいいか、向かいましょう」


「はい、イ、イ、イナゴ」


 しりとりを続けながら僕達は三人で改めて入院病棟へ向かう。


「ゴ?! また? ゴ、ゴ、ゴ?!」


 伊藤さんがゴ攻めに苦しんでいる間に僕達は入院病棟のエレベーター前まで来ていた。病院内はとても静かで、病院関係者の姿もほとんど見掛けなかった。チンという音と共に前方のエレベーターが開く。


 また病院関係者か患者さんかな? と思ったが、なかなかエレベーターの中から人が出て来ない。無人だったのかな? と構わずエレベーターの前を通り、階段へ向かおうとした時、ペタ、ペタ、ペタ……という音を立てて、赤ん坊が四つん這いでエレベーターから出て、こちらに向かって来た。


 僕と柏木さんはその光景を目の当たりにして固まった。心臓がバクバク言っている。僕の右腕にしがみ付く柏木さんの心臓も激しく鼓動を打っているのがわかった。


「ゴーヤチャンプルは反則? ゴ、胡麻豆腐はセーフ?」と言いながら伊藤さんは赤ん坊を踏みつけ、何事も無かったかのように進んで行く。


「ぅ……」僕と柏木さんは壁に身を寄せて、廊下の真ん中をハイハイで進む赤ん坊をやり過ごした。赤ん坊はペタ……ペタ……ペタ……という音を残して闇の中に消えて行った。


 吐き気を覚えるほどの恐怖体験だった。会話が出来て、見た目が人間なら血塗れだろうと腹から腸を垂れ流していようと、ある程度の覚悟はしていたが、いざ目の前にするとそんな覚悟は一気にどこかへ消え失せた。


「ねぇ、セーフ?」と伊藤さんが尋ねて来る。


「あ、いや、行きましょう、柏木さん」そう言って、大分先に行ってしまった伊藤さんの後を追った。前より少し伊藤さんと距離を置きながら。


 暗い階段を上り終え、5階のナースステーションに着いた時は心底ホッとした。その明かりと、何より、資料を整理していた看護師さんの後ろ姿が何よりも安心させてくれた。


「ナースステーションの前を通らないように、時計回りで一周してみましょう」と伊藤さんに指示を出し、僕達は入院病棟の探索を始めた。


 最初の角を曲がった直後、前方から白い死に装束姿の若い女性が廊下の向こうから歩いて来た。最初は白い影のようにしか見えなかったが、直感的に幽霊だと言う事がわかった。何より、伊藤さんには見えていないようだった。


 女は伊藤さんの横を通り過ぎ、僕達に向かって軽く会釈して去って行った。僕と柏木さんはまたしても固まってしまい、話しかける事が出来なかった。


「か、柏木さん、大丈夫ですか?」と僕の腕にしがみ付く柏木さんを見る。


 それと同時に、柏木さんが僕の腕から手を離し、凄い勢いで後ずさり、壁に背を預けてへたり込む。


「ねぇ、あなた」と後ろから耳元で囁かれた。


 僕はビックリして距離を取り、柏木さんに抱きつく。柏木さんも僕に抱きついて来た。


 目の前には先ほどの女が立っていた。ぐったりと両腕を垂らし、脱力した感じで首を傾けながらこっちを見ている。しかし、外見は肌が青白い事を除けば普通の女性だった。


『なぁ、次は山手線ゲームにしない?』スマホから伊藤さんの声が聞こえた。伊藤さんはこちらの出来事に気付かず、もう見えない所まで進んでいた。


「と、とりあえず1階のトイレに戻っててください。戻りましょう。ちょっと切ります」と伊藤さんに伝え、電話を切った。


「あなた、小林聡さんですよね?」と女性が言った。思っていたよりも普通の声で、仕事モードの閻魔様のような感じの声だった。


「は、はい。どうして僕の名前を……」と初対面の幽霊に名前を言い当てられ、気味が悪くなって尋ねる。


「あなた、この病院では有名人ですよ。病室の窓から現場が見えるし。鈴木さんなんて、殺された所を見たって病院中に吹聴してますから」


 目撃者がいた?!


「そ、その鈴木さんっていうのは何号室の患者さんですか?」と訊く。


「何号室というか、私達と同じ幽霊です。ご案内しますね」


「お願いします」


 そう言って、僕は柏木さんの手を引いて起き上がらせ、そのまま手を繋いで女の後ろをついて行った。


 女のゆらゆらと歩く様は実に幽霊的な仕草だったが、世間話をするような、それでいてとても丁寧な口調と自ら案内を買って出る親切さを見て、彼女からはもう恐怖を感じる事は無くなっていた。


「この時間なら、鈴木さんは4階の廊下を徘徊しているはずです」


「廊下を徘徊して何をしてるんですか?」と柏木さんが尋ねる。


「彷徨っているんです。幽霊ですから」と女は振り向きながら微笑んだ。


 4階に着くと、すぐに鈴木さんと思われるお婆さんが目に付いた。御歳90歳を軽く越えていそうなシワシワのお婆さんだった。


「鈴木さん、お客様ですよ」と女が声を掛ける。


「やぁ、健ちゃんかい? 良く来たねぇ、お正月ぶりかい?」


 最初は女に向かって言っているのかと思ったが、どうやら僕を健ちゃんと勘違いしているらしい。


「鈴木さん、違うでしょ。よく見て。鈴木さん、この人が殺されるの見たんでしょ?」


 女の幽霊は鈴木さんの前で屈んで目線の高さを合わせながら優しく問いかける。


「健ちゃんは生きとる」


「この人は健太さんじゃないのよ。 鈴木さん、公園で人が殺されるのを見たって言ってたでしょ?」


 頼んでもいないのに通訳までしてくれる親切な女性の幽霊。最初にこの人に会えて良かったと心底思う。


「見た。あたしゃ見た。女に殺されるなんて、最近の若者は軟弱すぎていけない。健ちゃんももう少し鍛えて体を大きくしないとお父さんみたいにすぐ死んじゃうよ」と鈴木さんが僕の方を見ながら言った。


 犯人は女だった?


「鈴木さん、顔は見てないんでしょ? どうして女だと思ったの? 髪が長かったの? スカートを履いてたの? ハイヒールを履いてた?」と女が鈴木さんに再び訊く。


 僕の言いたい事を全て言ってくれて、改めて感謝の念を覚える。


「知らん」


「背の高さはどのくらいだったの? 殺された男の人と同じくらい? 肩くらい?」


「半分くらい」


 それは既に妖怪の類だろ、と思いながら、どうやら小柄であることはわかった。


 女性はすくっと立ち上がり、こちらに振り向き、頭を下げてからこう言った。


「すみません、鈴木さん今日はちょっと頭の具合が良くないみたいで……もう少し上手にお話される日もあるんですけど、お力になれましたか?」


「いえ、とんでもない。本当に助かりました。ありがとうございます」そう言って僕と柏木さんは深々と頭を下げた。


「犯人、見つかるといいですね」


「ありがとうございます。あ、お名前お伺いしてもよろしいですか?」


 女は少し間を置いてから、


神谷清子かみやきよこです。夫に会ったら、よろしく言っておいて下さい。それでは、お達者で」


 そう言って微笑み、鈴木さんの手を取るとこちらに軽く会釈して、神谷清子は闇の中へ消えて行った。


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