握った手と手、感ずる心
「――本当に、宜しいのですね」
ロゼアさんの再度の確認に、お爺さんは静かに頷いた。
「――分かりました。では、準備がありますので少々お待ちください」
そう言うと、ロゼアさんは少し離れたところでなにやら呟いたり手を動かしたりといった作業をしだした。多分、術式の調整をしているんだろう。これは時間がかかりそうだ。
ブラブラしていてもしかたがないので、僕は機材の上に座っているお爺さんのそばに寄って、しばらく話をしていることにした。
「おや、ル、ルルル、ル……」
「ルエルです」
「ルエル君ですか。どうかしましたか」
「あっ、いや、あの……。本当に、良かったんですか」
「――何がですか?」
お爺さんは、見ていると吸い込まれそうな程澄んだ目で、僕のことを見つめていた。
「……た、魂を、捧げることに、して」
「……ああ」
お爺さんは、目を細めて笑ってみせた。
「別に、構わないと思っているんです。むしろ都合のいい話なくらいで。もう、ここにいる意味もありませんから」
お爺さんは、小さい子どもに読み聞かせをするような声色でそう言って笑った。だけど、その声に苦しさが混じっているのに、僕は気がついてしまった。多分それは、お爺さんの意思とは関係ない、もっと無意識なところからきているんだろう。僕は、なんだか直視していられなくなって、お爺さんから目を逸らした。
ふいに後ろのほうで、ロゼアさんの立ち上がる気配がした。えっ、と思って振り返ると、ロゼアさんは、履き慣らされた茶色いローファーでつかつかとこっちに歩み寄ってくるところだった。
「え、あの、ロゼアさんっ?」
呆気にとられて見上げている僕に構わず、ロゼアさんはお爺さんの前に跪いて、お爺さんの両手を自分の両手でしっかりと握った。その手と肩が微かに震えている。お爺さんも、なにがなんだか分からないといったような顔でロゼアさんを見下ろしていた。
「ロ、ロゼアさん?」
「――お前のっ、」
手と額がくっつきそうなくらいに、ロゼアさんは頭を伏せていた。わずかに垣間見えるその口が動く。
「お前のせいだっ、ルエル! お前があの時爺さんに話しかけてなかったら! 深い事情を聞いてなければ俺はっ、俺はこんなに躊躇わずに済んだのに! ここまで知った後で!」
ロゼアさんが叫んだあと、急に辺りが静かになったような気がした。通りを横切る車のエンジン音、木々の揺れる感覚。それらが全部鮮明に僕の耳に届いていた。まるで、この屋内だけ、音という音がみんな逃げ出してしまったみたいだった。
「……知った後で、非情になれる訳がない……」
ロゼアさんの、リズムの狂った息が聞こえていた。床に落ちた二、三滴の雫が、ロゼアさんの長い間抱え続けてきたはずの苦しみを物語っていた。
この人はきっと、自分が思っている以上に、優しい人なのだ。優しいから、相手に何も伝えないことを選ぶ。優しいから、その人の幸せを願わずにはいられない。――そういう人なんだ、きっと。
――僕は今まで、何をしてきたんだろう。
ロゼアさんを眺めていると、ふとそんな考えが頭に浮かんで、僕も膝を抱えてちょっとだけ泣いた。