第百二歩「真の自由の為に」
「おお、戻ったか」
「どうやったと聞きたかが、それより早う来て!」
「な、なんなん?」
うちが例の隠れ場へと向かう途中、まるで待ち受けていたかの様に
他の奴が数匹出迎えで待っていた。どうにも性急な様子に思わず
報告も忘れて早足になる。やはり、二足歩行はなんとも疲れる上に遅い。
ひとっ飛びすればこんな苦労はしないで済むのだが……長年の怠惰と油断。
あの場に長く居過ぎた故か、それとも老いか解らない足取りの重さに辟易する。
こうも、歩くのが辛くなるとは思わなんだ。やはり〘レディオ・タイソー〙は
もっと早い時期から毎日やっておくべきだったな。
洞穴を抜ければ、皆は一同に集まっている。
〘セイント・シール・エルフ〙達の避難民たちとは
別に屯って居る様子を見ると、その飛竜の足元に視線が集中していた。
「お、戻りなさったか。お久し振りやね。正確には初めましてなんやけど
〘セイント・サーヴァント・ワイバーン〙のノトキコ殿であっとーな?」
「っ!? なして、お前達が居る!?」
「あ、うちは〘マイナ・デス・フーリー〙のヘノーヴィ言います。
〘自由を導きし翼〙九代目を任されておりますぅ」
そこにはあの子達は居た。正確には別の個体だろうとも
その喋りと姿を見れば、はっきりと解る程に旧友の姿が重なっていた。
金糸の様な艶やかな髪に純白に染められた翼。
着ている白を基調とした法衣はかつて別れた旧き友。
それも九代目となれば随分と永く繁栄していったものだ。
既に捨てた名を呼ばれれば、それは少し昔の事だったアノ日を
瞼の裏に焼き付け直すが如く、脳裏を過ぎっていく。
思わず涙が目に溢れてしまいそうだ。そうか、アノ子達の子が
こんなにも永い時を生き長らえていたのか。
ヘノーヴィと名乗る娘を中心に同じく綺麗な顔と金髪、白肌の娘達は
一応に仰々しい法衣と薄い羽衣を纏っており、ウチが戻ってくるのを
待っていた様だ。驚きと喜びと疑問がないまぜに成ってしまい
ウチは言葉が中々出ないのを察してか相手は大きく咳払いをする。
「こほんっ、お互いに訛りは此処まで。コレより、公式の発言として
私達は此度の戦を見届けに参りました」
「どういう事でしょう? そもそも、何故この場所が」
「我らが始祖にして自由なる翼の一羽目ノースの御遺言です」
ヘノーヴィはにこやかな表情で紡ぐ〘鳥人訛り〙の言の葉から
仰々しいかつての旧き言葉へと切り替えていく。
嗚呼、かつて我らが主に対して使っていた言の葉の調子と同じで懐かしい。
しかして、彼女らとは百数年前に袂を分かった筈だ。
その気になればこの隠れ場所すら解るだろうが。
今更……否、今だからこそ彼女たちは来たのだろう。
そして、矢継ぎ早に出る名に思わず胸が高鳴る。ノースか!
あの子は確かに全ての始まりの子でもあった。
「今際の際、ノース様は我らが子孫にこう言い残しました。
『いつの日か来る〘セイント・サーヴァント・ワイバーン〙達の
滅びの時にその者の子等を保護し、行末を見届けよ』
と私達は仰せつかっていました」
「あの子はそんな事を」
「どうせ、散り散りに逃げるつもりだったのでしょう。
我らが祖の大恩を安々と見逃すほど、私達は薄情ではありません」
流石に聡い子だったから、ウチ達の考えなんぞお見通しという事か。
ウチ等としてもこの機会に野生化と、いい加減子ども達は
この宿命からの開放をしてとは考えては居た。
それをあの子もあの子で考えていて、それが9世代先まで
伝わっていたとなれば、もう言葉も出ない。
最期を看取ってくれる者が居るとは思いもしなかったものだ。
「ノース様とは知縁の仲であるとは聞いておりますが
私達にとって崇高な方の勅命です。貴方達の生き方や行動に
なんら干渉つもりはございませんが、私達に出来る事はさせて頂きます」
「そのお心遣いは身に余る事でございます。
子等には判断を任せ、我らは死地へと赴きます」
「宜しい、承ります。そして、我らは見届けましょう。
我らに見届けられし戦場の戦士達は敵味方問わず
死後は魂の自由と平穏を許す天女ですので」
「おお、“そう”でありましたな。では、この魂しかと見届けて頂きたい」
そうだった。あの娘は確か“そういう事に”したのだ。
優しいあの娘は今の言の葉通りに、全ての死を受け入れて
全ての生を認めると。言葉にして音になれば、文字にして起こせば
随分と仰々しく感じてしまう様なこの当たり前の感情を胸に
こんな辺鄙な所まで追い縋ってきたのだろうか。
「ま、さてさて。それじゃすまんけど竜さんから皆、人になってーや」
「む、何故?」
「流石に飛竜を酔わせる程の分は持って来れんけど
人の身ならこの量でも十分やろ?」
「……む。この匂いは」
再び〘鳥人訛り〙へと戻るノースの娘達が用意したのは木樽だった。
その芳醇な匂いと気配に思わず喉が鳴る。
本当にノースの娘達は何もかも懐かしさを掘り返してくる。
何度この“懐かしい”と言う言の葉を頭の中に響かせたことか。
その香りに誘われる様にウチ等は皆、人の子の姿へと姿を変えていく。
「〈聖酒〉か。何もかも懐かしい」
「きちんと昔の製造法で、まぁ味はその通りか解らへんけどねー」
「どげんして持って来たんか?」
「ま、そこら辺はうちらの新しく取得した奇跡やね。
細かいことはええやないの。これで一杯やろか?」
「ふむ。まぁ今、この場に酒がある事が重要か」
酒樽を叩いてまるで挑発する様に誘うノースの娘ヘノーヴィ。
思わず欲望に流されそうに成ってしまうがちらりと視線を向ける。
しかし、此処には里から避難している〘セイント・シール・エルフ〙達も居る。
この樽数本では全員分は明らかに足りない。しかも子ども達は怯えている中
ウチ達でどんちゃん騒ぎをするというのも……しかし、酒は飲みたい。
〈聖酒〉だ。懐かしい、此処百数年口にしていないあの酒だ。
その様子を見かねてか、エルフの一人の女が声を上げる。
あの跳ねっ返りのスルスミだ。
「ああ、アタシ達は気にすんな。族長の爺共世代の話だろうし
酒宴が始まるなら楽器の一つでも鳴らすか?」
「あはは、それえーなぁ。酒は振る舞えんけど。
まぁ、あんたらも後から手回すさかい。先払いって事で」
「お代なんて要らねーよ。皆、戦に怯えていた所だ。
これで気晴らしになるならそれでいい」
「なるほどな。ま、今宵はぱーっと忘れようか」
「むぅ。そう言われてしまうと無碍には出来んな」
そして、夢の様な宴が始まった。嗚呼、本当に、本当に懐かしい。
エルフは150年前の様に楽器を鳴らしては宴を盛り上げ
ノースの娘達はまるでその先祖返りでもしたかの様に
高らかに笑い、旧い歌を歌いながらも酒を振る舞っていく。
ウチ等はケタケタと豪快に笑う事しか出来なくて
せっかく頂いた酒を水でちびちび割りながらも飲んでいく。
まるであの時の様だ。何もかも縛られて、鬱屈しながらも
互いを懸命に励まし、そして葛藤していたあの頃が蘇ってくる。
あの頃は不自由でもあったが、それでもあの集いは良かった。
もう、当人達は明日死にゆく者ととうの昔に死んだ者だと言うのに。
そんな夢幻の宴はあっという間に終わってしまう。朝日にしては
やや日の高い陽光に照らされて、ウチ達は最期の日を迎えていく。
ウチ等の子ども達は寝静まったまま、避難民のエルフ達はせっせと
〈骨の柱〉から肉を削いでは燻し焼いて保存食にしている。
此処数日の彼らのずっと行われている作業だ。
まぁ、この〈骨の柱〉も今日で見納めか。随分と世話にもなったものだ。
そして、遠くからは何か地鳴の様な轟音が微かに響いていく。
なんでも森の外の連中が木を引っこ抜いては投げつけているらしく
此処まで木自体は届かないが、遠くから音だけが延々と響いているそうだ。
「中々面白いことをする」
「人の子はほんま、色んなこと思いつくなぁ」
「ふむ。では、ウチ等はそろそろ行くか」
起き抜けに泉の水で口をゆすいだ後、隣で同じく泉の水を飲む
ノースの娘へノーヴィが話し掛ける。中々、気立ての良い娘だった。
〘自由を導きし翼〙に選ばれる事だけはある。若干、金勘定にうるさいのが
たまにキズだが、人と渡り合うならそれも必要なのだろう。
ウチ等世代の飛竜達は一同に集まってはいよいよ最期の戦場へと向かう。
「では、逝って来る」
「征ってらっしゃい、我らが旧き母と旧き友だった飛竜達よ。
お子達は責任を持って、我らが始まりの翼、ノース様と
〘マイナ・デス・フーリー〙の種族の名の元に守り抜いて見せましょう」
「……助かる」
「救世を継ぐ者ですから。ウチ等は」
小さきノースの娘は一応に胸を張り、自信に満ちた言葉と態度で
ウチ等を見送っていく。エルフ達はドコまで事情を聞かされているか
知らないが老人たち同様にウチ等がもう戻ってこない事を
察しているらしく、悲壮の顔を浮かべている。
流石に事情も知らずに後ろ髪を引くなというのも無理な話か。
まぁ、それもまた感慨と感動である。
それを振り切る様に飛び立っていくと最期の言葉を各々で残していった。
「さて、さらばだ旧き友と我らの娘息子達よ。全てを終わらせてくる」
「老人連中の因果を子に償わせる程ウチ等は耄碌しておらん」
「ノースの娘、酒は久方ぶり美味かったぞ!」
ウチ等の世代の飛竜達はあの隠れ場から飛び立っていく。
後はあのノースの娘達に託し、ウチ等はウチ等でしなければならぬ事を
終えねばならぬのだ。それでも皆の翼の羽ばたきはどうにも億劫さが
抜けない。全く、まだまだウチ等の寿命的には生きられるのに
口から出てくるのは老竜が如き、卑屈な言葉ばかりだ。
全く、せっかく見送ってくれた者があんなに居たと言うのに
どうにも、鈍った心は弱音を滲み出させるものなのだろうか?
「体が重かね」
「飲み過ぎや」
「運動が足りぬ。〘レディオ・タイソー〙をやるべきだったか?」
「流石にアレをしてからでは締りが悪いけん」
そう言いながらも時折飛んでくる木を軽々と避け
酒が抜けぬ者には適度に当たっては良い目覚ましになっては
唸り声と共に戦いの気を高めていく。
そうだ、腑抜けてられるか。これで終わるのだ。
ならば、ウチ等は潔く死なねばならん。
先に逝った我が夫も大分待たせてしまった。
「おお、お嬢ちゃんまだおったのか」
「ぽっ、ぽぽぽっ(あ、おはようございます)」
途中の監視塔代わりの木を見やれば、例のお嬢ちゃんと
エルフの子が居た。この子が来てから随分と色々と変わったのは
偶然か必然か。生白い肌に[オーガ]よりやや小さい程度の
不思議な女の化け物であるとは聞いているがウチ等からすれば
愛想も良くて弁えている中々稀有な空気の持ち主だ。
このお嬢ちゃんとの別れも感慨の深さはないが
なんとも不思議な気持ちにさせてくれるものだ。
「此処は危なかけんウチ等が居た所に早う戻ると良か。
見届けるのが増えた所で早々変わらんか」
「ぽぽぽっぽっぽぽぽっぽぽっ。
ぽぽっぽっ……ぽぽぽっぽぽっ。
(お気遣いありがとうございます。
そのえと……お気をつけて)」
「そげん悲しか顔ばしなしゃんな」
「達者でなぁ」
このお嬢ちゃんは腰が低く、謙虚というか礼儀正しいと言うか
化け物なのであろうが、なんとも愛くるしいものだ。
大抵はウチ等を見て怯え竦んで卑屈になるか
あのエルフ達の様に屈託無さ過ぎて距離感が掴み辛いのだが
このお嬢ちゃんの適度な距離感は独特で妙に落ち着かせてくれた。
言葉もすぐ覚えてくれたし、もし子達に何かあった時は
この子がなんかの役に立つかと思った打算だったが
今ではその打算以上の想いもある。これも老いた証拠だろう。
年を取ると感傷にひたりやすくなって困るものだ。
「そこそこ数が居りなしゃんな」
「あげんの物ん数やなか」
ウチ等はそう言い残して森の外、木々を放り投げている
人の子の軍勢を見やる。おお、[ゴーレム]を見るのも随分と久しい。
戦争用とは思えんから、急場で掻き集めて来たのであろう。
多少の加護の気配はすれど、そんなのは気休めに過ぎん。
胸へと深く息を吸い込んでいくと地面を舐める様に
低く飛びながらも〘聖火の息吹〙を吹き付けている。
紫炎の放たれた先には黒焦げになり、焼け焦げた匂いと共に
絶命したままの姿で晒される人の子の遺体が一度に数体。
「なっ!? 飛竜だと!?」
「馬鹿な、そんな話は聞いてないぞ!」
腰を抜かして動かぬ人の子達を焼き焦がしていく内に
ようやく動ける様な肝の座った連中が矢を射掛けたり
他の者へと指示を飛ばしていく。本来、勝つためだったら
ああいうのから潰していくのが良いのだが、今回は違う。
精々、テキパキまとめ動いて貰わんとちょこまかと動かれては面倒だ。
ほれほれ、走って飛ばねばあっという間に消し炭ぞ?
「や、ヤバイ! 飛竜なんてどうするんだ!
矢も通らないし槍も届かんぞ!?」
「[ゴーレム]を引かせろ!」
「あんなのが……ひぃっ何十体居るんだ!?」
人の子はウチ等が〘聖火の息吹〙を軽く吹き掛けるだけで
散り散りに逃げていく。まぁ、コレを耐えきるのは生身の人間では
まず無理だろうし、ウチ等が外界で戦わなくなって久しい。
短命な人の子では対処方法も解ってはいたとしても
練度や装備の維持など難しいだろう。
数は数千居る人の子の軍の雑兵も、我らの前ではただの案山子に過ぎぬ。
「待たれよ、名も知らぬ飛竜達よ!」
「これ以上、仲間はやらせないよ! 僕達がお相手する!」
「我らが[百英傑]が一人! コアタル・ゼンズィー!」
「同じく、[百英傑]が一人! ラナス・ノタカハ!」
そして、ウチ等の独擅場である空へと駆けるは
水で出来た大蛇を操りしエルフの子とグリフォンに跨っては
不釣り合いな大槍を携えし兎の子が立ちはだかる。
闘気もその湧き上がる力の気配も十分に一騎当千。
しかし、それでも……それでもだ。
「……嗚呼、これもまたウチ等へん懲罰なんであろうか?
こげん赤子同然の子等ば最期に相手にしぇなならんのか」
やるせない悲しみをウチ等は咆哮で消し飛ばしていく。
もう、ウチ等は終わらせるしかないのだから。
第百三歩「空は紫炎に染まり」に続く
〘マイナ・デス・フーリー〙[種族][天女]
[鳥人種]と思われる自称[天女]の種族
白い肌、金髪で清楚な見た目の出で立ちの割には
意外と友好的であり、会話も弾みやすく、祭りや集会などに
いつの間にか紛れ込んでは説法と共に酒を振る舞う。
彼女たちがドコからか酒を調達するかは秘匿されているが
酒宴と祭りと共に自らの宗教を布教する事から
地域全体に着実に信仰を広めている
その地域の土地神や独自信仰の調査にも熱心で
それらを編纂しては自らの宗派にも組み込んでおり
ある事情から信仰を失った地域等では一気に信者を獲得している
彼女らの布教行為を除いても情が厚く
極めて温厚な性格から悪い噂はあまり立たず
ファンになる者も多い