第三十七頁
――――その時“勇者達”は生い茂る草木を掻き分けながら、深緑色の大地に新たな道を生み出し続けていた。彼らの周囲は高々と成長した木々が空を覆い、その場に異常な湿気を充満させていた。
その時彼らが進んでいるのはジャングルではない。≪リーアム村≫からの依頼で辿り着いたオアシスである。しかし異常なまでに成長した木々のせいで“勇者達”に猛烈な蒸し暑さが襲い掛かり、外の砂漠地帯とは異なった過酷な環境を生み出していた。
「はぁ…はぁ…………そ……それに…してもよぉ」
その時ファメルは汗だくの状態で、息を荒らげながら乾ききった声を漏らした。誰かに向けて発した訳でもないが、まるで独り言のように言葉を続ける。
「ここは本当に……オアシス…なのか?……これじゃまるで……ジャングルだぜ……」
現在の環境に苦しむ中で彼が投じたこの疑問に、他の“勇者達”を代表して返答した人物がいた。
「確かにここはオアシスだよ……でもこれは……オレッチの知ってるオアシスじゃないよ……」
返答したのは地元出身者である“勇者”、エジャイルだ。最初はこれまで通りの明るい口調で語っていたが、知っているはずだったオアシスのあまりの変貌ぶりに、少々焦りを募らせていた。いつもは明るく受け答えを行うエジャイルであったのだが、この時に限ってはそうとはいかないようだ。オアシスの蒸し暑さと不安な様子が重なり、彼の全身のあちこちから汗が滲み出ている。
「そういえば村長さんも言ってたよね。不思議な流れ星が来てから、オアシスの様子がおかしくなったって。多分その流れ星って、僕らが捜してる『砂漠の花』の一部だと思うんだ」
“勇者達”の先頭を進む光がそう口にしたのを受け、エジャイルは改めて思い返した。先程まで過ごした≪リーアム村≫の村長アイリャックが語っていた“流れ星の話”を。そしてこの≪ティサールの国≫で最初に訪れた≪クァスダム≫にある博物館の館長ザムファが語った“不思議な出来事”を…………。
「…………それにしてもエジャイル、お前大丈夫か?今のお前|にとってこの状態は、“猛毒”そのものなんじゃねぇのか?」
その時突然エジャイルに声をかけたのは、ファメルであった。彼の汗だくな様子を心配して、尋ねずにはいられなかったようだ。
「今のところ、特に問題はないよ。でも君の言う通り、この暑さはオレッチにとって、“猛毒”に近いかもしれないね。まあ自分だけじゃなく、他の皆にとってもだけど…………」
「っ!?ちょっと待って…………!」
エジャイルが自身の状態を伝えていたその最中、光が突然声を上げて全員の歩みを中断させる。彼の言葉に従い全員が立ち止まった事で、“勇者達”の足音は消失したはずだった、しかしそれでも彼らの周囲からは、何者かが蠢く不気味な足音が鳴り響いている。この時“勇者達”の心中では、誰もが同じこの言葉を思い浮かべていた。
(何かが……来る……!)
そしてその時、この言葉は現実のものへと変化した。
「…………!」
その時彼らの両脇に存在する茂みの中から姿を現し、“勇者達”の行く手を阻んだのは、数体の群れを成した緑色の猿達であった。その全てが彼らに向けて牙を剥き、明らかに威嚇しているような仕種を見せている。
「あれは『ジャングルモンキー』だよ。どうやらここはこいつらの縄張りらしい。オレッチ達を追い出そうとしているみたい」
この国の地理に詳しいエジャイルが相手を刺激させない声量で、目前のモンスターを説明する。その間にも「ジャングルモンキー」の数は増加の一途を辿り、気づけば“勇者達”の周囲をすっかり取り囲んでしまっていた。
「オレ達には進まなけりゃいけねぇ理由があるんだ。わりぃがお前らには、どいてもらうぜ!」
それでも怯む様子など一切なく、腰の剣を構えて、既に戦闘準備が整ったファメルの姿がそこにはあった。相棒の光もそれに合わせて、腰に備えた<紅剣>の柄に手を伸ばす。その時柄をしっかり握りゆっくりと引き抜いていくその瞬間、光の瞳の輝きが変化を遂げた。彼がこれまで宿していた優しさからは想像もつかない程に、紅く鋭い眼差しに。
(光のその眼、今日も健在だな…………!)
相棒のその姿を目にしたファメルは、彼の大きな“変化”に驚く事はなく、むしろそれがこれまで通りに発生した事を改めて感心した。
そしてまるで別人のような姿を見せる光が、剣の切っ先を敵の軍勢に向けたまま、じっくりとその様子を窺っていた。相変わらず鋭い牙を剥き出しにしたままで、今にも襲い掛かってきそうな状態である。
そのまま互いに睨み合いを続けた状態で、緊張感に満ちた時間が経過した。“勇者達”の額に滲む汗が、その頬を伝い流れ落ちていく。
やがてその時は突如として訪れた。“勇者”の汗が流れ落ち大地にぶつかったその時、「ジャングルモンキー」の軍勢が雄叫びを上げ、彼らへの襲撃を開始したのである。
「…………行くぞっ、皆!」
その時敵の勢いに臆する事なく、仲間達との迎撃を実行に移す決断を下した光。その言葉に対し全員が大声で応え、こちらもまた敵の軍勢に向かって飛び込んでいった――――。
――――その時オアシスを突き進む“勇者達”の息遣いは、更に荒いものとなっていた。
オアシスを突き進んで最初に遭遇した「ジャングルモンキー」の軍勢は、“勇者達”の見事な連携プレーが功を奏し、どうにか撃退に成功した。しかし彼らに立ちはだかる“壁”は、当然それだけではない。これまで幾度となく敵の軍勢が襲撃を重ね、その度に“勇者達”は立ち向かい、疲労は蓄積されるばかりであった。
それでも彼らは歩みを止めることはない。自分達に課せられた“試練”を、全員揃って成功させる為に……。
「はぁ、はぁ……ま、まだなのか?ここの“ゴール”って所は…………」
未だ目的地まで辿り着きそうにない中で、すっかり乾燥しきった声を精一杯搾り取り、誰かに尋ねるように呟くファメル。ここまで歩き続けた両足は震えが絶えず、今にも倒れてしまいそうな状況であった。
「村で貰った飲み物も全部飲み切ったはずなのに、さっきからずっと喉が渇くばかりだぜ…………」
「大丈夫だよ、ファメルッチ。実は皆の足音がどんどん湿り気を強めてきてるんだ。ゴールのオアシスが近づいてきてるって証拠だよ」
その時そう返答しファメルを励ましたのは、地元出身者として彼らからの信頼を承っているエジャイルであった。身体の大きな特徴から、彼自体は地面に触れて移動はしていない。そこで他の仲間達が発した足音の変化を頼りに、この結論に辿り着いたという訳だ。
「本当だ。それに微かだけど、水が湧き出てくる音も聞こえてきた」
その時相棒の理論を証明するかのように、耳を澄ませて聞き取った微かな音を皆に伝える美濃部昇の姿もあった。
やがて“勇者達”が大きな茂みの目前まで差し掛かったところ、先程昇が聞き取った湧き出る水の音が、全員の耳で理解出来る程の音量へ変化した。その時彼らが思った言葉は、どれもが等しいものであった。
(この茂みの向こう側に、目的地が…………!)
この言葉を胸の中で呪文のように唱えながら、呼吸を整え気合を入れ直す“勇者達”。その中から光が代表して、目前の茂みを大きくこじ開ける。
「…………うっ!」
その時突如として差し込んだ眩し過ぎる輝きに、彼らは思わず両目を塞ぐ。
「…………」
やがて数秒の時が過ぎ、ようやく両眼が輝きに慣れてきた。その時彼らの視界に飛び込んできた光景は…………。
「こ……これは…………!」
その時“勇者達”の目前には、数多くの草木に囲まれた広大な泉が存在していた。離れて眺めても底が見えてしまいそうな程透き通った水が溜まっている。その中心部では枯渇する事などなさそうなくらいに、滾々と水が湧き出続けている。
「これが……オアシス…………」
ここが広大な砂漠地帯の一部だという事実を忘れてしまいそうな光景に、“勇者達”はすっかり言葉を失っていた。彼らの人生でこれまで一度もお目にかかる事のなかった景色を、その目にしっかりと焼き付けていた。
彼一人だけを除いて…………。
「……み……水だぁ…………」
「…………っ!」
その時目前の光景など見向きもせず、ただ止めどなく湧き上がる泉の水へ駆け出したのは、ファメルであった。そして水面の間際まで辿り着くと、只管に水分を求めていた自身の顔面を、そのまま泉の中へ突っ込ませる。
「ふぁ…ファメル……」
まるでこの泉を枯らしてしまいそうな程に勢いよく飲み続ける音を耳にしながら、相棒の必死さを痛感する光の姿があった。
「よっぽど喉が渇いてたんだね…………」
すると泉に突っ込まれていたファメルの顔面が、大きな水飛沫とともに姿を現した。そこにはこれまで全く見られないでいた、彼の満面の笑みが浮き彫りにされている。
「かーっ!うめーっ!生き返るーっ!」
次の瞬間彼の口から発せられた第一声は、久々に活気に満ちたものへと変化していた。暑さと喉の渇きのせいでかなり痩せ細っていたファメルの身体も、この水のお陰でこれまで通りの膨らみと潤いを取り戻していた。
「皆もこっちに来いよっ!早くしねぇとオレが全部飲んじまうぞ!」
「もう、ファメルったら。そんなに飲み過ぎるとお腹が破裂しちゃうよ!」
その時大きく手招きして仲間達を誘うファメルと、それを見て笑みを浮かべる“勇者達”の姿があった…………。
その時だった。
「っ!ファメル、危ない!」
「えっ?…………うわあっ!」
その時泉の淵にいたはずのファメルの身体は、突然空中に浮かんでいた。全身を縄のような物体で強く締め付けられ、全く身動きが取れない状況下に置かれている。
「なっ!?」
「何じゃこりゃあっ!?」
ファメルも他の“勇者達”も、驚きを隠せない表情を浮かべていた。
その時彼らの目前に存在したのは、泉の奥底から大きく顔を突き出させる、一輪の巨大な花であった。血液のようなどす黒い赤色で染め上がった花弁が不気味に目立つ花だ。ファメルの身体を締め上げているのは茎から伸びた無数の枝だ。そして花弁の中央で大きく開かれた口が涎を垂らし、今にも彼を丸飲みにしてしまいそうであった。
「ひ……ひいっ!」
これまでに見た事のないモンスターの恐ろしさに敵わず、流石のファメルでさえも思わず悲鳴を上げてしまった。そんな事などお構いなしで、彼の身体は少しずつ大きな口へと近づいていく。全く身動きがとれないファメルは、半ば諦めの気持ちさえ浮かんでいた。
(だ…駄目だ……食われる…………!)
その時だった。
「…………え」
その時彼の身体を締め付けていた枝がバラバラに切り刻まれており、ファメルはモンスターの束縛からようやく解放された。あちこちをよく見てみると、細かく分解された枝や本体に残された付け根の部分が、鮮やかな紅い炎を帯びている。
「この炎、もしかして…………ってちょっと待てよ」
するとここでファメルは現在の自分の状況を思い出した。確かに束縛から解放された事で、自分は身体の自由を取り戻す事が出来た。そしてそんな自分は今、確か宙に浮いているはず。
「この状況、もしかして…………!」
次の瞬間ファメルの口から、これまで発した事がないくらいの大音量で、絶叫する声が飛び出してきた。そして彼の身体が解放されたと同時に重力も取り戻し、地面へ真っ逆さまに急降下を余儀なくされる。
「っと!」
彼が解放されてからこの瞬間までは、まさしく一瞬の出来事であった。
その時思わず両目を瞑っていたファメルは、ゆっくりと瞼を開放させていった。先程の状況を整理して考えると、本来自分は地面に叩き落とされ、絶対に耐え切れない程の激痛を味わっているはずだ。しかしそれはなかった。むしろ安心出来る温もりを感じている。これは一体何故だろう。
「…………っ!」
その答えは彼が目を覚ましい、再び視界を取り戻した際に判明した。その時ファメルの身体は、一人の“勇者”の支えによって落下の衝撃が防がれていたのだ。余程必死の思いだったらしく、炎のような紅色の衣装に汗が滲み、非常に荒々しい呼吸が印象深い。
「ファメル……よ……よかった…………ま……間に合った…………」
自らの身の安全が確保されたのを確認し安堵の表情を浮かべた彼の名を、ファメルは唐突に声で表現した。
「ひ……光…………」
「大丈夫?怪我はない?」
自分が光の名を呼んでも、本人は絶えず自分の様子を心配するばかりだ。そんな彼の思いを素直に受け取ったファメルは、相棒へ感謝の意を伝えた。
「ありがとな。お陰で助かった」
すると光も飾り気などなしに、自らの思いを伝える。
「当たり前だよ、僕達はパートナーだもん!」
それを聞いた相棒は、大きな喜びに包まれた笑みを浮かべた。その瞳を滲ませるものを感じながら、ファメルは大きく頷いた。
「…………おいおい二人とも」
「…………っ!」
その時光とファメルに向かって声をかけたのは、“勇者”の一人である曽根晴児であった。二人が自らの方へ視線を移したのを確認すると、彼は更に言葉を続ける。
「二人で“友情の再確認”もいいが、そいつは後にしてもらいてぇな」
晴児はそう言うと、彼らを通過した奥の方へと指を差した。それに合わせて二人が目線を移した時、彼が口にした言葉の理由がすぐに判明された。
そこではファメルの救出の際に身体の一部を失い、今にも暴れだしそうなモンスターが存在していた。眼球を有しているのかは不明だが、その顔は明らかに二人の方を向いていたのだ。
「まずはそいつを倒す。それからでも構わないんじゃねぇか?」
「…………うん」
「それもそうだな」
その時光もファメルも、晴児の意見に賛成した。そして互いに見つめ合い頷くと、光は抱えていたファメルの身体を優しく地面へと降ろす。
その時ファメルはあることが気がかりになり、相棒へと質問という形でぶつける。
「ところで光、お前の<紅剣(こうけん)>は?一体何処に置いてあるんだ?」
「ああ、それならそこに」
光はすぐさま返答すると、自らのすぐ傍の位置を指差した。ファメルがそこに視線を送ると、そこには先端が地面に突き刺さった状態で直立した、一本の紅き剣が存在していた。それを見た彼はすぐさまその剣の正体に気づいた。あれこそが相棒が使用する“武器”である、<紅剣>その物だという事を。
するとファメルは突然不機嫌な表情を浮かべ、光に文句を一つぶつけてきた。
「おいおい光、いくら何でもあれじゃいけねぇだろ。“武器”の扱いにはくれぐれも注意しねぇとな」
「へへっ、ごめんごめん」
その時光は苦笑いを浮かべながら陳謝し、急いで<紅剣>の元へと駆け寄った。途中で襲い掛かってこないか不安視する仲間達であったが、幸いにもその様子は見られず、一同はホッと一安心する。
やがて光は自らの“武器”の目前まで辿り着き、一回だけ深呼吸を行った後、その手で剣の柄を強く握りしめる。
「…………!」
その瞬間そのまま気合を込めて先端を地面から抜き出し、そこから戦闘体勢に移った光の瞳は、大きな変化を遂げていた。これまでの透き通った優しい輝きから、剣と同じく炎の如く燃え滾る力強い“紅い瞳”へと。そして彼の変化は瞳だけでなく、表情や口調にも映し出されている。
「…………行くぞ、皆!」
これまでとは打って変わって、大変力強く結城に満ち溢れた口声を発する光。それでもファメルを始めとした“勇者達”全員は誰もが驚愕した様子などなく、むしろ彼の変化を完全に受け入れているようであった。
「…………おう!」
その時光の掛け声に合わせ、他の“勇者達”全員も自らの“武器”を構え、戦闘体勢に入った。そしてそれを目の当たりにした目前のモンスターも、これまでにない大声を上げた。