16話
3日目 午前10時
ドタバタと入室する僕と柏木さんを、机の向こうから閻魔様が迎える。
「随分と早かったですね、対象者の名前を教えてください」
「神谷守。捜査本部長です」と手短に答える。
それを聞いた閻魔様は手元のノートパソコンを叩きながらが復唱する。
「神谷守、34歳。なるほど、若くて地位の高い人間は総じて優秀です。親の七光りでも無さそうですし、3日連続徹夜で仮眠中といった所でしょうか、好都合です。短時間の睡眠は覚醒後に記憶が残りやすい」
「その人、いつから寝てるかわからないから急いでるんですけど」と僕は閻魔様を急かす。
「わかりました。では、手短に。この書類にサインを。冥界の事は言わないように、夢の中では声が出ませんが、普通に話そうとすれば内容は相手に伝わります。用事が終わって戻って来る時は夢から覚める時の要領で戻って来れます。帰りは夕方以降を覚悟してください」
渡された書類をざっと見て、僕と柏木さんはそれぞれ名前を記入する。
「では、くれぐれも冥界の事は言わないように」
閻魔様が判子を押すと同時に、僕と柏木さんはどこかの駐車場に立っていた。
駐車場には虎柄のテープが張られていて、その奥の、チョークで書かれた人型を前にして神谷は腕を組み、一人佇んでいた。
(こんにちは)と声を掛ける。不思議な感覚だった。口を動かしているのに音が出なくて、どのくらいの大きさで声を出しているのかわからない。そんな感覚。そういえば、辺りも完全に無音で、先ほどまで僕達がいた暗い部屋よりも静かに感じる。
(こんにちは)と柏木さんが言ったのがわかった。音は出てないのに、脳内で再生される感じで、それも音としてではなく、出来事として認識される感覚。
神谷はこちらに振り向くと、軽く会釈をしながら挨拶を返した。
僕はロープを潜り、神谷の近くまで近寄って次の事を伝えた。
自己紹介はいらないと思った。
(僕と柏木さんは歩いている最中に、加藤さんと伊藤さんは寝ている所を襲われました)
神谷はゆっくりと頷く。
(僕と柏木さんは死ぬ時、注射を打たれた直後に体が動かなくなって、息が出来なくなって死にました。加藤さんと伊藤さんは死んだ事に気付かなかったそうです)
神谷はゆっくりと頷く。
(加藤さんが死んだのが午前1時。僕が死んだのが午前3時。柏木さんが午前2時で、伊藤さんも午前2時です)
神谷はゆっくりと頷く。
神谷は何も言わずに頷くだけだったが、伝わっていることだけははっきりとわかった。伝わっているのが当たり前に感じた。当たり前だった。
(すまない)と神谷の感情が心に流れ込んできた。聞いた事のないはずの神谷の声と共に。申し訳なくて、泣きそうになるほど悲しくて、哀れみの混じった。この感情は神谷の物だろうか、それとも僕の物だろうか。
(犯人像──)はどのような犯人を想像していますか。と質問しようとすると、とてもシャープに神谷の声が次々と流れた。
(犯人は馬鹿じゃない。行動力がある。加藤と伊藤は寝ていた…男とは限らない。場所は都内……犯人も都内? 財布が取られていない……物盗りじゃない。被害者に共通の知人がいない……私怨じゃない。 被害者の共通点……無職とヤクザ。社会的地位……反社会的? 妬み? 思想犯?……4日連続……たぶん違う。共通点は無い? 通り魔?……違う……4日連続。警察に対する挑戦? 愉快犯?……違う……証拠が無さ過ぎる……犯人は捕まりたくない。4日連続……私怨じゃない……複数犯?……愉快犯?……遊び?……思想犯? 殺意が無い?……悪意がない。無感情。無機質。人間じゃない? 少なくともまともな人間じゃない。感情がない……何も思わない……何も感じない……無邪気……無関心……純真? 無頓着ではない……無気力でもない……意志はある……執念……拘り? そして、狂気……狂気……狂気)
狂気を感じる。
恐怖、高揚感、不安、正義感、胸騒ぎ、混乱、興奮、焦燥感、決意。色々な感情がごちゃ混ぜになる。感情が歪む。心が歪む。感覚が歪む。背景が歪む。神谷が歪む。柏木さんが歪む。目の前が歪む。僕が歪む──
──バッと起きる。僕は前がかりに、つんのめって勢い良く地面に手を付いた。どうやら立っている状態から上体を起こそうとしてしまったらしい。
怖い夢を見て起きた直後のような、心臓がバクバクする、気味の悪い、恐怖と安心が入り混じったような、嫌な感覚に襲われる。
「はい、吸って~、吐いて~、大きく吸って~……止めて。……はい、吐いて~」
閻魔様の声がした。
突然すぎて深呼吸は出来なかったけれど、聞きなれた口調の閻魔様の声を聞いて僕の心は落ち着きを取り戻した。
「落ち着いたかい?」
改めて「ふぅ」と息をつき、「はい」と答える。
隣で女の子座りをした柏木さんも胸に手を当てながら「はい」と答えた。
「収穫はあったかな?」と閻魔様が尋ねる。
「はい、あった、と思います」
「聞かせて貰えるかな?」
僕は夢の中であった事を伝えた。こちらの情報を渡した事、神谷の人格、捜査方針は相談できなかったけれど、神谷の個人的な見解を知れた事。
「──ただの通り魔にしては犯行範囲が広すぎるし、4日連続というのが引っかかるみたいです。犯人に危機感が無さ過ぎると。我を忘れた犯人ならば、現場にもっと怒りや憎しみを感じるらしいです。愉快犯なら、現場にヒントが残されているはずで、捕まえてみろというメッセージ性を感じるらしいです」
「なるほど。神谷はそういうタイプの人間か。しかし、プロのそういった感覚を共有出来たのは大きな収穫だね」
「はい、それで、うまく言えないんですけど、現場には感情が無くて、けれど、犯行には意志を感じました。複数犯の可能性を考え始めてからは思考が追いつかない。そんな感じでした」
「ふむふむ」と閻魔様が興味深そうに僕の説明に耳を傾ける。
「犯行から感じる意志は、何か執念めいていて、怨念みたいにも思えて、神谷が狂気という言葉を思い浮かべてからは、わけがわからなくなるくらいの狂気を全身に浴びて、恐怖を感じて、神谷の意識と僕の意識、もしかしたら柏木さんの意識もごちゃ混ぜになった感じで、気付いたらここに戻ってました」
「ふむ、現場や犯行から感情や意志を汲み取る感覚、経験に基づいた推理なんだろうが、その感覚だけは君達も理解したはずだ。それは忘れないようにね。きっと役に立つ。それで、捜査方針はどうするんだい?」
「神谷は優秀です。人柄も信頼出来る。僕達は、僕達にしか知り得ない事を重点的に探して、彼に情報を与えようと思います。彼なら、きっと、犯人を見つけてくれるはずです」
「それはお勧めできない」と閻魔様が僕の提案を退ける。
「え、なんでですか?」僕はコレがとても良い案だと思っていた。これしかないと思えるほどに。
「君の未練を忘れたかい? 犯人は君が見つけるんだ。警察を利用するのは構わない。けれど、警察が犯人を特定しても、君の未練は解消されない。まぁ、君が見つけ出しても未練が解消されるかは五分五分だけど。柏木君も、犯人がわかっても安易に小林君に教えちゃダメだよ。小林君が犯人を見つけないと意味がない」
『僕が犯人を捕まえる』……夢の中で感じた神谷の決意が甦り、僕はハッキリと決心した。
『犯人は僕が捕まえる』




