第三十五頁
――――その時外の世界は雲一つない青空の下、乾ききった風が通り抜けていた。この≪ティサールの国≫にとって“いつも通りの光景”が、砂ばかりの一面に広がっている。
そんな中襲い掛かる砂埃から身を守る為、全身を覆うローブを深々と纏い、今まさに出発しようと準備を進める“勇者達”の姿がそこにはあった。
「いよいよだな、光。もう覚悟は決まってるか?」
「うん、もう大丈夫!」
その時彼らの先頭にあたる位置に存在する二人が、出発直前に言葉を交わしていた。
「それにあの時、大掃除もしっかり出来たから、今はとてもすっきりしてるんだ」
朝日奈光はそう語りながら、出発の直前に実行された“大掃除”の場面を思い返してみた。
「あの量だと相当時間がかかるって思ってたけど、皆で協力してやったら、案外早く終わったみたいでよかったよ」
「光の言う通りだな。それにオレ、本当は掃除大っ嫌いだったんだけど、やってるうちに何だか楽しくなってきたのを覚えてるぜ…………」
そして二人は揃って空に目を向け、今度は掃除を終了させた直後の場面を思い出した。空には相変わらず雲一つ見当たらず、青一色のみが一面に広がっている。
「確かこの空のように、とても綺麗に…………」
眺めに夢中のファメルの口から、彼らしくない言葉まで呟かれる程、穏やかな時間が過ぎようとしていた。
するとその時、
「おいっ!」
「ひゃあっ!?」
その時一切意識されていなかった二人の耳の中に、背後からの呼びかけが大音量で飛び込んできた。あまりに突然の出来事だった為、彼らから繰り出された驚愕を示す反応は、とてつもなく奇妙な声で表現された。
外の暑さに関係なく全身に大量の冷や汗を溢れさせた光とファメルが振り返ると、そこには仲間のひとりである曽根晴児の姿が存在していた。胸元に手を当てながら荒い呼吸が治まらない相棒に代わって、ファメルが彼に文句をぶつける。
「い、いきなり驚かすなよ!寿命が物凄く縮まっちまったじゃねぇか!」
すると晴児は冷静に、そして少々呆れ顔を浮かべながら、ファメルに対し反論する。
「おいおいそりゃないだろ。こっちはずうっとお前らに向かって呼びかけてたんだぞ。なのに全然気づいてくれなかったから、仕方なく近くで声をかけてみたんだから…………」
「…………え?」
その時二人はふと思い返した。光もファメルも両方とも、ただ茫然と空を眺めていた事を。
「…………ご、ごめん……」
明らかにこちら側に非がある。そう思った光とファメルは、すぐさま晴児に対し頭を下げて謝罪する。
そんな二人の行為に対し、今度は晴児の口からこんな言葉が述べられた。
「いやいや、謝る必要なんてねえよ。俺達の頼れるリーダーとして、二人がこれまで頑張り続けていた事は、皆が十分分かってる。だからさっきみたいに空を見上げて一息ついて、少しでも長旅の疲れを癒してたんだろ?そんな時に余計な口を挟んでしまって、こっちこそごめんな」
「そんな!悪いのは僕らの方だって!」
「いやいや、悪いのはこっちだって」
「僕ら!」「こっち!」「僕ら!」「こっち!」
その時互いに自分の非を詫びるはずが、いつの間にか実に奇妙な“意地の張り合い”へと変化していた。それは相手を責め立てるものでは一切なく、むしろふざけあっていると言った方がいいだろう。
これに関してはすぐ傍でこの言い争いを眺めるファメルも、途中から合流してきたロークも、誰一人関わる事は出来なかった。いや、あえてそうしなかったと言うべきか。
「…………こほん」
「っ!」
その時二人の争いを終結させたのは、ディアルであった。二人の知らぬ間にそのすぐ傍に出現し、大きく咳払いを行う事で、彼らの注目を集めさせたのである。
いきなり話しかけられ動揺を隠せない四人に対し、ディアルはとても冷静に口を開かせる。
「お二人とも、そうやって仲よくさせていただくのは構いませんが、あちらをご覧くださいませ」
そう言うとディアルは、自身の背後に向けて五本指を指した。光と晴児はそれに従い、ディアルの指し示す方へと視線を向けてみる。
「……あ」
「……げ」
その時二人の両目に映し出されたのは、既に出発の準備を終えていた五組の“勇者達”だった。よく見ると全員が苦笑いを浮かべながら、こちらへ大きく手を振っている。
「皆さんお二人のご到着を、今か今かと待ち望んでおられたのですよ。それも決して嫌なお顔一つせず」
その言葉が耳に入り込んだ瞬間、彼らの顔面が突然真っ赤に染まり始めていった。どうやら二人の行動は全て他の“勇者達”にも見られていたらしく、それを知った途端急に恥ずかしさを感じてしまったらしい。
「…………」
もはや何も反論出来ない二人に、ディアルは優しく微笑みながら、一言付け加えた。
「この“友情”はお二人で独占せず、他の皆さんともちゃんと共有してくださいませ」
「はい…すみません……」
そして二人は全く同じタイミングでディアルに、続いて他の“勇者達”に、最後にそれぞれの相棒に向けて深々と頭を下げた。誰一人として二人を非難せず、彼らの思いを素直に受け止めた様子であった。
「…………さてそれでは」
その時この一部始終が一通り終了したところで、ディアルが話題を変えて、これからの予定を確認し始めた。ちなみにこの時光と晴児の二人は、既に他の“勇者達”の元に戻っていた。
「皆さん全員、出発の準備はお済みのようですね。それではこれから“第一の試練”が開始されます。皆さんのご想像通り、今回皆さんに課せられた“試練”は、博物館から突如として各方面へ散り散りとなった宝飾品『砂漠の花』を、全て回収する事です。その中でワタクシの役目は、飛び散ったと思われる方角にある町まで、皆さんを送り届ける事のみです。ですので到着した時点でワタクシの出番は終了し、次の町への移動まで手助けは出来ません。それだけは覚悟しておいてくださいませ」
ディアルは最後に付け加えた忠告を、あえて強調した言葉遣いで口にした。語られている間自らの声で邪魔に入ろうと考える者は、誰一人存在しなかった。
そしてその時ディアルからの説明と忠告が終了すると、光は口の中に溜まった唾を飲み込み、ファメルは力強く言葉を返した。
「心配は無用!その点は十分承知してるぜ。オレ達は“勇者”に選ばれた以上、そういう覚悟はもうとっくに出来てる……」
その言葉に従うかのように、他の“勇者達”も揃って首を縦に振る。ファメルはそれを背後に確認し、それから改めて目前の水先案内人に依頼する。
「……それじゃあ早速だけど、オレ達を最初の目的地へ案内してくれ!」
「そのお言葉を待っておりました!」
その時とても機嫌よくそう答えたディアルは、これまで彼らの移動に大きく貢献している、巨大な馬車へと姿を変えた。この光景は誰もが何度も確認しているので、今更驚いた様子を見せる者は、もういない。
「ささ、お乗りください」
そして“勇者達”はその言葉に従い、一人ずつ乗り込んでいく。やがて最後の一人が乗り込んだところで、ディアルは彼らに問いかける。
「さて皆さん、最初の行き先はどちらに致しましょうか?」
「あっ!そうか!うーん、そうだな……」
その時そう尋ねられたファメルは、荷台の中央部で腕組みし、深く頭を悩ませていた。ディアルからしてみればごく基本的な質問をぶつけたはずだったのだが、何せとにかく出発する事ばかり考えていた彼は、記念すべき最初の目的地を決定せずにいたのだった。
「うーん……うーん……」
何度も首を左右に振り、まずは何処に向かえばいいか思い悩むファメル。暫くこの状態が続いたところで、ファメルは深い溜息を口から吐き出す。そして一言口にする。
「…………駄目だぁ。今のオレじゃあ何も決められねぇ……」
ファメルは非常に落ち込んだ表情を浮かべながら、乾いた砂が敷き詰められた地面へと顔を向ける。
「…………実はオレ、この冒険を始めるまで、よその国に出かけた事が一度もなかったんだ。だから何処へどうやって行ったら目的地に辿り着けるのか、全然見当もつかねえんだ…………」
ファメルは珍しく自信なくそう語った直後、下を向いていた自らの視線を、一人の“勇者”へと移し替えた。それは…………、
「…………だからエジャイル……」
「?」
そしてファメルは目前のエジャイルに向けて、こう頼み込む。
「ここの地理に関しては、全てお前に任せたいんだ。この国の出身だから、この中だと一番この国を知っているのは、間違いなくエジャイルのはずだしな……」
その時エジャイルはこの言葉を、真剣な表情で聞き続けていた。これまでいつも陽気に振舞い続けていた彼からは全く想像出来ないものだった。
しかし直後にその口から発せられた言葉は、通常この表情からでは全くあり得ないものであった……。
「…………お安い御用だよ!物凄く困ってる皆の役に立てるだなんて、オレッチにとって嬉しい限りだよ!」
自分が仲間達に信頼され、自分が大役を任されたという事実に対し、溢れんばかりの喜びを爆発させるエジャイル。そんな彼の様子を見て、ファメルもこれまでと同じような、自信に満ち溢れた表情を浮かべる。
「やっぱりお前に頼んだのは大正解だったみてえだな!さっきまでお前の様子が気になってたんだけど、どうやら今回の“試練”に率先して挑んでみたい、っていう気持ちがよく伝わってきてたんだよ」
「へ?はは、バレてたんだね」
そう言うとエジャイルは舌を出しながら後頭部を掻きむしり、少々恥ずかしそうな仕草を表現してみせた。そんな彼の様子を目にした他の“勇者達”から、自然と笑い声が溢れ出ていた。
やがて皆の笑いが一旦落ち着きを見せたところで、今度は光の口からエジャイルに向けての依頼が放たれる。
「それじゃあ遠慮なくお願いするね、エジャイル!君の考えだと、僕らは最初に何処へ行けばいいのかな?」
「そうだなあ、うーん……」
そう呟いて頭を抱え、自分達が最初に向かうべき場所を考え始めるエジャイル。そのまま数秒間が経過したところで、彼は首を縦に大きく振った。結論をつけたのだ。
「それならまずは≪リーアム村≫っていう所に行ってみよう!そんなに賑やかな街じゃないんだけど、食べ物は美味しいし、住んでるのは皆優しい人達なんだ。きっとオレッチ達を大歓迎してくれると思うよ!」
やたらと自信に満ち溢れた笑みを浮かべて、今回の案内役を託されたエジャイルは断言する。それを受けた他の“勇者達”からは、彼の提案を拒否する者は誰一人いなかった。
「…………どうやら皆、君の意見に賛成してるみたいだね!エジャイルがそこまで自信を持って言えるって事は、本当に素敵な所に間違いなさそうだし」
彼らを代表して語った光からの一言を聞いたエジャイルは、心から嬉しそうに微笑む。するとそんな二人の間に、突如として割り込んだ者が出現した。
「やっぱりだ!ここ出身のエジャイルなら、絶対に地元に詳しい。オレの思った通りだぜ!」
「もうファメルったら、君だけの考えじゃなかったはずでしょ!」
いきなり介入してきた相棒に文句をぶつけ、直後に深く溜息を漏らす光。それを受けた相棒の少年も、後頭部を片手で掻きながら、舌を出して苦笑いを浮かべる。
その時この一部始終を目の当たりにした他の“勇者達”の間からは、いつの間にか笑い声が生み出されていた。そしてその笑い声が一旦治まったところで、エジャイルが代表して自分達の最初の目的地を、静かに待機していた水先案内人へと告げた。
「それじゃあディアルッチ、早速オレッチ達を連れてって!最初の目的地は≪リーアム≫でお願いね!」
それを聞いたディアルは、これまで通りの明るさで彼らの依頼に応じた。
「かしこまりました!それでは皆さん、お乗りくださいませ!」
いつの間にか馬車へと変身を遂げていた目前の案内人からの言葉に従い、“勇者達”は早速ディアルへの乗車を開始する。
やがて全員が馬車への移動を終了させたのを確認すると、ディアルは出発の掛け声をその場に響かせた。
「それでは出発致しますね、最初の目的地≪リーアム村≫へ!」
その時目的地へと向かい始めた馬車の足元には、出発を意味する大きな砂煙が舞い上がっていた―――。
「…………どうエジャイル?今の君の姿で、自分の故郷を巡るっていうのは…………」
その時最初の目的地である≪リーアム村≫へと向かう車内で、昇が自身の相棒の一人へ問いかけてみる。
「…………何だか不思議な気分だよ。何せ初めての経験だからね。オレッチがこういう状態になってから、こうして故郷を巡っていくのは……」
そう答えたエジャイルからはこれまでの陽気な振る舞いは一切現れず、ただ単純に物思いに耽っているといえる状態となっていた。
「そう…だよね……不思議に思うのは当たり前だよ。だって普通に考えれば、こんなの絶対にありえないはずだもん……」
今目の前にいる相棒の“とある事情”をよく踏まえた昇は、そこから続ける言葉を見出せないままであった。
「…………だからね」
「?」
その時黙り続けていたエジャイルが、突如として昇に一言話しかけた。自らが置かれた状況から生み出された願望を、それもいつも通りの明るさで。
「もしこれからオレッチを知ってる人に出会ったら、うんとビックリさせちゃおう!って思ってるんだ。そしてその人に知らせたいんだ。オレッチがこうしてしっかり、“勇者”として頑張ってるって事をさ!」
「エジャイル…………!」
そこ言葉を耳にした昇に、再び笑顔が舞い戻った。するとそれを確認した相棒が、彼の目前に握り拳を用意する。
「?」
これが何を意味するのか、その時の昇は理解出来ず、ただただそれを見つめるばかりだった。それを見かねた“持ち主”は、彼らしい明るい口調でその意図を説明する。
「改めて、宜しくね、ノボルッチ!」
「!…………うん!こちらこそ宜しく、エジャイル!」
その時昇は自らも握り拳を差し出しす。そしてその拳をエジャイルの拳に軽くぶつけ、互いに笑みを浮かべた。あの時エジャイルが望んでいた事、それは先程の形で表現された、“友情の再確認”であった。
「…………おいおい二人とも」
「!?」
すると突然そんな二人に声をかける者が出現した。二人がその声の発信源に目を向けると、そこにいたのは、エジャイルの他に昇の相棒を務めている、四人の“勇者達”であった。彼らは全員この二人の一部始終を、実に羨ましそうな表情で見つめていたのだった。
「オレ達をのけ者にして、二人だけでずるいぞ。オレ達も入れてくれよ!」
リーダーのチェティスも、
「我々も昇殿とともに戦う身。ここは是非とも参加させていただきたい!」
礼儀正しいビンニも、
「そうですね。ワタシ達にもお二人に加わる権利はあるはずですもんね!」
心優しいシャイカも、
「で…出来ればオイラも交ぜてほしいな……こ…これでも一応……仲間だから…さ……」
控え目なヴァリンティも、四人全員が目前の二人を羨ましがっていた。そんな彼らの様子を確認した昇とエジャイルは、互いの顔を見合わせるとすぐさま首を縦に振った。
「…………分かったよ、皆!」
昇はそう言うと、片手で手招きする仕草を見せ、四人を自らの元に近づける。そして彼らが一堂に会したところで、六人は円を描く形で並び、それぞれの片手を中心に集める。
「それじゃいくよ…………」
「ちょっと待った!」
「!」
その時大声で六人に話しかけたのは、ファメルだった。彼らがその表情を確認してみると、ファメルの表情は先程までの四人と同様のものとなっていた。いや彼だけではない。相棒の光も、他の五組の“勇者達”も、同じ表情を浮かべている。
「お前達ばっかりでずるいぞ!オレ達を忘れんなよぉ」
「折角だから全員でやろうよ!これから最初の“試練”が始まるから、皆で結束を深めたいんだ」
光がそう言うと、他の五組も同時に首を縦に振った。誰一人として、彼の発言に異を唱える者はいない。
その様子を目の当たりにした昇達六人。彼らが出した返答は、同じく首を縦に振るという形で表現された。自分達の頼みごとを素直に受け入れてくれた六人に対し、光が代表して感謝の意を述べた。
「ありがとう、昇くん、皆!」
「どういたしまして!それじゃあ皆、中央に集まって!」
その時昇の掛け声に合わせ、“勇者達”全員が馬車の中心部へと移動する。そしてここでも円形を作り上げ、それぞれの片手を中心に集める。
「それじゃあ皆、改めまして……」
音頭をとった昇の声に合わせ、全員揃って意識を一カ所に集中させる。そして次の掛け声を合図として、全員の合わさった片手が天高く掲げられた…………、
「ファイトぉぉっ、オーーーーっ!」
「…………皆さーんっ!」
その時彼らを導くディアルの呼びかけが、馬車の内部に響き渡る。
「お待たせしましたーっ!いよいよ到着致しまーす!」
その時その言葉を耳にした“勇者達”全員が、自分達の進む先を見つめてみる。未だぼんやりとしか分からないが、どうやら建造物らしき物体が、地平線の付近に存在している。
「あれが最初の目的地、≪リーアム村≫でございます!」