第三十三頁
――――その時両目に映り込む光景に、彼らは言葉を失っていた。
「こ……こんなに凄い街だなんて…………!」
その時彼らの目前に広がっていた光景、それは彼らの想像を遥かに上回る程に活気溢れる街並みだった。
所狭しと立ち並んだ建造物。その中心を広く長く貫く街路。そしてその上を平然と通り過ぎていく人々……。
「外から見ても十分大きく見えてたけど、まさかこんなに賑やかな街だなんて、ビックリだよ……」
「そうだよな。この様子ならきっと、≪キェイル≫よりも栄えてるんじゃねえかな?」
未だに開いた口が塞がらないままでいる光と、つい先日まで自分達が滞在していた町と比較する晴児。どちらも今いる町の繁栄ぶりに感心するばかりだ。
「当ったりめぇだろ!オレ達が今いるこの≪クァスダム≫は、≪ティサールの国≫の最大都市なんだ。この国の政治や経済のあれこれは、全てここが中心となっているのさ!それでな…………」
自分達がいるこの国について何でも知り尽くしている、そのような程に語り続けたファメル。しかし語り終えた直後、突如として片手で後頭部を掻き、やけに自信なさげな表情を見せる。
「…………実はこの話、全部ばあちゃんから教わった事なんだけど、正直正しいかどうか不安だったんだ。第一自分の故郷を離れる事自体、初めてだったからさ……」
「大丈夫だよファメルッチ!君はしっかり、オレッチの故郷を説明してくれたよ。ありがとね!」
その時不安げだったファメルの肩を叩き、彼に向けて親指を上げたのは、エジャイルだった。これまで通りに明るく振舞うエジャイルに、光はとある質問をぶつけてみる。
「え?エジャイルって、この国の出身なの?」
「うん、そうだよ!いやぁ、それにしても久しぶりに故郷の景色を眺めるのは、何だか感慨深いものだなぁ……」
光への返答を済ませ、目前に広がる故郷の様子をじっくりと見つめるエジャイル。その姿はただ単に帰郷を果たした旅人のものとは少し異なる、特別な心情を感じさせる。そんな彼の姿を目にし、誰一人としてそこに一切の介入を行わなかった。それには深い“理由”があったからだ。
「…………っ!?ああっごめんね!つい懐かしさに浸っちゃって……皆をこんなに黙らせちゃってたなんて、何だか申し訳ないなぁ……」
「いや、そんな事はねぇよ!そりゃ誰だって、生まれ育った故郷を懐かしく思う事なんて、当たり前さ。まずは『帰ってきたぞ!』って気持ちを前面に表現させて、それから“試練”に取り掛かってもいいと思うぜ!」
その時少々気落ちしたエジャイルを励ましたのは、晴児だった。これまで見られなかったエジャイルの気落ちした表情を目の当たりにし、居ても立ってもいられなかったのだ。
そんな彼からの励ましを受け、それまでの表情が嘘だったかのように、エジャイルに今まで通りの笑顔が舞い戻っていた。
「ありがとうセイジッチ!君の言葉のお陰で、オレッチはこうして元気を取り戻す事が出来たよ……!」
「エジャイルが元気なら、そりゃよかった!」
そう言った彼の様子を確認し、晴児の表情にも笑みがこぼれる。
するとその時、これまで仲間達に背を向けていたエジャイルが彼らのいる方へと振り返り、満面の笑みを浮かべながら高らかに声を上げる。
「皆には随分と心配をかけちゃったね。そのお詫びと言っちゃあ何だけど、この町の事を案内してあげるよ!オレッチを案内役にしてくれれば、バッチリこの町について教えてあげちゃうよ!勿論、タダでね」
(よかったぁ。いつも通りのエジャイルに戻ってくれて……)
その時これまで通りの明るさを取り戻したエジャイルの様子を受け、安堵の気持ちを心中に抱く昇の姿があった。その感情は彼だけでなく、他の“勇者達”にも伝わっていた。
そんな彼らを代表して、相棒である昇がエジャイルの提案に答える。
「……ありがとう。それじゃあ今回は、お言葉に甘えちゃおうかな。いいよね、皆?」
その時昇からの問いかけに対して首を横に振った者は、誰一人いなかった。
「わかったよ。そうと決まれば早速出発しよう!それじゃあ最初は何処に行こうか?」
今にも出発したくてたまらない状態で、仲間達に行き先を尋ねるエジャイル。何しろ見渡す限り興味をそそられる物ばかりだったので、全員揃ってただ目移りさせるばかりであった。
「…………ん?」
その時突如として彼らのいる空間に、何者かの腹の虫が鳴く音が聞こえた。全員が見渡すのを中断し音の発生源を探り始める。
するとその場からゆっくりと、自らの片手を挙げ始める人物が出現した。他の“勇者達”がそこへ視線を移してみる。そこにいたのは顔中を真っ赤に染め上げながら、挙げた片手を震えさせるファメルであった。
「わ…わりぃ……ひとまず落ち着いたと思ったら、急に腹が減ってきちまって……観光の前に、まずはその……何か…食わせてくれねぇか…な……?」
「えっもう?さっきワゴンの中でお弁当食べたばかりでしょ?」
「確かにそうだったわね。とっても食いしん坊さんだったんだね、ファメルくんって!」
彼からの予期せぬ頼み事に思わず拍子抜けする光と、彼の性格に微笑みを隠せない陽音。
「ほ…ホントにすまねぇ。でもオレ、本当に腹ペコになっちまって……」
「…………」
折角場が和んだというのに空気を乱してしまい、ただただ申し訳なく思うしかないファメル。そして彼からの突然の要求を耳にし、その場でじっくりと考え込むエジャイル。この二人の間に割って入ろうと企てる者は、この時誰もいなかった。
この緊張感漂う状態が暫くの間続いたところで、ようやくエジャイルが重い口を開かせる……。
「…………そうだね!腹が減っては戦どころか、のんびりお散歩だって出来ないからね。まずは腹ごしらえを済ませて、それから出かける事にしよう!」
その時仲間達の様子を確認したエジャイルだったが、一目見て声をかける必要などないと自覚した。彼らは皆、エジャイルの決断に何の反論もなく、殆どのメンバーから笑みがこぼれていたのだ。
「よおし!それじゃあ早速だけど、ご飯にしよう!実はこの近くにとっても美味しいお店があるから、オレッチが案内するね!」
その時そう言って仲間達を先導し、賑やかな街中を進み始めるエジャイル。そんな彼の様子を目の当たりにし、気づかれないくらい静かに微笑んでみせる昇がいた――――。
――――その時≪クァスダム≫の街を強く照らす陽の光は、その場所から最も高い位置に存在していた。街中を進む人々の多さも、更にその数が増しているように思われる。
そんな街の大通りの一角に、人々が絶えず出入りを繰り返す建物が存在した。扉に描かれたナイフとフォークの絵柄から、ここが飲食店であるという事実が理解出来る。
時間帯もあり、店内は数多くの客人でごった返していた。あちらこちらで食事を進める音や、皿や食器が鳴り響く音が絶えない。そこに奥の厨房から漂ってくる香ばしい匂いが食欲をそそり、店内全ての客人達の口と手を更に動かしていく。
そんな店の最奥部にある団体用のテーブルが、一組の御一行様によって完全に独占されていた。
「えーと……これも僕の役目なのか…な……?」
「そうだぜ!勇者たる者、こういう盛大なイベントの場面も、冒険と同じくしっかり進めていかないと!」
「わ…分かったよ……」
その時半ば強引に何らかの大役を任され、かなりの緊張感に苛まれる一人の少年と、そんな彼を明るく後押しする少年少女の声が響き渡る。彼は口に溜まっていた唾をごくんと飲み込んでから、目前の器に手をかけ声を発した。
「そ、それじゃあ……今日は無事最初の“試練”の場所に着いたのを祝って…………乾杯っ!」
「かんぱーいっ!!」
その時彼の少々ぎこちない掛け声に合わせて、“勇者達”は高々と自らのグラスを掲げた。そして一旦空中で停止させると、今度はその飲み口を彼らの唇へと運び、中の液体を喉の奥へと流し込む。
「ぷはーっ!やっぱり本場の味は違うなぁ!この国の名物だって聞いてたから、ずっと憧れてたんだ!」
豪快な飲みっぷりを披露してから片手で口を拭い、飲み物の感想を事細かに述べようとしたのは、ファメルであった。
「口の中で弾ける甘さ、にシュワっとした喉ごしのよさ。これこそが≪ティサールの国≫名物、“ヤシサイダー”の美味さの秘訣って奴だな!」
そう言ってファメルがテーブルに置いたグラスの中には、今はもう何も残っていない。それに比べて他のメンバーのそれには、彼が先程飲み干した“ヤシサイダー”の気泡がグラス越しに残されている。
「ほんとっ!とっても甘くて美味しい!“こっちの世界”にもこんな飲み物があるなんて、思いもしなかったよ」
ファメルのグラスと彼の感想から、もう一度自身のグラスに口をつける光。この一口で彼もまた、この飲み物の魅力を改めて実感したようだ。
そんな二人の様子を目の当たりにしたエジャイルは、まるで自分の事のように微笑んでみせる。
「…………さてとお二人さん、盛り上がってるところを申し訳ないんだけど……」
「?」
その時光とファメルに声をかけたエジャイルの微笑みは、知らぬ間に申し訳なさそうな苦笑いへと変貌を遂げていた。その表情から、彼は二人に呼びかけた理由を簡潔に述べた。
「そろそろ皆で話がしたかったんだ。そのぉ、これからどんな感じで“試練”の内容を知らなきゃいけないのか……」
「あ……そ…そだね……」
エジャイルの鶴の一声でその場が静かになったところで、いよいよ話は本題へと移った。
「えーとまずは…………」
するとここで彼が、自身の鞄の中に手を突っ込み、暫くしてから何かを取り出す。どうやらそれは何重にも折り曲げられた一枚の紙のようで、早速それを広げていき、やがて目前の卓上に置く。丁度“勇者達”の並ぶ中央となる位置に。
「これは≪ティサールの国≫の領土を表した地図なんだ。今オレッチ達がいる≪クァスダム≫の町がここ」
そういうとエジャイルは、地図のほぼ中央部に記された二重丸の位置を指さす。そこから更に、国境沿いに数カ所存在する丸に触れる形で、大きく円を描く。
「そしてここを中心に、色んな街が広がってるんだ」
「成程。それじゃあエジャイル……」
「?」
その時ここで一つの質問を投げかけてきたのは、彼の相棒である昇であった。
「僕らはまだこの国で、一体どんな“試練”が待ち受けているのか分からないまま状態だけど、まずは何処に向かえばいいんだろう?君は何処か心当たりでもあるのかな?」
相棒からの素朴な疑問に対し、エジャイルは自信に満ちた表情を見せつける。
「もっちろん!オレッチをなめてもらっちゃあ困るな。当然心当たりはあるよ。ここで一息ついたら、早速案内してあげるから、お楽しみに!」
その時彼の得意げな表情を受け、昇を含めた“勇者達”全員が微笑んでみせる。地元住民のこれ程までの自信なら信頼しても大丈夫だと、改めてそう実感出来たようだ。
「それじゃあ頼んだよエジャイル。期待してるからね!」
「任せといて!」
改めて仲間達の信頼を重く受け止め、握り拳で力強く胸を叩いてみせるエジャイル。いよいよここから自分達の冒険が始まる。そう感じながら皆の鼓動が高鳴っていく中、突如彼の一言が全員の注目を誘う。
「その前に…………」
するとその時彼らの耳に何かが焼かれる音と近づく足音が、そして鼻にとても香ばしい煙が入り込んできた。この匂いの具合が最高潮に達した時、足音の代わりにこんな一言が耳の中に入り込んだ。
「お待たせしました、“勇者様”!」
その時席に付いていた全員が、目前に用意された物に驚愕した。
様々な料理がテーブルから落ちてしまいそうな程、大量に置かれていたのだ。中央では巨大な肉塊が食欲をそそる色や音、匂いを漂わせ、その周囲には魚料理や汁物、野菜や果物の数々が用意されている。まさしく“ご馳走”と言える品物の数々に、ほぼ全員の瞳が輝きを放っていた。
「い、いいのか?こんなに一杯、作ってもらって……」
その時夢でも見ているかのような表情で、ファメルは店員に尋ねてみる。
「ええ勿論!ワタシ達が“勇者”の皆さんに出来る事は、美味しい料理を作って力をつけてもらう事しかありません。長旅できっとお疲れでしょうから、しっかり体力を回復してもらいたいんですよ」
その場にいる女性の店員はそう答え、素直に微笑んでみせる。
「それがここの国民性って奴かな。さあさあ早く食べないと冷めちゃうよ、折角のご馳走が台無しだ!」
そう言ってエジャイルが仲間達に声をかけたところで、リーダーの光が喜んで頷いた。
「分かったよエジャイル。それじゃあ皆、食べようか?」
その時彼の掛け声に合わせて、全員が目前の料理に向かい手を合わせた。
「いただきます!」
――――その時一団の先頭付近にいるファメルの腹は、今にも破裂してしまいそうな程に膨れ上がっていた。
「はぁー、食った食った。どの料理も最高の味で、食欲が治まらなかったぜ!」
相当満足した表情でそう語り、自らの腹をぽんと叩くファメル。それを見た光は、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「そうだね。あの時のファメル、本当に食べてばかりだったよね」
「ほんとだな。あの時光がとても驚いてたのも、そりゃ俺だって分かるよ」
光に続いて晴児もまた、先程の食事中の一場面を思い出していた。テーブルに置かれたありとあらゆる料理の数々を、その時のファメルは全て口に放り込んでいたのだ。あまりの多さで一瞬喉に詰まってしまう場面もあったが、それでも彼の食欲は止まる所を知らなかった。
その時その場面を思い返し、少し恥ずかしそうな表情で照れ笑いを浮かべるファメルは、“勇者達”の先頭を行くエジャイルに一声かけた。
「いやぁ、失礼……それにしてもよかったのか、エジャイル?それに他の昇のパートナーも。おめぇらあれだけのご馳走にちっとも手をつけなかったけど……」
「いいんだ、ファメル。オレッチ達は残念ながら食欲がない、っていうか食べられないから……さあ、着いたよ」
その時彼の掛け声とともに、全員がその場に立ち止まった。そしてその場所に存在する“それ”を見た彼らは、とにかく言葉を失った。
「ここが、“目的地”さ!」