組長の妹
ついに聡次郎は刀を取り上げられた。刀はおろかすべての刃を手にすることを禁じられてしまう。
聡次郎は深い喪失感を感じていた。親を亡くした時は、遺体がそれと解るような状態ではなかったため実感が無かった。葬儀の時は周りの異様なな視線にさらされてそれどころではなかったし、親を亡くした実感がわく頃にはここに慣れるのに必死で、感慨にふける余裕が無かった。
しかし今は、刀を取り上げられたことと、この半年の間に夢中で作り上げたはずの自分の価値を失ってしまった事が聡次郎に重くのしかかる。
刀が無ければ聡次郎には何もない。確かに以前富士子が言った言葉のとおりだった。なのにその刀を取り上げられて、なすすべもなく組長の許可が下りるのを待たなくてはならない。聡次郎には辛かった。
そう言えば最近富士子の姿を見ていない。自分より一つ年下の富士子はまだ高校生だ。登校しているのは解るが、朝は前より早くに出ているようだし、日中も何故か姿を見掛けない。ふと気になってハルに聞いて見ると
「どうやら組長が富士子さんにお前に近付くなと言ったようだ」と教えてくれた。
「まあ、仕方がない。別にお前だからどう、と言う訳でもないんだろう。もちろんおかみさんや辰雄も大事だろうが富士子さんは、何せ一回りも年の離れた妹さんだ。ほとんど娘も同然だろう。富士子さんは組長にとって最大の泣き所なのさ」
泣き所ね。そう言えば組長は富士子にやや甘いところがある気がする。富士子が平気で年上の俺をあんた呼ばわりするのもその辺のせいかもしれない。
その時聡次郎はふと思った。組長がそれほど大事に思う富士子に、俺が目の前でちょっかいを出したら組長はどんな顔をするだろう。もちろんタダでは済まないのだろうが、俺に刀を持つなと言ったあの顔が歪むのを見てみたい気もする。最初に持つなと言ったのはハルさんだが、あの場にいたハルさんはともかく、俺のことなどろくに知らない組長に禁じられたのは正直面白くない。
それに、俺が富士子にどうこうするのならともかく、富士子の方が俺に関心を向けるのならさすがの組長も文句が言えないんじゃないか?
……面白いかもしれない。このままいらいらしながら許しを待つのも癪だし、何と言っても自信がある。
そこで聡次郎は辰雄に切り出した。
「今度の日曜に遊園地に行かないか?おばちゃんも誘って」
辰雄は目を輝かせた。当然だ、組長夫妻が辰雄を遊びに連れ出した所など見たことが無い。飛びつくに決まっている。しかし辰雄は不安そうに聞いてくる。
「でも、おばちゃん、兄ちゃんに近付くなってお父さんから言われてるよ」
「知ってるよ、そんなこと。だから朝早くにこっそり出かけよう。おばちゃん以外、誰にも言っちゃだめだぞ」
辰雄は大喜びで伝言を伝えたらしい。富士子は組長の目を盗みながらも、すぐに飛んできた。
「聡次郎、あんた、なんてこと辰雄に吹き込んだのよ」
「俺は辰雄を遊園地に誘っただけだ」
「なんでそこにあたしが出てくるのよ。二人で行けばいいじゃない」
「俺だって辰雄と二人だけで出かけた事なんかないからな。もし、辰雄にぐずられでもしたらどうすればいいか解らないよ」
「あんた、辰雄をダシに使う気?」
「そう思うのは勝手だけど、辰雄はすっかりその気だぜ。あれで行かないなんて言ったらさぞがっかりするだろうな」
富士子は黙り込む。
してやったり。富士子がカンカンに怒っているのは解ったが、断らないことも解っていた。もし、本当に聡次郎が辰雄だけを連れだしたりすれば、もっと心配になるに決まっているのだ。
日曜日、三人は朝早い時間にそっと組を抜け出した。いつもは朝に弱い辰雄も、今朝はバッチリ目が冴えている。
「この子、昨夜は興奮してひどく寝付きが悪かったの。途中でバテなければいいんだけど」
富士子は心配顔だ。
「だったら途中で昼寝でもさせればいいさ。いいじゃないか、こんなに喜んでるんだから」
そう言う聡次郎も心が浮き立ってきた。最近くよくよする事ばかりで気が沈んでいたのかもしれない。そう言えば昼間に行楽で出かけるなんて久しくなかった。
辰雄は夢中になってあれも乗りたい、これもしたいとねだってくる。そのたびに富士子が言った。
「聡次郎と行っておいで」
おかげで聡次郎は辰雄にすっかり振り回される。
広い園内を辰雄に振り回されて連れて歩くだけでも一仕事なのに、辰雄は興奮して走りまわっている。富士子は後ろからついてくるか、ちゃっかりベンチで休んでいた。
こいつ、俺に子守を押しつける気だ。
そうは思ったものの辰雄をほうっておくわけにもいかず、結局、辰雄が疲れて寝入るまで聡次郎は振り回され続けてしまった。
遅い昼食を終え、辰雄が疲れて眠る頃には聡次郎も疲れ果てていた。
「こいつこんなに体力あったけ?」
ため息交じりに聡次郎は聞いた。
「今日は朝からずっと興奮してたからね。まあ、興奮させたのはあんただけど」
「お前、わざと辰雄を押しつけてただろう」
「あれだけ興奮してたら、本気で付き合ってたらこっちが持たなくなるからね。辰雄の世話はあたしの方が慣れてるの。これに懲りたら二度と辰雄をダシに使うのはやめる事ね」
と、富士子はぬけぬけと言う。
「お前かわいげがないな。そもそも俺をあんたって呼ぶのやめろよな」
「あんただって、あたしをお前って呼んでるじゃない」
「俺はお前より年上だぞ」
「たった一年じゃないの」
「それでも年上だ。お前、組長の妹だからって、目上の男達にちやほやされて生意気になってるんだよ」
「……あんたは何にも分かってないのよ。組の事も、この世界の事も」
「解ってるさ。組の中で守られてるお前よりは」
聡次郎は突っかかった。いい加減疲れて気が立っていた。
「いいか、一度喧嘩に飛び出せばこっちは命懸けだ。身体張って生きてるんだ。お前は俺を刀だけのやつと思ってんだろうが、そこいらのやつより鍛えてる分よっぽど力があるんだぜ。お前は男の怖さなんか知らないだろう」
そう言って聡次郎は富士子に近づいた。
「あんまり人を馬鹿にするなよ。俺だって男だ。舐めて甘く見てるとしまいにゃ襲うぞ」
しかし富士子は動じなかった。聡次郎の苦手なあの目で睨み返してくる。
「やれるもんならやってみなさいよ。あたしを誰だと思ってんの?」
目の光が強くなった。
「華風組組長の妹、華風富士子よ。このあたしに手出ししようってんなら、それなりの覚悟があるんでしょうね? あたしを敵に回すなら、組を敵に回すと同じ事よ。それほど惜しくない命ならこっちだって容赦しないわ。身体を張ってる? 笑わせないで。組長一家を守りもしないでなんのための組員よ。そっちこそ舐めんじゃないわよ! あたし達は伊達で華風の看板しょって生きてんじゃないんだよ!」
聡次郎は絶句した。まさか十八の少女にこうまで見事に啖呵を切られるとは思っていなかった。さすがは組長の妹。腹の座り方がまるで違う。考えが甘かった!
後悔先に立たず。富士子はまだ睨んでいる。聡次郎はため息をついた。
しばらくしてようやく富士子も視線を切った。
「もう帰らない? 辰雄も眠っちゃてるし」
「……そうだな」
聡次郎も同意した。すでに精も根も付きていた。富士子が啖呵を切った時点で。
組に帰る途中の道でハルが三人を待ちうけていた。
「三人とも何処に行ってたんだ? 組長がカンカンだぞ」
「バレてるんですか?」
聡次郎が聞いた。
「当たり前だろう。三人そろって姿を消せばバレるに決まってる。富士子さんは辰雄君を連れて、急いで帰った方がいい。聡次郎、お前は俺に付いてこい。少し時間をおいた方がよさそうだ」
そう言われて富士子は慌てて眠った辰雄を背負いながら帰って行く。ハルは聡次郎を近くの喫茶店に連れて行った。
「お前どういうつもりだ? この間言ったばかりだろう。あれじゃ富士子さんが可哀想だ。今頃組長から散々説教されているはずだ。誘った女にツケの尻拭いをさせて、情けないとは思わないのか?」
いきなり説教されて、聡次郎は憮然とする。
「俺達は遊園地に行っただけだ。組長にどうこう言われる事じゃない」
「そんな言葉が通用する訳ないだろう。とにかく二度と黙って姿を消すような真似はしないでくれ。俺だってかばいきれないこともあるんだぞ」
ハルがため息をつきながら言った。
「で、どうだったんだ?」
ハルが間をおいて聞く。
「何がです?」
「富士子さんだよ。少しは仲良く……なった顔には見えないな」
「なんであいつ、普段は暗そうにしてるくせに俺には強気で食ってかかるんだか」
「まあ、こんな世界で暮らして来て明るくなれと言う方が無理だろう。そもそも気が弱くちゃやっていけない世界だ。あの娘はいい娘だよ。そのうちお前にも解るだろう」
「いや、結局あいつ、俺の事を舐めてかかってるんだ。今に見てろよ。絶対に落してやる」
それを聞くハルが「やれやれ」と言う顔をした。




