第11章 おらの…僕の責任
大変なことになってしまった。その翌日、広田さんは今しばらく研究に専念したいという理由で、正式にお嬢様との縁談を断ってきた。しかし、僕は知っていた。この話をぶち壊したのは、僕だということを。
なんと言うことだろう。先生は、血を分けた親族にだってなかなかできないような親切を僕に施してくださった。なのに、その僕が、先生のご希望とお嬢様の将来を打ち砕くような真似をしてしまったとは…。
こうなったら、ここにはもういられない。地主様にも、村の皆にも申し訳ないが、こんなことをした上に、何食わぬ顔でこの家に居候をするなど、真人間のするべきことではない。僕は直ちに、先生に真実を打ち明け、ここから立ち退くべきだろう…。
「ふわあーあっ…。あ…? 茂吉君、いつからそこに?」
小一時間ほど前から、応接間の肘掛椅子で考え事をなさっていた先生の真ん前に突っ立っていたのだが…あくびをなさった拍子に、口から算盤が落ちて、それでやっと僕の存在にお気づきになったらしい…。
僕は意を決して、言うべきことを言った。
「先生。広田さんが、お嬢様との縁談をお断りになったのは、本当は僕が原因です。僕が余計なことをしたから…」
唇を噛んで黙り込む僕をしばらくみつめてから、先生はぽつりとおっしゃった。
「君がどんな余計なことをしたにせよ、どうせ小夜が無理矢理、君にやらせたのだろう」
僕は首を振った。
「いいえ、僕が自分の意志でやりました」
「と、君が思うように、小夜が仕向けたのであろう」
先生は、また静かにおっしゃった。僕はキッと顔をあげると、激しく首を振った。
「いいえ! 僕が悪いんです…! 嗚呼、僕はなんという恩知らずでしょう。僕は、先生の玩具になる覚悟で、この家に置いていただいていたのに!!」
僕は天を振り仰いで、絶望の声をあげた。
「君は、私の…ギャングになる覚悟だって?」
訝しげに目を細めた先生に、僕は頷いた。
「せっかくだが、そんな物騒なものに私は興味がないよ。そういうのは小夜の専門だろう」
「僕は、お嬢様の玩具…?!」
「…のほうがよかろう」
頷く先生に、僕は驚きのあまり、なんと答えることもできなかった。僕は先生の玩具になるつもりだったのに…しかし、先生はお嬢様の玩具になれと…でも、どちらにしても、僕はこの家にとって、危険なおもちゃだった。僕はお嬢様の未来をめちゃくちゃにしてしまったのだから。やはり、僕は…
「先生、僕を追い出してください。いや、ここは僕が自ら…」
先生は、小鳥のように愛らしく首を傾げた。
「追い出す? 何を言っているのだね、君?」
「ですから、僕は、先生とお嬢様に対して、取り返しのつかないことを…」
「君はまだ広田君の件を言っているのかね?」
僕は頷いた。
「さっきも言ったがね、この家で起きるよからぬことは皆、小夜の仕業に決まっている。なに、小夜自身も広田君が帰ったすぐ後に、私のところに来て、この件に関しては君は何も悪くないのだと白状したよ。何でも、小夜が君を脅して、広田君に何かいたずらを仕掛けさせたとか…。あやつのことだ、自分の言うことを聞かなければ、お前のはらわた、ケツから引っこぬいて塩辛にして食ってやらあ、くらいの脅し文句を吐いたのだろう?」
先生は、のほほんと口髭を引っ張りながら、おっしゃった。
「い、いえ、さすがにそこまでは…」
僕が来る前は、お嬢様は一体どんないたずらをなさっていたのだろうという疑念がちらりと浮かんだが…
「そうかい…しかし、とにかくだね。あやつが君に何をさせたかは知らんし、恐ろしくて聞く気もせんがね、何をしたにせよ、君を追い出したりはせんよ。いてくれないと、困る。広田君のことは残念だったが、小夜は君が来てから、毎日、随分、楽しそうだからね。私のような老人と二人きりでは小夜も寂しかろうから、さっさと嫁に出したほうがいいと思っていたのだが、しばらくは縁談などあてがわずに、放っておいてもよかろう。ま、いたずらはなるべく、よそでやってもらうに越したことはないが…」
と、そこで、先生が同志に向けるような目を僕に向けたので、
「ですよね…」
僕も思わず頷いていた。そして、先生のお顔に浮かんだ笑みが、鏡を見ているように僕の顔にも映し出されたのが分かった。
応接間から戻ると、僕の部屋の文机の上に、花が活けられていた。
「お絹さんかな…?」
後で何かお礼をしなくっちゃ…夏の明るい光を凝縮したような赤い百合の花の香りをよくかごうと、僕はにっこり机の前に座った。
「うわああああああっ!」
が、僕は悲鳴とともに座布団の上にひっくりかえった。花が活けてあると思ったのは間違いで、実際には毛虫が飾られていただけだった。もちろん、お絹さんではなく、お嬢様によって。花の匂いを嗅ごうと思って、顔を近づけたら、極彩色の毛虫に鼻の穴をくすぐられたから、たまげてしまった。そりゃあ毛虫なんか、田舎にはもっといる。でも、こんないたずらをする人は、僕の村にはいない…。
ざっと見ただけでも、六匹は毛虫が乗っている百合の茎を花瓶から引き抜くと、持ち主の元に戻すため、僕は立ちあがった。
「お嬢様っ!」
勢いよく襖を開けると、すぐ目の前にお嬢様が立っていて、危うく正面衝突するところだった。
「まあ、危ない! 乱暴だこと」
お嬢様は、僕が家の中で盛大にみこしを担いでいたでも言うように、非難がましく目を細めた。
「ご自分こそ、そんなところに突っ立って、危ないじゃないですか!」
大方、僕が座布団にひっくり返るところを見物していたのだろう。
「この毛虫、お返ししますよっ」
「まあ、あんたには美しい花が見えないの?」
お嬢様は呆れたふりをしながら、僕がつき出した百合を受け取った。用は果たしたから、踵を返して後ろ手に襖を閉めようとしたところで、僕は思い出した。
「…あの」
「何?」
振り返ると、お嬢様はやはり、花ではなく、毛虫を眺めていた
。
「…ありがとうございました。広田さんの件では、僕を庇ってくださって…」
「なんのこと?!」
お嬢様は、感嘆の念を禁じ得ない程、著しく左右不対象に顔をお歪めになった。
「だから、その…広田さんへのいたずらの件で、僕が追い出されないように庇ってくださって…」
僕がもじもじ俯くと、お嬢様は、はん、と勢いよく鼻を鳴らした。
「まだまだいじめ足りないから追い出さないようにって頼んだだけよ」
そして、悪気たっぷりの笑顔を浮かべると、僕の眉間の一寸上のところで、人差し指をくりくり回した。
「うわああああ…っ!」
「これくらいで、腰が砕けて、あんた、どうやってお医者になんかなる気?」
「こんなことに耐えられなくても、医者にはなれますっ!」
「どうかしらねぇ?」
「なれます! 絶対になれます。なってみせます!」
僕は、お嬢様の高笑いに負けないよう、叫び返した。だって、僕の人生には大きな目標があるんだから、それが叶うまでは負けられない。いつか、お嬢様がいたずらはよそでするようになる日まで…じゃなくて、立派な医者になって故郷に帰る日までは、僕は負けない! 絶対に、負けない。
と、くりくりされないよう床に突っ伏しながら、僕は硬く心に誓った。(了)
最後まで、お付き合いいただき、ありがとうございます!




