第二十五頁
「はあっ!」
「どりゃあっ!」
その時自らの剣を用い「クロハイエナ」の集団に立ち向かうファメルと光……である筈の少年の姿があった。二人とも見事な剣捌きを披露し、迫り来るモンスター達を次々と退けていく。
その中でファメルがふと他の“勇者達”の戦いぶりを覗き見る。ここまでともに歩み続けてきた晴児とロークのコンビと、陽音とリビィのコンビ、更にはここから合流する事となった四組の“勇者達”。その全てが彼らに負けじと戦い続ける姿が、ファメルの瞳にしっかりと映り込んだ。
「晴児達も陽音達も頑張ってるみてぇだな。それに他の“勇者達”も、中々面白そうな戦いを見せてくれてるし……」
「ああ、そうみたいだな……」
相棒からの感想を耳にしてからちらりと彼らのいる場所へと視線を向けた“少年”も、彼の言葉に納得する。
「…………それにしても……」
ここでそう呟き周囲の様子を目で確認し始めたファメルの額には、多量の汗が溢れ続けていた。そしてそれを片手で拭った彼の表情から見受けられるのは、苛立ちの感情のみであった。
「流石にこれだけの数だと、オレ達が何時ぶっ倒れても可笑しくないぜ。さっさとこいつらを片付けて、次のステップに進みてぇところなんだが……」
彼が言った通り、“勇者達”に迫るモンスターの数は、先程からそんなに変化がないように思われた。幾ら一頭を倒したとしても、知らぬ間に別の一等が駆けつける。既に全員がこの“負の連鎖”に陥ってしまっていたのである。
(…………)
どうにかしてこの危機的状況から逃れる方法を模索するファメル。しかし彼のこの行動は、次の瞬間全く無駄なものに変化してしまった。
それは“少年”からの次の一言がきっかけとなった。
「…………簡単じゃないか」
「……へっ!?」
何の迷いもなく投げかけられた一言をまともに食らい、思わず奇妙な声で返事するファメル。
すると“少年”はその場の空気を深く吸い込むと、目前の「クロハイエナ」達に向かって叫び始めた。ファメルだけでなく晴児や陽音すらこれまで聞いた事がないと思われる程の大声で……、
「お前らの親玉は何処のどいつだ!?オレ達はこれ以上無駄な時間を過ごす訳にはいかねぇんだ!」
「……ちょ、ちょっと待ってくれ!いくら何でもいきなりそんな……!」
その時ファメルが慌てて相棒を落ち着かせようと試みる。そして間髪を入れずに自身の思いを打ち明ける。
「お前の気持ちはよく分かる!確かにこんな所で油を売る暇はねぇ。折角全ての“勇者”がここに揃ったからには、一刻も早く旅立たなきゃいけねぇよ。だがな、相手はモンスターだぜ?オレ達の感情がそう簡単に伝わるはずが……!」
しかし当の本人はいたって冷静の彼の言葉に対応してみせた。
「いや、そうとは限らないぜ。ほら、見てみろ……」
その時“少年”はそう答えてから、自らの目前に向けてそっと指をさす。ファメルはそれに合わせて、彼が指す方向へと視線を向ける。
「…………!?」
その時ファメルは目を疑った。
それまで常に戦闘体勢を保ち続けていたはずの「クロハイエナ」達が、突如として後退りを始めてきたのである。それも一頭だけでなく、二人の目前にいた全てのモンスターが後退していき、やがてその群れの中央に一筋の道が出来上がった。
「こ…これは……一体……?」
自分の目前で巻き起こっているこの一連の行動を未だに理解出来ず、文字通り開いた口が塞がらない状態が続くファメル。
するとその道を闊歩するかのように進み、二人の元へと迫ってくる一頭の「クロハイエナ」の姿があった。すぐ脇のモンスター達より一回り大きな体格で、何処か他とは異なる雰囲気を醸し出すそれは、目前で待ち構える“少年”と対峙する形で立ち止まった。
それを両眼で確認し、“彼”は静かに<紅剣>を構える。
この時ファメルは相棒と対峙する「クロハイエナ」に関して、一つ確信を持った事があった。それは…………、
(間違いねぇ…間違いなくこいつこそが、この群れの親玉……!)
互いに一切の音や動作を失くしたままでいる両者を見つめ、ただただ固唾を飲むばかりのファメル。一人の“少年”と、一頭のモンスター。この二つの間に存在するものは、その場の砂地を巻き上げる風のみであった。
(…………)
そして風がほんの一瞬治まったかのように思われたその時、両者は互いの目標へと狙いを定めて駆け出した。全く同じ速度で目前の敵まで駆け寄ると、その場に再び砂煙が大きく発生し、二つの姿を覆い隠す。
暫くして突然、その様子を静かに見守るファメルの耳の内側へ入り込み、彼の聴覚を反応させたもの。それは高々と響き渡る金属音と、何かの肉体が切り裂かれる鈍い音であった。
(……っ!い…今の音は……!?)
徐々に薄れていく目前の砂煙を見つめながらファメルは注目していた。この砂煙が消え去ったその瞬間に、一体どんな光景が待ち受けているのかという事を。
やがて視界が澄んでいったその時、彼の両眼に映りこんだもの。それは…………、
「……あ…あれは……!」
その時彼が目の当たりにした光景、それは切っ先を斜め上に向けて立ち止まる“少年”の姿と、その背後で横たわり全く動こうとしない「クロハイエナ」の姿であった。よく見てみると後者の脇腹には、一筋の鋭い刀傷が浮かんである。一方の前者も息遣いこそかなり荒れている様子ではあるものの、彼自身の二本の脚でその場にしっかりいと踏みとどまっていた。
「…と……いう事…は……!」
その時両者の対決がこのような結末を迎えた事を確認したファメルが、ふと残っているはずのモンスター達に視線を向けてみると、彼は思わず目を疑った。
それまでファメルと同様に、この対決を大人しく見守り続けていた「クロハイエナ」達が、全てこちらに背を向けてその場を去り始めていたのである。どうやら自分達の親玉であった存在がこのような結末を迎えてしまった事で、すっかり戦意を喪失させてしまったようである。
その時それを目の当たりにしたファメルの口から、自然と一言漏れ出した。
「…や……やった……」
その時横たわる親玉を背にする“少年”が一度深呼吸を行い、<紅剣>の刃を鞘へと収める。
「…………ぷはあっ!」
それまで呼吸を止め続けていたかのようにその場の空気を沢山吸い込むと、彼は砂の地面に向けて思い切り尻餅をつかせる。地面に腰掛け天を見上げた彼の息遣いが、これまで以上に荒いものと化している。
「はぁ、はぁ、つ…疲れた……また僕の……知らない間に…はぁ、はぁ……」
その時だった。
「光っ!」
「っ!!??」
突如として彼の上半身に、凄まじい衝撃がのしかかってきた。まだ呼吸も整いきれておらず、ましてや突然の出来事だった為、光は思わず窒息しかけそうに感じてしまった。
それを引き起こした犯人は、他でもない彼の相棒その人であった。
「ふぁ、ファメル……!く、苦しいよ……!」
「へっ?おっと、わりぃわりぃ……」
その時苦悶する相棒に気づき、ばつの悪そうな表情を浮かべつつ彼から離れるファメル。しかしすぐさま彼の表情は、とてつもない興奮に満ちたものへと変化を遂げる事となる。
「いやぁ、今回も凄かったぜ光!あんなに強そうだった親玉を、たった一撃で倒しちまうなんて……!流石オレの頼もしいパートナーだぜ!」
自身の相棒に秘められた実力が遺憾なく発揮された先程の場面を頭に思い浮かべながら、その彼を絶賛する言葉を続けるファメル。
しかし当の本人はというと、彼が語る全てについて何が何だか分からないままであった。自らの口を大きく開いたままの状態で、相棒に向かって恐る恐る尋ねる光。
「僕に…何があったって言うの?……君が言ってる事、全然訳が分からないよ……」
「ああ、そうだったな……ったく残念だぜ。お前に隠された才能は、まずお前自身で実感してもらいたかったからさ」
そう答えてから、相当悔しそうな表情で残念がるファメル。
(…………まただ)
その時光は心の中でそう呟いた。そして彼は脳内で思い返してみた。自身がこれまでに経験した、今回と同様な場面での出来事を…………。
光が“この世界”に降り立ってから、彼はこれまでに様々な場面に直面している。生身だった自分を救いこうして相棒として行動をともにする事となったファメルとの出会い。初めての冒険の末手に入れた“紅剣”との出会い。そして晴児や陽音といった親友とのまさかの出会い…………。それと同時に、彼はこれまで様々なモンスターと遭遇し、その度に危険な場面にも直面している。
これらは簡単に思い出す事に成功している。しかし“ある瞬間”まで思い出したところで、彼の記憶はすっかり途絶えてしまう。
(僕がモンスターを倒そうと思って剣を抜いた時からだ。そこから僕は何も覚えていない……)
その時咄嗟に頭を抱え、ひたすらその瞬間の情景を思い出そうと焦る光。しかし顔中を汗で滲ませる程の彼の努力もむなしく、その瞬間を見つけだす事は出来なかった。その時唯一思い出せたものといえば、引き抜いたはずの剣が知らぬ間に鞘へと戻っていた事実のみであった。
(僕の身に…一体何が……!?)
その時だった。
「…………おーいっ!」
(っ!?)
いつの間にか大混乱を巻き起こしてしまっていた自身の脳内に、一筋の輝きが差し込んできたように感じた光。その輝きの正体は、彼にとって最も身近な存在であると認めている“何者か”の声であった。
「光ーっ!」
「朝日奈くーんっ!」
彼の脳内に響き渡るその声は、少しずつその音量を増していく。
(そ…そうだ……この…声は……!)
徐々に声の主の持ち主を、自身の心の声が読み上げようとした、その時だった。
「ひっかるっ!」
「ぶふぇっ!?げふっげふっ……!」
突如として自身の背中を強く叩かれ、思わず呼吸が乱れてしまった光。未だ噎せこみを抑えきれないまま振り向いたその場所にいたのは、自分やファメルとともにここまで冒険を続けてきた、頼れる四人の仲間達であった。
「すげぇよ光!またカッコよ過ぎるところを見せ付けられたぜ!」
「実はオレ達も見ていたんだが……全く…大した奴だぜ」
「私ビックリしちゃった!あんなにカッコいい朝日奈くんは初めて見たわ!」
「ホント!あんなに凄い瞬間なんて、アタシ初めて見たんですけどぉ!」
彼らはそれぞれ異なった言い回しで、光の先程の活躍を称賛する。特に後半の二人の少女にとっては初めて目にした光景であった為、未だに興奮が冷めない状態であった。
「ほ…ほんと?……だったら僕も嬉しいな……」
そう小声で答える光の表情は如何にも照れくさそうで、その頬は少しばかり赤らめられていた。
「…………でも」
「?」
その時突如として、彼の顔から少しずつ笑みが失われ始めていった。その理由も含めて、彼は更に言葉を続ける。
「確かに皆から褒められるのは嬉しいよ。でも、自分が一体何をして褒められているのか、僕は全然分からない。だから実を言うとね、どうやって皆に応じればいいのかも正直分からないんだ。折角受け取った皆からの言葉に何も返す事が出来なくて、本当にごめんね……」
「…………」
仲間達からの褒め言葉に報いる事が出来ずにいる自分を責め、すっかり表情を暗くさせてしまう光。そんな彼にどのような言葉をかければいいのか分からず、四人もまた困惑した表情を募らせる。
互いに無言のまま暫く時が過ぎていった、その時だった。
「…………大丈夫だ光!そう落ち込む事はねぇ!そんなに嬉しい褒め言葉なら、素直に受け取った方がいいとオレは思うぜ!」
「えっ?」
その時彼らの周囲に立ち込めていた“負の空気”を明るい声でかき消したのは、これまで唯一沈黙を続けていたファメルであった。彼は光の目線と重なるように自らの視線を向け、言葉を続けた。
「それにオレ、信じてるんだ。たとえお前がまだ自分の能力を分かってないとしても、こうして困難を乗り越えていくうちに、自然と理解していけるはずだって……」
「ファメル……」
その時一言そう呟いた光からは、先程までの暗い表情は消え去っていた。そしてファメルは最後にこう締めくくった。
「勇者たる者、どんな時でも自分のパートナーを信じなきゃいけねぇ!だからオレはお前を信じる!信じ続ける!」
自らの相棒に対する絶対的な自信を語った一人の“勇者”の瞳は、これまで以上の輝きを放っていた。そしてそれをしっかりと胸に刻み込んだ一人の“勇者”の表情も、これまで以上の逞しさを表現していた。
「僕を…信じる……」
その一言を漏らし、自らの拳を強く握り締める光。そこから更に何かを言いたそうに唇を噛み締める。
「…………」
しかしそれを言い出せないでいる彼に、ファメルは催促しようとは思わなかった。その証拠として彼もまた何も言い出さず、相棒の発言を待ち続ける。
「…………」
そのまま互いから言葉が失われ、数秒間が経過した。そんな二人の様子が気になり、知らぬ間に心配そうに両者の表情を窺う四人。
「…………えっ?」
その時ファメルも含めた五人にとって、全く予想もつかなかった光景が目前に繰り出された。
「光…お前……」
その時光が意を決してとった行動、それは相棒へ向けて自らの手を差し伸べる事だった。そこから彼が一体何をしたがっているのかは、五人にはすぐに理解出来た。
普通ならその行動は、世界中の誰にとっては何も恐れる事などないものである、しかしそれが彼の場合、本来ならばとるべきではない行動であった。
「お前…正気か!?……もしオレと“あれ”をしたらどうなるのか、忘れちまった訳じゃねぇよな……!?」
思わず冷や汗を流しながら相棒に確認するファメル。しかし問うの本人の表情は、真剣なまま一向に変わる気配を示さなかった。
「分かってる。でも君は僕を信じると言ってくれた。君が信じてくれるなら、“これ”にも耐え切れそうな気がするんだ。だから……」
「だ、だからって、そんな無茶な事を……!」
ファメルはますます焦りを募らせ、どうにかして相棒を落ち着かせようと試みる。しかしそれは現在の彼にとっては、全く無駄な事でしかなかった。
「どうかお願い、ファメル……!」
「…………仕方ねぇなぁ」
その時遂に根負けしてしまったのはファメルであった。
彼は一回だけ深く溜息を漏らすと、次の瞬間差し出されていた光の手を握り締めた。二人が語っていた“あれ”とは、握手の事である。これまでこの二人が握手を交わすと一体どうなってしまうのか、それはこの場にいる六人全員が承知している。
「ん…んぐ……くっ……!」
案の定その苦悶に満ちた表情や声、震えが止まらなくなった手から、光には尋常ではない苦しみのような“何か”が攻め続けていると、五人は心配そうに見つめながらそう感じた。
「む…無理すんな…よ……?」
「…………!」
ファメルが声をかけてみても、歯を食い縛り続けて全く返事しないままの光。二人のその状態が暫く続いたその時、どうやら彼の我慢は限界に達してしまったようだ。
「……も…もう駄目……ふにゃあ……」
光の口から魂か何かが抜けてしまったかのような形でそう語られた次の瞬間、彼は崩れ落ちるようにその場へ倒れ込んだ。あまりに突然の出来事で五人は驚愕したが、元も傍にいたファメルが咄嗟に彼の身体を抱きかかえる。
「ほ、ほらぁ!言わんこっちゃねぇぜ!ったく、驚かすなよ……」
そう語るファメルの全身から湧き出した冷や汗の量は尋常なものではなかった。
「ご、ごめんね……」
この時ばかりは小声ではあったがしっかりと謝罪し、思わず下を向く光。そんな彼を目の当たりにし、今度はファメルがばつの悪そうな表情で頭を掻いた。
(やべっ、ちょっと言い過ぎたかな……)
「…………でも」
すると突然光はそう口にし、ゆっくりと顔を上げる。そして彼はファメルの尋ねた。恐らく彼が全く予想していなかったであろうこの質問を…………。
「これまでに比べてみたら、だいぶ耐えられるようにはなっていたでしょ?」
その時ほんの一瞬、その場から“音”と“時間”が失われた。その中で光の表情は、晴れやかなものになっていた。
「…………まあな」
ようやくその二つが取り戻された直後、ファメルは深い溜息とともに一言呟いた。
「…………」
「…………」
そのまま互いに無言のまま見つめあう光とファメル。
「…………ぷっ」
どちらか一方からなのか、それとも両方揃ってなのかは不明だが、この誰かからの吹き出しが発せられてすぐ、二人は腹を抱えて笑い始めた。そしてその笑いは他の四人にも行き渡り、その時彼らの周辺は賑やかな笑い声が満ち溢れていた…………。
「……ところで」
その時この一言で彼らの笑い声を静めたのは、光であった。彼は今度は他の五人へ向けて、再びとある疑問をぶつけてみる。
「あのモンスターの大群は一体何処?僕ら六人で戦ったところで、さすがにあれ程の数じゃ……」
その言葉を受けてはっと気が付き、思わず自身の拳でもう片方の掌をぽんと叩くファメル。
「そっか!光にはまだ教えてなかったな!」
それを聞いた光は思わず首を傾げる。すると突然ファメルは満面の笑みを浮かべ、その言葉の真意を相棒に伝える。
「へっへっへ…聞いて驚くなよ、実はな……」
堪えきれずにやけてしまいながらそう語るファメルは、今度はその視線を、砂煙に覆われて何も見えない遥か彼方へと移す。光もそれ以外の四人も彼に合わせてそちらへと視線を向けてみる。
「これからオレ達とともに旅する残りの“勇者達”が、ここまで応援に来てくれたのさ!」
「ほ、本当!?それは嬉しいな……!」
相棒から告げられた朗報を耳にし、思わず顔を綻ばせる光。期待に胸を躍らせながら、新たな仲間達の登場を心待ちにする。
すると砂煙の向こう側から、こちらへ歩み寄ってくる足音と、うっすらと現れる四組の人影が、光の耳と目に確認された。
(あれが僕達の…新しい仲間……一体…どんな“勇者”なんだろう……?)
足音と人影が大きくなってくる度に、自らの胸の鼓動が増してくるのを光は自覚した。
そして音が失われ影が停止したその時、この場を覆いつくしていた砂煙が徐々に晴れていき、いよいよ新たな“勇者達”の全貌が明らかとなる…………、
「…………えっ!?」