第十四頁
その時目前に広がるものは、何処までも敷かれた砂の地面のみだった。地平線の向こう側までも繋がっているこの場所が砂漠であるという事は、誰もが容易に判断出来る事実だ。
その大地を、強く吹き荒ぶ風を浴びながら進んでいく、二人の旅人の姿があった。ともに獣の毛皮を頭から被り、瞳や鼻孔を覆う事で、襲い掛かる砂埃の侵入を防いでいる。
「はぁ…はぁ…何だかやけに…風が強いね……」
「はぁ…はぁ…そうだな……」
毛皮の内側から吐息とともに漏れ出す声で、お互い会話を続ける彼ら。その声色からすると、どうやら二人とも少年のようである。
「……おっ!」
暫く会話を続けていると、その内の一人が気づいた。
「風、さっきより弱くなってきたみてぇだぞ!」
「あ、ホントだ……」
「その様子じゃお前もさすがに疲れたみたいだな。ちょっと休もうか……」
もう一人が無言のまま頷くと、その場に少し立ち止まってから呼吸を整わせる二人。そして彼らはここで、それまで被り続けていた毛皮の頭部を外す。汗に塗れた二人の顔つきが、この時露わとなった。
一人はいわゆる“人間”と呼ばれる生き物の顔を持つ少年、そしてもう一人はいわゆる“ライオン”と呼ばれる生き物の顔を持つ少年。現実の世界ではまず考えられない組み合わせである。
そんな二人が溜まっていた汗を払う為に、額を片腕で拭っていたその時だった。
「…………あ……」
突然彼らの間に鳴り響く、腹の虫が鳴く音。直後咄嗟に自らの腹に手を当てて、その場に跪くライオン顔の少年。
「は……はらへっ…た……ひ…ひかるぅ…何か食い物くれぇ……」
「う、うん、分かった!ちょっと待っててね……」
ライオン顔の少年からの申し出を受け、すぐさま自身が背負っていたリュックサックを下ろし中身を確認し始める、“ひかる”と呼ばれた少年。一通り調べ終えると、今度は相棒のリュックサックを下ろして、中を覗き込む。
「ど、どうだ?な、何かあったか?光……」
「…………ファメル……」
“ファメル”と呼ばれたライオン顔の少年からの呼びかけに、光はこう答えた。
「ごめん…もう…何もない……」
「ええっ!?そ、そんな……」
深い絶望感に満ちた台詞を最後に、何もかもが全身から脱け出たかのように、すっかり干上がってしまったファメル。そんな彼の様子を目の当たりにした光は、もう一度自分のリュックサックに手を突っ込み、中から水筒を取り出す。すぐに蓋を外し、それをファメルの傍に近づける。
「はいっ!お水だけど、これで少しはお腹が膨れるはずだから……」
「す、すまねぇ。あ、有り難く頂くぜ……」
弱々しい呟きで光に感謝したファメル。ゆっくりとその場から起き上がって光から水筒を受け取ると、飲み口をくわえ上へと傾け、中身の水を二、三口程体内に蓄える。
「ホントにすまねぇな、お前の貴重な水を、オレの為に譲ってもらって……」
水筒を光へと返却しながら、申し訳なさそうに呟くファメル。それでも光は笑みを浮かべていた。
「困った時はお互い様だよ。それに……」
すると光は渇ききった青空を見上げ、こう語り始めた。
「さっきの事覚えてる?お腹が空きすぎて、その場に倒れ込んだ僕の事。あの時ファメルがリュックから食べ物を取り出して、僕に食べさせてくれたよね。多分その時に、食べ物がなくなったんだと思う。君が倒れたあの時はもう無我夢中で、たまたま残ってた僕の水を渡したんだけど、そうなってしまったのは間違いなく僕のせい。謝らなきゃいけないのは僕の方だよ。本当に、ごめんなさい……」
既に目線をファメルに向けて、そこから頭を下げ謝罪の言葉を述べる光。そんな彼に対し、ファメルも次のように語り始める。
「何でお前が謝る必要があるんだよ?こんな状態じゃいつぶっ倒れても可笑しくない事だろ?オレが先に空腹で倒れて、そこで食い物がなくなる可能性だってあったんだ。それに食い物がなくなったとしても、モンスターを倒していきゃあ、そのうち手に入るだろう。だから謝らなくていいんだぜ!」
彼からの励ましの言葉を受け取り、それまで暗く落ち込んでしまっていた光の表情も、徐々に明るさを取り戻していった。
ここで突然思い出したように、ファメルのこう尋ねてみる。
「ところで僕達、まずは何をすればいいんだろう?《タルスト村》を出てから、ここまでだいぶ歩いてきたはずなんだけど……」
「ああ、そうだな……」
ファメルは顎に手を当て考え始める。暫くしてその手を外すと、早々に答えを導き出す。
「とにかくまずは“仲間集め”から始めよう。いくら武器や魔法を使いこなせても、オレ達だけじゃ太刀打ち出来ない事が待ってるはずだ」
「そっか!そういえば神殿を出る前に君が言ってたもんね、僕以外にも六人の“勇者達”が、“この世界”にやって来てるって」
相棒から教わった事実を思い出し、自らの拳で掌を叩く仕草を見せる光。ファメルもそれに合わせて、笑顔で頷いてみせる。
「もう少し歩いていけば、《タルスト》のとは違った神殿がある町に辿り着く。とりあえず今はそこを目指して進んでいくしかねぇ。向こうに着いてから、これからの事を考える事にするか」
ファメルが考え出した提案に対し、光からは何の反論もなかった。
「うん、分かった。それじゃ早速行ってみようよ!ファメル、もう身体の具合は大丈夫?」
「ああ!お前の水のお陰で、少しは腹も膨れたみたいだしな!」
元気を取り戻す事に成功したと表現する為、自らの腹を勢いよく叩いてみせるファメル。その様子をしっかりと確認し、笑顔で応えてみせる光。
その時二人は立ち上がり、そして歩き始めた、これから目指すべき場所へと向かう為に――――。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
その時砂の混じった風が再び勢いを増し、道なき道を突き進む二人に襲い掛かっていた。小高い砂丘を登る彼らは先程と同じように毛皮を深く被り、砂の襲撃を防ぐ。顔面を覆う部分のほんの僅かな隙間から、またしても吐息が漏れ出していく。
「……だいぶ歩いてきたけど……まだ…着かないのかな……?」
唐突に繰り出される光の疑問。
「もう少し……あと少しのはず…なんだけど…………あっ!」
丁度砂丘の頂上に辿り着いた瞬間、ファメルは突然歩みを止め、とある一点に視線を集中させる。不思議に思った光は尋ねてみる。
「ど…どうしたの、ファメル……?」
「……つ…遂に見つけたぜ……ほら、あそこ!」
無数の疲労感に満ちながらも僅かに達成感らしき感情を漂わせながら、その一点を指差すファメル。彼が指し示す方角に視線を合わせたその時、光は一言呟いた、
「……あ…あれは……!」
その時二人の視線の先に存在するもの、それは広大な湖だった。
これまで砂と同じ色で染められた地平線のみを目の当たりにしていた二人にとって、湖が持つ透き通った“青”は、その瞳を癒すのに適した色彩であった。
更にファメルが指した先を見つめると、そこには湖畔に栄えた町があった。《タルスト村》の建物とは違い、太陽に照らされ眩しく輝く家々が建ち並んでいる。
そんな光景を目の当たりにした光が、再び一言呟く。
「ま…町だ……!」
するとここでファメルが、彼の背中を軽く叩き、今にも駆け出しそうな勢いで奮い立たせる。
「お、おい!こうしてる場合じゃねぇぞっ!早く行こうぜ、あの町へ!」
明るくはっきりとした声で相棒に呼びかけるファメル。その明るさが影響してか、光も目前の町並みを眺めながら、明るさに満ちた声で応じる。
「う…うん!そうだね、行こう!」
その時だった。
「…………っ!?」
突然自分の片腕に強力な圧迫感を感じる光。すぐさまその箇所に視線を移すと、そこにあったのはファメルの両手であった。彼の両手が光の腕を、しっかりと握り続けていたのである。
ファメルはそのまま笑みを浮かべると、元気よく一言言い放った。
「それじゃ話は早いな。さっさと行こうかっ、勇者さん?」
「えっ、ちょっと待っ……うわっ!?」
その時光に考える余裕などなかった。ファメルは光の腕を握り続けたまま、彼を引き連れる形で町へと駆けていった――――。
その時町は大いに賑わっていた。その様子は《タルスト》のそれを大きく上回っていた。
二人が砂丘の頂上から見下ろした光景で特に印象的だった建物の数々。どれもが煉瓦の土台を白く塗り固めて建てられているようで、青空から照らされる輝きを町中へ向けて反射させている。
そうして太陽の恩恵を受けるこの町の大通りを、二人はあちらこちらに目線を移しながら先へと進んでいた。
「随分と賑わってるね、人がいっぱいいる!」
「丁度市場が開かれてる時間だからな。特にここの人々が集まる時間帯なんだ!」
自信を持って相棒に説明するファメル。それを聞いて改めて周囲を見渡してみる光。
大通りを行き交う人々が塊を成している箇所が連なっている。よく見てみるとそこには、大きな屋台や地面に広げられたシートがあり、その上には様々な品物が並べられていた。食材や雑貨、武器、更には怪しい骨董品のような代物まで、まさに選り取り見取りである。
ファメルの言う通り、ここでは現在市場が開かれている、光はそう実感した。
「こんなに賑わってるという事は、ここがとても大きな町って事なのかな?」
何気なしに相棒へと尋ねてみる光。ファメルは大通りを進みながら、彼の質問に答え始める、彼らの知る“あの人”と同じように、一つ咳払いを済ませてから。
「その通り!この町の名前は《キェイル》。今オレ達が立ってるここ《テセルドの国》の中枢を担う大都市で、ここを中心に円を描く形で町や村が成り立っている。それぞれの場所から名産品が集まってくる事から、この町で手に入らない物はまずないと言われてるんだ……」
するとここでファメルは背中のリュックサックを前面へと移動させ、その中へ手を突っ込む。そしてそのまま暫くの間、何かを探す仕草を見せる。
「確かこの辺に……あっ、あった!これこれ……!」
彼が中から取り出したのは、小さく折り畳まれた一枚の紙だった。
「これを使ったほうが分かりやすいな……」
そう口にしながら彼が紙を広げると、そこに描かれていたのは幾つもの点や線が書き加えられた、一つの大きな図面であった。ファメルはそれを広げたまま話を続ける。
「これが《テセルドの国》を大まかに表した地図だ。今オレ達がいる《キェイル》の位置がここ。そしてここから南へ移動していったこの点が、《タルスト村》だよ」
そう言いながら彼は、最初は地図の中心にある最も大きな点を指差し、そこから下へと移動させ端にある点で停止させる。
そして再び指を中心へと戻すと、今度はそこから他の箇所に記された幾つもの点を、次々と指差していく。
「この国の町や村は、全部この《キェイル》を中心にして存在してるんだ。この国の人々は他の町や村に行く時、まずはここを経由してから進んでいく。だからこうしてここにいる人達の殆どが、他の場所から集まった人って訳さ」
「そうなんだぁ。つまりこの国のあちこちからやって来た人々が、この大都市を生み出した、って事だね?」
相棒が編み出した結論に対し、素直に首を縦に振るファメル。するとここで光の口から、こんな心配事が投げ出された。
「……それじゃあ、この中からどうやって他の“勇者”を探せばいいの?こんなに大勢の中から一人ずつ調べていったんじゃ、時間を無断にするばかりだよ……」
「ああ、それなら心配すんな!」
相棒の意外すぎる一言に、思わず呆気にとられてしまった光。自分では相当悩ましくなる質問を投じたはずだったのだが、それがいとも簡単に解決されていきそうだったからだ。
「へっ!?ど、どど…どうして……?」
未だに動揺を抑えきれないまま理由を問う光。それに対しファメルは、手にした地図を折り畳みながら、いたって冷静に語り始める。
「これは“勇者”としての決まり事なんだが、これからオレ達が巡っていく町や村には“神殿”が一つずつあって、そこで他の勇者とそのパートナーが待っている。そしてそいつらの元へと向かい全員集めていくのが、今回はオレ達の役目なんだ。他の勇者にとって神殿でオレらを待つ事が最初の決まり事になってるから、そこに行きさえすれば、間違いなく会う事が出来る、という訳さ!」
「そうなんだぁ。でも何でそんなに重要な使命を、わざわざ僕らが任される事になったんだろう?」
まだまだ納得のいかない箇所を見出し、疑問として相棒に投げかける光。そんな彼の疑問に応えるべく、自身のリュックサックに再び手を突っ込むファメル。
暫くの間中身をかき回しながら、何かを探し当てようとするファメル。
「えーっと……あったあった!」
ファメルが中から取り出したのは、先程と同様に折り畳まれた地図だった。しかし広げてみると、先程のそれより大きく、描かれた箇所も明らかに異なっている。
「さっきお前に見せたのは《テセルドの国》を記した地図。そしてこれは今いるこの世界、つまりオレにとっての《真界》、光にとっての《別界》の地図だ」
異世界の地図。これまで自分が学校の授業で習ってきた世界地図とは、一体何処が異なっているのか……。知らぬ間に沸き上がる不安の中に、ほんの僅かな興味深さが潜り込むという不思議な感情が、光の脳内に漂い続ける。
その状態を維持したまま、意を決して恐る恐る地図を覗き込む光。
「っ!…………あれっ?」
その時光は驚愕した。そこに描かれているはずの別世界、それは彼にとっての《真界》を描いた世界地図そのものであったのだ。完全に一致するとはいえないものの、大まかに見たその様子は、間違いなく彼が知っている世界とそれ程違いは見受けられなかった。
「そ、そっくりだ、僕のいた世界と……」
「ふぅん……って、そ、そうなのか!?」
光の口から投げ出された意外すぎる事実に、思わず意表を突かれたファメル。
「ほ、本当か!?し、知らなかった……」
今までとは真逆で光に確かめながら、顔中に噴出した冷や汗を拭うファメル。それでも心の中ではこう考えていた、
(い、行ってみてぇ。光のいた世界に、本当にそっくりなのか確かめる為に……)
「……ファメル?……ファメル!」
「っ!?」
突然自身の肩を叩かれ自分の名を大声で呼び出され、思わず仰天するファメル。慌てて後ろを振り向くと、そこには不思議そうな表情を浮かべながら彼の顔色を窺う光の姿があった。
「どうしたの?何か考え事?」
「へ?……ああいや!何でもねぇよ!」
先程までの変な考えを忘れ去ろうと、両方の頬を強くはたくファメル。少し強すぎたせいか、想像以上に赤く腫れ上がった頬と僅かに滲んだ瞳が、彼の顔面に目立っていた。
その顔のまま、ファメルは光に言い放った。
「こうしてゆっくり進んでちゃ日が暮れちまう。そんなんじゃオレ達を待ってくれてる勇者達に申し訳がたたねぇ!この世界のチリに関しては後で教える事にして、まずは急いで向かおう、勇者が待つ“神殿”へ!」
自分が述べたかった言葉を言い終えた直後光の手首をぐっと掴み、そのまま小走り、やがて駆け足で進んでいくファメル。未だ赤く染め上がったままである彼の顔面を気にしながらも、その時光は相棒とともに向かう事を決意した、いつの間にか彼の心の中で生み出された、一つの小さな“期待感”を宿しながら――――。
(い、一体どんな“勇者”が、僕達を待っているんだろう……?)