第十二頁
その時台座の中央で、選ばれた“勇者”が持つべき赤き剣を手にした光が、堂々と構えていた。
「光…やったな……!遂に…手に入れたんだな……!」
何度も彼に言葉を送り続けるファメル。それに応えるかのように、光は無言のまま首を縦に振る。
「で…でも、どうして平気なんだ?確かお前…大蛇の尻尾に巻き込まれたはずじゃ……」
ファメルはそれが気になっていた。すると光は自身の周囲を指差し、小さく円を描いてみせた。
ファメルがそこに目を向ける。そこには大量の砂が円形に敷かれていた、何もない地面に築き上げられた砂の塊が、何かの拍子に崩壊してしまったかのように。
「な、何だあの砂!?さっきまであそこには、砂なんか……」
ますます頭上に疑問符が浮かび上がるファメル。すると光は苦しむ大蛇を指差し、数回小突く仕草をみせた。
ファメルがそこに目線を移す。そこにいた大蛇の尻尾は、すっかり消失していた。そしてそれが繋がっていた箇所からは、少しずつ砂が崩れ落ちているのが確認された。
「……そうか…そういう事か!」
ここでファメルは気づいた。
「お前、こいつの尻尾切り落としたんだろ?それも巻きつかれる寸前のところで……」
その問いに対し光は、また無言のまま首を縦に振った。
(……って、何で無言?)
ファメルの脳裏にそんな疑問が浮かんだその時、敵の赤い両眼が再び二人を睨みつけ、体勢を整え始める。
「畜生、まだ懲りずに挑んでこようってか!」
その表情に若干の焦燥感を浮かべるファメル。すると、
「…………ファメル」
「……!?」
その呼びかけの源は、光だった。しかしファメルは思わず動揺してしまった。
(今の声、光だよな……?でも…何か違ったような……)
彼が疑うのも無理はなかった。今まで聞いてきたものとは異なり、先程の声にはどこか勇ましさ、そして不思議な“懐かしさ”すら感じられたからだ。
「…………ファメル!」
「っ!?あ…わりぃ……」
それまで混乱し続けていたファメルの耳に飛び込んできた強い呼び声に、彼は不覚にも驚愕してしまった。
「ここからは二人で交互に攻めていこう。一方が敵の注意を引き付け、もう一方がその背後を狙う。これを繰り返していけば、きっと勝機も見えてくるはずだ……」
「お、おう……」
光の作戦に異を唱える事なく、全て耳にし続けたファメル。しかしその間彼の疑念は、ますます膨らんでいくばかりだった。
(待て待て待て待て!ここにきて何で光が作戦を…!?しかも…オレが思い浮かべてた奴と全く同じ……!)
その疑念に悩まされながら改めて光に視線を向けた、その時だった。
「…………!?」
そこにいたのは光、のはずだった。しかしファメルの隣で勇ましく剣を構えていたのは、光ではなかった。うっすらとではあったのだが、彼の全身を包み込むオーラの奥に見えたもの、それは、ファメルと同じ獅子の顔を持った戦士だった。しかもファメルにとっては、何処か“懐かしさ”すら感じてしまう容姿だった。
(な、何だ?この…“懐かしさ”……この感じ…何処かで…………!?)
その時ファメルは何かに気づき、自らの懐に片手を突っ込む。
暫くしてそこから取り出されたのは、彼がお守り代わりに身に着けているペンダントであった。
早速そのチャームを開き、そこにはめ込まれた家族写真と目前の戦士とを交互に見比べる。この動作を数回行ってから、ファメルは一言呟いた。
「…あ……兄貴…………?」
その間にも大蛇は、その苦しみから解放されたようで、既にその赤い両眼で二人を鋭く見つめていた。今にも襲い掛かってきそうな気配がその場に漂う。
しかし“勇者”は全く動じず、改めてファメルへと声をかける。
「ファメル、相手のこの状況からすると、もはや少しでもミスは許されないみたいだ。確実に…確実にダメージを与えていこう!」
「おう!分かった!」
そして二人は走り出し、互いに対になる位置へと移動した。その位置を結びつけると、丁度大蛇を中心に挟んだ一直線が描けるものだ。
すると早速ファメルの方から、雄叫びとともに突撃を開始した。それに気づいた敵が、すぐさま彼の方向へ目線を合わせ待ち構える。
「はあっ!!」
その時大きな掛け声とともに、剣による一撃が大蛇に直撃した。ただしこの声の主はファメルではなくその反対側にいた“勇者”のもので、その証拠として大蛇の背面に大きな刀傷が刻まれてある。
再び絶叫する敵であったが、今度はもがく事なく、そのまま自らの背後へと目線を移す。自身の背中に大きな傷を負わせた“獲物”に復讐する為である。
「…おりゃあっ!!」
その時またしても大きな掛け声とともに、一撃が大蛇の背面に直撃した。今度はファメルのもので、それにとり傷跡が十字の形に変えられた。
さすがにこの攻撃は、敵にとっては致命傷に値したようだった。大蛇は断末魔の叫び声を上げたまま、頭部を天井へ伸ばし、ほぼ一直線のまま硬直した。
それを無言のまま目の当たりにする二人。この後の様子が気になり、一筋の汗が頬を伝ったファメル。
「ファメル!」
「っ!」
彼の向こう側から自らに呼びかける声に気づき、ファメルはそちらへ視線を移し変える。
「今の一撃で、敵もかなりダメージを負ったらしい。今度は二人同時に攻撃して、止めを刺そう!」
「了解!」
二人はすぐさま行動に出た。同時に助走をつけ、敵の巨体に近づいたその時、彼らは高く跳ね上がった。
やがて二人の身体が、直立したままでいる大蛇のすぐ傍まで迫る。この時もまた互いに反対側を通過するように進んでいきながら、この状態で剣を構える。
そして二人が今まさに大蛇の真横を通り過ぎようとしたその時、彼らはそれぞれの切っ先を、敵の胴体に深く突き刺す。
「はああああっ!!」
「うおりゃああああっ!!」
これまでにない程の大音量で雄叫びを上げながら、二人は自らの身体が進んでいくのに合わせ、刃を横一直線に切り開かせていく。
そのまま互いの刃が胴体の端から端まで一気に通過し、彼らは先程と逆の場所で着地する。すぐさま二人揃って敵の様子を窺う為、視線を大蛇に向けさせる。
その時大蛇の巨体は一切動じる事はなかった。そして彼らが負わせた両傷は、少しずつ大きく切り開かれていく。そこからは大量の砂が、鮮血の代わりに流出していた。
やがて直立不動を保ち続けていたその巨体が、徐々にバランスを失い始め、傷ついた方向へと倒れていく。二人は即座に敵が倒れる反対の方向へと移動し、その様子を見つめ続ける。
「…………」
何も語らぬまま見守る二人の目前で、僅かに繋がっていた敵の肉体は遂に引き裂かれ、二つになった巨体の頭部が床に叩きつけられた。
するとその時、大きく横たわった二つの肉体が、氷のように溶け出し始めた。と言うより、むしろその形が崩壊を始め、地面の砂と同化していくと言ったほうが正しいようだ。
「…………」
この一部始終を、無言のままただ見守り続けていた二人であったが、ここでようやく二人の間に出来上がっていた“沈黙”が、ファメルの一言によって破られた。
「…………お、終わったんだよな…バトル……?」
「…………そうみたいだ……」
二人はこれまでずっと握り続けていた剣を、揃って腰の鞘に戻す。
「……うっ!」
「!?」
突然相棒が身体のバランスを失わせ床へと倒れかけたのに気づき、咄嗟に彼を支えるファメル。
「だ…大丈夫か……!?」
焦った表情の彼が相棒を気遣う。
「う…うん、大丈夫だよ。ただ……」
疲労感に満ちた声で返事した光だったが、その直後不思議そうに空間全体を見回し始める。それに気づいたファメルがもう一度彼に声をかける。
「どうしたんだ、いきなり……?」
するとその時、光は奇妙な質問を投げかける。
「ね、ねぇ…………敵は?さっきまで一緒に戦ってたあの大蛇は、何処に……?」
「は、はぁっ!?」
ファメルは呆気にとられた。なぜ光がこのような疑問を投げかけてきたのか、正直彼には訳が分からなかった。その為ファメルはどう返答したらいいのか混乱してしまった。
「ど…何処にって……そりゃお前、何というか……」
暫く考えたが結局思い浮かべずにいた。その代わりにファメルは、逆に尋ねてみる事にする。
「…………覚えてねぇのか、さっきまでの事……?」
「…………うん」
そして光はその時の状況を、頭を片手で抱えながら語り始める。
「あの時確か、僕は剣に向かって跳び込んだんだ。すぐ後ろには尻尾が迫っていたし、今そうしないと駄目だって、そう感じたから……。そして僕はギリギリのところで剣の柄に触ったまでは覚えてる。ただ、そこからの記憶がないんだ。それで気がつくとここにいて……」
語り終えた光も聞き終えたファメルも、揃って首を傾げる事となった。光にとっては自分の身に何が起こったのか、一方ファメルにとっては自分が見た“あの時の彼”の姿は何だったのか、それぞれ内容は違えどともに大きな疑問符が頭上を巡り続ける。
「…………と、とにかく!」
ここで大きく話題を変えようと、ファメルははっきりとした声で光の注意を引き付ける。
「ここで悩み続けても仕方がねぇ。よく見てみろよ光、この状況を」
彼の言葉に従い、改めて目前の光景を目に焼き付ける光。広い空間の中に残っていたのは砂のみで、二人を襲い続けていた大蛇の姿は、そこにはなかった。
そしてファメルは光の瞳をしっかりと見つめ一言言い放つ、彼本来の持ち味であった満面の笑みを浮かべながら。
「勝ったんだぜ、オレ達!」
その時空間内は数秒の静寂に飲み込まれた。その中で光もまた、ファメルが口にした言葉の意味を理解出来ずに、開いた口が塞がらないままでいた。数秒が過ぎてから、改めて光は確認する。
「か…勝ったの……僕達……?」
「ああ、その通りだ!」
それから無言のまま、互いの瞳をじっと見つめ合う二人。それが暫く続いていく。
「…………」
「…………」
「…………や」
その時二人はともに叫んだ、巨大な敵の撃破と目的達成という二つの“喜び”を、「やった」の三文字に変換させながら。
それからまた二人は手を取り合いながら、全身を使って感情を爆発させた。これまでの苦労を考えれば、彼らがひたすら喜びを分かち合うのも納得出来る。
やがて二人が喜びの舞を終了させた頃には、彼らはもうすっかり息切れしてしまっていた。それでも二人の表情は、一向に笑顔を絶やさないままであった。
「はぁ、はぁ……ねぇファメル……」
「はぁ、はぁ……どうした、光……?」
ここで光は荒れた呼吸を続けながら、一つの素朴な疑問を相棒にぶつける。
「ここから…どうやったら出られるんだろう?……さっきの入口だって、ほら……」
その言葉の直後に、入口があったはずの場所へ指差す。それに従い指された方向に目を向ける。
二人がこの空間に突入した直後完全に封鎖されてから、未だ微動だにしないままだ。
「…………はっ!?そうだった。バトルに夢中になり過ぎてすっかり忘れてたぜ……」
ファメルは思わず頭を抱えた。そんな彼に光は近づき、優しく話しかける。
「しょうがないよ。あんなに苦戦した相手だもん、僕だってついさっきまで思いもしなかったんだよ」
「わりぃな光、優しくしてくれて。……仕方ねぇ、こうなったらどこか一ヶ所ぶっ壊して、無理矢理にでも……」
ダメだよ、と光が止めに入ろうとしたその時だった。
「…………っ!?」
突然何処かに繋がっていた“何か”が、一気にはずれる音が空間内に響き渡った。
「な、何!?今の音……」
「た、確かあっちの方から……」
ファメルがそう言って指差した方向に、同時に視線を移す二人。
そこにあったのは、先程まで光の武器である剣が突き刺さっていた台座だった。一見すると何処にも変化した箇所は見当たらない。
それから暫くの間無言のまま、その台座を見つめ続ける事にした彼ら。何かいい変化でも起きないものかと、大きな期待を胸に抱きながら。
「…………っ!?」
次の瞬間、二人の期待は実現した。
台座を含めた土台の中心がいきなり二つに分断され、両横へと移動していく。それを間近で確認しようと、すぐさま彼らはその場に向けて駆け出す。土台の移動はその最中に停止してしまったが、そこに到着した二人の目に映ったものに、彼らは驚愕した。
「こ…これは……!?」
二人の前に出現したもの、それは階段だった。一見したところ、この場から数段下がるように築かれていて、そこから更に奥へと続く通路が繋がれてある。
「もしかして、これ……」
「ああ、多分、な……」
その時二人は同時にそれぞれの瞳を見つめ合う。そして同時に頷いた直後、彼らはその階段を降り、通路の始点へと足を運ばせる。
ここからはまたしても何の照明もない。その為この神殿の出発地点と同じく、通路の奥は漆黒に染まっている。光は呟く。
「また…暗いね……」
「ああ…暗いな……」
そう返事したファメルは、すぐに自らの右手を掲げ、その掌を広げる。そしてそのまま瞼を閉じ、例の呪文を唱えようと口を開かせる。
「えふぁ……」
ここでファメルはある事を閃かせ、呪文を中断させる。それを不思議に思い、その理由を彼に尋ねる光。
「ど、どうしたの……?」
するとファメルは光の剣を見つめながら、その理由を話し始める。
「……こうして光も武器を手に入れたんだ。せっかくだから…………」
そしてファメルは満面の笑みを浮かべながら、光にこの一言をぶつける。
「今度はお前が呪文を唱えてみろよ!」
「…………ええっ!?」
ファメルからの突然すぎる提案に、光は衝撃を隠せないでいた。その様子を目の当たりにしたファメルは思わず失笑する。
「ははっ!大丈夫だって!その武器さえ手に入れば、お前にだって十分、魔法が使えるようになったんだぜ」
「で、でも……」
急に心配そうな表情を浮かべた光に、ファメルは笑顔のまま軽く頷く。それは彼からの激励の念である事は、光もすぐに理解した。
「…………」
暫く無言のままの彼であったが、数秒経ってようやく決心したようで、口の中の唾を一気に飲み干す音がその場に響き渡った。そして彼は自身の掌を差し出しながら、大きく息を吸って叫んだ。
「……え、《エファイレ》!!」
すると次の瞬間、ごく僅かではあるが、唱えた光の掌に小さな炎が灯された。予想こそしていたがあまりにも突然過ぎる成果に、光は思わず驚愕してしまった。
「……わあっ!?」
「おいおい、これくらいでびっくりするなよ。まだちょっとしか点いてねぇじゃねぇか……」
呆れ気味にそう語るファメル。そのまま光の元に歩み寄り、彼が差し出した掌に自身の掌を添える。
「ほらな。こんなに固くなってる。これじゃせっかく魔法が使えるようになったとしても、上手く使いこなせたためしがねぇ……」
そしてファメルの口から、魔法についての簡単なアドバイスが伝えられる。
「いいか。一番重要な事は、余計な力を取り除く事。そして、自分に新しく宿された能力を信じる事。この二つさえ忘れなければ、簡単に魔法を使いこなす事が出来る!」
「わ…分かった……」
そう言って頷いた光は、ファメルからの助言を脳内で繰り返して声に出しながら、静かに瞼を閉じる。
(余計な力を取り除く……そして、僕に宿された能力を信じる……)
一瞬奥歯を噛み締め、そのまま翳した掌に意識を集中させる。
「…………」
真剣な表情を浮かべる光を前に、ファメルもまた唾を飲み干す。そして、
「《エファイレ》!!」
その時、掌の中心に再び炎が灯された、先程より大きく燃え上がる、鮮やかな赤色の炎が。
「こ、これが…僕の“チカラ”……」
未だに信じられない表情を浮かべる光。
「なっ!オレの言った通りだろ?」
そう言いながらファメルは彼の背中を軽く叩いた、はずだったのだが……、
「うぅっ!?げほっげほっ……」
「ああっ!わりぃわりぃ……」
予想以上に強く叩かれてしまったようで、突如として激しく噎せ込んでしまう光。そんな彼の様子を目の当たりにし、ファメルはすぐに謝罪する。
「だ、大丈夫だよ……はぁ、はぁ……」
光もすぐさま呼吸を整わせ、そして一言こう口にする。
「さてと…行こうか、ファメル」
「えっ!?お、おお……」
その時二人は暗闇の続く通路を進み始める。その際ファメルが傍らから覗いた光の姿が、どこか誇らしげに見えていた。