開店1
繁華街を少し外れた交差点に、喫茶店がある。
その喫茶店の入り口は、まるで来客を想定していないような小さく重量感のある扉に、店内は木目調のテーブルに椅子、店の照明は間接照明で薄暗い。
60名座れる席に、客はちらほらいるだけである。
カウンターでは店長らしき人が、コーヒーを煎れている。
「店長、暇ですね。」
「そうだね、いつもながら。」
営利目的のはずの喫茶店だが、この店はそういった事を重視していない感がある。コーヒー自体はいい豆を使っているし、付け合せの食べ物も値段と質も悪くはない。
常連の客も少なからずいるが、店はたいてい閑散としている。
「いっつも思うんですけど、この店ってやっていけてるんですかね。」
「今までやってこられているのだから、やってけているのでしょうよ。」
「それならいいんですけど。」
確かに儲かっている要素はゼロに近いように見えるこの店だが、実を言えばそうでもない。
夜18時から喫茶店からバーになるこの店は、昼間からは想像だにしないほどの賑わいを見せるのだ。
何故なのか、それは店の名前にも起因しているのだろう。繁華街のはずれに位置する店の立地もあるのかもしれない。店の雰囲気が暗いからなのかもしれない。開店から1年もする頃には、口コミで広まった噂からある種のお客様はラブレスに来て、店員に話を聞いてもらおうという事になったのだ。
「三咲さん、今日はもう上がっていいですよ。」
「はーい、お疲れさまです。」
三咲奏さんはお昼から夕方までの喫茶店のスタッフだ、19歳で元この店の常連だった。
しかも夜のお客だった。彼女もある種のお客様としてこの店にきて、店長である僕が話を聞いたのだ。話を聞いているうちに、身の上話に発展し、うちで働いてもらうことになったのだ。
「それじゃあ店長、また明日。」
「はい、お疲れ様。」
喫茶店の時間が終わり、最後のお客さんが会計を済ませてから一度店を閉める。
2時間ほど休憩をとり、店内照明を少し落として、バーの準備が始まる。
メニューを置き換え、夜のユニフォームに着替える。
「店長こんばんわー」
「あぁ、滝嶋さん。こんばんは、着替えてきてくださいね。」
「は〜い」
元気よく挨拶をしながら店に入ってきたのは、バー店員の滝嶋江麻さんだ。彼女は22歳で、大学生だ。
例に漏れず彼女も夜の常連さんだった人で、もちろん僕が話を聞いたのだ。
彼女は自ら進んで働かせえてほしいと提案してきたのを、雇った。
もとより、夜のバーはそこまで本格的にやるつもりはなく、趣味にも似たところがあったのだが、思いのほか忙しくなり、喫茶店を軽く越える稼ぎになってしまったので、雇うことにしたのだ。
「店長〜聞いてくださいよ〜」
「どうしたんだい?」
彼女はとてもおしゃべりだ、夜の始まりは彼女の愚痴とも言える話を聞くことから始まる。聞き役をずっと続けてきた僕は、別にそれが苦ということもなく聞いてやるのだ。
滝嶋さんの話を聞きながら準備を進め、バー・ラブレスの開店だ。
開店から15分もするとお客が入りだした。
ある種のお客さんが多いといっても、もちろん全員がそうというわけではない。カップルや、仕事帰りのビジネスマンもやってくる。
「店長〜今日は来ますかね、オーフェン。」
「どうかな、毎日来るわけじゃないからね。」
オーフェンとは、ある種のお客様のことだ。まあ一種の伏字だ、滝島さんが作った。
オーフェンとは、本来孤児のことだが、滝嶋さんが「さびしい人ってことで一緒だからいいじゃないですか」ということだ。
「いらっしゃいませ。」
「カウンターいいかしら」
「えぇ、こちらへ。」
カウンターの奥に一人で座るというのは、いつのまにか決まりになったオーフェン特等席だ。時たま知らないお客さんが座ることもあるが、ほとんどのお客様はオーフェン専用だと知っている。
カウンター席にお客さんが座ったのを確認するや否や、滝嶋さんがそばに忍び寄ってきた。
「店長、オーフェンですかね。」
「さあどうですかね、それにしても滝嶋さん、楽しみにしてどうするんですか。」
「だって〜なかなか聞けない話じゃないですか〜」
自分を棚に上げてよく言うものだ。人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだと思いながら、オーフェンか否かを問う意味がある(意味がいつのまにかついてしまった)カクテルを作る。
「どうぞ、私からです。」
「ありがとうございます。」
この無料提供されるカクテルを受けるか否かで、オーフェンか否かを判断するのだ。
どうやらこの女性はオーフェンだ。
彼女は遠慮がちに差し出された朱色のカクテルに口をつける。
「いかがですか?」
「おいしい・・・なんてカクテルなのかしら?」
「ラブレスです。」
「ラブレス・・・愛なきですか、とっても舌触りがやさしくて素敵な味ですね。」
「ありがとうございます。」
ラブレスというカクテルを出す、これは結構飲みやすいが、アルコール度は比較的に高い。
オーフェンであるお客様がそのラブレスを飲み終わるまでは、店長たる僕の出番はない。
飲み終わるまではゆっくりお客様に満喫してもらい、心を落ち着かせてもらうのだ。
また話の内容が内容だけに、話す勇気を振り絞ったり、話の内容をまとめてもらったりするのだ。
カウンター席に座る女性は、お酒はあまり飲まないのか、ちびちび口をつけては物思いに視線を斜め下に向ける。
それでも10分もしないうちにラブレスを飲み終わった彼女は、メニューを見て新しいカクテルを選んでいる。
「次はどのようなカクテルをお持ちしましょうか?」
「えっと、あまり甘くないものを・・・」
「それではコンソレーションなどいかがでしょうか?」
「慰め・・・いただきます。」
「はい。」
カクテル名だけで意味がわかるお客様は珍しい。
彼女は結構インテリみたいだ。
そういえば、服装もしっかりとしたビジネススーツだし、髪も染めていない黒髪だ。
もしかしたらいい企業の社員さんなのかもしれない。
「お待たせしました、コンソレーションです。」
「いただきます。」
彼女がコンソレーションに口をつける、すこし生姜を使ったこのカクテルは口当たりはそこまで良くはないが、懐かしい気にさせる工夫がしてある。
口をつけて数秒たった時、カウンター越しの彼女の瞳には光るものがあった。
「私・・・」
「いいんですよ、我慢しなくて。私にはカクテルを作って差し上げることと、話を聞くことしかできませんが、ゆっくりしていってくださいね。」
「・・・はい・・・。」
単純に今日という夜を楽しみにしてきているお客様と、えもいわれぬ気持ちを抱きながらきているお客様が混在する場所、心の洗濯の場、バー・ラブレス開店。