第百三歩「空は紫炎に染まり」
水面を見る。打ち寄せる水紋は反響し、騒がしくも美しい。
そして、何事も無かったかの様に消え去る。映る己の姿もまた然り。
生まれ落ちては姿を変えて、生き方の波を荒立てても
いずれはこの静かな水面へと戻っていく。正に〘我らは湖水の一滴〙なり。
私はコアタル・ゼンズィーという名の一人ではあるが
最期は湖の水面へと戻り、生まれし湖水と混じり溶けるのだ。
故に湖水を濁していけない。故に湖水を忘れてはいけない。
体を清め、心を清め、そして死しては水面に戻る。
〘レイク・エルフ〙に古くから伝わる精神の集中は
この様な考えで行われていく。私は惑わされて溺れさせられた。
敗北したのは私が若く力が足りず、まだ未熟だからである。
今一度、かの化け物に視線を交わせば、私はまた堕ちてしまうのか?
不安を湖水に溶かしていく。油断を湖水に溶かしていく。
座禅を組んで呼吸を整え、椀に滴る水と灯りのきらめきを見て
心を落ち着かせていく。今、私達は戦場に居る。
外は喧騒。朝から[ゴーレム]達による挑発行動が続いている。
傭兵も正規兵もよく戦っているがそれに悲鳴が混じってきた。
「コアタル! 森の方から沢山の飛竜が来たみたい!」
「老エルフに女の巨人の次は飛竜ですか。とんだ魔境ですねあの森は」
ラナス・ノタカハが勢いよく、控えのテントへと入ってくれば
事の次第を私は知る。飛竜、雑兵では50人がかりでようやく1匹倒せるか。
高速で空を駆ける巨体、牙を突き立てれば、鋼鉄すら噛み砕く。
その鱗は生半可な刃では通るどころか逆に折れ砕けてしまう。
何よりもそれぞれの種特有の[ブレス]攻撃は近づく前に人を死に至らしめる。
「我が君から出陣の願いが来てるよ! 僕達が行かないと」
「解りました、準備は出来ています」
銀仮面の君。我らが主は大変聡明で慈悲深い方である。
我が主と言っても、立場上は我ら[百英傑]は彼ら皇族と同格とされる。
故に我が君はあくまで命令はしない。頼り、申し出る依頼でのみ
私達は動く。[百英傑]は皇族の人格と将来性を鑑みて
各々に誰と懇意にし、次期〘勇者皇帝〙として共に今世に
平穏をもたらす為に日々動いているのだ。
私はラナスの声掛けに立ち上がる。戦準備は既に終えており
後は声を掛けられるのを待つだけの状態であったから躊躇もない。
武装は近くに“確保”してある。幸い、以前と同じ川は健在。
毒なども流し込まれていない為、[水妖術]には使える。
「行きましょうラナス。飛竜となれば、雑兵では無理です。
私達が全て片付けましょう」
「うんっ! 頑張ろ!」
私もコアタルも士気は高い。それは一度敗退しているからだけではない。
私達〘レイク・エルフ〙や〘ウェア・ラビットリア〙は銀仮面の君に
大恩があり人格面でも好いている。学も人生経験も浅い
少年期の者が多い[百英傑]。私もラナスもまだまだ幼いのは自覚している。
彼らの後ろ盾や大人達の兵站管理が無ければ、すぐに窮して
野垂れ死んでしまうのは必然。それでも彼は私達を普通の幼子の様に愛し
苦楽を分かち合ってくれる。故に私は彼にこの身を預ける事を決めたのだ。
飛竜如きが彼の紡ぎ出す平和を止められてなるものか。
知恵と力を持ちながらも自らの思想の為なら女子供や老人すら焼き殺す。
野蛮な羽の生えたトカゲの何処に正義があろうというのか。
「待ちなさい。コアタル・ゼンズィー」
「なんですか、ライコフ」
「[百英傑]に二度目の敗北は許されません」
控えのテントから出ると彼が其処に居た。名はライコフ・ジノゴ。
銀仮面の君の側近にして、傍らで目を光らせている。
軍師の様な立場を取っているが恐らく、この軍での一番の戦力は彼だ。
天は二物を与えたという事なのだろう。有能でスキルも強力。
肉体的には一般の人間と対して変わらないという位しか弱点はない。
まぁ、人格面や人当たりなどもある意味弱点か?
と言っても暗殺や謀はほぼ不可能では有るのだけど。
「解っています」
「結構、かの化け物が居たら見逃して下さい。交戦を禁じます」
「……っ! 私ではまだ勝てないと言うのですか!」
思わず激昂しそうになる。いけない、あの女の化け物の事になると
頭の水がすぐに茹だってしまう。私があの化け物と対峙し、敗北しては
無残に連れ去られそうになった事は昨日の事の様に思い出す。
今回も機会があれば討ち取って……否、正確には出来ない。
しかし、私はかの化け物から逃げる訳にはいかないのだ。
それが解っているのか、ライコフは私に楔を打ち込みに来た。
一瞬、心の奥底で安堵の気持ちが湧いた事、実に嘆かわしい。
「違います。貴方も大事です。また、かの化け物も大事なのです」
「薄ら寒い言の葉だ。ご説明願う」
「勿論、貴方の敗北もそうですがあの化け物がこの準備の合間に
どれだけ〘セイント・シール・エルフ〙達に好かれているか解りません。
例え、滅ぼしてもその後彼らの心傷を歪めては本末転倒。
雑兵は皆怖がるでしょうが、貴方は……貴方だから違う」
「……っ!」
「銀仮面の君の目的はこの地の平定であり、討伐や根絶ではない。
例え、貴方達を追い返そうとした〘セイント・シール・エルフ〙も
大事な〈ケントゥリオ勇国〉の民である事、忘れてはなりません」
そして、見透かしている。この人の心が解らぬ人の型は
誰よりも心を手玉に取るための理を詰めてくる。
頭が良い者程、理屈でやり込められてしまうし
頭が悪い者は甘言で騙されてしまう。特にラナスは言葉通り
人参をぶら下げては食い付きこき使われる様をよく見ている。
それもあって私はラナスからあまり離れられない。
私は苛立ちと焦りを内包しつつも深く息を吸い込み吐き晒す。
落ち着かなければならない。焦っていては勝てる戦すら勝てない。
「名誉を取り戻す事なら外に飛ぶあの飛竜達でも十分です。
良いですか? 負けない事、死なない事、無駄に殺さない事。
これ等を意識して頑張って下さい。戦果は程々で構いません」
「注文が多いですね。無理難題ばかり仰る」
「それを“奇跡を起こしてなんとかする”のが[百英傑]です。
銀仮面の君の為です。理解出来る程度の頭は有る筈でしょう」
「承知しました。あの飛竜共を蹴散らしてご覧入れましょう」
指折り数えてライコフは無茶ばかりを突き付ける。
となりでラナスは「えーーーっ!」という声と困り顔だ。
本当に奸臣だったらとっとと斬り捨てたい所なんですが
これだけ人格面で多大に問題がある癖に、彼なりに実直な上に
銀仮面の君の為となれば、人一倍働いてくれる。
面倒くさい、人間なのか怪しい彼を理解するのが本当に面倒臭い。
私は若干怒気を吐き出しつつも頭をクリアにする。
落ち着こう。彼が我が君の為を思っている事や
正しく最善の選択をしようとしているのは相違ない。
私は深い深呼吸をその場に残して、ラナスと一緒に戦場へと駆ける。
「コアタル良かったよ」
「何がですか?」
「あのでっかいおねーさんは殺すのは大変だし、殺したくなかったから」
「アレは危険だと思いますけど」
私は確保した水源に向かう。ラナスは既に武具を着込んでおり
軽装な鎧と槍を携えながらもグリフォンと共に私と併走している。
そして、やや駐留している陣地から離れると話し掛けて来た。
ラナスが話し始めたという事はスキルを使わなければ
聞こえない程度の声量と距離だという確信を持っていての話だ。
喧騒と遠くで見える飛竜達の跋扈を横目に話すことはあの化け物の事。
ラナスと私のあの化け物に関する印象は大分違う。
勿論、ラナスのお人好しな性格等も考慮はしているが
それでもラナスのあの化け物に対する評価は首を傾げてしまう。
「僕達が怒らせたからね。けど、謝ったら解ってくれた。
殺すだけ、滅ぼすだけなら、ライコフに全部任せれば良い。
僕達がするのはもっと優しくて、温かい事でしょ?」
「…………それも力が無ければ、結果が無ければダメです。
今は、あの飛竜をなんとかしましょう」
「うんっ! がんばろっ!」
ラナスの元気の良い声と共に話は着地したがそれでも心配だ。
ただ、そんな迷いを纏いながらも飛竜は勝てる相手ではない。
1~2匹程度ならどうということは無いが数が異様だ。
巣があったとしてもあんな成体の飛竜ばかりが
まるで一丸となって人間に襲い掛かるなどありえない。
となると野生ではなく、組織だった群れとして存在していた筈だ。
しかも希少な[聖属性]の飛竜を? あのエルフ達が飼い主だろうか。
迷いを振り切る様に私は詠唱に入る。
精神状態は大分落ち着いている。あの化け物にやられた後は
水妖術のスキルの発動すら出来なくなっていた。
あの化け物と仮に再び対峙するなら最後の最後でないとダメだ。
……くっ、ライコフの言葉どおりに動いているな、私は!
「流れる一雫は願いの一滴、揺れる水面は龍の胎動
湖面に浮かぶ神の写し身の力を今、求めん。
百の英傑コアタル・ゼンズィーが望みしは巨龍の鮮流!!!
英傑の奇跡〘雫の蛟〙 」
「良しっ! いっくよーー!」
私は川をそのまま引剥しては水龍へと変えてはそれに飲み込まれる。
上半身を出した状態で龍を先導しつつも空を駆ける中
共に天を駆けるはラナスとそれを運ぶはグリフォンのアポロ。
既に戦場には点々とさっきまで生きていたであろう
人だった黒ずみや青紫の炎が燻り残るもうすぐ人ではなくなるモノ
そんなモノがゴロゴロと散乱している戦場に思わず眉をしかめる。
「[百英傑]だ! 遅えぇよぉ!!」
「よしっ、後は任せて俺達は引くぞ!」
「引くってドコへ!? 飛竜相手に俺達が逃げられるのか!」
混乱ぶりは極限まで達していた。鎧や武器を脱ぎ捨てる者。
勝てぬであろう飛竜に斬りかかっては上半身を噛み千切られる者。
[ゴーレム]は逃げ惑いながらも突き倒されては尻尾の殴打に岩の胴体が
砕かれて、機能を失っていく。現状は圧倒的に不利。
対空戦用の武装も陣形も取っていなければ、人の軍などこんなものだ。
「皆! 走れる者は陣地へ! 無理なら一度森へ入って!」
「彼奴らも森ごと焼こうとは思わない筈だ!
エルフを見つけたらすぐに叫べ!」
「は、はい!」
まだ、辛うじて正気を保っている者達に声を掛ける中
ラナスの槍が草原へと走る兵士へと襲い掛かる飛竜を捕らえる。
まっすぐに空を一閃する様な突撃に飛竜の巨体が横に吹っ飛ぶ。
先程まで眼中になかった様子の飛竜達が私達を一斉に見始めた。
くっ、やはり其処いらの野良飛竜とは違うのだろう。
私達が危険だと判断したのか目配せと首の振りだけで
およそ半数に囲まれていく。ただの[魔獣]やらと違い
その気になれば人語も介し、社会に介入する程に頭が回る。
「「「グォォォッ!!!」」」
「ラナス! 様子を見てられません! そちらも英傑の奇跡を!」
「わかった! いきなり行くよ!
集え、我らが夢の灰燼よ。
踏み出せぬ後悔を我と共に粉砕する!
立ち上がれぬ恐怖を我と共に打倒する!
果たせなかった勇気を携え、我と共に奮い立て!
百の英傑ラナス・ノタカハが望みしは駆け朽ちた古強者との大合戦!
英傑の奇跡〘月兎達の夢の跡〙」
飛竜達がほぼ同時に吠えて頭を上げた瞬間を見れば
私とラナスは天空へと一気に駆け上る。ラナスは途中で英傑の奇跡により
兎の霊を召喚しながらだが、そこはグリフォンのアポロとの連携か。
しっかりと彼を支えては召喚の姿勢を崩させない。
そして、青白い光と友に彼は赤い目の兎の霊を纏っていく。
「ひぃっ! 兎のローストにされるところだったよ!」
「ラナスは特に美味しそうですから気をつけないとダメですね」
「ふんっ! 負けないもん!」
飛竜達は頭を上げてまるで首を投げ入れる様な動作は[ブレス]の合図。
紫炎の集中砲火で私達が居たであろう空間は炎の波に飲み込まれていく。
当然、飛竜には私達が逃げた事は視認していたが
まるでその炎の威力を見せつける様に轟々と燃え盛る炎の渦と熱気が
天へと登って私達に迫ってくる。私はまだ水龍に体を半分沈めているので
涼しいがラナスは下手すれば熱気だけで主菜へと変わってしまいそうだ。
「太陽さんさん! 晴れのお次は兎の霰!
串刺し、傘無し、逃げ場無し! 〘晴れ後、槍アラレ〙!」
まるでその熱気と入れ替わる様にラナスの呼び出した兎の霊兵が
槍を構えたまま、そのままスキル名通り、霰の様に降り注いでは
飛竜達へと槍を突き立てる。霊体故か、深々と突き刺さらずとも
彼らの動きを止める程度の働きは出来た。
「行きます! 水妖術〘雫の蛟・岩抜き〙! 」
「ぐおぉぉっ!」
空駆ける蛟から止まっている飛竜達に高圧の水鉄砲で薙いでいく。
狙うは彼らの翼膜! 空を制されている間に私達に勝ち目は無い。
幸い、3匹ほどの飛竜の翼に切れ目を入れて地上へと墜落させる事が出来た。
しかし、飛竜達の猛攻は止まらない。あっという間にコチラへと
駆け上がれば、頭から頭突きを含む体当たりをアポロ相手に行う。
幾らアポロが額当てなどの防具を装備していると言っても
飛竜の体当たりを真正面からぶつかって無事なほどアポロは頑丈ではない。
ぐらついた頭と視界のまま、なんとか回避行動を取ろうとしても
元々グリフォンの数倍早い飛翔速度と持つ飛竜相手では
回避するので精一杯、むしろアポロはよくやっている。
「アポロ! 頑張って!」
「クアアアッ!」
「落ち着いて、少しずつ数を減らしましょう!」
こちらも先程から水龍を[ブレス]攻撃であぶられては
その度に蒸気が舞い上がって辺りを霧で包んでいく。
その目隠しもあってか飛竜達は数に任せて突っ込んで来る事はなく
散発的な攻撃が続いているのでなんとか私達でも凌いでいけた。
雑兵達がなんとか逃げ切る時間位は作れている筈だろう。
「くっ! やはり、手強い……ただ、それよりも何にせよ!
なんで、こいつらさっきから[ブレス]が酒臭いんですかね!」
「あー、ほんとね!」
「絶対、此処に来る前に飲んできただろう、あいつら!
こんな酒臭い[ブレス]で殺されるなど、死んでも死にきれません」
「……アー、ソレハスマンカッタ」
私が盛大に愚痴る。さっきからほんっっっとうに鼻先にこびりつく
穀物系の甘い香り漂う酒の残り香が苛立って仕方ない。
[ブレス]は勿論、彼らの吐息でもある訳で血や肉の匂いも
当然混ざるのですがそれよりも何よりも圧倒的多量の酒によって
その匂いが先程から戦場に充満している。そのことを愚痴っていると
飛竜達は片言の言葉で平謝りしてくる。本来はそれに驚くべきなのだが
それすらも考えに至れない程に彼らの吐息は酒臭い!!!
「素直に謝る位なら飲んだら戦うんじゃありませんっ!
どんだけ余裕なんですか!」
「うん、危ないよー!」
「ヤー、結構飲ムノ久シ振リデナ」
また、このパターンか! 私の心の荒波は今日も嵐の様に乱れてしまった。
第百四歩「それは助けに行かないと」に続く