第三十四頁
――――その時彼らの足音のみが、この空間に響き渡っていた。
この国の水先案内人を務めているエジャイルを先頭に、他のメンバーがその背中を追っていく。しかしながら誰一人として彼に注目すらしていない。むしろ彼らの注目は、今いるこの場所の至る所に用意されてある、様々な代物の数々だった。
「…………も、物凄い数があるんだね……」
それらを見た光の口から、そういった率直な感想が呟かれる。
その時彼らの目に飛び込んできたもの、それはこの≪ティサールの国≫の歴史において、間違いなく重要といえる展示物の数々だった。適当に刻まれたようにしか思えない謎の文字や絵が記された石板や、何を表現しているのか分からない石像など、自分達の思考回路では到底解読する事の出来ない物ばかりであった。
「そうだよ!この≪クァスダム博物館≫にはね、この国のあちこちで発見された、歴史的価値が高いお宝がいっぱい収められてるんだよ!他の国からのお客さんも沢山来る、≪ティサールの国≫を代表する場所なんだ!」
その時自らの故郷の観光名所を自慢げに語るエジャイルの表情は、これまで以上に明るいものと化していた。それを見ていた相棒の昇も、彼に見つからない位置で微笑んでみせる。
(こんなに嬉しそうなエジャイル、初めてだ)
というように、若干の驚きも覗かせながら…………。
…………その時歩みを進めていた七組の“勇者達”は、博物館の最奥部へと辿り着こうとしていた。ここまで来ると周囲には幾つかの電球と窓から差し込む陽光のみで、他の余計な明かりは存在していなかった。更には雑音すら聞き取れず、彼らの足音と息遣いしか聞こえなかった。
「ぶ、不気味なくらい静かだぜ……」
「それだけ神聖な場所って事なんだろうね……」
あまりの静寂さに衝撃を受けたファメルと光が、極度に小さな声で語り合う。
「それに見ろよ、ここの展示物。さっきのも凄かったけど、ここのはレベルが違う感じがする……」
相棒にそう言われ、光は声を出さずに内部を見渡す。
確かに彼の言う通り、ここに展示されている品々からは、何処か特別な雰囲気が漂っていた。これまでになかった黄金色の杯や、色褪せず鮮明に残された壁画などが、彼らの視線を釘付けにしていた。
「次の部屋が、この博物館の一番奥にあたるんだ」
間もなくそこに到着する事を、出来る限り小さな声で知らせるエジャイル。いよいよその瞬間が近づいてきたと知り、エジャイル自身も他の“勇者達”も、改めて真剣な表情を隠せずにいた。
やがてその時これまでと比べると、皆の想像以上に開けた空間へと辿り着いた。しかしその広さの割にしてはかなり簡素な内容で、部屋の中央に一つのガラスケースが置かれた他には、何の展示物も見当たらない。
とにかくまずは全員がケースの傍へと近づき、それを囲むような配置で内部を凝視した。
「何なんだ、これ……」
「空っぽ……だね」
ここにきて全員が声の音量を上げていき、この摩訶不思議な状態について語り合い始めた。
するとその時、
「おやおや、これはこれは!」
「っ!?」
その時何者かの声が突然介入してきた事で、ここにいる全員が驚愕してしまった。そのまま慌てて振り向いてみると、部屋の入り口に一人の人物がいるのが確認出来る。神聖な衣装を身に纏った身体はかなり恰幅がよく、エジャイルと同様に象の見た目をした顔からはとても温厚そうな表情が窺える。
「こちらにお揃いの皆さんこそが、新たな“勇者様”なのですね!」
「えっ!?あっはい、そうです、けど……」
目前の人物からの突然の質問に、光が代表して首を縦に振る。すると今度は光の方から、目前の人物の正体に迫る質問をぶつける。
「あ、貴方は、一体…………!?」
その時象顔の人物が有する巨大な掌が、光の顔面に近い位置まで差し出された。あまりにも突然の出来事に、思わず変な声を上げてしまった光がいた。
「それでしたら、こことは違った場所でお答えしましょう。ここはお喋りに適した所ではないのでね……」
「は…はい……分かりました……」
その時彼の圧力に押されるような状態で、光は大人しく従う事しか出来なかった———。
———その時“勇者達”全員と象顔の人物は、先程とは異なる場所へと移動を済ませていた。
彼らが今いるこの場所は、先程までの神聖な雰囲気が漂う博物館とは程遠い様子となっていた。様々な分厚い書籍がそこかしこに置かれ、文字通り足の踏み場もなかった。
そんなこの部屋の中央部に“勇者達”が固まり、そこからさらに奥の場所に据えられた椅子の上に、先程の象顔の人物が腰かけている。
「それでは改めて自己紹介致します。ワタクシの名前はザムファ。この博物館の館長を務めさせております。本日は遠路はるばるお越しくださり、誠に感謝しております」
その時ザムファが簡単な自己紹介と来訪への感謝を述べると、その場で深く頭を下げた。その頭はあまりにも下がり過ぎた為にすぐ傍の机へと直撃し、周辺の書籍が数冊崩れてしまった。
「い、いえ!そんな、お気遣いなく!」
驚愕の瞬間を目前で目の当たりにした光は、他のメンバー数人と協力して、慌てて彼を頭を上げさせる手伝いを行った。
「いやいや、これは失礼致しました」
その時先程の直撃により出現したたんこぶを擦りながら、彼らに向かって謝罪した。これに対し光は、大した事はないという仕草を見せると同時に、こんな一言を彼に投げかける。
「…………ところでザムファさん。僕達、とても気になってる事があるんですけど……」
「ほう、それは一体……」
そしてその時光だけでなく、間違いなく全ての“勇者達”が抱いていた一つの疑問の内容を、ザムファに組めて問いただしてみる。
「僕達がこの博物館の一番奥の部屋に来た時、真ん中に置かれてあったケースには何も入っていませんでした。あの中には一体何が入っていたのか。それとどうして、あの中が空っぽになっていたのか。それがとても気になって…………」
すると突然ザムファの表情が、これまでの穏和なものから、これまでにない真剣なものへと変貌を遂げた。
「…………あれはつい数日前の事でした」
そしてそのまま目前の館長の口から、これまでの経緯が淡々と語られ始めた…………。
その日も無事に閉館の時を迎え、ワタクシはこの部屋で一人、残った仕事を続けておりました。一通り仕事を終えた頃には、外はすっかり暗くなり、間もなく翌日の時を刻み始めるところでした。
仕事も終わったので、少し涼もうと思って外へと出た次の瞬間、それは突然起こりました。博物館の内側から強烈な輝きが発生し、ワタクシは思わず両目を塞ぎました。
暫くようやく目を開いてみると、その輝きが勢いよく空へと跳ね上がると、輝きが七つに割れて至る所へ飛び去ってしまったのです。
慌てて館内へ戻ってみると、この国で最も有名で最も歴史的価値のある宝飾品、『砂漠の花』がケースから消失していたのです。皆さんがご覧になっていた空のケースこそ、その品が展示されていた場所なのです。以降は他のお客様を混乱させないように、普段は公開を中断しておりました。今回は皆さんのご来訪に合わせる形で、特別に解放させた次第でございます。
…………その時これまでの一部始終を語り終えたザムファは、椅子に腰かけたまま深い溜息を漏らした。その表情は間違いなく暗いもので、現在の彼の心情が誰にでもよく伝わってくる。
「…………それからは『砂漠の花』が飛び散っていったと思われる場所へ部下を派遣させたのですが、残念ながら未だに明るいニュースは届いておりません。もう一度申し上げますが、あの宝飾品はこの国の歴史を紐解く上で最も重要な宝物です。もし何らかの損傷が見られたりしたら、我々はどう責任を取ればいいのか……!」
そう語りながら顔面を机に貼りつけるザムファは、もはや回復の余地もないくらいに落胆していた。やがてその顔の内側から、止め処なく溢れ出るものに彼らは気づく。この博物館の中で一番偉い人物の様子を目の当たりにし、“勇者達”もまた耐えきれない状態であった。
そんな中この状況に変化をもたらしたのは、彼からのこの一言だった。
「…………僕達が」
その時その声を耳にしたザムファが、机に貼りついた顔をようやく上げてみせた。そして次の瞬間彼の目に映し出されたのは、自身の二つの瞳を強く輝かせ、誰よりも真剣な表情を浮かべる、朝日奈光の姿であった。
「僕達が必ず、飛び散った『砂漠の花』を見つけ出してみせます!必ず見つけ出して、ザムファさんが元気を取り戻してくれるよう、全力を尽くします!」
「よっ!かっこいいぞ、光!」
失意の館長を救う為、力強くそう宣言した相棒に、傍らのファメルが拍手を贈った。そして他のメンバーも彼らに同調し、何の迷いもなく首を縦に振ってみせる。
「そ……それは本当ですか…………!」
その時彼らの思いを受け止めたザムファが、穏やかな瞳を滲ませながら改めて確認する。
すると全員を代表してファメルの口から、もう一度自身の思いを語りだした。
「当り前さ!勇者たる者、困ってる人達を一人残さず救い出すのは、いわゆる“義務”ってものだからな。だから安心してくれ、館長さんよ!」
ファメルはそう言い切ると、ザムファの目前に差し出した握り拳から親指を上に向けて立たせる。
そんな彼の自信に満ちた行為を受け取り、ザムファは深く頭を下げて、改めて依頼する事に決めた。
「……それではそうさせていただきます。“勇者様”のお力を以てすれば、『砂漠の花』は間違いなく、無事に舞い戻ってくれる事でしょう」
「任せてください!僕達が必ず『砂漠の花』を探し出してみせます!」
その時光は掌を強く握りしめ、改めて決意表明を行った。それに合わせて他の“勇者達”も、力強く首を縦に振る。
それを見たザムファもまた優しそうに微笑み、一安心した気持ちを表現する。
するとその時、
「…………そ、その前に一つ」
「?」
突然何者かの声が介入し、そこからその人物がゆっくりと片手を挙げる。他のメンバーやザムファがそちらへと視線を向けた場所に存在するのは、リビィであった。彼女からの突然の行動に驚き、相棒である岸川陽音は不思議に思い、問いかけてみる。
「…………い、いきなりどうしたの、リビィ……?」
「あ…ご、ごめんね皆。実はその……」
そして暫く恥ずかしそうな表情を浮かべてから、リビィはようやくその理由を口にする…………。
「早速出発したい…ところなんだけど、どうしてもこの部屋の様子が気になっちゃって……もしよければ出発の前に、この部屋のお片づけを済ませておきたいな…って思ったんですけどぉ…………」
かなり自信なさげな彼女の声は、次第に小さくなってしまっていた。
(もう、アタシの馬鹿馬鹿ぁっ!何でこんな時にそんな事言うの……!)
恥ずかしさと情けなさがどうしても許せず、心の中で自分自身に怒鳴りつける事しか出来ずにいるリビィ。強く閉じた瞼の奥からは、一粒の輝く物が零れかけている。
「…………」
その時そのまま数秒間、その場から音が消えた。張りつめた緊張感が、この部屋に隙間なく充満しつつある。
そしてその直後に仲間から発せられた言葉は、彼女にとって間違いなく意外なものであった。
「…………それもそうね!」
「ああ!リビィちゃんの言う通りだ!」
「そうだね!それじゃあ出発前に、ここの大掃除だけでも済ませちゃおう!」
その時誰一人彼女の提案に異を唱えず、むしろそれに賛同するという形をとっていた。あまりにも意外過ぎる展開に驚愕し、開いた口が塞がらない状態のリビィがそこにはいた。
「え……ど…どうして…………?」
思わずそう呟く彼女の肩に、優しい温もりが感じられた。振り向いてみると、微笑みを浮かべる相棒の陽音がそこにはいた。そしてリビィが先程呟いた疑問に対し、こう答えた。
「皆がリビィの事を、仲間だって認めているからだよ」
彼女のその言葉には自信に満ち溢れていた。そして更に一言付け加える。
「だからあの事だって、このメンバーなら絶対に認めてくれる…………!」
相棒からのこの言葉を何故かこっそりと語られた直後、リビィも自信を持って首を縦に振ってみせた。この時の彼女の表情は先程とは打って変わって、満面の笑みを表現している。
「…………おーい、二人ともーっ!」
「!」
突然二人の背後から、彼女達に向けて放たれた呼びかけが耳に飛び込んできた。すぐにそちらへと顔を向けてみると、両手で大量の書物を抱えた状態のファメルがそこにはいた。
「早く片づけ手伝ってくれよー!言い出しっぺはそっちだろーっ!」
その時どうやら部屋の片づけ作業が、既に開始されていたようであった。その中でファメルもまた、今にも崩れそうな書物を保とうと必死でバランスを取りながら、残った二人にも参加を促す。
「分かったわ!今行く!」
そう応えて仲間達の元へと向かう陽音。その途中で自身の背後に視線を移すと、そこにいるリビィに向かって、一回だけウインクしてみせる。リビィもまたそれに応じるかのように、一回だけ軽く頷いてから相棒の後を追った。
その時彼らにとっての最初の任務が、七組全員が揃ったところで、ようやく開始される事となった…………。