第6話 魔女と少年
「お前は誰?」
シルヴィアは背筋を凛とただし、女を威嚇するように低い声を出した。
思い切った姫の行動に驚いたネリーが、「姫さまぁ」と情けないほど震え上がり悲鳴を漏らす。
女は対照的な二人の態度を興味深げに見比べ、闇色の瞳を輝かせるとケラケラと陽気な声で笑った。
「おお、怖い、怖い。睨まないでおくれよ、姫様」
豊満な胸元を押し上げるように腕を組んだ妖しい女は、シルヴィアをからかうように視線を流し身をくねらせる。熟れた桃のような丸みを帯びた肢体に、ぴったりと張り付く瞳と同じ色のドレスは、女の妖艶な魅力を一層引き立てていた。
シルヴィアは、自分の顔がしわだらけの老女だったことを思い出す。
対して目の前にいる、女人を体現したかのような相手は、流れる水のごとく背中に落ちていく豊かな黒髪と、禍々しいほどに整った面差しを晒していた。
年はいくつだろうか、今ひとつはっきりしない。顔立ちは若いが、その表情からは、年齢を重ねた人間特有の油断ならない狡猾な印象を受けた。
シルヴィアは醜い我が身を恥入りながらも、顔を伏せることなく女を睨みつけた。
「お前は誰? 名乗りなさい」
随分派手にこの女は進入して来た。外にいた帝国の騎士達も大騒ぎをしてたではないか。直に彼らがやって来るだろう。
皇子の婚約者に仇なす輩には、容赦などしないはず。どの道この女に逃げ場はないのだ。
「覚悟なさい。簡単には逃げられないわよ」
シルヴィアのキレのいい啖呵に、女は弾けたような高笑いを返した。
「……凄いね、姫様。このわたしを全く恐れないとは」
甲高い笑い声をようよう収めた女は、眦に浮かぶ涙を拭いながら、意地悪く口角を持ち上げる。
「だけど外の連中なら当てには出来ないよ。あいつらは一人として、わたしに手出しは出来ないからね」
「何ですって?」
どこかで聞いたようなフレーズだ。
嫌な予感がしてシルヴィアは声を張り上げる。
「どういうこと? 何者なの!」
女はふっと眉尻を下げ、ため息混じりの苦笑を見せると、ぐっと低いしわがれ声を出して囁いた。
「ーー『あたし』だよ、姫さん。魔女のダイアナさ」
「えっ?」
姫とネリーは共に目を見開き女を凝視したのち、驚愕の表情を浮かべたまま大声を出した。
「えええぇぇぇぇ!!」
二人の叫び声は宿の中は言うに及ばず、外にいる騎士達の耳にも届いていた筈だが、ダイアナの口にした通り騎士達を始め誰一人として、彼女らを救いに現れる者はいなかったのである。
姫はぐったりと体を弛緩させ、固い椅子の上に倒れ込んだ。
彼女の側には、部屋の中央で悠然と微笑む魔女に、チラチラと忙しない視線を送るネリーが付き従っている。
「姫様」
ネリーは首を傾げながら、それでもダイアナから目を逸らさず問いかけた。
「魔女はお婆さんじゃなかったんですか?」
素っ頓狂な質問に当のダイアナも気づいたらしく、ネリーに悪戯っぽい視線を向けてニヤリとした。
「ああ、この顔? あたしが以前と違うから、あんた達分からなかったんだね」
「何なのよ、その顔。どちらが本当のお前なのかしら?」
シルヴィアは気の抜けた声を出す。妖しい女が自分の顔を変えた老婆と分かり、得体の知れない恐怖は消え去ったが、その代わり激しい脱力感に襲われていた。
「どちらも『あたし』さ。今はあんたに顔の一つを貸してるだろう。だから紛らわしいと思ったんだよ。同じ顔した人間が二人とね」
優雅とも言える笑みを浮かべたまま、魔女はうそぶく。
だがその一言で、シルヴィアは我に返ることが出来た。魔法を解いてもらうために、老婆に会わなければと考えていたことを思い出せたのだ。
「そうだわ、ダイアナ! 今すぐわたくしの顔を元に戻しなさい」
椅子から立ち上がったシルヴィアが、胸を反らして大仰に命令を下すと、ダイアナはフンと鼻を鳴らして「嫌だね」とあっさり切り返した。
「何ですって?」
「じゃあ聞くけど、あんたとうとう、婚約を断る覚悟が出来たとでも言うのかい?」
ダイアナがズイッと身を乗り出して聞いてくる。途端にシルヴィアは答えに窮して彼女から視線を避けた。
「そ、それは……」
煮え切らないシルヴィアの態度に、魔女はしらけたように大きく息を吐いた。
「やれやれ、やっぱり。こちらの頼みなどハナから聞く気はなかったんだよ。それでなんとかしてもらおうってんだから、お姫様と言うのはとんでもない我がままな生き物だ。世の中が自分を中心に回ってると思ってる。いいかい姫さん、どうしてあたしが何の得にもならないのに、あんたの願いを叶えてやらなきゃいけないのさ」
「まっ、何たる言い種なの。元はと言えばお前が妙な魔法をかけたからでしょう!」
魔女の不遜な言い分にシルヴィアはギリギリと歯噛みした。不気味な痘痕のついた唇がびらんとめくり上がり、醜悪な顔が一際醜く崩れていく。
目にするのもおぞましい顔つきで魔女といがみ合う姫に、ネリーはブルブルと震えながら近づいた。
ネブレシアの宝珠として人々から賞賛を受けていたシルヴィアは、どこへ消えてしまったのだろうか。あまりにも無情だった。
「あ、あの……姫様……」
事の成り行きを黙って見守るしかなかった侍女の震え声に、シルヴィアは苛立ち噛みつく。
「お前は黙ってなさい!」
「はいっ。申し訳ございません」
涙目になって反射的に頭を下げたネリーを見て、ダイアナはブフッと派手に噴き出した。
「あらあら、可哀想に。仲間割れかい?」
「うるさいわね」
「あたしはね、姫さん。あんたがぼちぼち困りに困って、半べそかきながらあたしの名前を呼んでる頃だと思ったからこそ、わざわざ出向いて来てあげたんだ。それがそんな調子でいるんだったらお話にならないよ」
魔女は艶のある黒髪をなびかせ姫に背を向けた。
「そこでしばらく反省をするかい? 交渉は決裂だ」
「ま、待って!」
今にも立ち去ろうとする背中へ、シルヴィアは必死に追いすがった。
魔女をこのまま帰してしまったら万事休すだ。他には何の策もない。数日後には皇子の元へ、出発しなければならないのにだ。悔しいが今や頼みの綱は、この魔女一人だけなのである。
「ちょ、ちょっと待ってよ。何も絶対聞かないと言ってる訳ではないでしょう」
ダイアナが振り向き、美しい眉を上げてシルヴィアをじろじろと覗き込んできた。思わず姫の足はビクついて後ずさる。恐怖は消えたと思っていたが、魔女の闇色の瞳はやはり薄気味悪いものだった。
「あらまあ、姫さん。酷い顔だこと」
「……お前が言うの?」
シルヴィアの顔が微かに朱に染まる。その様子を見て取ったダイアナがニヤリと笑った。
「反省したのかい? それで今すぐ断る気になったのかね」
「だ、だから……今すぐは無理よ。わたくしにも準備が……」
「なんだい、それは。あたしを騙したのかい?」
「騙した訳ではないわ! 断るには準備がいると言ってるの」
「お、お二方……」
シルヴィアとダイアナの声に加わり、ネリーのオロオロとした呟きも混じってくる。
お互いの意見がいつまでも平行線で、揉めて一向に収まりそうにない口論を突き破って、辺りを憚らない甲高い声がその時部屋の中に響いた。
「おい、ババア!」
驚いたシルヴィア達が声の方に目を向けた。
部屋の扉がいきなり開いて、勝ち気な表情をした少年が駆け込んで来る。
「いい加減にしろよ。どれだけ人を待たすんだ」
少年は険のある尖った目を、ダイアナの方へ向けて怒鳴った。少年の後ろからは、彼より少し年上だろう華奢な青年が、弱り切ったように渋い顔をして立っていた。
「ジ、ジャーミン」
ダイアナは驚いて少年の元へ駆けつける。
「出て来ちゃ駄目じゃないか。ヨハンも何してんだい」
その剣幕に年上の青年が「すいません」と慌てて首を竦めた。少年は呆れたようにため息をつき、ダイアナとヨハンの間に割って入った。
「ヨハンは悪くない。ババアが悪いんだろ。俺達をこんな所へ連れてきて、しかも狭い宿の物入れに押し込めたんだからな。あんな所でいつまでも、男二人がおとなしく待ってられっか。考えたら分かるだろ」
「何だよその言い方。いつもにまして容赦ないねえ。あんたを一人になんか出来ないんだから仕方ないだろ」
ダイアナは頬を膨らませて、拗ねたように少年にしなだれかかる。しかし危険を察知した相手にスルリと逃げられ、後ろにいた気弱な青年へと思い切り倒れ込んでしまった。青い顔で震える青年を、ダイアナは「邪魔だよ」と腹立ち紛れに投げ飛ばす。
「んもう、ジャーミンてば。本当につれないんだから……」
「気色悪いことを言うなよ、ババアが」
「ババア、ババアって、酷いじゃない」
「だってババアだろ」
「ジャーミン……」
子供のような少年に、甘い声で纏わりついては追い払われるダイアナを、シルヴィアは呆気に取られて眺めていた。
何故こんな展開になるのか分からない。
いったい、急に湧いたように現れたこの子供は何なのか。
背の高さはダイアナの胸の辺り。明るい金髪の下には、意志の強そうな茶色い瞳が輝いている。利発そうな顔立ちときびきびとした活発な動き。後ろにいる軟弱そうな青年よりも、ずっと度胸がありそうだ。
さしずめ、やんちゃな弟と、それに振り回される兄といったところか。
魔女とどういった関係だろう。想像すら出来やしない。
「おい、婆さん」
ぼんやりしていたシルヴィアの前に、いつの間にか少年が来ていた。
「ば、婆さんっ?!」
唖然としたシルヴィアの叫び声に、少年はうるさそうに耳を塞いで応酬した。
「婆さんだろ、どう見ても。あんたババアの友達か何かか?」
「とっ、友達?ーー」
「ジャーミン、離れなさい!」
少年に食ってかかりそうになったシルヴィアを、引き止めるようにダイアナが大声を出す。
「知らないお婆さんに話しかけたら駄目でしょう」
「な、おばあ……ですって……」
ダイアナは少年を匿うように、姫から強引に引き離した。魔女の暴言にカチンときたシルヴィアが全てをぶちまけようといきり立ったとき、外の気配を密かに窺っていた青年が緊張した声を上げてきた。
「大変です。どうやら騎兵達が強硬突破を試みるつもりになったようです」
「何だって?」
「……どうやら我々のことに気づいたようで……」
「何だと、この馬鹿者ヨハン! あれほど静かに隠れておいでと言ったのに」
魔女は歯噛みしながら悪態をつくが、青年はしゅんとうなだれるばかりだ。
「こうなったらヨハン、お前責任を取って投降しろ。どうせ奴らはお前を見つけただけなんだろ」
ダイアナの無情な宣告に、ヨハンではなく彼女の下から抗議が上がった。
「それは駄目だ。ヨハンが行くなら俺も行くから」
「ジャーミン、あんたは駄目だよ……」
「駄目じゃない。ヨハン一人で奴らの前にやれると思うか?」
「あんたの気持ちは分かるけどね。今は聞き分けのないことは言わないでおくれ……」
「俺を子供扱いするんじゃない!」
「だって、子供じゃないか……」
シルヴィアの目の前で、ダイアナと少年が揉め始めていた。
「ーーお取り込みのところ申し訳ございませんが、このままではいずれ日暮れになってしまいます。帝国の騎士達もその前に片を付けにくるでしょう。それこそ後先考えず突入してくるかもしれません」
窓から隙のない視線を飛ばしていた青年が、言い争いをする二人に時間の猶予がないことを告げている。
「ちょ、ちょっと、外の集団が突入ってどういう……」
物騒なことを話し始めたダイアナ達に、逸る気持ちを抑えシルヴィアは詰め寄った。
皇子の婚約者である姫の寝室に、有無を言わせず騎士達が入って来ると言うのだろうか。果たして、そんなことがあっていいのだろうか。
だが、俄には信じられないことではあるが、ダイアナ達の様子を見るに冗談でもなんでもないらしい。彼らは真面目に議論しているのだ。
(冗談じゃないわ!)
そんなことになったら数日後どころか、すぐにもシルヴィアの素顔が露見してしまうではないか。
「何とかしてよ!」
焦ったように取り乱すシルヴィアとそれに寄り添う侍女を、ダイアナは呆れたように一瞥して首を振った。
「日暮れか……」
赤い薔薇の花びらのような魅惑的な唇に指を当て、魔女は青年と少年、それからシルヴィア達へと視線を動かしていく。
やがて彼女は、覚悟を決めたように目を閉じると声を張り上げた。
「しょうがないね、一旦みんなで退避するか」
すぐに少年が問いかける。
「ヨハンも連れて帰るんだな?」
「ああ、ヨハンもね」
安堵の息を漏らす少年と青年の横で、シルヴィアと肩を寄せ合うよう立ち竦むネリーが、悲痛な声を出した。
「あの……、わたし達はどうなるのでしょう」
「ああ、あんた達?」
ジロリと動いた瞳が、取り乱したままブツブツと譫言を吐き続けるシルヴィアを捉える。
そうだねぇーーと意地悪く呟きながら闇色の瞳をニイッと細めて、妖しくダイアナは笑った。
「仕方ないね。あんた達も連れて行ってあげるよ」




