第三十二頁
「…………!」
その時ようやく集合した七組の“勇者達”全員が、何者かの咳払いに反応し、すぐさまその発信源へと視線を向ける。
そこに立っていたのは、彼らの水先案内人を受け持つディアルであった。自身の口元に拳を近づけた状態が、先程の咳払いの痕跡を示している。
「朝のご挨拶が盛り上がっているところに申し訳ありませんが、今からはワタクシからの話に集中してください」
「あ、うん。分かったよ……」
そう言ってディアルに返答したのは、以前“勇者達”のリーダーに選出された光であった。そして彼はディアルからの言葉に従うように、余計な発言を一切しなくなった。それは光に限った事ではなく、相棒であるファメルを含めた他の“勇者達”全員も、同様に話し合いを終了させる。
その時彼ら全てがこちらへと注目を果たしたのを確認したディアルは、もう一度自身の拳と口元へ近づける。
「えー、それでは……こほんっ!」
そこで改めて咳払いを一回起こし、そこからようやく話の内容を説明する…………。
「それではいよいよこの時から、“勇者”の皆さんに課せられた、七つの“試練”に取り掛かってもらう事となります。その中からまず最初に取り掛かる、皆さんにとって“第一の試練”にあたるもの、それがこれから向かう国で待ち受けております。まずはそこまでワタクシがお連れ致します。詳しい内容は向こうでお分かりになられるはずです…………」
「……いよいよだね、ファメル。何だか凄く緊張してきたけど、僕も精一杯頑張るよ!」
「ああ、勇者たる者、どんな“試練”が待ち受けていようと、ぜってーにクリアしてみせるぜ!」
その時ディアルからの説明が終了し、彼ら“勇者達”のリーダー的存在にあたる光とファメルが、まず最初に口の奥で溜め込んでいた言葉を吐き出す。光がふと触れた胸の内側から心臓の鼓動が絶えず鳴り響き、ファメルの持つ二つの瞳からは鮮やかな炎が燃え上がっている。
他の六組も二人と同様に、これからの“試練”を恐れる事なく、俄然やる気を見せているように感じられる。
「おおっ!どうやら皆さん、既に心の準備が整っておられるようですね!皆さんをご案内する立場として、ワタクシはとても嬉しく感じています」
誰一人欠けず“試練”に立ち向かう様子を目にし、ホッと胸を撫で下ろすディアル。
するとそこに、先程闘志を漲らせていたファメルが、勢いそのままに話しかけてくる。
「で、一体何処で待ち受けてるんだ?オレ達がクリアすべき、最初の“試練”ってやつは……?」
「慌てないでください!丁度今から申し上げようと思っていたところですから……」
一刻も早くその場所が知りたい彼を、ディアルは冷静に宥める。ファメルが落ち着き、他の全員がこちらに注目したのを確認したところで、いよいよ発表の瞬間がやってくる。
「まず、皆さんが向かうべき場所。それは…………」
その時ディアルは自らの指を、そこから見える砂漠の地平線へと指し示す。そして地平線に向こう側にあるはずのその場所の名前を、全員にしっかりと聞こえるように、はっきりと声で表す…………。
「ここからすぐお隣にある国、≪ティサールの国≫です!」
「…………へぇ、そうなんだぁ!という事は……」
その時一人の“勇者”の声が、無言を保ち続けていた彼らの中から、最も早く声を取り戻した。片手を高々と掲げ、持ち前の明るい口調でディアルへと語りかける人物、それは…………、
「つ・ま・り、オレッチの故郷こそが、最初の“試練”が用意されている場所って事なんだねっ!」
「へぇ!それって本当なの、エジャイル?」
すると今度は彼の相棒である昇が、本人に対して確認してみる。先程の声の主であるエジャイルは、満面の笑みですぐさま返答する。
「うん、そうだよ!いやぁ、にしてもビックリしたよ。まさかオレッチの故郷が“試練”の場所に選ばれるなんてね。一体どんなものが待ち受けているのか、もう楽しみで仕方ないんだ!それにね…………」
言葉を吐き出す度に、エジャイルの興奮は勢いを強めていく。ただ単に相棒からの質問に答えるばかりでは飽き足らず、自らの現在の心情に至るまで、思う存分語り続ける。流石にこのままでは埒が明かない。そう感じた昇は、すぐさま彼を落ち着かせようと試みる。
「わ、分かったよエジャイル!君がそこまで言うくらいだから、きっと素晴らしい所なんだろうね!」
「うん、そーゆー事!分かってくれて嬉しいよ!」
残念ながら落ち着かせるとまではいかなかったが、どうにかエジャイルの“暴走”を鎮める事に成功した昇。笑顔を保ちながら振り返り、相棒に気づかれないように額の汗を拭いながら、一回深い溜息を漏らす。そしてこの一部始終を全て見届けた他の六組には、彼の苦労が十分感じられた…………。
「…………こ、こほんっ!」
その時一人だけほったらかしにされてしまっていたとある人物が、再び自らに注目を集める為に、今度は先程より大きな音量で咳払いを行った。それを耳にした七組全員が、慌てて発信源へと目線を戻す。
「まだワタクシの話は終わっていませんよ。他人の話しは最後まで聞いてください……」
その時そう語ったディアルの言葉が、目に見えない矢へと変形して、彼らの心臓にぐさりと突き刺さった。本人はいたって優しく発言したつもりであったのだが、逆にそれが“勇者達”にとっては物凄く痛々しいものと化してしまっていたのだ。
そんな彼らに対し、当の本人はそのまま、自身が語りたかった今後の内容について、再び声に表し始める。
「まず皆さんには、今回の“試練”の舞台となる≪ティサールの国≫まで訪れる必要がございます。そちらまでの道のりは、これまでと同様ワタクシがお連れ致します。“試練”の詳細に関しましては、そちらで説明されます…………」
その時ディアルによる説明が終了する瞬間まで、誰一人口を開こうと考える者はいなかった。先程受けた注意が相当な重圧へと変化して、もう二度とあのような思いを生み出さないように必死だった。それは説明が既に終了したこの時でも、口を塞ぎ続ける状況はそのままで。
「……………………」
そのまま数秒間この状況が続いたところで、ようやくディアルは彼らに優しく声をかける。
「……皆さん、もう口を開いてもよろしいのですよ?このままでは皆さん、全員揃って窒息してしまいますよ?そうなってしまっては冒険どころの話ではなくなると思うのですが……」
「…………ぷはあっ!」
その時ディアルからの問いかけが彼らの耳に届いた瞬間、これまで固く口を閉ざし続け、沈黙を保ち続けていた“勇者達”全員は、一斉にその口を大きく開かせた。そして同じく一斉に、周辺に漂う空気を大量に吸い込み、自身の肺へと送り込ませた。
「はぁっ、はぁっ……死ぬかと思った…………」
未だに呼吸を荒くさせながら、思わず本音を口にするファメル。それは彼だけでなく、他のメンバーにも言える光景であった。
それを目の当たりにしたディアルは苦笑いを浮かべながら、額に浮かび上がった汗を袖で拭う。そしてそこから彼らを導くように、最後の言葉を送る。
「さて、何時までもここに留まってばかりですと、皆さん干物になってしまいますよ。それでは早速ですが、ワタクシにお乗りください!」
その時ディアルがそう語った直後、その身体から目映いばかりの輝きが放たれ、“勇者達”はすぐに両目を覆った。その状態が数秒間続いたところで、黒一色の視界に再び色彩が蘇った時、彼らの目前にあったのは、一台の巨大な馬車であった。そして先程までそこにいたはずだったディアルの姿は、今はもう存在しない。
それでも“勇者達”の中で、その事について驚愕する者は誰一人いなかった。目前にある馬車の正体を、全員が既に知っていたからだ。
「内側の環境につきましてはご心配なく!直射日光を遮っていますし、それなりに涼しく感じられると思いますよ……」
この馬車の動力源となる馬が、彼らにとって間違いなく聞き慣れた声色で、乗り場の内側へと誘い込む。それを聞いた光が一回だけ首を縦に振り、傍にいる他のメンバー達に声をかける。
「それじゃあ皆、早速だけど出発しよう!このままここにいても何も起こらないし、ディアルの言った通り、僕達干物になっちゃうかもしれないしね!」
真剣な眼差しで“勇者達”のリーダー的存在らしく宣言した光。そんな彼が最後に口にした冗談に、親友である晴児と陽音の二人も笑顔で答える。
「そうしようか光!そりゃ俺だって、こんな所で干物になんてなりたくねぇしな!」
「ふふっ、それもそうだね!」
その時彼ら三人が咄嗟に演じた寸劇のお陰で、全員の表情は一瞬で笑顔に変化させられた。それに対しディアルは、何の反論も口にする事はなかった。皆の仲睦まじい笑顔を目にし笑い声を耳にして、流石のディアルもこればかりは水を差す訳にはいかないと感じたからだ。
やがて“勇者達”の口からある程度の笑い声が尽きかけてきたところで、若干瞳を潤んだ光の口から、改めて残りのメンバーへと声がかけられる。
「それじゃ改めました、早速中へ乗り込もうとしますか!」
その時誰一人として彼の提案に反論する事なく、目前で彼らの乗車を待つディアルの元へと、歩みを進めていった――――。
――――その時最初の目的地へと向かうディアルの、日光を遮断し快適な温度を保つ荷台の中で、“勇者達”はそれぞれ行動していた。地図で行き先を確認する者、自らの武器を手入れする者、中には内部の涼しさを全身で味わう者も……。
その中で光はただ一人、自らの“赤い日記”の一ページに、朝起きた瞬間から今現在に至るまでの出来事を記していた。まだ“今日”という一日が始まったばかりだというのに、既にかなりの文字数がページに刻まれている。
その時そんな彼の行動を、とても興味深く見続けている人物がいた。
「…………へぇすごいやっ!もうこんなに書いちゃうなんて、流石だねヒカルッチ!」
目前の光に向けて、親しみを込めつつ自身の畏敬の念を送ったのは、“黒い日記”の持ち主である“勇者”、美濃部昇の相棒の一人、エジャイルであった。彼からの褒め言葉を突如として送り届けられ、光は思わず照れ笑いを浮かべる。
「え……あ…ありがとう……何だか……恥ずかしいな……」
光はそう言いながら一旦筆を置き、自身の後頭部を掻いてみせる。そんな彼の様子を見つめたエジャイルも思わず微笑み、そしてそれは傍らで眺めていた昇や、他の相棒達四人にも影響を及ぼしていた。
「…………ところでさ、エジャイル」
「ん?何だい、ヒカルッチ」
すると今度は光の方から、目前のエジャイルに向けての質問が投げかけられた。彼がこちらに目線を向けたのを確認してから、光は質問の内容を明らかにする…………、
「どうして君達は、昇くんの“武器”から現れたの?第一僕らは二人一組なのに、なぜ昇くんだけ六人で一組なのか、それもかなり気になって…………」
「…………そうだったね。そういえばまだ教えてなかったね」
その時エジャイルに代わって光の質問に応じたのは、昇であった。その言葉を口にすると、彼はすぐさま光の元へと歩み寄り、先程の質問に返答する。
「最初に言っておくけど、今から僕が話す事に嘘はないからね。皆、信じられないかもしれないけど…………」
そうしてあらかじめ忠告はしておいたものの、次第に表情に陰りが見え始めた昇。どうやら自身の言葉が皆に通じるだろうか、不安に駆られたようだ。
するとそんな彼の肩に手を当てる者が現れた。それは目前にいる光の手であった。
「大丈夫だよ昇くん、心配しないで!」
やけに明るい雰囲気でそう話しかけられた昇が顔を上げると、光はその理由を簡潔に口にする。
「そもそも僕らが“こんな世界”にいる事自体、全く信じられない事じゃない。いくら現実にはありえない事を言われたとしても、ここにいれば何もかもが当然の話になっちゃうはずだよ!」
「そっ……か…………はは、それもそうだね!」
その時光も昇も笑いあった。やがてこの笑いは他の仲間達にも波及し、いつの間にか車内は笑い声にあふれていた。
考えてみれば彼の言う通りだ。改めてそう自覚した昇は、先程不安な感情を抱いてしまった事が馬鹿馬鹿しく感じられたのだ。
やがて笑いが治まっていったところで、改めて昇は会話を再開させた。自身の瞳から知らぬ間に溢れていた“滴”を、自らの手で拭ってから。
「…………君のお陰で何の心配もなく、この“事実”を話す事が出来そうだよ。ありがとう、光くん!」
昇はここで一旦恩人といえる光に感謝の弁を述べ、それから改めて本題へと移った。
「さてと、ここでは単刀直入に言うと、僕のパートナー五人は全員…………」
「…………!?」
その時昇から語られた、彼の相棒達五人の事情を知った光は、ただただ言葉を失うばかりだった。その影響は彼ばかりではなく、興味本位で耳を傾けていた他の“勇者達”にも及び、先程までの和やかな空気が一気に変貌を遂げてしまっていた。
「…………あ……お、驚くのも無理ないよね」
明らかに開いた口が塞がらないままである周囲の様子を目の当たりにし、思わず苦笑いを浮かべる昇。
「そ……そりゃそうだろ!いくら何でもそんな……」
返す言葉が見当たらずにいた光に代わり晴児が返答するも、彼もまた動揺を隠せないままであった。
「…………」
その時車内には馬車の進む音しか鳴り響かず、その時間が数秒間経過した。するとここでこの沈黙の瞬間に風穴を開ける声が、全く異なる位置からようやく届いた。
「さて皆さん、大変長らくお待たせ致しました。目的地が近づいてきましたよ!」
その声の主は、この馬車のエンジン代わりとして働いているディアルである。その呼びかけに誘われるように、“勇者達”は揃って前方の光景を確認しようと試みる。
舞い上がる砂埃のせいではっきりと視界を広げる事は出来ないが、自分達が今向かっている地点に幾つかの建造物が存在する事は確認出来た。
ディアルの言う通り、自分達がこれから向かうべき目的地が、そこにはある。
「あれが皆さんの最初の目的地、≪ティサールの国≫です!」
その時全員が静かに思いを巡らせていた。この先にはどのような出会いが待ち受けて、どのような“試練”が待ち構えているのかを――――。