本音
「俺は富士子を絶対に落してみせる」
聡次郎はハルにそう言って組長に宣戦布告を告げた様な気分になっていた。
あの後富士子は組長によほどきつく言われたのか、はたまた聡次郎が気に入れないのか、全く姿を見せなくなってしまっている。
そうなると聡次郎も意地になって、何が何でも富士子を誘いだそうと躍起になってあれこれ手を打ってみる。
まずは富士子が朝家を出る所で声をかけるが、肝心の本人が視線の一つも合わせない。
身近な組員に伝言を頼んでも返事が来ない。
学校帰りの友人に声をかけ、さらには富士子の前で友人の方を誘って見ても、まるで無視される。
それならばと辰雄を使って呼び出すとさすがに飛んでは来たが「二度と辰雄を使わないで」と言って部屋へ戻り、聡次郎の鼻先で扉をぴしゃりとしめる始末。
それでも部屋の前で粘っていると、いつの間にか組長がそばに立っている。
八方ふさがりの状況にさすがの聡次郎も手も足も出なかった。
それをあの組長がほくそ笑んでいると思うと、聡次郎は腹ただしくて仕方がない。
そのうちに富士子のことで気が紛れていた、あの、刀を持ちたいと言う感覚が再び聡次郎を襲って来た。
深い喪失感の後に湧きでた渇望感。
刀を握りたい。あの至福の時間をまた味わいたい。もう一度あの世界に酔ってしまいたい。
誘惑は日に日に強くなっていく。
そして季節が変わって夏祭りの時期がやってきた。人々は祭りの準備に追われ、街が活気づいて行く。
街の喧騒が高まる中で興奮に煽られるようにして、準備のさなかに今までで一番大きな喧嘩が起った。
当然聡次郎達も駆り出されるが、刀を持たせては貰えない。
聡次郎の怒りは頂点に達していた。刀の事、組長の事、富士子の事。何もかもが気に入らない。そんな中での乱闘に、聡次郎は憂さを晴らさんとばかりに暴れ回る。
自分が身を守るものを何も持っていないことなど頭には無かった。ただがむしゃらに暴れるだけだ。ハルの事も目に入らない。体中に傷を負いながらも聡次郎は暴れていた。
ついに聡次郎はハルに抑えつけられた。
「よせ! 聡次郎。殺すつもりか?」
気が付くと聡次郎はぐったりした相手の頭に、イスを投げつけようとしていた。全身の力が一気に抜ける。
聡次郎は傷だらけで帰って来た。幸い大きなけがはなかったものの、組長は聡次郎が全く身を守ろうとしなかった事をかなり問題視していた。
「だったら刀を持たせて下さい」
聡次郎はついに懇願した。今は組長に対する意地よりも、刀への恋しさの方が勝っていた。しかし組長はそれを許さなかった。
「いや、それはダメだ。今のお前に刀を持たせたら、身を守るどころか何が起こるか解らない。お前は当分喧嘩に出るな。シマの見回りにも行かなくていい」
と言って、組長は取り合わない。さらには
「俺もお前は出ない方がいいと思う。お前に刀を持たせたのは俺の失敗だったのかもしれない」
と、ハルも同意した。
組長だけでなく、ハルさんまで!
その日、聡次郎は荒れていた。一人、稽古場で木刀を振りながら叫び続けた。
ハルが自分に刀を持たせた事を後悔しているような事を言われた事は、大きなショックだった。
たとえ組長が禁じようとも自分に刀を持たせ、教えてくれたハルならいつかは組長を説得して、刀を持たせてくれるだろうと聡次郎は思っていた。それなのに裏切られたような気がした。
どんなに吠え、叫び、猛っても気持ちの収まりが付かなかった。
不意に人の気配を感じる。 富士子だ。なんでこいつはこんな時に限って姿を現すんだ?
「なんだよ。こんなところで俺に会ったりすれば、また叱られるぞ」
「少し、静かにできない? 辰雄が脅えてる」
「そうか、悪かった」
聡次郎はため息とともにその場に座り込んだ。
「今日は素直なのね」富士子が言う。
「素直じゃないのはお前の方だろう? いつも生意気な口ばかり聞いて」
「生意気ついでに言わせてもらうわ。あんた、この世界向いて無い。組を辞めた方がいいかもしれない」
「なんだって?」
「あたしも、ずっと後悔してたの。あの時あんたをここに入れた事を。いっそ辞めたら? そうすれば喧嘩もないし、刀の事でいらいらすることもなくなるわよ」
「……冗談も大概にしろよ」
聡次郎は立ち上がった。そのまま富士子に詰め寄る。
「今更何言ってんだよ。俺にここ以外の何処で生きろって言うんだよ」
「真面目にやればどうにでもなるんじゃない? あんた、まだ若いんだし」
「若いから、余計、どうしろって言うんだよ。両親もいない、親戚からは煙たがられる。学校もろくに出ていない。帰る家さえない。これでどうやって生きて行けって言うんだよ。言っただろう? 他に行く所なんて無いって」
だんだん声が大きくなる。怒りがこみ上げてくる。
「だったら、刀持つのだけでもやめたら? あんたがおかしくなるのは刀を持つからなんだから」
「刀も持たず、喧嘩もしないで、どうしてここにいられるんだよ。大体ハルさんもハルさんだ。俺に刀を持たせておいて、こういう生き方を教えておいて、今更取り上げるなんて。お前なんかに解るもんか。いつも組員に守られてぬくぬくと暮らして」
やつあたりだ。解っているが止められない。
「刀なんか持たなくったっていいじゃない。喧嘩だけしてればいいってもんじゃないでしょ。人を傷つけて何処が面白いのよ!」
「面白い訳無いだろう! こっちだって好き好んでやってる訳じゃない。身を守るためだ!」
思わず怒鳴る。
「俺だって戻れるもんなら戻りたいさ! ここの裏口に張り付いてた時に。でも、もうどうしようも無いじゃないか!」
向いて無い。漠然とだが自分でもそんな気がしていた。そこを突かれて頭に血がのぼっている。怒りにまかせて掛け値なしの本音が出た。
戻れるものなら戻りたい。でも、もう何もかもが遅すぎる。
「人をこんな世界に引っ張り込んでおいて、辞めろだなんてその口で二度と言って見ろ。今度こそ本気で襲うぞてめえ!」
そう富士子を怒鳴りつけた時、驚いた事に一瞬だが富士子が身を固くしたような気がした。
これまで何を言っても動じなかったのに。思わず聡次郎は黙り込む。
しばらくして富士子が口を開いた。
「なによ。引っ張り込んだだの、守られてるのって。だからどうしたっていうのよ」
ああ、またあの目の色だ。聡次郎は富士子の目を見ながら思う。
「ハルさんも、兄さんも、お義姉さんも、あたしだって、どんなにあんたを心配しているかちっともわかって無いじゃない。組員はね、家族なの。ましてあんたは一番若い新入りだし、心配されて当たり前じゃない。だからみんなあんたの事に必死なのに、肝心のあんたは刀がどうの、兄さんがどうの、ハルさんがどうのって」
富士子が睨む。
「行くところが無いのはみんな一緒よ! だからみんな組を守る事を考えて生きてるのに、あんただけじゃない、人にあたり散らしてばかりいるのは!」
そう言いながら富士子は後ろに身を引いた。
「辞めたくないなら、それでもいいわよ。でもこのままじゃ、あんたは組のお荷物よ。少なくとも頭に血がのぼるのは自分で何とかしなさいよ。じゃなきゃ、一生刀なんて握れないから」
そう言って背中を向けようとする。
聡次郎が思わず手を伸ばそうとすると
「近寄んないでよ!」
と、その手を払いのける。
「聡次郎なんて大っきらいよ」
そう言って富士子は稽古場を出て行ってしまった。
大っきらい。そこまで言われるとは正直思っていなかった。自分もカッカしていたが、富士子の方も相当頭に来ていたらしい。
それにしても富士子はなんであんなに怒ったんだろう?
そもそも組を辞めろと言い出したのは富士子の方だ。脅しをかけたのが怒りの原因とも思えない。
このくらいの脅しならこれまでにも言っていたし、富士子はかえって立ち向かっていた。
ここへ引っ張り込んだと言うのがそんなに気に入らなかったのか? だけどそれは本当の事じゃないか。まあ、俺も勝手に押しかけて来た訳だが。
それに俺だって好きでここに来たわけじゃない。そのくらいの事あいつだって解ってくれてもいいじゃないか。あいつこそ俺の事なんてまるで解っちゃいないんだから。
ここまで考えて慌てて聡次郎は思いなおす。
なんであいつなんかに解ってもらわなくちゃならないんだ!