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第2章 おら…僕とお嬢様

「君が茂吉君かね。ほお…。森蘭丸もかくやというような紅顔の美少年じゃないか、君!」


 応接室に通されて対面するなり、二階堂先生は、こうおっしゃって僕を赤面させた。

 しかし、そう言う二階堂先生こそ、僕が今まで会った人の中で、一番、立派な方のように見えた。資産家にお生まれになっただけでなく、帝国大学の理科で教授をなさっている先生は、留学もなさった本物の知識人だった。お顔の造作も西洋人のように彫が深くて端正で、舶来仕立ての背広がよくお似合いだったが、金縁眼鏡の奥のわずかに青みがかった瞳には人のよさそうな笑みがたたえられていた。


「予備学校の新学期が始まるまで、あとひと月あるからね。それまではのんびり東京見物でもしながら、こちらの生活に慣れるといい。私の書斎にある本は何でも読んでいいし、学科の予習に必要なものがあれば、遠慮なく言ってくれたまえ」


 先生の寛大なお言葉に、僕は革張りの洋椅子の上でかしこまった。


「しかし、君はこちらに友人がいるわけもなし、ひとりでは退屈で寂しかろう。君さえよければ、うちの小夜が話し相手になるだろうが…おい、絹や。小夜は今日、うちにおるかね…?」


 先生は手を叩くと、下女を呼びつけた。


「はい、夏休みですから、お嬢様はずっと、おうちにいらっしゃいます。今日は、女学校のお友達がいらして、お二階で遊んでなさりますが…」


 いちいち下女を呼んで聞かないと、ご令嬢が在宅かどうかも分からないとは、何て広いお屋敷なんだろう…と、僕は目の玉をぐるりと回した。この部屋だけで、僕の田舎の家が丸ごと入ってしまいそうだった。長細い机を間に挟んで、肘掛椅子にゆったりと腰掛けている先生の姿も、うんと遠くに見えた。


「そうかい…それは気が付かなかった。じゃ、ちょっと小夜をここによんでくれるかい?」

「かしこまりました」


 お絹さんがぺこりと頭を下げて廊下に消えると、ややあって、何の前触れもなく戸がするりと開いた。


「お父様、何のご用?」


 さっき、道を尋ねた男の人が「あの家の者はお嬢様の遊び相手をしなきゃいけない」と言っていたから、もっと小さい方を想像していたのだが、お嬢様は見たところ、僕と同じくらいの年だった。が、さっきの人が言っていた通り、非常に美しいお顔をしていた。


「こちらが、今日からうちに下宿する書生の茂吉君だ。ごあいさつなさい」


 頭の上で蝶結びにした洋布をふわりとなびかせながら、お嬢様がこちらを向いた。先生によく似た青みがかった瞳は、人形のように何の表情もたたえていなかったが、お嬢様があまりにじっと僕をご覧になるので、僕は思わずごくりと唾を飲みこんだ。その瞬間、お嬢様の顔にぱっと笑みが広がった。天使のようにあどけなく、屈託のない笑みだった。


「茂吉君は東京に友達がいないから、お前が遊んであげなさい、小夜。ちょうど二階にお前の女学校の友達も来ているそうじゃないか」


「ええ、そうよ」お嬢様は先生に頷いてから、また僕のほうを向いた。「あなたも二階においでなさいよ。みんなでトランプをしていたの。トランプ、やったこと、ある?」

「と…虎ン歩…?」


 虎の舞みたいなものだろうか? おらの…僕の母ちゃんの里じゃ、夏祭りに若い衆が虎舞をするけれど、僕はいつも見てるだけで、やったことはない…。見よう見まねで、やってやれないことはないだろうけど…しかし、東京のお嬢様方が、昼間っから部屋の中で虎舞の練習をしているとは…あれは、結構、激しくて荒っぽい踊りなのに…と、意外な驚きにおののいていると、


「トランプって、西洋カルタのことよ」

 お嬢さんが、一瞬、目をきらりと光らせてから言った。

「あ、ああ…」


 何が「ああ」なんだか自分でもよく分からなかったが、僕は一応、頷いておいた。


「やったことない? でも、私達がやってるのを脇で見てれば、すぐにルウルは分かるわ」

「る…るるる…?」

「ルウル。やり方のことよ。見ていれば、すぐに分かるから」


 お嬢様は、察し良く説明すると、口の端を片方だけ上げて笑ってみせた。


「君なら、すぐに分かるだろう、茂吉君。女学校の生徒達にもできる遊びだからね」


 先生がにこにことおっしゃると、お嬢様は、形のよい弓型の眉をぐいと吊り上げた。その瞬間、僕はどきりとしたが、


「ええ、あなたなら、きっとすぐに分かってよ。さ、二階へいらっしゃい」


 と、お嬢様が踵を返して歩き出したので、慌てて従った。お嬢様の頭の上でふうわりと舞う赤い洋布の後を追うように。








「あなたはそこに座って、見ていらっしゃい」


 二階の大きな和室に通されると、僕はお嬢様方の輪の外に一人で座らされた。色とりどりの着物を着た皆様は、ときどき僕を振り返ってくすくす笑っていた。


 僕は何だかすっかり恐ろしくなってしまって、お嬢様方と目が合わないように、お嬢様方が手に握っている西洋歌留多の札をじっと見つめていた。普通の歌留多と違って、数字とわけの分からない記号が赤と黒で描かれており、気難しげな顔をした西洋人の絵もちらほら混じっていた。お嬢様方は、手に持った札の中から、同じ図柄のものを二枚ひと組にして、畳の上に捨てていった。そして、お互いに札を交換し合って、同じ数の札が揃うたびに捨てていった。どうやら、一番、最初に札を全部、捨てた人が勝ちらしい…。


 お嬢様方は、その遊びを何度も繰り返したので、やり方はよく分かった。しかし、お嬢様方は、けして僕を仲間に入れようとはしてくださらなかった。このままずっと、皆様のくすくす笑いを聞きながら俯いているのも切ないので、僕は思い切って、やり方はもう分かったと、自分から申し出た。


「あの、お嬢様…。僕、るるるはもう分かりました」


 と、お嬢様方が、キャーッというような甲高い笑い声をあげた。花園にそよ風が吹いたように、頭の上の洋布が一斉に舞った。


「るるるは、もう分かったですって?」


 小夜お嬢様は、つんと顎を持ちあげて、長いまつげ越しに僕を見下ろした。


「へえ…」と答えてから、「はい…」と僕は慌てて言い直した。お嬢様方は、また、甲高い声で笑った。


「そう…、るるるはもう分かったのね。じゃあ、そこでずっと見てらっしゃい、茂吉さん」


 るるるは分かったのに、なぜ入れてくださらないんだろう…? 僕が瞬きを繰り返していると、小夜お嬢様は、天女様のように優しくほほ笑んでから言った。


「あのね、茂吉さん。この遊び、何て言うか知ってる?」


 僕は首を振った。るるるは分かったけど、名前は知らない。だって、教えてもらっていないから。お嬢様は、砂糖菓子のように甘く優しい笑みを浮かべてから、言った。


「馬鹿抜きって言うのよ、この遊び。だから、あなたはそこで、ずっと坐って見ていらっしゃい。だって、これは、馬鹿は抜きで楽しむ遊びだから」


 だから、おらは入れない…?! お嬢様の目に勝ち誇ったような光が輝いた。そして、ご学友方は手を口にあてて笑い崩れた。嵐が吹いたように、頭の上の洋布も激しく揺れた。





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