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 ハルとの特別な稽古も八日目を迎えていた。聡次郎の感覚も研ぎ澄まされてきた。


 時折ハルが聡次郎の間合いに入りにくくなってきているのが解る。聡次郎もハルに距離感をつかませないように、細心の注意を払う。すると、わずかだが余裕が出てくる。何処から攻めようかと一瞬考えを巡らせる。


 その時ハルがささやいた。


「ガキだな」

 カッと血がのぼる。一気に斬りにかかっていなされる。返すハルの刀が聡次郎の喉もとでぴたりと止まった。


「今日はもういい。明日にしよう」

 そう言われて聡次郎はぐったりと座り込む。


「ハルさん、せめて挑発するのはやめてくれませんか?」

 聡次郎がたまらず言った。


「お前、俺が相手で気が緩んでないか? 本気で斬りあう相手が黙っていてくれるのか? 俺はお前の腕試しをしている訳じゃないぞ」


「違うんです。怖いんですよ。本当にハルさんを斬りそうで」


「俺は斬られないよ。そう言ったろう? それに本当にお前が俺を上回ったのなら、喜んで斬られてやるさ」


「……もし、俺がハルさんを斬ったら富士子に恨まれます」

 聡次郎がぼそりと言う。


 ハルは少し驚いた様な顔を見せたが


「お前は俺を斬らないよ。それは大丈夫だ。むしろ俺がお前に傷を負わせれば、富士子さんが泣くだろう。何度も言ったろう? お前は簡単に人を斬るような奴じゃないんだ。ただ、感情が追いついていかないだけなんだ。もっと冷静に自分を見た方がいいぞ」


「違う!」

 聡次郎は叫んだ。


「正直、俺、ハルさんが羨ましいんです。俺が持ってないものを全部持ってて、俺よりずっと大人で。悔しくて本当に勢いで斬ってしまいそうだ」

 聡次郎が苦しそうに言う。


 ハルはしばらく聡次郎を眺めていたが


「それなら斬ってみろよ、聡次郎」


「え?」


「そんなに悔しいならやってみろって言ってるんだ」


「ハルさん」


「俺の何がそんなに羨ましいんだ? 刀の腕か? 腕っ節か? 年上だからか?」


 ハルが切っ先を延ばしてくる。聡次郎を挑発する。


「それとも富士子さんの事か?」


「ハルさん」


「お前じゃ、誰も、守れない」



 聡次郎も刀を取る。ハルに向かう。振りかぶる。


 ハルは微動だにしない。


 聡次郎が刀を振り下ろす。



 そして刀を止めた。


 ハルは聡次郎を見てほほ笑んでいた。


「そらみろ。お前は簡単に人を斬るような奴じゃない。ましてや嫉妬に狂うような奴でも無いんだ」

 いつものように笑う。


「お前はもう大丈夫だよ。これで稽古は終わりだ」

 そう言われて、聡次郎は唖然とした。


「俺、もう大丈夫なんでしょうか?」


 聡次郎の言葉にハルは真顔になった。


「正直なところ、本当の乱闘になった時にお前がどうなるのかは俺にも解らない。それでもお前はもう、刀にのまれているようには見えなかった。今はそれで十分だろう。お前も陶酔感は感じなかったんだろう?」


「たしかに感じませんでした」


「なら、それでいいんだ。しかしお前もつまらない嫉妬をしたもんだ。富士子さんはお前が心配なんだよ。今もきっと戸口に張り付いてる」


「富士子が?」


「お前もいい加減、鈍いな。なんで俺が刀の部屋の鍵を持っていると思ってんだ? 富士子さんがこっそり俺に渡してくれたからだ。富士子さんが頻繁にお前に声を掛けられたのも、おかみさんが組長の目を盗んでお前の近くにいさせたからだよ。おかみさんにそうさせるほど、富士子さんはお前を心配してるのさ」



 富士子が? 俺を? そこまで心配している?


 聡次郎の心に、一筋の光が差し込む。



 その時、その富士子が稽古場の戸を開けた。深刻な顔だ。


「兄さんがハルさんを呼んでます」


「喧嘩か?」


 富士子は黙ってうなずく。


「解った、行こう。聡次郎、お前も行くな?」


「はい」


「組長に頼みに行こう」

 そう言って二人で稽古場を出ようとした時、聡次郎は富士子と目があった。



「行くのね」


「行かなくちゃいけないんだ。じゃなきゃお前を守れない」


「守ってくれなくてもいいわよ」


 富士子があの、目の色で言う。ああ、今解った。これは死んだ両親と同じ目の色だ。心から俺を心配してくれている目だ。だから俺はこの目が苦手だったんだ。


「それじゃダメなんだ。俺はお前を守りたい。お前も前に言ったろう? 組長一家を守れないでなんのための組員だって。俺、ほかの誰よりもお前を守りたいんだよ。だからお前に待っていてほしい。お前が待っていてくれれば、俺、落ち着いてやれそうな気がする」


 富士子はしばらく黙って見つめていた。


「解った。待ってる。待ってるから無事に戻って、聡次郎。人も斬らず、自分も斬られずに帰って来て」


 聡次郎はうなずいた。


「行ってくる」

 そう言って二人は出ていった。



 組長の許可はすぐに下りた。聡次郎は刀を携えて乱闘に向かう。


 喧騒のただなかにあっても、あの、おかしな高揚感は無い。むしろ心の奥が澄んでいる。


「俺は華風組の聡次郎だ! 怪我したくなかったら、しっぽを巻いてとっとと逃げやがれ!」

 大声で啖呵を切った。


 一人目は刀の鞘も抜かずに叩き倒した。二人目は身ね打ちにした。三人目、四人目と次々に打ちつけていく。


 身体が熱くなり、血がたぎる。それでも陶酔感は無い。


 代りに富士子の声が聞こえる。



「待ってるから無事に戻って、聡次郎」


 

 そう、俺には待っていてくれる人がいる。だから俺は斬られちゃいけない。余計な恨みも買っちゃいけない。


 この世界で生きるために、富士子を守ってやるために。



 乱闘は終結した。相手は皆、逃げていった。


 聡次郎達は無事に帰った。一人のけが人も出ていなかった。もちろん聡次郎も無傷だ。


 聡次郎はようやく自らの中にあった恐怖心に打ち勝った事を実感できた。


 これで組を、富士子を守ってやれる。心の中が充実感でいっぱいになる。


 真っ先に富士子が聡次郎を出迎えてくれた。


「おかえり、聡次郎」

 富士子の目に安どの色が見て取れた。


 ああそうか。富士子はいつも待っていてくれた。俺が気付かずにいただけで。


 俺が自分の事しか見えていない時も、本当は待っていてくれたんだ。



 気が付くと聡次郎は、富士子と二人きりになっていた。おそらくハルが気を利かしたのだろうが、聡次郎はもう気にならなかった。それより今は、誰よりも富士子に褒めてもらいたかった。



「無事に戻れたのね」

 富士子は嬉しそうだ。


「このところ、あんたは喧嘩のたびに傷だらけで帰って来たもの。どんなに心配したか分かんないわよ」


「もう大丈夫だ。それに今日はお前が待っててくれたし」


「いつだって待ってたわよ。じゃあ、もう刀を振っても大丈夫だったの?」


「大丈夫だった。代わりにお前の声が聞こえた。待てってもらえると心強かった。ハルさんのおかげだ。ハルさんが身体を張っていろんな事を教えてくれた。俺、やっぱりハルさんにはかなわないや。俺もあんな男になりたい」


 心からそう思えた。嫉妬の渦はきれいに消えていた。


「聡次郎は今のまんまで十分よ。聡次郎は聡次郎。ハルさんはハルさん」


「だけど俺はお前を守っていきたい。組の役にも立ちたい。ここを守りたいんだ。ハルさんにかなわなくても、せめて近づきたいんだよ。お前は俺を嫌いになったかもしれないが、俺はここで生きていきたい」


 富士子は目を丸くした。


「嫌う? あたしが? あんたを?」

 富士子は笑い出してしまった。


「だって前に大っきらいって言ったじゃないか」


「あの時あんたはあたしがどんな思いで辞めろって言ったかちっとも解って無かったからじゃないの」

 富士子が笑うのをやめて、聡次郎を真っ直ぐに見た。


「あたしはあんたが、聡次郎が大好きよ」


 聡次郎は心がいっぺんに明るくなった。今までに失った自信が一気にに蘇った気がする。


「……そんな事言うと、襲うぞ」

 富士子に一歩、近づいて見る。


「……やれるもんなら、やってみなさいよ」

 富士子の以前と同じセリフ。でももうあの目の色は無い。優しい目だ。


 抱き寄せてみる。富士子は身を固くはしなかった。もちろん手をはらったりしない。


「……」


 富士子は何か言いかけたが、聡次郎に聞く気はなかった。口づけて物を言わせない。


 いつかの様に、また、啖呵でも切られたら困る!





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