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 二人の付き合いが始まっても、周りはたいして気にする様子は無かった。


 前から聡次郎が富士子に言い寄っていた事は誰もが知っていたし、結局なるようになった。と言うのが大方の見方だった。


 その頃は頻繁に喧嘩や乱闘が起こっていた頃で、組の雰囲気も殺伐としていたため、皆が明るい話題に飛びつきたがっていたので、二人の事はむしろ歓迎されてさえいた。


 ハルは最初から二人の味方で聡次郎には頼もしかったし、おかみさんも富士子の味方だったらしい。ただし一番厄介な人物が二人の事を反対していた。組長だ。


 そもそも華風組は家風が厳しい。組員が女の事で組に迷惑をかける事はご法度だ。ましてや富士子は組長の年の離れた妹。組長が賛成する訳もない。特に、こういう問題では組長の意見は絶対だった。



 おかみさんはため息交じりに言う。 


「あの人もしょうがないわねえ。こういうことでむきになって反対したって、かえって煽るのが関の山なのに。あの人も富士子さんの事となると普通じゃいられなくなるのよね。こればっかりは理屈じゃないから説得するのも難しいし」


 実際、あの忙しげにしている組長が富士子の事となるとどうやって時間を作るのか、実によく見張っている。富士子の部屋の周りに聡次郎は近づく事さえできない。


 二人を外で会わせないためか、聡次郎が組を出ている時間は富士子を外へ出させない。


 それでもハルさんやおかみさんが作ってくれる時間を二人は大いに楽しんでいた。


 普段が声を掛け合う事さえためらわれるだけに、たまにゆっくり軽口をたたき合えばそんな事さえ楽しい。

 ようやく始まったばかりの恋に、二人の心はただ、明るかった。



 そう言えばこんなにいい人のハルさんの、浮いた話を聞いたことが無い。何か訳でもあるのだろうかと聡次郎が不思議がると、富士子が教えてくれた。


「あんた、カズヒロさんの話は聞いてる?」


「俺の前にハルさんの世話になった人だろう?何でも喧嘩で刺されて死んだとか」

 聡次郎は始めてハルに会った日の話を思い出した。


「そう、三年前にここにいたんだけど、カズヒロさんにはお姉さんがいたの。こんな世界から引っ張り出して、足を洗わせようと必死だった。当然よね。こんな世界、身内だったら誰でも嫌がるわよ」

 そう言いながら富士子は目を伏せる。


 以前富士子と口論した時は勢いで「こんな世界に引っ張り込んだ」と、聡次郎はなじってしまったが、それを思った以上に富士子が気にしている事を、聡次郎も知るようになっていた。


「カズヒロさんのお姉さんがハルさんの想い人だったのよ。それなのにカズヒロさんは死んでしまった。ハルさんの目の前でね。何でも喧嘩の相手に挑発されて、カッとなった所を刺されたらしいの」


 そうか、だからあの特別な稽古の時に、ハルさんはやたらと俺を挑発したんだ。ハルさんが刺された時も、俺をかばってくれたんだ。俺が同じ目にあわないように。


「カズヒロさんが死んだ時、お姉さんはハルさんを随分なじったらしいわ。一生恨むとまで言われたらしいの。きっとハルさん、とっても傷ついたと思う。ハルさんだってカズヒロさんの事、とっても可愛がっていたんだから。ハルさんの事だから、今でもその事を気にしてるんじゃないかしら?」


 人の恨みは買うな。買いたく無くても買うはめになる恨みもある。ハルの言葉の重みが伝わる。


「ハルさんがあんたの事に必死になるのは、カズヒロさんや、お姉さんへの償いがあるんでしょうね」


 なるほど、富士子の言葉は決して多くはないが、ハルさんの事だ。実際には色々な事があったに違いない。


「ハルさんも、辛い思いをしたんだな」

 聡次郎が思わずつぶやく。


「そうね。きっと苦しんだと思う。でも、あんたやあたしの世話を焼くことで、少しはハルさんの気が晴れているのかもしれないわ」


「そうだといいな。じゃなきゃ俺、ハルさんに申し訳ない。何も知らずに甘えっぱなしで」

 聡次郎はしみじみそう思った。



 季節が冬に移っても、相変わらず組長の締め付けは厳しい。ところが聡次郎はだんだんそれを楽しみ始めた。

 まるで組長を出し抜いている様な面白さを感じている。


 わずかに残る組長への反発心に煽られて、気持ちが高揚していくのだ。そのたびにハルにくぎを刺される。ここにいられなくなれば元も子もない。その思いが自制心を保たせてくれた。


 しかし、事態は変わる。


 そろそろ富士子の卒業も近づいて来た頃、麗愛会は華風組に手を出さなくなってきた。力がかなり均衡して、消耗戦が増えてきたためだ。そこで向こうは華風組よりも小さな組に目を付けた。その組もかろうじて最悪の事態は避けられたが、代わりに若い男が銃で撃たれて、命は助かったものの片足を失ったらしい。


 そんな話が飛び交う中、聡次郎は組長に呼び出された。



 組長は開口一番に聡次郎に懇願した。


「聡次郎、ほかの事なら何でも許す。どんな条件でも飲もう。頼むから富士子の事だけはあきらめてくれ。あいつだけは組の者と一緒にしたくない。いや、この世界の奴とは一緒にできない。あいつは俺達とは違って、ここを出れば普通の幸せをつかむ事が出来る。俺はあいつに普通の幸せを与えてやりたいんだよ。この世界も昔とは違う。銃を持ち出して簡単に命を奪う時代が来た。俺だってお前だっていつ死ぬとも解らないじゃないか。頼むから富士子だけはあきらめてくれないか?」


 

 以前、刀を禁じられた時は、こんな事を夢見たこともあったっけ。 今となってみれば、それはどれだけ馬鹿馬鹿しい事だったんだろう。肉親の情にふれて、聡次郎は胸が痛んだ。


 組長は苦渋の表情をしている。自分が組長の立場だったら同じように苦しむのだろう。富士子も「辛い世界だよ」と言っていた。あれほどの男のハルさんでさえ、この世界にいるばっかりに恋を成就させられなかった。それほどこの世界で恨みを買わず、命を失うことなく、富士子を幸せにするのは難しい事なのだ。


 組長を出し抜いているなどと言うふざけた気持ちはいっぺんに消え去った。


 自分は富士子をさらに組に縛り付けてしまう存在なのだろうか?


 聡次郎は初めて揺れ始めた。



 そんな気持ちはすぐに富士子に伝わったらしい。富士子は真剣に語りかけて来る。


「聡次郎、あんた、今更迷っているの? あたしの方はとっくに覚悟が出来ているのに。ここに生まれた時から、辛いことも、悲しい事も、ずっと受け入れて来たのに。あんたをあの裏口に通した事を、あたしは本当に後悔したわ。あんたをこの世界に入れたのは他でもないあたしよ。今だって後悔してる。そんなあたしが別の幸せなんか探せるって本気で思ってんの? あたしはね、あんたをここに入れた時、自分の魂をあんたに預けたと思った。あんたが不幸になるなら、それはあたしのせいだと思った。それなのに、あんたはあたしを守ると言ってくれたじゃないの」


「それはお前のせいじゃない。前にも言ったろ? 俺は自分でここを選んだって」


「だったらなおさらよ。聡次郎がここでしか生きられないなら、あたしはここにいるしかないの。あたしの魂をあんたに預けてあるんだから。あんたが別の世界で幸せになれるならともかく、この世界にいる限り、あたしはあんたの事が気になって、幸せになんてなれないのよ」


 自分がこの世界にいる限り、二人は離れる事が出来ない。そうかもしれない。あの裏口で、富士子は俺の運命を握っていた。あの時俺も、そうとは知らずに富士子に魂を預けたのかもしれない。


 聡次郎の迷いは消えた。明るい恋の気分が、真剣な愛情へと変わった。


 富士子自身がここまで覚悟を決めているなら、聡次郎に迷う必要は無かった。



 二人の思いとは逆に、事態はさらに悪くなった。富士子が卒業すると組長は富士子の部屋に外鍵を付け、監視し始めたのだ。これではまるで監禁だ。


 いくら覚悟があると言っても、これでは富士子が可哀想過ぎる。すでに正気の沙汰じゃない。何とかならないものかと考えあぐねていると、聡次郎よりも先にしびれを切らした人物がいた。おかみさんだ。



「あんた! いい加減にしなさいよ!」

 組中におかみさんの声が響き渡る。野次馬が、皆、富士子の部屋の前に顔を出した。聡次郎も駆けつける。


「あんたがやっている事は、辰雄がお気に入りのおもちゃを手放したくないと駄々をこねているのと一緒よ! いつまで富士子さんを自分のモノ扱いしているの? さあ! 今すぐこの鍵を開けないと、こんな扉、私が叩き壊すわよ!」


 見れば、おかみさんは大きな花瓶を手にしている。今にも組長に投げつけんばかりの顔をしている。組長は顔を真っ赤にしておかみさんを睨んでいる。こっちも爆発寸前だ。誰も声を立てる事も出来ない。


 しばらくにらみ合いを続けた二人だが、ついに組長が口を開いた。


「そんなに会いたきゃ、勝手に会えばいいだろう!」


 そう怒鳴って鍵を開けると、出て来た富士子と聡次郎を一瞬睨む。そしてそのまま自分の部屋に閉じこもってしまった。唖然とする二人に


「良かったわね。会ってもいいそうよ。大丈夫、あの人も時期に折れるから。自分の味方が一人もいなくなったもんですねてるだけなんだから」


 本当にそうだろうか? しばらくは疑心暗鬼に駆られた二人だったが、確かに組長の視線を感じる事は無くなった。二人を無視するのがせいぜいだ。



 一年後、思い切って二人は一緒になりたいと組長に切り出した。意外にも組長はあっさりと承諾した。


「一緒に暮らしていて今更結納も無いだろう。聡次郎には親もいない事だし。式の手筈は整えるから、日を選んで籍を入れればいい」

 そう言ってむっつりと席を立った。

 




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