第四十五頁
――――その時乾燥した大地から見上げた空には、相変わらず青一色に染め上げられていた。そこから容赦なく照らされる陽の光は、渇いた土に辛うじて根を張る植物達に、“彼ら”と同様に“試練”を与えているように感じられる。その中で僅かに吹き抜ける生暖かい風が、植物にほんの少しの安らぎを与えていた…………。
…………その時普段は活気に溢れる≪デミウィン鉱山≫から、岩盤を削ったり鉱石を採掘する際の金属音や機械音は、完全に消失していた。その代わりにこの一帯で響き渡っていたのは、大勢の人々の話し声や笑い声であった。
その時作業が一段落した事や、これまで作業員達を悩ませてきた問題が解決した事を合わせて、「祝賀会」と銘打った休憩の時間が過ごされていた。鉱山に関係する全員が“勇者達”や隊長の帰還を祝し、飲食や笑い声を合わせて盛り上がりを見せていたのだった。
ごく一部を除いて…………。
…………その時見事に帰還を果たした“勇者達”の一人であるファメルは、大勢で盛り上がる集団から少し距離を置いた箇所にいた。笑い声の絶えない彼らの様子を眺めながら、何も口にせず視線を地面に向ける彼の表情からは、いつもの前向きな性格は失われていた。
「皆楽しそうだな。今のオレにはそこまで出来ねえが、皆を見ていられればそれでいいや…………」
その時だった。
「ファメルっ!」
「っ!」
その時ファメルの前に姿を現したのは、彼の相棒である朝日奈光と、同じく“勇者達”の一員である曽根晴児とロークのコンビの、合計三人であった。
「お、お前ら、何でここに?」
「何でって、君が何だか元気がないみたいだからに決まってるでしょ!」
「俺も光と同じ!」
「まあ……“仲間”だからな…………」
突然の来訪者に戸惑いを隠せないファメルの様子を窺いながら、彼の左側に光が、そして右側に晴児とロークが並んで座り、光が代表して改めて彼に声をかけてみた。
「いつもだったら我先にご馳走に飛び込んで、誰よりも喜んでるはずのファメルなのに、なんで今回はそんなに落ち込んでるの?何か悩みがあるのなら、遠慮なく話してみてよ」
するとファメルは相棒の言う通りに、素直にその理由を口にした。
「…………あの坑道の中で、オレ達が戦った『クリスタルスパイダー』の事を思い出してたんだ。ほら、彼奴と戦っている途中で突然落盤が起こって、オレ達は脱出を余儀なくされただろ。その時彼奴、自分の命を犠牲にして、我が子の命を最優先にしてたじゃねえか。それでオレ、初めて感じたんだ。たとえ敵対する事になるモンスターにも、ちゃんと心があるんだって事を…………」
仲間が包み隠さず語るのを、無言で聞き取り続ける三人。ファメルは更に話を続ける。
「…………初めてだったんだよ。今までオレはモンスターって、ただ単に本能のままに襲い掛かってくるって思ってたんだ。だから何時だって全力で立ち向かう事が出来た。でもそれは違った。モンスターにもオレ達と同様に感情があるんだって知ったから、これからしっかり戦っていけるのか心配になってな…………」
ようやく自身の胸中を語り終え、大きく溜息を漏らすファメル。そんな相棒を目の当たりにした光は、彼の肩を優しく叩き、穏やかな表情で語りかける。
「それなら僕も同じだよ、ファメル」
「え…………」
「僕だって“この世界”に飛ばされてきた初めのうちは、自分の命を最優先に考え過ぎていて、それ以外の事なんて考える余裕すらなかったんだ。それこそモンスターの事だってそう。それでもファメルや皆と戦っていく中で、少しずつ恐怖心もなくなってきて、ようやく一人前の“勇者”になれた気がしたんだ」
「そういや確かに、オレと初めて出会った頃の光、かなり弱腰だったっけな」
「でも今回の『クリスタルスパイダー』の出来事があって、何だか僕にも迷いが出来たみたいなんだ。僕達と同じように、モンスターにだって感情もあれば、“守りたいもの”だってある。だからたとえ誰かに迷惑をかけていたとしても、それが自分達にとって必要な事だと考えると、本当に倒すべきなのか分からなくなってきたんだ…………」
「そうか、オレだけの悩みかと思っていたけど、まさか光まで同じ事を考えていたなんてな…………」
相棒が抱いていた思いが伝わった事により、それまでと比べて僅かに表情が緩んだファメル。そこへ更に残る二人が加わり、彼らもまた自らの思いを素直に伝え始める。
「そりゃ誰だって同じ事を考える筈さ。現に俺だって最初はそうだった。それに今回の出来事だって俺の心にグサッと刺さったものがあった。でもさ、何時までもそんな事考え続けていたら、俺達が“勇者”に選ばれた理由も分からなくなってくる。相手にだって戦う理由があるし、そして俺達にも戦う理由がある。だからこれからはその事をしっかりと理解した上で、“勇者”の一人として戦っていく事を決めたんだ。ま、自分が選ばれた理由が何なのかは、まだピンとはこないけどな」
「“勇者”として選ばれたからには、無論これからも戦い続け、生き残っていかなければならない。生き残る為に戦う、それだけだ」
「お……お前ら…………」
その時三人の言葉を受け、項垂れていた自身の顔を上げて、再び陽の光を求めたファメル。そんな彼の持つ二つの瞳には、これまでと同じく燃え上がるような輝きが戻っていた。
「…………それもそうだな。よく考えてみたら、これまでにオレ達が戦ってきたモンスターにだって、何かしらの戦うべき理由があった筈だ。それなのに今回の事だけ変な考えを持っちまえば、そいつらにも何だか申し訳ねぇしな。ありがとな皆。お陰でさっぱりしたぜ」
そして自身に励ましの言葉を恵んでくれた三人に対し、ファメルは満面の笑みで感謝の意を伝える。対する彼らもまた、一度頷いてその思いを受け取る。
やがて互いの思いが伝わりあったところで、最後に光から相棒に向けて“ある物”を差し出した。それをそっと受け取った当の本人は、その存在に今まで気が付かなかったようで、完全に呆気に取られた状態で相棒に尋ねてみた。
「こ……これって…………?」
その質問に対し光だけでなく、晴児やロークも続けて返答する。
「ああ、これはね、この辺りで採れた食材で作った特製スープだよ。鉱山の皆さんと一緒に作って、今回のお祝いで振る舞う事になったんだ」
「ファメルからすればかなり物足りないかもしれないけどな。何せお前の好きな肉と比べると、野菜の量が半端じゃねえから。でも俺達の中で一番の料理上手なロークが、お前との約束をしっかり守って作ったから、味にまず間違いはないぞ!」
「とにかく早めに食べる事を薦める。こういった料理は冷めないうちに食べた方が、確実に力が湧くはずだからな…………」
その時へぇ、と軽く返事を帰したファメルは、彼らが話題に挙げたスープが注がれた椀に改めて目を向けた。そしてその一角に口をつけると、手にしたその椀を徐に傾ける。
内側のスープを喉の奥へと流し込む音が数回聞こえたところで、今度は銜えていた口をゆっくりと離し、深く息を吐いた。
「…………はあ」
彼が思わず漏らしたその息の直後に、光と晴児は口の中に溜まっていた唾を一気に飲み干した。またロークも表情や仕草で表現する事はなかったものの、その後のファメルの動向を随分と気にかけていた。全てはこの後に発せられるはずである、彼の一言を確認する為に…………。
「…………」
その時吹き抜ける生暖かい風や作業員達の談笑を除けば、四人のいる位置に他の音は存在しなかった。三人が静かに見守る中で、ファメルはもう一度手元のスープを口の中へと運んでいく。
光、晴児、ロークが待ち望んでいた瞬間が訪れたのは、この直後の事であった。
「…………うめえ」
「!」
その時その一言が彼の口から放たれた直後から、少しずつではあるものの、確実にスープを口に運ぶ速度を速めていった。やがては用意された匙も生かし、中身の具材にまで手をつけるようになっていった。
「こいつぁ……うめえな…………何でもっと早く言ってくれねえんだよ……食わずにはいられねぇだろ…………!」
つい先程まで全く手が付けられなかったスープが、確実にその量を少なくさせている。そういった様子から、どうやら“いつも通りのファメル”が戻ってきたのだと、素直に理解出来た三人。そしてその時ファメルが相棒に、すっかり空となった器を差し出しながら放った一言に、彼や晴児は勿論の事、普段全く感情を表に出さないロークでさえも、微笑まずにはいられなかった…………。
「わりぃが光、おかわり持ってきてくれ!今度はなるべく具材多めにな!」
「…………うん、分かったよファメル!」
…………その時作業員達の笑い声が絶えない一角から少し離れた箇所に、緊急で制作された柵に囲まれたスペースが用意されていた。その内側では、先程の崩落事故から“勇者達”が救出した三匹の「クリスタルスパイダー」の子ども達が、何の疑いもなく楽しそうにじゃれ合っていた。互いの身体を糸で絡め合ったり、その糸で綱引きをしたりして、多種多様な遊び方を満喫させているように感じられる。
そんな三匹の様子を柵越しから、穏やかに見つめる人物の姿がそこにはあった。まるで遊びに夢中な我が子の姿を、微笑ましく見守る親のような面持ちで見つめる人物の姿が…………。
「三匹とも、本当に楽しそうに遊んでるわね…………」
その人物は続いて手元の柵にそっと触れながら、更に言葉を続ける。
「今はまだ簡単な素材でしか作られていないけど、もう少ししたらもっと頑丈な柵に作り変えてくれるそうよ。これなら他のモンスターにも襲われる事はなさそうね…………」
次第に彼女が語り掛ける声が、何かを堪えるように震えて聞こえ始めてきた。
「貴方達にあんな思いは……もう二度とあんな思いはさせたくないから…………」
その時設置された柵の内側にある一か所だけが、突如として湿り始めていった。空は相変わらず雲一つなく、極度に乾燥した空気が流れているはずなのに。それが気になった三匹はここで一旦遊びを中断させ、その湿った個所まで歩み寄ってきた。そしてそれをじっと見つめた後で、今度はその発生源と思われる部分を下から見上げていく。
その時そこに立っていたのは、リビィであった。先程まで戯れていた三匹に目線を向けながら、奥歯を強く噛み締める彼女の瞳からは、大粒の雫が止めどなく溢れ続けていた。
「アタシ達がもっと早く気づいていたら、こんな事には…………!」
目前で彼女を窺う三匹の家族を守り切れなかった事に、後悔の念を抑えきれないでいるリビィ。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい…………これじゃアタシ、“勇者”の資格なんてあり得ないわ……いや、それだけじゃ…………!」
「…………そんな事言わないで、リビィ」
「っ!」
その時リビィの肩を優しく叩き、これ以上の発言を制止させたのは、彼女の相棒にあたる岸川陽音であった。未だに瞳から溢れる物を抑えきれない相棒に、陽音は更に言葉を続ける。
「そんな風に考えてしまったら、私や他の皆だって同じだよ。私達はどんな能力も持ち合わせている位ような、完璧な人間なんかじゃない。とにかくこれからも私達は、私達が出来る事を生かして進んでいくしかない。だから君だけが責任を感じる必要なんてないんだよ」
「陽音……」
相棒からの言葉が見事に功を奏したようで、リビィの表情も先程より和らいだように見えてきた。
「…………ほらほら」
「?」
どうやらまだまだ相棒には自分に伝えたい事が残っているようで、その内容ががどのようなものなのか気になったリビィ。そんな彼女の疑問を解き明かす為に、陽音はある一か所に向けて指しながら語った。
「この子達はリビィに、何か興味があるらしいわよ」
相棒からの言葉を受け、リビィは早速その一か所に目を向けてみる。
するとそこでは先程まで彼女の様子を窺い続けていた「クリスタルスパイダー」の三匹が、何やら催促しているような行為を披露していたのであった。まるでもっとこちら側に注目してほしいと懇願しているかのように。
「そ、そんなに誘ってくるなんて、何か用事でも…………」
三匹の要求に応じ、リビィが少々顔を近づけた次の瞬間、
「…………きゃっ!」
その時三匹が突如として口から例の“何か”を吐き出し、それをその場で束ねてまとめ始めていったのだ。最初のうちはそれがバラバラの状態で存在していたのだが、時間を重ねる毎にそれらはものの見事に一つに形成されていく。
一方陽音とリビィはこの一部始終を見守るのみであったのだが、この行動を目を通した事により、ここで二人だけでなく恐らく他の“勇者達”の頭に浮かんでいた疑問が解決された。
「あの時輝吉くんに傷を負わせたのって、この子達『クリスタルスパイダー』の糸だったんだ…………」
三匹は更に行動を続けた。それぞれが吐き出した上で一本に束ねていった糸で、何やらリング状の物体を作成しているようである。更に今度はその内の一匹が、傍に転がっていた鉱石の一つに近づくと、早速それの加工を開始したのであった。余計な部分や変形した個所を細かく削っていき、少しずつ形を成していく。
「一体、何を作ってるんだろう…………?」
やがてリングの制作と鉱石の加工がある程度済んだところで、制作組の二匹と加工役の一匹が一か所に集合し、いよいよ仕上げの段階へと突入したようであった。なるべく陽音にもリビィにも知られないように、とにかく密集した状態を貫いて…………。
そしてようやく三匹の動きが収まったところで、遂に目的の品が二人の目前で披露された。
「こ、これは…………!」
その時「クリスタルスパイダー」の三匹が完成させたのは、一個の腕輪であった。三匹の糸から作られた装着部分の中心に、先程細かく加工された鉱石が接着されてある。そしてそれは彼女らの服装や陽音が持つ“本”と同じで、確実に二人の為に作り上げた事がよく理解出来る、鮮やかな黄色が見事に映えている。
「何て綺麗な腕輪なの…………え?」
あまりの出来栄えに思わず見入ってしまったリビィであったが、次の瞬間彼女は驚きの声を上げた。
その時三匹は全員分の前足を利用して、自らが作り上げたその腕輪を持ち、二人のどちらかに受け取ってもらおうと差し出したのであった。陽音からリビィへ、そして再び陽音と交互に見つめ、どちらが受け取っても全く構わないような素振りを見せながら。
「で、でも本当にいいの?折角工夫を凝らして作った物なのに…………」
綺麗に完成された腕輪を受け取る事に抵抗を覚え、戸惑うばかりのリビィ。そんな彼女の肩にそっと手を乗せた陽音が、穏やかな口調で語り掛ける。
「リビィ、貰ってあげて。間違いなくこの子達はそれを望んでる。それにこんなに綺麗な腕輪は、君が着けるに相応しいはず」
するとまるで彼女の言葉に賛同するかのように、三匹の動きもより活発なものへと変化していた。こういった相棒からの言葉や三匹の思いを考慮した結果、リビィはこう結論付けた。
「…………分かったわ。それじゃアタシが頂くからね」
リビィはそう言うと、三匹が掲げる腕輪を優しく受け取り、自身の右腕に装着し始める。その間陽音も三匹もこの一部始終を、静かに見守り続けていった。
やがて装着が完了したところで、リビィは装飾が施された右腕を、陽の光に照らされるように掲げてみせた。腕輪に備わった鉱石の黄色が、より鮮やかに輝いて見える。
「本当に、綺麗…………」
そしてある程度腕輪の鑑賞が終わったところで、リビィは三匹をしっかりと見つめ、感謝の言葉を送り届けた。その時彼女も見守る陽音も、これまで以上に満面の笑みを浮かべていた。
「ありがとう皆!絶対大切にするからね!」
「…………皆さーん!」
その時周囲にいる者全ての耳に入り込む甲高い声が、乾ききった空気を伝って響き渡った。そしてそれを耳にした者達のうち、確実に聞き覚えのあるごく一部のみが、その声の主に逸早く気づいた。
「っ!」
「この声は!」