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嫉妬

 富士子はハルさんに気があるかもしれない。


 そうやって考えてみると、聡次郎には思い当たる節がいっぱいあった。

 

 昨日の事もそうだし、普段から忙しい組長よりハルさんの方が富士子も頼りやすいみたいだし、世話好きのハルさんも富士子の事は良く気にかけているようだ。


 喧嘩の時もハルさんの名前が出て来たし、ハルさんは家族も同然な口ぶりだった。


 そう言えば自分がここに来た時、富士子が説得に行って最初に迎えに来たのもハルさんだった。


 少なくとも富士子にとってのハルさんは、兄の組長に負けないくらい頼りになる男って事なんだろう。



 ハルさんは男らしいし、優しさもある。何より面倒見が良くて、組長からの信頼も厚い。それにいつも良く笑っている。


 男だって愛想が悪いよりは良い方がいいに決まっているし、何よりハルさんの笑顔は人柄を現していて見ているこっちがホッとする。


 それに顔立ちだって悪くない。


 自分も容姿には多少の自信があったが、ハルさんはしまりのある男顔で、俺は母親に似て女顔だ。


 なんで母親に似たんだ、俺は。


 やっぱり富士子は男顔の方が好みなんじゃないか? どうもそんな気がする。


 ハルさんは男顔で頼りになる大人の男だ。俺はいつも一緒にいたから四六時中比べられていた訳か。


 どおりで何をやっても富士子がなびかなかった訳だ。そもそも器が違いすぎる。


 おまけにハルさんは腕っ節も強い。昨日だってちゃんと俺達を守ってくれた。刀の腕でも俺はハルさんにまるで追いつけずにいる。


 ハルさんは「お前はすぐに追い抜く」と言ってくれたが、未だにずっと遠くにいるハルさんを追いかけている様な気がする。


「このままじゃ組のお荷物よ」富士子の言葉が蘇る。


 本当にそうだ。このままじゃ組を守れない。むしろ足を引っ張っている。富士子を襲った男だって、俺が相手をした奴だった。頭に血がのぼってやり過ぎた、あの時の恨みをきっと根に持っていたんだ。 


「余計な恨みを買うなよ」


 俺はハルさんの言葉を守れなかった。組を、富士子を守るどころかかえって危険にさらしてしまった。


 少しばかりの刀の腕で、組を守っている気になっていたが、俺はハルさんに守られているだけで、結局何にも守れちゃいないじゃないか。


 このままじゃいられない。聡次郎に危機感が走った。慌ててハルを捕まえる。



「ハルさん、教えてほしいんです。俺がどうすればいいのか。自分を抑える方法が知りたいんです」


「刀を持たない事じゃダメなのか?」


「それじゃ、ダメなんです。刀を持たなくったって、この間のような事が起こる。それじゃ、組の足を引っ張るだけです。このままじゃ、俺、ここにいられなくなります。ここを出たくないんです。ここで生きる覚悟を決めたんです。組を守れるようになりたいんです。お願いします」


 聡次郎は頭を下げた。最後は懇願だった。自信などとっくに失っていた。自尊心さえかなぐり捨てた。


「富士子さんを守りたいんだな?」


 ここで、この人から富士子の名を出されるのは辛い。それでも、それでも。


「守りたいんです。組も、富士子も」


「一つだけ方法があると思う。うまくいくとは限らないが」

 ハルはため息交じりに言った。



 ハルは聡次郎を稽古場へと連れて来た。そして刀を持たせる。


「いいんですか? 俺が刀持って」


「真剣でなけりゃ意味が無いんだ。俺にはお前が何故こうまで刀に惹かれるのかは分からない。ただ、本来お前は簡単に人を切り刻むような奴じゃない。ましてや刺したりするような奴じゃない事は解ってる。それでもお前は刀にのまれてしまう。何故だと思う?」


「俺が冷静じゃないから……」


「そんなの俺だって同じだ。人を傷つける道具を持ってまともでいられる方がおかしい。お前がのまれてしまうのはおそらく恐怖心からだ。それを克服しないまま命の取りあいをするから、陶酔感でごまかそうとするんだろう。それにお前はやけに刀と相性がいい。動きも身体に入っている。だから動きにはいつも余裕があるが、心の方は一杯一杯だ。それで心が楽な方へと流されるんだ」


 言われればなるほどと思う。この人はここまで俺を見抜いていたのか。


「じゃあ、俺の頭にすぐ血がのぼるのも」


「もともとの気性もあるんだろうが、恐怖心を興奮でごまかそうとするところもあるんだろうな」



 恐怖心。



 自分がハルを死なせていたかもしれないと考えたあの時。 身体が凍るような恐怖が走って行った。富士子はそれに耐えて暮らしているが、俺は楽な方へと逃げている。人を傷つけてでも自分が酔うことの方へと流されていく。


「だから俺はお前に恐怖を教えようと思う。逃げ場のない恐怖を」


「え?」


「これから俺はお前を本気で斬りに行く。だからお前も本気で向かわなければならない。恐怖心に打ち勝つんだ。ただしお前は俺を斬ってはいけない。かすり傷一つさえもつけてはいけない。どうだ、出来るか?」


「俺が? ハルさんに?」


「これをしてやれるのは今の俺だけだ。今ならお前に斬らせずに済む」


「そんな! 俺がおかしくなってハルさんに斬りかかったら」


「そうならないために訓練するのさ。大丈夫だ。俺はお前に斬られないよ。ただし、お前に隙があれば俺はお前を斬るかもしれない。お前は手加減できるような相手じゃないからな。お前が本当に俺を上回ったら……それでもお前が自分を抑えられなかったら……そんな事は無いとは思うが、その時は刀を持たせた俺の責任だ。喜んでお前に斬られてやるよ」


「本気で斬りあいをしろって言うんですか? ハルさんを相手に」


「そうさ」


「だってハルさんは今腕が……」


「腕の事は気にしなくていい。このくらいじゃお前にはやられないよ。どうする? 他に方法が無いぞ。これだってうまくいくとは限らないんだ」


 聡次郎はためらった。一歩間違えば本当にどちらかがタダでは済まなくなりそうだ。ハルの腕前は良く知っているが、真剣を直接交えた事は無い。


「このままじゃ、組も富士子さんも守れないんだろう? やるのか? やらないのか?」


 何故だろう。何だかハルさんに挑発されている様な気がする。


「やります」


「よし、じゃあ始めよう。手は抜くなよ」


 そう言ってハルは聡次郎に向かってかまえた。



 ハルと真剣を交えるのはこれが初めてだ。しかもハルは今、片腕が使えない。これはかなり無謀な事なんじゃないのか? 聡次郎に不安がよぎる。


 間合いを取る。距離感をつかむのは木刀の時となんら変わらない。それでも聡次郎の目の片隅に、ハルの包帯の白さがまぶしい。気を取られる。


 ハルが動いた。聡次郎もよけようとしたが一瞬遅い。気が付くとハルの刀の切っ先が聡次郎の目の前にあった。そのままハルに突き飛ばされる。


「バカ野郎! 手を抜くなと言っただろう! 死にたいのか!」

 ハルが怒鳴る。


「今度こんな真似をすれば、その目玉をくりぬくぞ」


 ハルの言葉に聡次郎に戦慄が走る。背中に冷たい汗が流れていく。初めてドスを持たされた日を思い出す。


「これは命の取りあいだ。お前はその中で恐怖をマヒさせた。だから同じ状況でやらなけりゃ意味が無いんだ。どうする? やめるか? 富士子さんを守るんじゃなかったのか?」


「やります」

 聡次郎は即答した。



 想像はしていた。しかし、真剣を握ったハルがここまで強いとは思わなかった。木刀の時の比ではない。もうハルの包帯の白さも気にならなくなった。いや、そんな余裕は微塵もない。


 だんだん呼吸が荒くなる。いつものように刀が熱を帯びてくる。しかし陶酔している暇はない。恐怖が襲ってくる。そこから逃れたくてハルの隙を探る。踏みこむが跳ね返される。その間隙をぬって刃が襲ってくる。また恐怖する。永遠のような繰り返し。


 長く、長く感じたが、おそらく十分にも満たずに二人は斬りあいをやめた。


「今日はここまでだろう。お互いに限界だ」

 そう言うハルの息も荒い。


「これを毎日繰り返そう。お前の精神が持つならばだが」


 確かにこれは精神的にはかなり辛い。毎日繰り返した時に心が持つのだろうか?


 おまけにハルは明らかに聡次郎を挑発している。わざと富士子の名を引っ張り出している。解っているのに頭に血がのぼって行く。何故こうまでハルが聡次郎を挑発してくるのかは解らないが、意味の無い事とも思えない。


 しかしこんな事を繰り返していたら、本当にどこかでハルを斬ってしまうのではないだろうか?


 そう思いながらも聡次郎はハルとの稽古を続ける。


 他に方法が無い以上、ハルを信じて続けるより他に無いのだ。



 ぐったりしながらも、幾日かの日々が過ぎると、とうとう富士子が感づいてきた。


「あんたとハルさん、稽古場で何やってんのよ」


「稽古だよ」


「普通の稽古じゃないわね?」


「そうだな。でもやらなくちゃならない事なんだ」



 ハルさんと斬りあいをしている。下手をすれば俺がハルさんを斬るかも知れない。


 そう思うと、とても富士子の顔を真っ直ぐには見れない。そんな事になったら富士子は俺をどう思うだろう?


「ハルさんが俺を信じてやってくれている事なんだ。俺、応えない訳にはいかないんだよ」


 そう言って聡次郎は富士子に背を向けるより、どうしようもなかった。 


 



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