大切な人
最初に視界に飛び込んできたのは、僕達の目の前に倒れている一体の吸血鬼だった。少し視線をずらすと、何やら突っ立っている吸血鬼二体目と、ロゼアさんと闘っている吸血鬼三体目。
ロゼアさんは、防戦一方の不利な戦いを強いられていた。その吸血鬼は、他の吸血鬼と比べて明らかに強かった。思わず手に汗を握る。術式を唱えながら、襲ってくる蹴りを防いだり殴りかかろうとしたりしているけれど、どちらが劣勢なのかは火を見るよりも明らかだった。
「ロゼアさん!」
「早く行け!」
吸血鬼の両腕をつかみながら、ロゼアさんは怒鳴った。
「行けっ、同じこと何度も言わせんな走れ!」
忘れかけていた。僕には、任務があったのだ。「何があってもお爺さんを守る」。行きがけにロゼアさんがそれだけ言い残して去って行った、大切な任務。
そうだ、僕は任務を全うしなければならない。たとえ、
――たとえ、それでロゼアさんの身に何かが起こるようなことがあっても。
「お爺さん」
「は、はい」
「また、ちょっと走ります」
「……わかりました」
お爺さんが、僕の肩に手をかける。それをそのままつかむと、僕は後ろを振り返りながらまた走り出した。
吸血鬼がロゼアさんを五m近く吹っ飛ばした。空中を舞って行き場を失ったロゼアさんの体は、当然のように地面に叩きつけられた。マフラーが解けて、少し離れたところに落ちている。
起き上がろうと呻いたロゼアさんの上に、吸血鬼が覆いかぶさった。退かそうとしているのか、時折ロゼアさんが術式を使う時に現れる青い光が静電気のように散った。術式が使えないのか。なんで。何か話し声が聞こえる。内容までは届かない。もう一体の吸血鬼も、ロゼアさんに近づいてくる。そして、そしてあろうことか、二体の吸血鬼は、――ロゼアさんの喉元に喰らいついた。
何が起こっているのか、よくわからなかった。
気づいた時には、立ち止まり泣き叫んでいた。
止めろ。ロゼアさんに何するんだ。離せ。
すると、僕の両肩に手を置かれる感触がした。
「――ルエル君。で、合っているかな。君は早くあの人を助けに行きなさい。私はもう、一人で逃げられる」
「でも」
――でも、どの道命を奪われてしまうお爺さんにとっては、僕らに協力する意味もないのに。
「なに、私だって、死ぬならゆったりと死にたいですよ」
僕の考えを見透かしたように、お爺さんは目を細めてみせた。
「いや、だけど」
「理由なんかどうだっていい」お爺さんは、戦いの場にはあまりにも不釣り合いな笑顔を浮かべた。「――――大切な人なんだろう?」
お礼もそこそこに、僕は元来た道を走り出していた。
なんでロゼアさんの術式が使えないのか、なんでロゼアさんが吸血鬼に襲われているのか。そんなこと今はどうでもいい。
考えろ。
考えるんだ。勉強を詰め込むしか能のないこの頭で。
考えろ。どうやったらあの人を、ロゼアさんを救えるのか。一年実習はまだまだこれからだ、ここで終わってたまるか。
僕は全速力で走りながら、咄嗟に出てきた術式を高らかに唱えていた。