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第5話 突然の来襲

 

「きゃああぁぁぁっ!」

 

 馬車の中から、うら若い娘の切羽詰まったような悲鳴が聞こえてくる。

 

「どうされた、侍女殿?」

 

 姫達が降りてくるのを馬車の側で身を屈めて待っていた騎士は、中の様子を探ろうと慌てて顔を上げた。

 その騎士の目前に、地味な紺色のドレスが立ちはだかる。青い顔色をした侍女のネリーだった。

「じ、侍女殿、どうされた? 姫様は?」

 侍女の奥を覗き込もうと、右に左に首を振る騎士の視界を、まるで邪魔でもするかのように彼女は震えながら動いた。

「ああ……、騎士様。大変なことが……」

 ネリーは顔を覆って騎士に助けを求めている。

「いかがした? シルヴィア姫はご無事なのか」

 侍女の様子はただごとではない。騎士の胸に不吉な予感が広がった。皇子の婚約者に大事など、絶対あってはならぬこと。事と次第によっては、彼の責任が問われてしまう。

 騎士は苛立つように、顔を隠すネリーに詰め寄った。

「ネリー殿! いったい何があった?」

 

 

 

  ***

 

 

 

「ーーという訳なのですわ」

 

 ネリーは震えていたのが嘘のように、朗らかな笑顔すら浮かべて言葉を切った。

 騎士はそんな彼女を、異様に大きく開いた目で見つめる。それから彼の視線は、ネリーと目の前に座る女性の間を、見比べるように交互に行き来した。

 

 彼らは、姫のために帝国側が用意した、宿へと場所を移動している。部屋は三階にあり、この宿では最上級の客室らしい。小さな町の小さな宿屋ではまずまずのものだった。

 

「つまり……、姫様はお怪我をされたということか?」

 帝国の騎士は慎重に言葉を選んで口にした。だが彼は自分が紡いだ言葉にすら、納得していない。あまりにも奇抜な格好をしているシルヴィアに、茫然として困惑しているだけだ。

 ネリーは首を傾げて彼に答えた。

 

「ん〜。怪我というのとは違いますわね。姫様は先ほど、馬車の中に迷い込んで来た蜂に刺され、お顔が腫れてしまわれました。言わば事故ですわ。刺された後は、とてもお気の毒な状態で、それに痛みで大層お苦しみです……。ですから、しばらく動かれない方がよろしいかと」

 

 騎士は、目の前に倒れ込むように座る女性に再び視線を戻した。

「それで、このような……、格好をされているのか?」

「ええ、あなた様も虫に刺されたことぐらいありますでしょう。酷い痛みと共に腫れる患部を、他人にはあまり見られたくなかったでしょう?」

 侍女は厳しい視線を彼にぶつけてきた。そんなことも分からないのと、呆れているようだった。

 城を発つ時にはおぼこい田舎娘にしか見えなかったが、今はその影すらない。何しろ自分より年嵩の、体の大きな男を顎で使っているのだ。ネリーは馬車を降りた途端、騎士達にアレコレと指図して姫を部屋まで運ばせていた。

 ネブレシアの宝珠に触れることが出来たのだから、役得とも言えなくもないが、姫の姿を見るに微妙な気分になる。

 

 姫ーー多分姫であろう女性は、宿の椅子にすがるように座っていた。

 

 頭には、金の縁取りの派手な赤い布地が捲かれている。見覚えがあるとよく見れば、馬車の窓に飾られていたカーテンだった。顔をすっかり覆っているため、その下の表情は全く見えない。

 騎士の目に素顔を晒すことを拒んでいるのだろう。それは男の身だとて分かる。腫れ上がった顔を見られたくないという気持ちぐらい、ましてやこの女性は嫁入り前の姫君だ。

 

 だが、何故、カーテンなのだ?

 

 他に何かなかったのか?

 

 よっぽど焦って無理やり引きちぎったらしい。切り口がむちゃくちゃだ。深窓の姫君らしからぬ、随分変わった思考回路の持ち主とも言える。

 いや、馬鹿馬鹿しい。さすがに姫の仕業ではないだろう。多分あの、小柄な侍女が独断でやったのだ。

 

 騎士が頭を振って雑念を払っていると、目前の女性が呻いた。

 

「ああ、痛い……痛いわ、ネリー」

 すぐさま侍女が飛んでくる。

「どうされました。大丈夫ですか、シルヴィア様」

「痛くて、痛くて耐えられないの。わたくし……少し休みたい……わ」

 大げさなほど姫は声を上げて、近寄ったネリーにすがりついた。ネリーの目が再び騎士を射抜く。

「お聞きになりましたか? 姫様は寝台にてお休みになられたいそうです。ですから、殿方は席を外していただきたいのですが……」

 騎士は苦しむ姫を気づかいながら声をかけた。

「かしこまりました。ですが、本当によろしいのですか? 小さな町ですからたいしたことは出来ぬと思いますが、やはり医師か薬師を手配した方が」

 騎士の言葉に二人はビクリと体を固くする。それから慌てたようにネリーは大声で捲くし立てた。

「そ、それにはご心配入りません! 先ほども申し上げたように、少しなら心得がありますの。この程度のことなら、治療についてはお任せ下さい!」

 胸を叩いてみせた侍女を不安げに騎士は見ていたが、姫の休憩を邪魔することもなく彼らは出て行った。その背にネリーは、しばらくの滞在希望を伝える。騎士は頷いて部屋を後にした。

 

 窓に近づいたネリーは、こっそりと外の様子を窺った。

 外では騎士達が、宿の周囲に野営の準備を始めていた。小さな町には全員が泊まれるほど宿がない。騎士達は慣れているのか淡々と作業を進めていた。

 窓から離れると、ネリーは微笑みながらシルヴィアへと近づいて来る。

 

「姫様! うまくいきましたわね」

 

 興奮したように飛び跳ねる侍女を、シルヴィアはピシャリとたしなめた。

「大きな声はやめて。扉の外には連中がいるかもしれないでしょう?」

「すみません……」

 ネリーはシュンと小さく縮こまるが、すぐに目をキラキラと輝かせて顔を寄せてくる。

「ああ、でも、素晴らしくスリリングな体験でしたわ。わたし役者になれると思いませんか? 本当に、どこかの劇団からお誘いがないかしら」

「ネリー!」

 今にも歌い出しそうなネリーを捕まえて、シルヴィアは頭に巻きつけたカーテンを取り払った。

 瞬間、ネリーがヒイッと叫びそうになり、彼女は侍女の口元を急いで塞ぐ。

「いい加減にしなさい。わたくしは病人なのよ。侍女のあなたが鼻歌混じりに踊っていたら、おかしいでしょう」

 目を剥いて睨みつけたシルヴィアを見て、ネリーは涙目で何度もコクコクと頷いていた。

 少しの間隠されていた老婆の顔は、久方ぶりに目にすると破壊力が増すらしい。ネリーの怖がりようにシルヴィアはフンと鼻を鳴らした。

 

 

 それにしてもと、姫は考え込みながら椅子に腰掛ける。硬い宿の椅子は弾力があまりないので、いまいち寛げないが文句は言えない。

「確かにあなたの活躍には目を見張るものがあったけど、結局八方塞がりなのには変わりはないわね」

「そうですか? 騎士様はしばらくの滞在を許可してくれましたけど」

 のんきな侍女の言葉に、姫は呆れたように視線を向けた。時間が経ち姫の顔にも既に慣れていたので、今やネリーも悲鳴を出すことはない。

「それはただの時間稼ぎでしょう? 根本的な問題解決ではないわ」

「では、どうすれば……」

 ネリーのオロオロとした声にシルヴィアは口を閉ざした。

 

 ネリーが作ってくれた僅かな時間を有効に使って、何とか活路を見いださなければならない。

 だが、その時間はせいぜい二三日でしかない筈だ。その間にシルヴィアの顔が戻るなど、楽観的希望は当然捨てなければならないだろう。

 限られた時間に何が出来るのか。どうすればいい……。

 

「やはり、ダイアナに会わなければならないわね……」

「ダイアナ?」

 キョトンとしたネリーの顔を見て思い出す。そう言えば老婆の名前を告げていなかった。

「ええ、魔女のダイアナよ。あなたも聞いたことあるでしょう? あの、恐ろしい言い伝えの魔女の話を……」

 シルヴィアが老婆の話を始め出すと、急に外が騒がしくなる。

 大きな声や激しい足音などが入り乱れて、部屋の中にまで響いてきた。

 

「何かあったんでしょうか……?」

 ネリーが怯えたように顔を曇らせ様子を窺おうと、窓へと足を進ませた。

 

 その時窓のすぐ側に黒い人影が見えた。

 

 この部屋は三階にあるというのに、空中を漂うように女が外に浮いているのだ。禍々しい気配にシルヴィアは立ち上がって叫んだ。

 

「ネリー、危ないわ。それ以上近寄っては駄目!」

 

 シルヴィアの叫び声を聞いて、ネリーは身を竦ませ立ち止まる。そこから一歩も動けなくなった。

「ひ、ひ……めさまぁ……」

 今にも泣き出しそうな侍女を姫は叱り飛ばした。

「いいから、じっとしていなさい!」

 

 それから一時もしない内に、窓を突き破って女が侵入して来た。ガラスの破片を派手に散らしていたが、自分は少しも傷ついたようには見えない。

 

 部屋に入って来た女は凄みすら感じさせる美しい顔を緩めて、シルヴィア達に笑いかける。見たこともない、毒々しいほどの妖しい魅力を振り撒く女。

 

「姫様、ご機嫌はいかが?」

 血のように真っ赤な唇を歪め、女は声をかけてきた。

 

 この女は何者なのかーー?

 

 シルヴィアとネリーの二人は、身動きも出来ず、凍りついたようにその場に立ち尽くしていた。




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