1,始まり
……ここは、夢?
不意に今見ているものが夢だとわかるときがある。一度わかってしまえば、その仮の世界では想像が全てを可能に変える。例えば空を飛ぶことだって、幽体離脱のようなことも自らの想像次第。
だがそれはあくまで「仮」の世界であり、自分が目覚めるまでという時間制限付き。現実世界の自分にまだ目覚めるなよと言ってみても届きはしない。
しかしこの見ている風景は、明らかに何かが違った。まるで、誰かの記憶を見ているようなーー
ーー辺りは燃え盛る火の海。誰もいないかと思われたその空間に赤ん坊を抱える一人の影が浮かび上がる。顔も影に隠れ見えないが、すすり泣く音が聞こえる。
「………な…いあ…たにこ……う……を……………て……」
母親が赤ん坊に話しかけるその声はよく聞き取れない。パチパチと火が燃え盛る音の邪魔もあるが、何しろ遠い。
ーーもっと近くに……!
「でも、……する…か……方法がない…………」
さっきより声がはっきりと聞こえる。だがそれでも足りず、まだ不鮮明なところが目立つ。
ーーまだ、まだ遠い…、もっと、近づけ……っ!
その願いは叶い、声が全て鮮明に聞こえる。
「……お願い……この世界を救って……!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……湊!起きろ湊!」
「はっ!」
彼、瑠川湊は意識を覚醒させ、起こしてくれた彼の親友ーー蓬莱早紀に背伸びをしながら礼を言う。
「んん〜っ! ありがと早紀」
「……はぁ、いや礼の前に湊、そのよだれの池なんとかしろよ……」
「えっ! ちょまっ、ティッシュ! ティッシュどこだ! 」
「はいはいここにあるよ……」
湊はどこにでもいるような黒髪の男子。身長が平均よりは少し高いくらいで、顔も身体も至って普通。本当に普通を体現していた。
そして湊の親友である早紀は身長は幾らか低いものの、三白眼と逆だった髪の毛が特徴。髪質が硬く下に垂れることなく上に伸び、軽くオールバックようになっている。一見不良に見えるその格好だが心は至って真面目な学生である。
季節は二月下旬。彼らのいる中学三年生のクラスには受験生特有のピリピリした空気はなく、明らかに彼らが和やかなオーラを作り出し浄化しているものだとすぐ分かる。
冷静に対応する早紀に、あたふたする湊。この教室では見馴れた光景だった。
「でもこの二人も今日で見納めかぁ〜」
「寂しくなるね……」
「卒業式も出ないなんてねぇ……」
不意にそのような言葉がクラスメイトからあがる。
その言葉に湊は分かりきったように呟く。
「あ、今日でこの学校最後だっけ俺ら」
湊と早紀が受験し、合格した学校ーー魔法兵訓練学校は彼らが暮らす地区からは汽車を使っても半日以上かかる。また、明後日から一ヶ月間の仮入学期間がある珍しいところだ。
魔法兵訓練学校とはその名の通り、魔法という今まで人々の生活を便利にするだけだったものを昇華させ、武器として戦争に用いるために、その魔法の発動者となるべき兵を訓練する学校である。入学には筆記試験をクリアすることはもちろんのこと、魔力や魔力量といった生まれつき備わる才能も必要とされる。それらを見極めるための仮入学期間を設けている。
湊たちは明日の朝に出発しその学校へ向かわなければならないため、今日で学校が最後なのであった。
「といっても卒業式にそこまで興味はないし特にやり残したことはないなぁ」
もちろん今日で最後となるわけだから三月に行われる卒業式には出席出来るわけもなかった。だからといって悲しむわけでもなく、むしろ湊は新しい学校生活への期待に胸を踊らせていた。
最難関であるその学校に湊たちがいる中学校から合格したのはたったの四人。残りの二人は湊と早紀とはまた別のクラスーー
突然教室の扉が音を立てて開く。
「授業終わった!? 終わったよね? 入るよさーくんみーくん〜」
「お邪魔しまーす……」
教室への侵入者は二人。片方は茶色じみた髪を短く切りそろえた低身長の女の子。頬の笑窪と八重歯、着崩した制服がその子の活発さを表面に出しながらも可愛さを引き立てている。
もう片方は対象的で、一瞬目が吸い込まれるような漆黒のロングヘアー。これとして目立った特徴は無いものの、全てが整いすぎていてまるで人の手によって作られたかのような、これ以上ない容姿端麗の美少女だった。
柊もずくと氷見天音。この二人が残りの合格者であった。
湊は新しく目にはいった二人の方を向き話しかける。
「おはようもずく、天音……」
「おはようって時間じゃないけどね……もう四時だよ四時」
湊の挨拶に天音は呆れながらも正確すぎるツッコミをいれる。そのツッコミに湊は驚いて立ち上がり早紀の方へ向き変える。
「えぇ!? じゃあ昼休みから三時間も寝てたのか…… あれ、最後の授業受けられなかったのか俺…… 先生何か言ってた?」
「『最後までお前らしい姿が見れてよかった』ってさ」
生徒に甘すぎる先生として有名な湊のクラスの担任らしい最後だった。その話を聞き湊は涙ぐむ演技をしながらひとりごちる。
「グスン、いい先生だったなぁ……」
「いや、死んでないから……」
そんなどうでもいいことを呟いてる間、もずくはいつの間にか早紀の左腕に抱きついていた。
そのいつも変わらない二人の姿に湊はいつも通り嫌な顔を向け、ため息をつく。
「あの、目の前でいちゃいちゃするのやめて頂けませんかね? はっきり言うと目の毒なんですけど」
何度言ったかわからないようなそのセリフ。生まれてこの方十五年、いわゆる非リア充を貫いてきた湊にとってその光景はあまりに不愉快極まりないものだった。しかも、この事案の原因を作ったのが自分自身であるということが余計に腹立たしかった。
「おいそろそろ離れろもずく……」
「え? 早紀はもずがくっついてるの嫌? 」
「ぐっ……」
やりたくてやっている訳ではないアピールをしようとするも、それはもずくの下から目線の甘え顔に阻まれる。ここぞと言うときに甘え方が上手なもずくであった。早紀はその甘え顔に頬を赤らめつつたじろく。
「嫌じゃないよね〜 だって 両 思 い なんだもんねっ! 」
「うっ……」
正確に言えば彼らは付き合っているわけではなかった。とある密告者によって両思いということが発覚し、それから彼氏彼女紛いの行動をとり始めたのだ。
おもむろにもずくは早紀の耳元に口を近づけて呟く。
「……もずはいつも告白待ってるんだよ、早紀」
「〜〜っ! 」
頬を更に真っ赤にさせ、耳元までその余波が及んだ早紀はへなへなと椅子に座って机に伏せた。
「一体何が……? 」
頭の上に疑問符が浮く湊を他所に、もずくたちは教室から撤退を始めていた。
「じゃあ昇降口で待ってるね〜! 行こっあーちゃん! 」
「あ、ちょっとまって、じゃあまた後でね」
そう言い残し天音ともずくは去っていった。
嵐が過ぎ去ったかの静寂に包まれる教室に先陣を切ったのが湊。
「……早紀、お前なんて言われたんだ?」
「……告白待ってるねってさ」
その早紀の返答に呆れながらも、何かを悟ったような顔をして天井を見上げる。
「愛って重たいんだな……」
その一言に湊の生涯全てが詰まっていたかのような気がした。このような事態を引き起こしたことを心の中で謝りつつ、湊は帰るための準備を急ぐのであった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「もう遅いよさーくんみーくん……」
「ごめん案外荷物が多くてさ……」
やっと昇降口にたどり着いた湊と早紀に文句を言うもずく。実を言うと机や椅子まで雑巾で拭いてきたりして遅れたわけだが、別に話すようなことでもなかった。
「じゃ帰りますか」
「そうだな」
「あぁ〜! 遅れてきた分際で言わないの〜っ! 」
「はいはいもずちゃんいい子いい子」
この四人のリーダー格の湊、それに迷わず付いて行く早紀、文句を言いながらも従うもずくにそれをなだめる天音。明後日から訓練兵になるのだという重苦しい空気は感じられず、普通の学生そのものだった。
外は二月下旬にはふさわしくない季節はずれの雪が降り、道には一センチにもみたないが薄く積もり、黒いアスファルトを白に染め上げる。
その道を歩いていく四人の少年少女。歩幅、靴のサイズはバラバラ、向いているところも違えど確かに同じ方向に進んでいく、後ろに足跡という影を落としながら。
これはそんな物語。四人の運命は交差しながらも着実に前へと進んでいくーー。