第五頁
その時小さなこの村でも、いつも通りの生活が行われていた。
建ち並ぶ住居は、見た目こそ立派なものとは言い切れないものの、それでも砂ばかりの地面の上にしっかりと聳えており、簡単には崩れそうには思えない。
その家々から様々な住人達が出入りしている。皆目的は異なっているが、強く照りつける陽の光を浴びながらも、笑顔が絶えることはない。
「おーい、みんなー!」
どこからか聞こえてくる明るく活発な声に気づき、揃ってその声の源へ目を向ける人々。
その視線の先にいたのは、すでに息絶えた獣の巨体を担ぐ少年と、その背後でともに歩む何者かの姿だった。
「おお、ファメル!その後ろにいるのは……誰だ?」
強い日差しのせいで、ファメルの背後にいる存在が今一つ確認出来ないでいる人々。その正体も気になりながら、ファメルの元へ駆け寄る。
「大丈夫か?ケガはないか?」
「おう!この通りピンピンしてるぜ!」
心配する声に対し、自らの胴体を拳で叩く事で無事を証明するファメル。
「おい、お前の背中にあるのって、もしかして……」
「おっこれか?そうそう……」
そう言うと、早速背中に担いでいた獣の巨体を、人々の前に降ろす。
「たまたまこいつと出くわしてさ。ほおっとくと危なそうだったから倒しといた」
するとそのまま勝ち誇った表情で大きく胸を張り、自慢げに微笑んだ。
「ま、オレの手にかかればこんな奴なんてイチコ……ろおぉっ!!」
その時突然彼の頭上から何者かの拳が、まるで隕石が落下してきたかのように強く叩き込まれる。そのせいでファメルの一言の最後が、絶叫へと変換されてしまった。
「っててて…………」
思わず溢れ出た一滴で瞳を濡らしながら、大きなたんこぶの出来た頭を押さえるファメル。
「ったくお前ときたら、また皆に心配かけさせて……!」
「げっ!?ば、ばあちゃん……」
その時彼の目の前で仁王立ちを構えていたのは、ファメルと同じライオンの顔を持った一人の女性だった。少々しわを浮かべる顔の様子やふくよかな体格から、おそらく中年の女性であろうか。
「いくら待ちきれないからって、朝から家を飛び出したの、今回で何度目だと思ってるのよ……?」
「ご、ごめん…………」
そこには今までの笑みがすっかり消え失せ、一気に暗い表情へと変化してしまった少年がいた。
「……あっ!そうだった!」
ふと“あの出来事”を思い出したファメル。
「皆に紹介しなきゃ!」
すぐさまコホンと一つ咳払いを行うと、高貴な紳士を装って人々に紹介し始める。
「えー皆さん、ご紹介しましょう。彼こそが、何を隠そう……」
「まっ待ちなさい、ファメル!」
突然そう叫んで彼の発言を阻止したのは、先程彼に“ばあちゃん”と呼ばれた女性だった。
「なっ何だよばあちゃん!?せっかく紹介してあげようと……」
すると彼女は急に心配そうな表情を浮かべる。
「その前に、大丈夫なのかい?すぐにその子を診て上げる方がいいんじゃ……」
「み…『診て上げる』?……!?」
ファメルが後ろを振り向くと、すぐさま彼は驚愕した。
そこには確かに彼が紹介したがっている少年はいた。だがその少年はぐったりとして地面に横たわっていた。
「ひ…光?……光!?」
すぐさま砂上に倒れたままの光に駆け寄るファメル。非常に心配する表情を浮かべながら、必死に声をかけ続ける。
「おい!しっかりしろ、おい!!」
「このままじゃ大変!すぐうちに連れて行きなさい!」
その時ファメルは何も言わずに、自身の首を縦に振った――――。
「…………」
その時彼の視界は、黒一色に染め上がっていた。
「…………かる?」
その向こう側から、何者かの声が聞こえる。
「…………光?」
その何者かは、どうやら彼の名前を呼んでいるらしい。
「おい……大丈夫か?……光!?」
「…………僕、呼ばれてる……?」
その時黒一色の視界に、少しずつ輝きが舞い込んでくる――――。
「…………っ!?」
「光!目が覚めたんだな!」
その時光の視界に、大きなライオンに似た顔が映り込んだ。
「あっファメルくん!」
「よかったぁ……」
一気に緊張が解れ、閉じた瞳をうっすらと潤すものも交えながら笑みを浮かべるファメル。
「ったく、心配させんなよ。もう……」
「ご…ごめん……」
この時点では何が起こったのか分からなかったが、とにかく彼に対して素直に謝罪する事にした光。
「ね、ねえファメルくん」
瞼を拭うファメルに向かい、ある疑問をぶつけてみる。
「ちょっと待った!」
「!?」
突然光の疑問を中断させるファメル。
「え!?な、何?」
すると彼は少々不機嫌そうな表情で、光に忠告する。
「これからは呼び捨てで頼むな。さすがのオレも“ファメルくん”て言われると、ちょっと……」
「ちょっと……?」
するといきなりファメルは顔を赤らめ、照れ笑いを浮かべる。
「そのぉ…………恥ずかしいからよ……」
それを聞いて思わず失笑しかける光。そんな光を見つめ、再び不機嫌気味な表情に舞い戻るファメル。
「しっ失礼な!ばっ馬鹿にしやがって……」
「ごっごめん、ファメル!」
必死に謝罪する光。それに対しファメルは……、
「まっ今オレの事呼び捨てにしてくれたからよしとするか……」
そう言って再び笑顔で返答する。それを聞きほっとした表情を見せる光。そしてもう一度、ファメルに対し改めて疑問をぶつける。
「ねえ、ファメル」
「はいはい、何でございますか、光くん?」
そうふざけながら耳を傾ける彼に、今度こそ光の質問に成功した。
「ここは…どこ…?僕は…いったい……?」
その時だった。
「ここはワタシ達の家だよ」
「!?」
光の耳の中へ、聞き覚えのない声が飛び込んできた。
驚いて振り返ってみると、そこに一人の女性が木で作られたバケツを両手に持ったまま立っていた。貫禄のあるふくよかな体型で、顔面に少々浮き出ているしわからすると、中年の女性ではないかと光は想像した。
彼にとっては彼女とは全くの初対面だったが、彼女にとっては今回が二度目の対面である。この女性こそ、ファメルを拳で出迎えたあの女性その人だ。
「おっばあちゃん、お帰り!」
「ただいま、ファメル」
“ばあちゃん”と呼ばれた女性は笑顔で彼の言葉に反応する。
「あっ、お…お邪魔してます……」
光もまた、だいぶ緊張気味に挨拶する。
「いらっしゃい。あんたが光くんね?ファメルから聞いてるわよ」
「あっはい!…そうです…けど……」
突然自分の名前を聞かれ拍子抜けする光。
「初めまして。アタシはミミー、この家でファメルと一緒に暮らしてるの。よろしくね!」
ミミーと名乗った女性は明るい声で自己紹介を行った。それを受けた光もまた自己紹介を始める事にする。
「朝日奈光です。初めまして、ミミーさん」
「ふふっ“ばあちゃん”でいいわよ!村の皆からもそう呼ばれてるからね……」
そう言いながら光に向かって示す彼女の笑顔を見て、少しばかり緊張が解れた光。
すると彼女は徐に、自分の顔面を光に接近させてくる。
「!?…あ、あの…何でしょうか……?」
「光くん…もしかして…………」
自分の心臓の鼓動が徐々に膨れ上がり、再び緊張感を強める光。そして彼女の顔面が光の顔面の目前で静止したその時、ミミーは彼に一言尋ねた。
「まだ…疲れが残ってるでしょ?」
「…………はい?」
いつの間にかその場に漂っていた変な空気もすっかり晴らすその一言に、思わず光は呆然とした。
「だってそうでしょ?この村に来るなり倒れ込んじゃうんだもん。きっとまだ相当疲れが溜まってるに違いないわ!」
(た、倒れ込んだ!?そうか、それでここまで運ばれたんだ!)
ようやく自分がこの家にいる理由を理解出来た光。
「だ…大丈夫ですよ、ミミーさ…いや、おばあさん!僕だいぶ眠っていたんで、もう平気……」
「いいえ、無理しなくてもいいのよ!」
少しでも心配させまいと光が口に出した言葉をすぐさま一蹴するミミー。
「こんな砂漠に一人でやって来ちゃさぞかし不安だったろうし、それに……」
「それに……?」
光は不思議そうに声をかける。それを聞いたミミーは、今度は向こうの壁際まで歩み始める。そしてそこに置いてあった木製バケツに手をかけながら、再び彼にこう尋ねた。
「この暑さじゃ、もう喉もカラカラなんじゃない?」
「えっあ……言われてみれば……」
光はこれまでの状況を思い出してみた。
(そういえば僕、“ここ”に来てから何も食べたり飲んだりしてなかった…それにさっきまでずっと、逃げたり歩き続けたりもあったし……)
その時だった。
(…………!?)
突然自分の身体中から、急激に水分が搾り取られていくように感じた。そしていきなり自身の首筋に両手をかけ、苦悶の表情を二人に見せつける。
「な…何か……飲み物…く…ください……」
「分かった!ほらファメル、“これ”を光くんに!」
そう言って、自らに近寄ってきらファメルにある物を手渡すミミー。そしてそれを受け取った彼はすぐさま光のすぐ傍まで近づき告げる。
「ほら光、これを飲め!」
「う…うん……」
ファメルが差し出したのは一本の柄杓だった。それを覗き込んでみると、容器の底まで透き通ってみえる程清らかな冷水がたっぷりと汲まれていた。
「ああ…み…水だ……」
早速光は柄杓を受け取ると、すぐさまその縁を唇で挟み、少しずつ容器を傾ける。
その瞬間から彼にとっての“恵みの水”が、渇ききった体内に向けて注がれていく――――。
ひたすら水分を吸収する一人と、その様子を静かに見つめる二人。
「――――ぷはぁっ!た、助かりました……」
その時光が覆した柄杓には、もはや一滴も残っていなかった。それとともに、彼の表情に笑みが戻っていた。
「よ、よかったぁ…………」
彼の無事を確認し、同時に胸を撫で下ろす二人。そんな二人に対し光は深く頭を下げる。
「本当に有難うございました。それと……」
「それと?」
すると光はまたしても俯いてしまう。
「僕のせいで色々とご迷惑をかけてしまって…本当にごめんなさい……」
「なっ何言ってんだよ!?」
突然の謝罪を受け、思わず慌てふためいてしまうファメル。
「お前みたいな“選ばれし者”がいきなりそんな事言うなって!!」
「…………へっ?」
その時ファメルの口から発せられた思わぬ一言に、光は呆気にとられた。
「い…今…何て……?」
念の為もう一度、先程の言葉を聞き返す。
「えっ?だから…『お前みたいな“選ばれし者”が…』って……ああっ!」
突然ファメルの顔中に大量の冷や汗が流れ出始める。
「ど、どうしたの、ファメル?」
焦る彼に声をかけるミミー。
「やべぇ…お、オレ…まだ説明してなかった……」
「はぁっ!?」
その時突然強烈な鈍い音が、家の中に鳴り響いた。
「このバカタレっ!どうしてそんな大事な事忘れるのっ!?」
「ご、ごめんなさいぃいぃ……」
ミミーからの凄まじい眼光と怒鳴り声をまともに食らい、すっかり怯えた仕草を見せるファメル。その様子からすると、もはや今までの勇ましい様は皆無だった。
そんなミミーの右手がきつい握り拳に生まれ変わり、今まさにファメルの頭上に降りかかろうとしていた。それに気づいた光がすかさず大声を上げる。
「やっ止めてください、おばあさん!なっ何もそこまで怒らなくても……!」
そう言って慌ててミミーの怒りを治めようと二人の間に入る光。
「ひっ光くん!?」「光ぅ!」
光の咄嗟の行動により、彼女はすぐさま怒りを鎮めた。そしてファメルは、その瞳を潤ませながら光に縋り付く。
「た…たしゅかったよぅヒキャルぅ!」
もはやその姿から一切の気合いが抜け出ている。そんな彼を目の当たりにしたミミーもまた、ばつが悪い表情を浮かべる。
「ごめんなさい、光くん。つい取り乱してしまって……」
「いえいえ、大丈夫ですよ!大変な事にならないでよかったです」
そう答えながら額の冷や汗を拭う光。そしてその直後、自分が気になっていたある疑問を二人にぶつける事にした。
「それより教えてください、さっきの言葉の意味を。その…『お前が“選ばれし者”』っていう……」
すると二人の表情が一変した。既に笑顔も泣き顔もない、真剣なものとなっている。
「そうね。光くんには伝えなきゃいけないわね……」
そしてミミーはファメルの顔に目を向ける。
「ファメル、今度こそしっかり説明しなさい!」
「分かった、ばあちゃん!」
今度はファメルが光に目を向ける。その直後、真剣な表情のまま彼の疑問に答える。
「光、これからお前に伝えるのは事実だ。だから何があっても信じてもらいたい……」
「わ…分かった……」
集中して彼の言葉に耳を傾けようと決意する光の頬を伝う一滴の汗。
「いいか、お前は……………………」
「…………え…………」
その時光の驚愕と衝撃に満ちた叫び声が、家中に響き渡った。