第百十四歩「百の英雄譚 Episode11 "太陽の贄"」
「……こ、これって」
「やべぇ! 見るな! ガキは見るもんじゃない!」
手汗と皮の匂いが鼻先を咽させるキョーゴクさんの手が
僕の目を覆われる。その前に見たのは血と汗と熱狂の声と
そして、まるで彫像か墓の副葬品の様に立ち尽くす人の列。
僕、リーマ・チェワードが死の間際まで見た絶望は
今も続いている。そう、それは飛竜の襲撃から始まり
あの薄ら気味悪い白い森の中へと避難して
もういろんな事が多過ぎて覚えきれない位
思い出したくない位だったのにそれを越えるなんてね。
もう“世の中何があるか解らない”という言葉が
この年で胸に染み入るとは思わなかった。
本当は僕が気絶していた時とかその後の経緯とかを
キョーゴクさんに聞かないといけないんだけど
正直、それどころじゃなくなってしまった。
なんとか生存し撤退する為に陣地へと戻れば“コレ”だよ。
全くツイてない。教授がフィールドワークの経験も
兼ねてなんて言って派遣させたのを恨んでおこう。
「アレは確か」
「ああ、銀仮面の君のお稚児様だ」
熱狂の元凶であり扇動者は恐らくあの男の子だ。
銀仮面の君に付き従い、何も興味も関心も示さずに
誰とも視線を合わせない人形の様な褐色の男の子。
稚児、色小姓だの色々な隠語はあるが、要するに愛でられる為に
傍らに置いているというのがもっぱらの噂の子だ。
お偉いさんの近衛騎士様や側近たち、[百英傑]すら
彼については口を閉じる正に禁忌の存在だった。
「……この音楽は一体」
「軍楽って感じじゃないな。恐らく導入の術式から外れたんで
効果が無かったが、もう一回やられると不味い」
そう、その少年が踊っているのだ。
いつの間にか建てられた舞台でしなやかな肉体をくねらせて
煽情的な衣装というかほぼ布何じゃないかっていう白い反物の様な
衣装を纏って、普段は付けない様な金の装飾で体を飾っている。
近くで聞けば金属音のしゃらんしゃらんと擦れる音が
聞こえるかもしれないがそれすらも打ち消す様な大音響。
耳の奥底に響く様な重低音を[ゴーレム]二体が響かせている。
腹部に音響装置が入っているタイプが同行していたのは
知っていたけど、演説や軍楽用だと思っていた。
「そ、そのキョーゴクさん」
「なんだ、坊主」
「一応僕、遺跡の調査で盗掘者とか冒険者の死体とかは
見てるんでああいうのは大丈夫です」
「………………でもなぁ」
キョーゴクさんは本当に良い人だと実感する。
うーん、まぁあんまし見るもんじゃないのは解っているが
この惨劇がどういう事なのか解らないままと言うのは
逆に不安だし、何よりも此処でボケっと突っ立っていては
何も解決しないもの。そう言ってしばし、上の方で唸り声が
聞こえた後、その手で塞がれた光景にやはり最初は視線を
背けてしまった。
「これは一体?」
「恐らく、絞ってるんだろ……命をな」
多くの人達が立っていた。傭兵や予備役だったり
戦傷を負っていた兵士など正規兵とは程遠い人も多いが
それでもこの戦いでは恐らく包囲用の数合わせ。
お小遣いが稼げれば良いなんて思ってた僕の様な人達が
皆立ち尽くし、そして絶命していた。
まだ、死んでいない人達は熱狂の声を上げている。
「アレはそろそろ死ぬな」
「……ひぃっ!」
少し離れたところで声を張り上げている兵士が居た。
とっくに力尽きているのに大きく腕を振っている。
そして、その動きが止まった瞬間にその人の右手は金色に輝くと
“自らの心臓をえぐり出し、それを天に捧げていった”。
鎧とか服とかがまるで無かったかの様にすっと自らの胸元へと
入り込むとずるずると鮮血を撒き散らかしては
外気に晒されながらもどくっどくっ鼓動を続けていく中
それを自ら握りつぶしていき、立ったまま絶命する。
手が既に無い兵士はなんと胸元から突き上げる様に
黄金の腕が飛び出しては心臓を空へと捧げ潰している。
そんなグロテスクな一連の行為をした兵士が見渡す限り。
そして、その撒かれた血は紅い粉雪の様に舞い踊りながらも
お稚児の少年へと吸い寄せられていく。あの艶めき照り返す
肌には段々と紅い紋様が刻まれていて、専門家ですらなくても
嵐の様にうねり練り込まれていく魔力の波長を感じ取れる。
「なるほど、この軍で傭兵がざっくり死ぬってのはこういう事か」
「傭兵を集めてまとめて生贄って事ですかね?」
「だろうな。金で命は買ってたって事だ」
「けど、それじゃお金払う相手が?」
「坊主、契約書は良く読まねぇと騙されるぞ?
希望者には死んでも遺族に金が出るって珍しい事が書かれてた」
人間の生き血を使う魔術なんてのはそれは古代からある。
魔術の才能の有無にかぎらずに魔力は血に宿ると
昔から言われていたし、それを吸い上げて力を増す化け物も多い。
ただ、それでもこの人数を一度にと言うのは恐ろしい話だ。
宗教的熱狂や権力者、それらの力を擁していても難しい。
それだけ、あのお稚児ライコフ・ジノゴは恐ろしい存在なのだろう。
「其処の二人、正気だな?」
「ちっ! 見回りが居たか、坊主隠れてろ!」
「え、ああ、えええと」
そう言って、僕達は熱狂している振りをしながらも
手を上げていたが鎧を来て歩いていた近衛騎士に見つかってしまう。
全員、顔を覆う様な兜にどうやら音を抑制する魔術も
掛けているのか、発する声がとても大きい。
僕が驚いている隙にキョーゴクさんは既に刀を鞘から抜いていた。
「最悪、森に逃げろ! 坊主なら命までは取らんだろう多分な!」
「で、でもキョーゴクさん!」
「一度拾った命、二度棄てるなんてもったいねぇだろう?」
そう言って手にペッと唾液を付けては刀を握り直す。
アレ、それで僕さっきまでその手で顔を覆われてたんだけど?
いや、違う違う。今はそういう事を言っている場合じゃない!
僕はキョーゴクさんの後ろに隠れながらも逃げようとするが
騎士の一人が何やら笛を吹くと周囲からぞろぞろと他の騎士が
集まって来て、退路を完全に塞がされてしまった。
「この少年……ああ〘ゴーレム・オペレーター〙の子か」
「どうする? 殺処分か拘束してこのままにしておくか?」
「この傭兵だけなら話は早いのだが少年に見られたのはな」
「仕方ない、指示を仰いだ方が間違いは無い」
近衛騎士達は剣を構えながらも相談事をしている。
本来はヒソヒソ声の会話の筈なのだが踊りの音楽と
彼等がかかっている魔術の関係から大声でこっちまで
話の内容が聞き取れる。これはまだチャンスのある流れだろうか。
緊迫した空気ではあるがまるで祭りの夜みたいな
大音響の音楽が耳に響いて思考をかき乱していく。
「傭兵とそっちの少年。コレを見てそのまま生きて返すのは
無理な話になるが我らが君は慈悲深いお方だ。
命乞いの機会をやる。着いてこい」
「了承するなら10数えるまでに武器を収めよ。
収めないなら反抗の意志ありとしてこの場で殺す」
「いt――」
「わ、わーーった! 着いて行く! 着いて行くから!」
どうやら話の通り僕達はまだ殺されないみたいだ。
それにしてもキョーゴクさんの話を聞いてから納刀の速さが凄い。
騎士達が1を言い終える前にもう刀を鞘に入れてしまった。
それでも柄に僅かに手を掛けているのは騎士達も気付いていたが
見逃されていた様だ。逆に全信頼をされるのも変な話といえば
変な話になっちゃうのかな? その様子に驚き固まっていた
騎士達は少しの間を置いた後、半数が剣を収めていく。
「早い決断だな。生き残る為の頭は働く様だ」
「その年でも傭兵をしている様なら、腕には自信がありそうだな」
「いや、あの年で傭兵なら他に食い扶持が」
「年の話をするな年は! コレでも気にしてんだよ!」
あ、なんだか意外とキョーゴクさんの弱いところを見てしまった。
顔を赤らめるまではいかなかったが視線をそらしたまま
大声で愚痴っている。騎士達が肩で笑っているのが
鎧の揺れで解る中、足早に陣地に設営されたテントへと案内される。
この豪華に作られた広々とした間取りのテントは
銀仮面の君が滞在しているテントだ。最初、防音の魔術が
貼られていたのは軍事機密の為かと思っていが
なるほど、あの踊りと音楽から守るためのモノだったんだ。
「銀仮面の君、失礼致します。急ぎ、ご判断を仰ぎたい事が」
「どうしました?」
うっそ、信じられない。本当に銀仮面の君の前に
面通しをされてしまった。かなり偉い人だし
傭兵や他の兵士たちは絶対に入れないテントだったが
本当に銀仮面の君が居たんだね。勿論、替え玉って可能性も
あるけれども、僕達はすかさず跪きつつも話の流れを伺う事にした。
「傭兵と〘ゴーレム・オペレーター〙の少年が一人ずつ。
正気のままでおりました」
「ふむ、解った。名前は後で聞く。
二人とも、私の言う質問に正直に答えて貰う」
「はっ!」
「は、はい!」
騎士達が事情を説明する中、心臓の鼓動が早くなっていくのを
感じていく。なんという場面に来てしまったんだろう。
これからの問答で粗相があったらその場で処刑されてしまう。
何よりもあの光景を見てしまったのだから、本来はあの場で
斬り殺されていてもおかしくない位だ。
銀仮面の君の声はやけに耳に響く様なゆっくりとした話し方で
それがより一層焦燥感を煽っていた。
「何故、集合に遅れたのでしょう?」
「我々は森に避難した際この少年が飛竜の墜落に巻き込まれて
倒木の下敷きになっておりました」
「少年、本当ですか?」
「はい! キョーゴクさんは森の中で必死に助けを呼んでくれました!
その後、女の化け物やエルフ達も来ましたが見逃して貰いました」
僕達は声を震わせながらもはっきりとした声で事の仔細を
説明していく。長い沈黙が辺りの時間を止める様に
流れていき、あの美しい銀の仮面越しの視線に
僕達は息を呑んで沙汰を待っていた。
銀仮面の君は一体何を考えているのだろうか?
こんな民草と傭兵に時間を取っていただけるという事は
大変慈悲深いお方というのは嘘ではないのだろう。
「ふむ。まず、少年。君は本来、ある程度仕事を終えた後に
すぐに避難させる予定だったが飛竜の襲撃は想定になかった。
君が無事に戻ってこれた事、大変私は嬉しく思う。
嫌な光景を見せてしまったね」
「我が身に余る慈悲にございます!」
その言葉は予想外だった。数こそ少なかったけれども
僕以外にも子供の〘ゴーレム・オペレーター〙は居た筈。
ただ、それでも此処で気が許せる程にあの光景は尋常ではない。
実際にあの心臓を捧げる踊りを見た子も居たかも知れない。
しかし、取り繕う意味のない僕達の前で銀仮面の君は
そうであると仰られたし、騎士達も聞いている。
仮に嘘でも半分既成事実となったと言っても過言ではない。
「傭兵よ。外の様子を見てからではあまり信用もないだろうが
私は君の行動を評価したい。望みは何かあるかな?」
「はっ、勿体無いお言葉でございます。
望むなら……この少年の命を助けて頂きたく願います」
「キョーゴクさん!? あっ!? 失礼しました」
そして、更にそれを上に行くキョーゴクさんの言葉に
僕は思わず声を張ってしまった。僕の助命嘆願?
いや、良い人なのはなんとなく話していて解っていたけど
此処までお人好しなのは行き過ぎな気もする。
勿論、此処で金品だのを強請ったら確実にダメなのは
子供でも解りそうなものだけど、それでもこの言葉に
再び場は沈黙に包まれていった。
「ふむ……打算か本心かは解りかねるが
其処まで頭が回るなら選択肢を与えようか」
「選択肢でございますか?」
「このまま痛み無く死に遺族には約束分の支払いをするか
君は此処で死んだ事にして、コチラの人手になって貰うか」
銀仮面の君も流石にそのまま飲み込む事はしないが
それでも評価はしてもらえたのかな? 騎士達も何名かは
感心した様子だったのか僅かに兜が揺れたのが見えた。
そして、出される選択肢、一つは処刑で一つはスカウト?
普通に後者一択な気もしないでもないがこれは恩赦って事?
喜びたいが疑念の方が多く、キョーゴクさんも戸惑っている。
「そ、その人手というのは」
「正直言ってしまうとこの務めは大義ではあれど
気分が良いものではない。休暇や嫁を与えもするが
死ぬまで務め続け……今回は助けたが場合によっては
年端のいかない子供を殺す必要があるかも知れない」
「……まさか初任務がこの坊主を殺せってことじゃ?」
そして、続く内容に内心納得してしまう。
身分と名前を消して死ぬまで務め生きる。
それだけ過酷な仕事であり、また孤独なのだろう。
これはこれで、処刑されて楽になるという選択肢もアリなのかな?
実際に何かある度にあの立ったまま死ぬ兵士達を見て
下手したらそれの後始末だってしなきゃならない。
そして、キョーゴクさんの言う言葉に僕はぎょっとしてしまう。
う、それはあり得る流れなのかな?
「あははっ、君は頭が良い。実際にそんな事はしないが
確かに私が冷徹で残忍だったらそうしたかもね?」
「違うのなら喜んでお引き受けさせて頂きたいのですが
一つお願いがありますがお聞き願えるでしょうか?」
「ふむ、聞かせてみよ」
「私は退魔を生業にした血筋でして、私が無理でも
子供が出来たらきちんと名を名乗らせたいのです。
この大陸には先祖から追っている宿敵がおりますので」
「うむ。これからは素顔も素性も語れなくなるが
次世代までは縛るつもりはないよ」
そして、キョーゴクさんはキョーゴクさんで
この場面で要求とか凄いね。傭兵さんって皆そうなのかな?
キョーゴクさんの願いは時々話に聞いていたが
其処に拘る事までになるとは意外な事だ。
一子相伝みたいなことを言ってたから、気にしてはいたんだね。
そして、コレは何世代にも渡ってと思ったがそうでも無いみたいだ。
まぁ、逆に世代を跨ぎたい人も居そうだけど。
憂いが消えたのかキョーゴクさんは深々と頭を地面に付けて
恭順の意を示していく。
「はは、ではキンドー・キョーゴク。その生命と名を
我らが君へと預け、誠心誠意務めさせて頂きます」
「ちゃんと礼儀を勉強しているのか話が早くて助かるよ。
うむ、では願いと共に君を我が陣営で預からせて貰うね」
ある意味大出世になるのかな? キョーゴクさんは
少し嬉しそうな気もするが此処でこうしないと
殺されちゃうから命が繋げた事は嬉しいのは当然か。
ただ、あの外の光景を見ると僕は僕で内心複雑である。
何回も身を挺して守ってくれたキョーゴクさんが
矜持を曲げてまで続けられるだろうか?
其処は心配だがそれでも死ぬよりはマシなのかな。
「では少年、君の処遇はゆっくりと話し合って
決めさせて貰うがこの戦いの間は私達が保護しよう」
「ありがとうございます!」
「気にしなくて良いよ。まぁ、アレを見ると中々ね。
話もこじれるかと思ったが良い人に護れたものd――」
「「失礼します!」」
僕の話にもなったが殆ど内容らしいモノはなかった。
元々助命は決まっていたのかも知れないが
それもあの光景を見ていないという前提なのだろう。
それでも銀仮面の君が此処まで言ってくれるのだから
多少、期待と希望が持てるということだ。
そんな安堵を感じる間も無く、大急ぎで入ってくる騎士が数名。
息を切らしており、何事かとその場全員が驚きを隠せなかった。
「どうしましたか?」
「大変です! 外に巨大な……ええと、見て頂く方が早いかと!
まっすぐに此方に向かってきます!」
「ふむ、解った。今、支度をする。キョーゴクよ。
これは中々大変な初任務になるかも知れませんね」
そして、僕も含めて一同が各々の得物を持って
テントを出れば、其処には白き森からいつの間にか
山が出来たのか? いや、アレは山なのか?
飛竜達も纏わっていてよく解らないが
……え、待って。“本当にこっちに向かってる?”
「白い山が迫って来る」
第百十五歩「目覚めし罪の逝き先は」に続く