第六頁
その時この村の一角が、数多くの住人達でごった返していた。
彼らが集うこの場所は村のほぼ中央に位置している。そこには一本の大きな井戸が据えられており、その周辺に家屋が建ち並んでいる。
そこに集まった人々が皆、何やら言葉を交わしている。
「これから長老様の“お言葉”が告げられるそうだが、何かあったのか?」
「長老様が仰るからには、きっと物凄い事に違いない!」
「どうしましょ、何だかドキドキしてきたわ」
「ねえお母さん、これから何が始まるの?」
そこで老若男女様々な村人達が語り合っていたのは、これから開始される何かの催し物についてだった。「長老様の“お言葉”」たるそれに対し、期待と不安が静かに混ざり合う人々の心情。
するとその時、井戸の脇に設けられた小さなお立ち台の壇上へ向かい、一人の人物がゆっくりと階段を昇っていく。一段ずつ踏みしめるごとに発せられる効果音から、不思議と畏敬の念すら感じられる。
その為か、先程まで人々が作り上げていた“騒がしさ”が、もう殆ど失われていた。未だに声を出せる住人もいたのだが、その声は著しくか細いものだった。
「長老様がいらっしゃったぞ」
「いよいよ“お言葉”の発表だな」
そしてその人物が壇上に到達すると、この場に集った民衆達へ自身の顔を向けた。
見た目は他の人々と同様、ライオンのような顔立ちなのだが、その至る所に皺が目立っている。そして彼の顎からは、立派な白髭が舞台の床板にまで長々と伸びている。彼が“長老様”と称されるのは、これが由来である事に間違いない。
「ごほん!」
そんな彼が一つ咳払いすると、その場は一斉に静まり返った。そしてややしわがれた声で、人々が話題にしていた“お言葉”を口にする。
「えー、今日皆に集まってもらったのは他でもない」
その場に漂う不気味な緊張感。その中で真剣な表情を見せる“長老様”。
「村長であるこのワシが皆に伝えたい事、それは…………」
この発言の直後、彼の口元から笑みがこぼれた。
「我らノイル族の中から、“選ばれし者”のパートナーとなる者が現れたのじゃ!!」
その時一瞬の静寂が周辺を包み込む。やがてどこからか小さな叫び声が溢れ出ると、それは少しずつ膨らみ続け、最終的に大きな歓声へと変化を遂げた。
「おおおおおおっ!!」
暫くの間それが鳴り響いたのを確認し、頃合いを見てもう一度咳払いする“長老様”。その瞬間再び静まり返る民衆。
「んーむ、この様子ならワシからの無駄な説明はいらんな。早速じゃが、今回の“選ばれし二人”を紹介するとしようかのぅ」
そう告げて完全な笑顔を披露する彼。
「まずはこの一族から選ばれたパートナーから紹介しよう。さあ、上がっておいで」
「おう、分かった!今行くぜ、じいちゃンッ!?」
少年の元気な声が聞こえた直後、突如として大きな衝撃音が鳴り響く。それと同時に中年女性の怒鳴り声も放たれた。
「バカタレっ!!真面目にやりなさい!長老様に向かってそんな失礼な……」
「ごめんなさい……」
「ま、まあまあミミーさん、落ち着いてください」
この一連の会話を全て耳にした“長老様”をはじめとする住人一同は、思わず冷や汗を流す。
(だ…大丈夫なのかのぅ……?)
するとようやく彼の待つ壇上へと、一人の少年が駆け上ってくる、その頭の頂に大きなたんこぶを備え付けながら。
「イッテテテテ…………」
潤んだ瞳のまま少年が壇上に差し掛かり、民衆の方へと自身の面を向ける。それを確認した“長老様”が再び咳払いし、改めて少年について紹介し始める。
「彼こそが、今回“パートナー”となった少年、ファメルじゃ!」
ファメルの名が発せられたその瞬間、再び歓声が沸きあがった。
「へへっ、どうもどうも!」
彼らの歓声に応えるかのように笑みを浮かべながら両手を高々と掲げるファメル。しかしその心の中では、
(うわぁ、盛り上がりすぎだろ……)
本人の予想を遥かに上回る勢いの大きさに、さすがのファメルも動揺を隠せない様子であった。
するとまたしても“長老様”が咳払いし、途端にその場が静まり返る。
(わぁ…やっぱスゲーな、じいちゃん……)
この一連の様子を確認し、改めて彼の“存在感”を味わわされるファメル。
「それでは、いよいよ紹介しよう。さあ、こっちにいらっしゃい」
「は…ハヒッ!?」
不完全な返事が甲高い声によってその場に鳴り響く。
「大丈夫かい?ほら、こんな時は深呼吸して」
「は…はい」
声の主がそう答え、緊張を解す為深く息を吸い、そして吐く。
「さっ、行ってらっしゃい!」
「はいっ!」
そして声の主である一人の少年が、少しずつではあるが、一歩ずつ確実に壇上へと歩みを進めていく。それに合わせて“長老様”が、彼の紹介を始める。
「彼こそが、今回“勇者”として選ばれた……」
やがて壇上に到達し、少年は民衆達に向かい、自らの面を披露する。
「朝日奈光くんじゃ!!」
その時見上げた空は黒く染め上がっていた。そしてその至る所に輝く星達が鏤められている。
つい先程まで演説用の舞台が用意されていた場所では、天にも昇りそうな程高く燃え上がる炎が見える。日が落ちた事でこの砂漠の村もすっかり冷え込んでいた。そんなこの地にとってこの炎は、住人達に暖かさを恵んでくれる、とても重要な存在といえる。
その時と同じように炎の周囲を住民達が囲んで座り込んでいる。その中心で堂々とした姿勢を披露しているのは、他ならぬ“長老様”その人だ。今回もまた咳払いして人々の注目を誘い、語り始める。
「それではこれより、『歓迎の宴』を始めたいと思う!今回もこうして我らノイル族から“パートナー”が選ばれた事、そして光くんという新たな“勇者”が誕生した事を祝し、盛大に盛り上がってもらいたい!それに……」
そう言うと“長老様”は、徐にファメルへと視線を向ける。
「二人のお陰で、こうして“ご馳走”を口にする事も出来るしのっ!」
そう言われ思わず照れ笑いを浮かべるファメル。それにつられてここにいる全員から笑い声が響き渡る。
そのすぐ傍に置かれた大皿には、じっくりと焼き上がった肉の塊が載せられている。それが炎を囲む住人達全ての元へ用意されてある。
この肉の正体は、ファメルが光と出会った“あの時”、二人に襲い掛かろうとして返り討ちにあったあの獣である。その巨体ゆえ、この場にいる一同全員に配膳されるのも容易であった。
再び“長老様”が咳払いし、その直後皆が彼の立つ方に視線を向ける。
「ワシが長話をしていればせっかくのご馳走も不味くなる。それでは宴を始めるとしよう」
その言葉の直後、この場にいる全員が揃って、大皿のすぐ横に置かれていた杯を手に取る。
「二人の新たな“選ばれし者”の誕生に…………」
「乾杯!」
その時高々と燃え上がる炎の周囲に、これと同様の言葉が響き渡った。
それからこの場は文字通りお祭り騒ぎの状態と化した。老若男女問わずその場にいる全員が飲み、食べ、歌い、そして踊る……。皆が揃って、二人に対する祝福の思いを届けている。
それ程にも騒がしい雰囲気から少々離れた場所で、一人無言のまま星空を眺める光。
「…………」
ただ空を見つめるのみのその表情に、笑顔はなかった。
「ひっかる!」
「ひゃあっ!?」
自らの頬にいきなり襲い掛かってきた“冷たさ”に驚き、思わず悲鳴を上げる光。その頬に掌を当てながら視線を片方に移すと、そこには右手に杯を、左手に大皿を所持した、笑顔のファメルがいた。
「び…びっくりさせないでよ、ファメル!」
「どうしたんだよ光?こんなとこで空なんかぼーっと見つめちゃって……」
互いに言葉をぶつけ合う二人。そこで受け取った質問に対し、急に暗い表情を浮かべる光。
「なっ何だよ?」
その暗い表情の理由が気になるファメル。そんな彼に対し、光は素直に本音を語り始める。
「いや…今頃凄く心配してるんだろうな…父さんと母さん……」
「あっそうか……」
理由を知り、ようやく光の本音に気づけたファメル。
「そうだよな。お前にも家族がいるんだもんな。大切な息子がどっかに行っちゃ、どこの親だって心配するに決まってる……」
「うん。それに、今の僕の“状況”をどう説明しても、きっと信じてもらえないって心配になっちゃってさ」
「そっか……」
その時二人は思い出した、光が自身の“状況”を知る事となった“あの時”の事を――――。
「…………えっ?」
その時光は呆気にとられた。つい先程ファメルが発した思わぬ“一言”が唐突に耳の中に飛び込み、脳内で混乱が生じていた。
「い…今何て……?」
念の為にもう一度ファメルに聞き直す、彼自身からの“一言”を。
「だから…お前は選ばれたんだよ、“この世界”で一緒に冒険する“勇者”にっ!」
「…………」
暫くの間家の中から“音”が消失した。そして……、
「…………え…………」
その時光は大きな叫び声を上げた、自らが経験した事もない驚愕と衝撃に包まれた叫び声を。
「ぼ…僕が…ゆう…しゃ……!?」
直後光の脳内で激しい混乱が生じた。彼が語った自分にまつわる宣告が、未だに理解出来なかったからだ。
「ど…どういう事?…僕が…“勇者”って……」
「どうやら状況が飲み込めていねぇようだな。そりゃそうだ、いきなりこんな所に連れて来られてそんな説明されてもな」
光の心情を理解できたかのように、腕組みしながら数回頷くファメル。そんなファメルと光の様子を確認し、ミミーは優しく一言口にする。
「そうよねぇ…それじゃファメル、光くんにしっかり教えてあげなさい、なぜ“この世界”にやって来る事になったのか。そして光くんにこれからどんな事が待ち受けているのかを……」
「おう、分かったよばあちゃん」
そう応えたファメルは、未だ床から上半身のみ起き上がったままの光の傍に近づきしゃがみ込む。
「まず最初に知らせなきゃいけねぇ事がある。これからオレが話す事について、一つ必要不可欠な物がある」
「え?何それ…?」
いきなり重要な事柄が知らされるようなので、光は脳内の混乱を後回しにし、ファメルの話を聞き入れる事にした。
「それはな……」
「う、うん……」
ごくりと唾を飲み込み、真剣な眼差しを見せる光。
「“それ”さ」
そう言うとファメルは突然、光が横たわっていたすぐ傍に目を向ける。
「え……あっこれ!」
彼につられてそちらに視線を向けると、そこには終業式のあの日、光自身が自ずと拾い上げたあの“赤い本”が置かれてあった。
「お前、これを手に入れた後、一ページ目に何か書き込んだはずだ。違うか?」
光はあの時の事を思い出した。
「う…うん、書いたよ…日記に使えると思って……」
「そうか。それでその後、何か不思議な夢を見てないか?空からこの地まで落ちてくるとか……」
「えっ!?」
光は驚愕した。
「な…何でそこまで知ってるの!?まだ君に出会ってもいなかったのに……」
するとファメルがいきなり笑みを浮かべる。
「出会ってなくても知ってたよ。だってこうなる事は最初から決まってたんだから」
「えっ?…それってどういう……」
再び混乱しかける光に、ファメルはすかさず応答する。
「つまり、その本を手にしたその時から、お前がここに来る事はもう決まってたんだよ。自然と本に何か書き込むのも、不思議な夢を見るのも、お前が“勇者”に選ばれた“証し”さ!」
ファメルは説明を続ける。
「勿論何もなしに選ばれる事はねぇ。“勇者”はその後自身を手助けしてくれる“パートナー”とともに、様々な試練に立ち向かっていくんだ。どうだ、凄いだろ?」
「…………」
得意顔で説明を終えたファメル。しかし光の表情は完全に意気消沈していた。
「そ…そんな…拾っただけで、こんな事に……」
そう呟く光は酷く落ち込んだ表情を浮かべながら、自分のすぐ脇に置かれた“本”に視線を移す。そして彼は無言のまま、今までファメルに見せなかった険しい表情を示す、このような異世界へ勝手に送り込んできたそれに対し、自らの感情をぶつけるかのように。
「…………」
それを静かに見つめるファメル。暫くして光の感情を察したのか、突如彼の肩を優しく叩く。
「心配すんなよ、光」
「えっ……?」
そう呟いてこちらを振り向いた光の表情は、今にも崩れてしまいそうだった。
そんな彼を少しでも慰めようと、ファメルは満面の笑みで話しかける。
「お前がやるべき事を手っ取り早く済ませちゃえば、それで終わり。すぐに元の世界に帰れる。それに……」
すると突然、ファメルは自身の胸を強く叩く。
「お前は本当にラッキーな勇者なんだぜ!オレみたいな“最強のパートナー”と一緒に戦えるんだからな!オレ達二人のチカラなら、あっという間に“あっちの世界”に帰れるはずさ!」
少しでも安心させる為思わず鼻息を荒くさせて語るファメル。それを黙って聞いていた光が、恐る恐る彼に尋ねる。
「本当に?」
「ああ、本当だ!」
自信を持ってそう答えるファメル。もう一度顔を地面に向ける光。
「…………」
暫くその場から音がなくなり、やがて光は一言呟く。
「……分かった」
その時光は自身の顔を、もう一度ファメルへ向ける。もはやその表情にマイナスな面は一切なかった。
「君を信じてみるよ、ファメル。いつまでもこうして落ち込んでばかりいたって“元の世界”には帰れないしね」
「光…やっと元気になってくれたんだな!嬉しいよ、オレ!」
嬉しさのあまり自然と溢れ出た、瞳を潤すものを拭うファメル。
「やべぇ情けねぇな…目から汗が出ちまうなんて…」
「わっ!?ご、ゴメン!」
慌てて彼に謝罪する光。
「ったく、謝んなよ、こんな事で……」
「そ、そうだね……」
そんな会話の後、互いの顔を見つめ合う二人。
「…………」
「…………」
「……へへっ」
「……ははっ」
いつしかその場に二人の笑い声が響き渡っていた。この二人の関係には、もはや何の隔たりもないようだ。
そんな二人の一部始終を静かに傍観していた一人の女性がいる。他な らぬミミーその人であった。
(やっぱりそうだったのね。この二人、出会うべくして出会ったんだわ…)
すると彼女はいきなり両手を叩き、二人の注目を誘う。
「これで二人は正式に、コンビを組む事になったって訳ね。ばあちゃん感激して泣いちゃいそう……」
「ばっばあちゃん!止めてくれよ、まだ何も始まってないんだから……」
慌てた表情でミミーに近づくファメル。
「…………それもそうね!」
あっという間に表情を元に戻すミミー。あまりに急過ぎる転換に、ファメルは大きく素っ転んでしまう。
「さっ行きましょ、二人とも!」
「え…ど、どこへ?」
あまりに突然の一言に、光はすかさず質問する。
「この村で一番偉い人、長老様の所よ!勿論、本も忘れないでね!」
そして三人は外へと抜け出る。その時この家の中には赤い本とともに、もう誰の姿も存在しなかった。