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第1話 噂の美姫

 

 お伽話のはじまりは、大概こうだ。

 

 むかしむかし、あるところに、とても美しいお姫さまがおりました。

 

 そして結末は、こう。

 

 お姫さまは、凛々しい王子さまと恋に落ち、二人は結婚をしてそれは幸せに暮らしましたとさ。

 

 

 ーーそんな夢物語は世に沢山あるけれど、

 この物語の姫君は、どうであろうか?

 

 世の中そんなに都合よくは、出来ていないと思わないかい?

 

 

 

「シルヴィア、シルヴィアはおるか」

 

 深い森と美しい湖の近くにあるこじんまりとした外観の城で、早朝から大きな声が響いていた。窓辺で可愛く鳴いていた二羽の小鳥が、その叫び声に驚いて慌てたように飛び立つ。

 

 ここはネブレシア大陸の東に位置する小国、ザラハム王国。緑に囲まれた、いわゆる田舎のたいした産業もない小さな国だ。

 だが、この国には誇れることが一つだけあった。

 

 それはこの国には、大層美しいと評判の姫君がいたのである。

 

 

「いったい、何のご用ですの? わたくし、まだ起床しておりませんのよ」

 

 一人の美しい娘が、大声を出して部屋へと入って来た大柄な男に、ベッドの上から不機嫌な口振りで答える。

 娘は面倒くさそうに体を起こすと、ベッドの上に置いてあったガウンを肩からかけ、緩く結わえた自分の三つ編みを忌々しげに手で払いじろりと男を睨み付けた。

 その所作はとても傲慢な印象を与える。しかしその姿は、神々しいほどに美しいものだった。

 男は寝起きだというにもかかわらず、完璧に着飾った貴婦人より数倍人目を引くであろう、優艶な愛娘に息を飲んだ。

 光を集めたように煌めく大きな藍色の瞳に、染みひとつない透き通った白い肌。ツンと形よく伸びた鼻と、紅をつけなくても赤い熟れた果実のような唇。

 それらが行儀よく納まった小さな顔を、引き立てるような豊かに輝く長い金髪。

 彼女はザラハム王国イーサン王の一人娘、シルヴィア姫。

 評判の姫君、その人だ。

 

「喜べ、お前の縁談が決まったぞ」

 しばしの間呆然としていたが、大柄な男ーーもといイーサン王は、娘の不愉快に歪んだ顔をものともせず、口元に蓄えた髭を揺らし高らかに宣言をした。

「なんと、帝国の皇帝陛下の第五皇子殿下がお相手だ! 我が国に帝国の皇子殿をお迎えするのだぞ!」

「は……あ?」

 両手を上げて喜ぶイーサン王に、シルヴィアは冷たい視線を送る。

「なんだお前、嬉しくないのか?」

 王は呆気にとられたような顔で娘を見つめた。

「嬉しくなんかありませんわよ!」

 シルヴィア姫は鼻息も荒く不満を口にした。

「第五皇子って、何ですの? 去年、帝国に招かれた時も、そのような方、ご紹介された覚えはありませんわ。何故、あの時お会いした皇子様達ではないのかしら? ええせめて、見目麗しいと評判の第三皇子様であったならまだ嬉しく思えたでしょうけど」

 彼女は寝起きとは思えないほど口が動いていた。

 顔立ちの整った者が怒りの表情を浮かべると、その整いすぎた美貌は鋭利なつるぎの如く他者の心を切りつけてしまう。王は娘の剣幕にタジタジとなっていた。

 シルヴィアは、冷ややかな眼差しを父親に向け、啖呵を切るかのように言い放った。

「いるかどうかも分からない、得体のしれない第五皇子なんて嫌です! わたくしを誰だとお思い?」

 

 

 ネブレシア大陸には、とても有名な美姫がいる。

 大陸に住む人々は、親愛を込めて彼女をこう呼んだ。

 

 『ネブレシアの宝珠』とーー。

 

 ネブレシアの宝珠とは、他に類がないほどの美姫を指す通り名だ。いつの頃からか、人々の口に上るようになっていった。

 彼女のことを知らない者は、当然この大陸にはいない。上は背中の曲がった年寄りから、下は漸く話始めた幼子まで、誰もが知っている美しい姫。

 

 彼女を褒め称えるのは、何も庶民に限ったことではなかった。ネブレシアの宝珠を一目見ようと、大陸中の国からお誘いの声がかかる。しかも旅費は全て招待国持ちだ。

 派手好きのシルヴィアは、嬉々としてどこへでも出掛けた。

 

 他国へ出向けば、彼女には沢山の求婚者が現れどんな男も選び放題。その国の有力者の子息は言うに及ばず、時には元首や諸侯本人まで列をなして口説いてくる始末だ。

 

 元を正せば、田舎にある小国の王の一人娘。当然何の権利もないのだが、その美しさゆえ人を、というより男を魅了してしまい相手からチヤホヤされて厚待遇を受ける。

 相手の中には純粋な求婚者ばかりでなく、一晩だけの下心で近付いてくる者も多かったが、姫は田舎者のため世慣れていない。

 つまり男の本心を見抜くことは出来なかったが、彼女は幸運にも、そんな男の毒牙にかかったことはなかった。それはひとえに、高い高いプライドの持ち主だったお陰である。

 要するに男に対して厳しい理想があるため、誰にも首を縦に振らない。自然に邪な考えを持つ者など淘汰されていく訳だ。

 そんなシルヴィア姫の鼻っ柱は、訪れる国が増えて行くにつれどんどんどんどん高くなり、今では天に向かってそびえ立つほどにまでなっている。

 誠に、恐ろしい話である。

 

 そして遂に、その美貌で伴侶を射止めることが出来たらしい。しかも、帝国の皇子殿下とは……、相手はネブレシア大陸一の大国の皇子様だ。

 これ以上の良縁などあろう筈もない。 

 

 

「シルヴィア、お前、何てことを……」

 イーサン王は、堂々と皇子を扱き下ろす娘を苦い目で見る。

 早朝から未婚の娘の寝室に入る父親もどうかと思うが、彼にも一応常識というものがあるらしい。

「だって、本当のことでしょう? それともお父様はその皇子様にお会いになったことがあると仰るの?」

 シルヴィアの顔には、全く気にした様子は浮かんでいなかった。帝国の皇子が何だと言うんだ、とでも言いたげだ。相も変わらず、彼女の鼻は突き抜けている。

「い、いや、お会いしたことはないが……」

「やっぱり!」

 姫の目が煌めく。王は慌てた。

「だ、だが、殿下は実在されておられるぞ。ご誕生の折りには御祝いの品を贈った記憶があるのだからな」

「当てにならないわ」

 シルヴィアはプイッと顔を背けた。

「ご本人をご覧になったこともない、お父様の仰ることなんか……」

「と・に・か・く!」

 姫のあまりに不遜な言い種に、イーサン王の顔色が変わった。シルヴィアもさすがに青くなる。

「あの、お父様……」

「わがままは許さんぞ! 相手は帝国なのだ、こちらに選択権などある筈なかろう。分をわきまえよ!」  王は娘の顔に人差し指を突き出すと、威厳たっぷりに命令した。

「お前は第五皇子殿下と結婚するのだ、分かったな!」

 普段はどこか頼りない父親の鬼気迫る顔に、さすがの高飛車姫も何も言えなかったのである。

 

 

 

  ***

 

 

 

「姫様、わたし落ち着きませんわ……」

 侍女のネリーが、ぼんやりと窓の外を眺めるシルヴィアに、そわそわとして声をかけた。

 

 二人がいるのは馬車の中。それもザラハム王国にはとても用意が出来ぬ、立派な立派な四輪馬車だ。馬車は、森を抜け田園沿いの街道を走っている。

 二人が乗る馬車の前後には、物々しい警護の騎士達の集団があり、さながらどこかの王族の大行列のようであった。

 いや、彼女も一国の姫君。王族には違いないが、何しろ田舎の貧乏王家。華やかな他国の王家とは生活のレベルが違う。このような仰々しい大移動は、今までの各国の招待旅行でも経験したことなどなかったのだ。


 それもその筈ザラハム王国の家計ときたら、シルヴィア付きの侍女からして目の前に座るネリーだけなのである。

 しかも彼女は通いの侍女で、元はと言えば城の家事全般をこなす四人の侍女の内の一人だった。つまり厳密に言えば、シルヴィアには本来専属の侍女がいなかったということになる。

 だが、シルヴィアもこの度めでたく婚約をすることになった。更に、しつこいようだが相手は帝国の皇子様。いくらなんでも、側付きの侍女が一人もいないとはあまりに体裁が悪い。

 それで急遽、ネリーがシルヴィア付きに任命されたのだ。ちなみに彼女が選ばれた理由は、年が一番若いからだった。

 

 そのネリーは、あまりにも豪奢な馬車に大陸一の美姫シルヴィアと二人で乗る羽目になり、可哀想に緊張で震えていた。

 そして当のシルヴィアと言えば、その麗しい顔に不満の色をありありと浮かべて、馬車の中の空気を酷く悪いものにと変えていたのだった。 

 

 二人が何故、こんな事態に陥っているのかと言うとちょっとした事情があった。

 

「もし、姫様。直に近くの町に到達します。そこで暫く休憩をとりたいのですが、いかがされますか?」 

 馬車の外から声がかかる。警護の騎士の一人であろう。

 シルヴィアはネリーに退屈そうな視線を送り、ネリーは心得たように頷くと返事を返した。

「姫様も休憩をご所望です。よろしくお願い致しますわ」

「畏まりました。町では宿を取っておりますので、ごゆっくりなされるとよろしいでしょう」

 騎士は事務的に告げて馬車から離れて行く。

 騎士の気配が馬車の横から完全に消えると、シルヴィアは大きく欠伸をした。

「やっと、馬車から降りて足を伸ばせるのね。本当、疲れたわ」

「まあ姫様、この馬車の座席はフカフカで座り心地は最高ですわよ。宿のベッドには負けますけど」

 姫が口を開くとすぐにネリーが言葉を返してきた。彼女は姫がずっと押し黙っていたので、会話ができず口が寂しかったようだ。

 本来お喋りな侍女は、相手が主だという自覚が時々なくなる。シルヴィアはしまったと後悔したが、もう遅かった。

「それにしても姫様。帝国の騎士様はさすがに素敵でございますわよね」

 ネリーはうっとりと目を瞑った。

 シルヴィアはそんな侍女に呆れたような声で答える。

「素敵って、この馬車を囲っているあの集団のこと?」

「勿論そうでございますわ。颯爽とされていて、皆様背も高くていらして、さすが帝国騎兵という感じの方ばかりではありませんか」

「そうかしらね……」

 まあ、ザラハムには専門の騎士がいないので、馬番や庭師と兼ねた騎士(ーーと言えるのか、甚だ疑問だが……)なら数人いるにはいるが、颯爽とした騎士になどお目にかかることは出来ない。

 ネリーが熱い視線で彼らを見つめてしまっても、仕方がないのかもしれない。ないけど……、シルヴィアには彼らが気に食わなかった。

「わたくしは、そうは思わないわね。彼らの生い立ちや環境を見れば、今のように洗練された仕草を身に付けるのは当たり前のこと。だけど、わたくしを見てちょうだい。あのザラハムの野山で猿のような大男(イーサン王)に育てられたにも関わらず、なのに見てよ、この美しさ。類いまれなきこの気品! 全てが奇跡のようではなくて?」

 シルヴィアは馬車の中ということも忘れて大声を出し、砂利に浮いて跳ねた座席の上で舌を噛みそうになる。

 彼女は帝国の騎士に腹を立てていた。もっと言えば、彼女の婚約者たる男、帝国の第五皇子殿下なる正体不明の男に、怒りを感じていたのだ。

 

(このわたくしと、ネブレシアの宝珠であるわたくしと……、仮にも結婚しようかという男が、勝手に自分の国に招いておきながら迎えにも来ないなんて……)

 

「あり得ないわ、そう思わなくて、ネリー?」

「はい?」

 突然振られた問いかけに、侍女は目を白黒させる。その惚けた表情に、シルヴィアは更にイライラを募らせるのだった。

 

 帝国から迎えと称する一団が現れたのは、昼を少し過ぎた頃だった。

 騎士団と言ってもいいくらいの大がかりな集団に、当初ザラハム城では襲撃かと慌てたが、こちらには何せ警備を担う騎士がいない。あっという間に白旗を上げてしまうと、襲撃兵とおぼしき集団は、帝国からのシルヴィアを迎えに来た騎士達だったという笑えない冗談のような話だけが残った。

 騎士の代表を務めた男が言うには、婚儀の前に姫を帝国へお招きしたいと言う、皇子側からの申し出とのこと。

 勿論姫に、断る権利はあってないようなものだ。嫌な顔を見せる娘にイーサン王は目で訴える。

 

 二人の結婚は、皇子の方がザラハムへとやって来てくれるものだ。 

 国の格を考えると、皇子は破格の条件を飲んでくれたことになる。いくら花嫁が大陸一の美姫だとしても、あまりの国力の格差に思うところは多い筈だ。

 それくらいシルヴィアにだって分かっている。実際に共に暮らし始めたら、もっともっと、ザラハムでの生活に不満が出てくることだろう。

 

 だからこそ、

 

 だからこそ結婚前ぐらい、シルヴィアを欲しくて欲しくて仕方ないのだという誠意を見せて欲しいのだ。

 望んでザラハムに来るのだと、皇子本人の口ではっきりと言葉や態度に表して欲しい。

 そうでないと、不安になってしまう。

 

 帝国の皇子になど釣り合う筈がないと、自信を全てなくしてしまう。

 

 小さい子供の頃の自分、少しも可愛いいところなどなかった、あの頃の自分に戻ってしまったら……。

 

「馬鹿ね、わたくしったら」

 顔を上げてシルヴィアは微笑んだ。

「今のわたくしは、どこもかしこも完璧よ。誰をも虜にする大陸一の美姫よ」

 

(そうよ、独りぼっちで痩せっぽちの泣き虫シルバじゃないのだから)

 

 シルヴィアは両手に力を入れて握りこぶしを作ると、叫び声を上げた。

「帝国の第五皇子が何よ! わたくしの足元にひれ伏してやるわ。覚悟なさい」

 

 

「ーーそいつは、ちょっと困るのだけどねぇ」

 

 その時突然、からかうような不気味なしわがれ声が馬車の中に聞こえてきた。

 シルヴィアとネリーは悲鳴を上げて辺りを見回した。

「き、きゃあぁぁ!」

「だ、誰?」

 二人の他は誰も見当たらない空間に、のんびりとした声だけが響いている。

「噂の姫君は、とんだじゃじゃ馬だったようだねぇ。これじゃあ、あたしが手を下すまでもないかもねぇ?」

「な、何者よ? 姿を現しなさい!」

 シルヴィアは見えない何かに向かって、大声で喚いた。

 外にいる警護の騎士達はどうしたのだろう? 馬車の近くに、いるであろう不審者に気がつかないのだろうか?

「外の連中なら、あたしの姿は見えない筈だよ。あいつらの目には『まやかしの術』をかけているからね」

「術ですって? いったい何者なの!」

 得体のしれない声の持ち主に、震えるシルヴィアの横でネリーが「う〜ん」と気絶する。

 気弱な侍女には耐えられなかったようだ。先を越されてしまった姫君は、倒れる訳にもいかず気力を奮い起こす。

 彼女は眉間に力を込めると、何も見えない空間を睨み付けた。

「いい加減に出て来なさいよ。卑怯でしょう?」

 

「やれやれ、わがままな姫さんだねぇ。そんなにあたしに会いたいか?」

 

 そう言って音もなく馬車の中に現れたのは、全身黒づくめの醜い老婆だった。




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