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第7話 魔女の住処

 

 ガラスが割れる激しい音が鳴り響き、肩をすくめてそれをやり過ごしたシルヴィアの体が急浮上する。


「き、きゃあっ!」


 彼女とネリーの軽い体は、ダイアナの操る魔法の力で突如現れた大きな鳥の背にいつの間にか移動しており、室内から宿の外へと勢いよく飛び出していた。


「あ、あれを見よ! 鳥が鳥があのように」


 彼女達の乗る鳥の姿を認めた騎士達の、騒ぐ気配が聞こえてくる。彼らは宿の前でなにやら不穏な様子で集まっており、ヨハンが言っていたように、今にもシルヴィアの寝室へと突撃しようと、手ぐすねを引いているかのようだった。

 風に舞い上がるシルヴィアのドレスに気がついて、慌てふためく一団が見える。

「おい、あれは姫ではないか。あれは姫のお召し物だぞ」

「おお、まさに。あれは姫と侍女殿に違いない。何故シルヴィア姫があんなところへおられるのだ?」

 騒然とする宿の上空を、異様なほどに大きな鳥は見せつけるかのように旋回し、そこから身を乗り出したダイアナが騎士達に向かって大声で一喝した。

「ようく、聞くがいい、帝国の騎士達よ! あたしが誰と一緒だと思うかい? そうさ、これはあんたらのお運びしてきた大切な姫さんだ、間違いない!」

「こ、この声は……」

 ダイアナの叫びを聞いた騎士達は、一瞬にして水を打ったように静かになる。武芸に秀でた猛者の騎兵達ですら、子供の頃から聞かされてきた恐怖の抽象であり畏怖の対象でもある魔女ダイアナは、怖い存在であるらしい。

 ダイアナはその様子に満足そうに微笑んで口を開く。

「いいかい、国に帰ってあんたらの皇帝に泣きつくんだね。あんたの息子の婚約者はあたしが預かった。返してほしくば今すぐこの馬鹿げた縁談を取り下げて破棄するんだ。無駄な抵抗はよした方がいいよ。あたしの力はようく分かってるだろう?」

 ダイアナは甲高い笑い声を上げ、鳥を更に上昇させた。シルヴィアとネリーは悲鳴さえ出す余裕もなく、勢いよく羽ばたく鳥に、振り落とされないよう必死でしがみつくことしかできない。

「いいかい、今すぐ皇帝に伝えるんだ。分かったらぼやぼやしてないで、とっととお帰り!」

 高笑いを上げるダイアナを乗せた鳥は、彼女の意思と同調するがごとく翼を広げ、宿の上からあっという間に離れていく。

「き、き、き、き、き、き、きゃあぁぁぁーー」

「ひ、ひ、ひ、ひ、ひ、ひ、ひゃあぁぁぁーー」

 シルヴィアとネリーはガチガチと歯軋りを立てながら、決して楽しくはない空の散歩を、このあと、イヤと言うほど味わう羽目となったのだった。




   ***




「なんだい、なんだい、姫さん。あんた口ばかり達者なだけで、普通のお姫さんとなんら変わらないんだねえ。ちょっとのことで大騒ぎして子供みたいにはしゃぐから参っちまったよ」

 ようやくの思いで鳥から降りることができたシルヴィアは、ぜえぜえと荒い息を吐き出しながら腰が抜けたように地面の上にしゃがみ込み、先に陸上へと降り立っていた魔女に半笑いの馬鹿にした顔で迎えられた。

「わ、わたくし……、こ、こんな乱暴な旅行は初めてなのよ……、仕方ないでしょう」

 両手をついてぐったりと座り込むシルヴィアを、ダイアナは少しも崩れない涼しい顔で、ニヤニヤと眺めるのをやめない。自分が出した魔法とは言え、大空をかなり速いスピードで飛んできたのに、なんの疲れも見せないダイアナはやはり不気味な存在に違いなかった。

「ひ、姫様、す、すみません……」

 シルヴィアの後から降りてきたネリーは真っ青な顔で駆けだして、転げるように近くの草村へ身を潜める。

 しばらくするとネリーのふわふわの頭が見える辺りから、「うえぇぇ」と言う派手な呻き声が聞こえてきて、シルヴィアの気分を更に最悪なものへと滅入らせるのだった。

「あらあら、あの娘はあまり声を出さないから見上げたもんだと思っていたけど、単に気持ちが悪くなっていただけかい」

 ダイアナが小馬鹿にしたように笑い、ネリーが幾分痩せたようにも感じる顔をこちらへ向ける。

「も、申し訳ござい……」

 彼女は弱々しく謝罪を口にしたかと思うと、再び「うげえぇぇ」と苦しげな声を響かせて、更なる笑いをダイアナから引き出すのだった。

 

「ここはどこかしら?」

 シルヴィアは首をぐるりと見回して、辺りの様子を窺った。

 魔女の後ろには深い森が見え、対する自分達の後ろには大きな湖がある。森は湖を取り囲むように広がっていて、周囲を覆うように伸びた木々の緑が、この湖のある空間だけぽっかりとあいており、空の様子を見せていた。

 勿論、初めて訪れる場所だ。知らないところへ来てしまったという実感に、心ならずも襲われる。

「ーーふふ、あたしの住処だよ」

 ダイアナはニヤリと笑い、シルヴィアの恐れを敏感に察したことを知らせてきた。

「おい、ババア、いい加減に俺を解放しやがれ!」

 その時、静寂を破ってどこかで聞いたような声が響いてくる。しかし、その声は思いの外小さいもので、シルヴィアはキョロキョロと声の主を探して首を振った。

「あ、ああ、ジャーミン。ごめんねえ、すっかり忘れていたよ」

 ダイアナが苦笑を浮かべ、胸元から小さな人形を取り出す。

 人形はジタバタとまるで生きてるように動き回り、あろうことか不満を口にしていた。

「忘れていたよ、じゃない! こっちはあんたのでっかい胸に潰されそうで、本気で死ぬかと思った。いい加減に元の大きさに戻しやがれ」

「分かったよ、相変わらず酷い口のきき方だね」

 ダイアナは拗ねたように唇を尖らせ、人形に何事かを呟く。空気が歪むような妙な違和感を感じたあと、シルヴィアの目の前にあの小生意気な少年が姿を現せた。

「あ〜、苦しかった……」

 少年は深く息を吐き出し、「ヨハンは?」と更なる追及を魔女に向ける。

「ヨハンかい?」

 黒衣の魔女は面倒くさそうに大鳥を振り返り、えいやと手を振ると、見事な鳥は気弱げな青年へと変わっていった。

「あ、あなたが鳥だったの?」

 驚愕して青年を指差し震えるシルヴィアを、当のヨハンは「乱暴な飛行で申し訳ございません」と謝罪で交わす。

「仕方ないだろ。いかにあたしだとて、無からなにかを生み出すのは難しいんだよ」

 と、ダイアナがふてくされたように続ければ、少年は怒り狂って吠えたてた。

「何度もヨハンに無理させておいて、なに偉そうに言ってんだ。だから次は俺が飛ぶって言ってたのに」

「そんな危険なこと、あんたになんかさせられないよ。あんたは空から落ちたりしないように、大事にあたしの服の中に入れておいたぐらいなんだから」


(な、なんですって?)


 シルヴィアは呆気に取られて、目の前でイチャイチャと子供に纏わりつく年齢不詳の老婆、もとい魔女を睨みつけた。

 今、この魔女の口から、とても聞き逃せないような一言を聞いた気がする。

「ーーと、言うことはどういうことかしら?」

 彼女はブルブルと震えて仕方のない肩を押さえつつ、騒がしい一団に迫っていった。

 ダイアナがあからさまに敵対心を剥き出しにして、視線を向けてくる。

「ねえ、ダイアナ。あなたはわたくし達を安全に運ぶこともできたのに、わたくしとネリーにはそれを怠ったということなのね?」

 二目と見れぬ凄まじい形相のシルヴィアだったが、魔女は顔色を変えることもなく平然と答えを返してきた。

「ああ、そのこと?」

 平然とどころか、すこぶるいやらしい顔つきでダイアナは笑った。

「そりゃ、あんたらにはできる訳ないよ。だって、あの騎士連中に、姫さんを攫ったことを見せつけなきゃならなかったんだからね」

「ま、ま、ま」

「無事に運んでやったんだから構いやしないだろ。それともあんた、今すぐ送り返してほしいのかい?」

「な、なんですってえっ!」

 それは現在のシルヴィアから全ての反論を奪う、文字通りとどめの一言だった。




   ***




「悔しい〜!」

 魔女にあてがわれた狭い部屋の粗末なベッドの上で、シルヴィアはカビ臭いシーツに突っ伏して叫んだ。


 空を旅してきたシルヴィアとダイアナ達は、森の中にある魔女の小さな家に腰を落ち着けていた。

 ここへ来るまでには、勿論紆余曲折があった。

 日暮れが近いと言うのでいそいそと家に戻り始めた魔女達を、シルヴィアは割り切れない思いで見送っていたが、遅れてやって来たネリーに促され、結局彼らのあとを追う羽目となってしまったのだ。

 自分達の後ろから渋々付いて来るシルヴィアを見つけて、ダイアナは再びゲラゲラと笑った。


「あの女、完璧にわたくしを馬鹿にしていたわ。その上、わたくし達を危険な目に合わせたのよ。許せないわ」

 シルヴィアの愚痴に穏やかな声が応じる。

「でも、姫様、仕方ありませんわ。わたし達あの帝国の騎士様の元へは、今は戻ることができませんもの。仕方ないですけれど、ここに置いてもらうより他に手立てはないと思います」

 いやに冷静なネリーが、シルヴィアの隣のベッドによいしょと潜り込む。

 いつにはなく堂々と言い切る侍女に驚いて、シルヴィアは不満を一旦引っ込め彼女を恨めしく見返した。

「それに姫様、先ほどの夕餉はたいそう美味しゅうございました。わたし、あのダイアナさんがわたし達を酷い目に合わすとも思えませんの」

 確かにダイアナは、なかなか美味な夕食をシルヴィア達に振る舞ってくれた。夕食の席にはジャーミンと言う少年と、気弱な青年ヨハンも同席しており、彼らと一緒の食事は美味しくも楽しいものであったのだ。

 だが、それがどうしたと言うのだ?

 シルヴィアはダイアナに美しい顔を奪われ、婚約も台無しにされて、言わば人生をめちゃくちゃにされてしまったのである。

 絶体絶命のピンチを救われたぐらいで、ちょっと美味しい食事をご馳走になったぐらいで、チャラにできる訳がないだろう。そう、本を正せばダイアナこそが諸悪の根元なのだから。

「そうは言うけど、ネリー。あの魔女が一番悪いんでしょ。あの女さえわたくしをこんな顔にしなかったら、今の状況はなかったわ。あちらが責任を取るのは当たり前だとわたくしは思うけど」

「それはそうですけど……。ですが姫様、ダイアナさんおっしゃっていたじゃないですか。帝国より正式に破談が発表されたら、姫様のお顔も元の通りに戻るって」

「お前、正気で言ってるの? 婚約破棄なんておおっぴらに発表されたら、わたくしの評判はがた落ちよ。も、もう二度と縁談なんて来ないかもしれないじゃないのっ!」

「まさかぁ〜」

 ネリーはにへらと締まりのない笑顔を浮かべて、嘆くシルヴィアをのん気に見つめていた。

「姫様は絶世の美姫、ネブレシアの宝珠ですよ〜。姫様に求婚しない男性なんておりませんわよ〜」

「そ、それはそうかもしれないけど……」

「そうですよ、そう……、ですよ」

「だ、だけどね、ネリー」

 体を起こして隣のベッドに向き合ったシルヴィアは、すやすやと気持ちよさげに寝息を立てるネリーに気がついて脱力した。小さなため息を一つつき、シルヴィアは眠るネリーに話しかける。

「だけどね、ネリー。あの魔女ときたら……、夜は出歩くなと言ってわたくし達をこの狭い部屋へ押し込めたのよ。これは監禁にならないの?」

 返ってくる返事はない。

 シルヴィアはベッドを降りて、部屋に一つだけある窓へと近づいて行った。


 魔女の家は静まり返っていた。夕餉の席での喧騒が嘘のように。シルヴィア達だけではなく、あの少年達も既に寝室に籠もってしまったのだろうか。

 何気なく窓枠を動かしてみれば、それは呆気なく音を立てて開いていった。部屋の出入り口は鍵をかけられたらしく開きそうもなかったが、窓の方まではダイアナも気が回らなかったのだろうか。

 外から風が入ってきて、シルヴィアの火照った体を冷ましてくれる。

 汗とほこりに汚れた体が、一瞬、綺麗になったような気がした。

「そう言えば、湖があったわね」

 この森に到着した時、目にした湖が思い出された。

 シルヴィアは意を決して、窓から外へと足を滑らせることにした。


 暗い森の中を湖目指して歩いて行く。

 今は化け物染みた顔をしているが、本来一国の姫である自分が随分度胸があるとおかしくなってしまう。

 だが、夕餉を済ませたあとぐらいから彼女の顔は妙に熱を持ち出し、今やその熱は全身にまで広がっていた。ネリーには余計な心配を与えるからと黙っていたが、シルヴィアが苛ついていたのは急激な体調変化にも理由があったのだ。

 今の彼女には、一刻も早くこの熱を取り去りたいという思いしかなかった。


 シルヴィアは夢中で、月明かりに照らされた湖に近づく。

 淡く揺れる水面みなものほとりで、焦ったようにドレスを脱いでいった。彼女は貧しい小国の姫君。ドレスの着脱など、一人でもお手の物だった。

 こんな森の中に、しかもこんな時間にやってくる物好きなどいる訳ない。ドレスを駄目にしてしまうくらいなら、裸で水浴びをすればいいのだ。

 物音一つしない中、サラサラと衣擦れの音を立てながら、シルヴィアは衣服を脱ぎ捨てていく。

 そして、一糸纏わぬ姿になった彼女は、その白い足を水の中にそろりと浸していった。

「気持ちいい……」

 冷たい水が体の表面を柔らかく撫でていく。一歩一歩足を進めるごとに、熱い火照りが静められていくようだった。そのあまりの気持ちのよさにシルヴィアは我を忘れて、大胆に体を開いていく。

 自分を縛る全ての枷から解き放たれ、まるで魚のように自由に水中を舞っていた。

「ふふ……」

 いつしか口からは自然に笑みや歌がこぼれ出していて、いつもとは違う童女のような彼女が顔を覗かせていく。


「誰だ!」


 その時、突然低い声が聞こえてきて、シルヴィアの動きを封じてしまった。

 彼女は恐怖のあまり震える体を抱きかかえ、恐々声のした方を振り返る。


 この湖に自分以外の先客がいたなど、全く気づかなかった。今の低い声はどう考えても人間のもので、それも若い男のものだった。

 どくどくと激しいリズムを刻む心音を聞きながら、シルヴィアは自分と向かい合う人影に全神経を集中させていく。


 少し離れた場所に黒い小さな影が浮かんでいた。その影は大きな水音を立てながら上体を伸ばしていき、水上に自らの逞しい肉体を現した。

 雲に隠れていた月が姿を見せる。

 と、同時に黒い影も、その全貌をシルヴィアの前へ晒していった。

 シルヴィアは呼吸も忘れて、その男に見入ってしまう。

 肩までの黒髪をしっとりと濡らした美しい青年が、彼女を驚愕の表情で見つめていたのである。




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