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第十七話『紅魔館の日常、咲夜編・前編』

あの異変から一ヶ月、紅魔館には常の日常が戻っていた。

だがその日常は、一ヶ月前までの日常とは少しだけ異なっていて―――

ということでお待たせしました。紅魔館編日常パート、今回は咲夜編です。

タイトル見て頂ければ判る様に、次回も咲夜編です(殴





 早朝の清涼な空気が大気を浄化し朝日を眩しく爽やかに輝かせる卯の刻(午前6時)


「………………ん、うぅ」


 霧の湖の畔に立つ紅い館のとある一室、メイド長の私室。豪華に過ぎずとも簡素とまでは言わず、程良い気品を醸し出す紫檀で造られたベッド。ボトムに置かれたマットレスを純白のシーツで覆い、その柔らかさに身を沈めて眠りに就いていた部屋の主が、窓に掛かるカーテンの隙間から差し込む陽の光に、明るくなった室内の気配を感じて朝の訪れに身を捩る。


「………………………」


 むくり、とゆっくり半身を起こしたのは、寝癖に銀髪を乱れさせ、端正で可憐な顔を寝ぼけ眼で呆けさせる十代後半と見える少女。薄い水色の生地から繕われたドレスシャツタイプのパジャマは寝乱れて、留めボタンが全て外れて肌蹴た前からは、レースのあしらわれた黒いブラジャーが形の良い豊かな胸を包み込んでいる。同色同生地のズボンはいつの間にか脱ぎ捨てられており、筋肉と脂肪が絶妙のバランスで引き締められた見事な脚線を描く長い脚が、掛け布団を蹴り上げて梅雨時特有の湿った室内の外気に晒される。


「ふぁ、ぁぁ………んん~………」


 そんな自らの体面を気にするでもなく、暢気に欠伸をして身体を伸ばし全身に力を行き渡らせる、起きている間は完全無欠の従者だが、熟睡中と起床直後は至って普通の少女であることを体現している、紅魔館のメイド長、十六夜咲夜。


 メイド長たる彼女の仕事は、この紅魔館の保守管理。具体的な仕事内容は、広大で複雑に入り組んだ迷路のような屋敷の清掃業務。数だけは充実しているが殆ど用を為さない大量の妖精メイド達の管理。屋敷の主人たるレミリアお嬢様の暇潰し代わりに繰り出される無理難題な命令etc―――。


 人間の少女が一人で背負うには余りにも過剰業務なブラックぶりで、これが外の世界ならば労働基準法違反で訴えられる処である。が、この咲夜に限ってはそうでもなかった。彼女の身に秘めた能力と、主人への尽きぬ忠誠心が、その不可能を可能にしていた。


 時間を操る能力―――それが紅魔館のメイド長・十六夜咲夜が持つ能力である。自分以外の外界の時間を止めている間に屋敷を掃除したり、物体の時間を加速させて蕾を瞬間で開花させたり林檎ジュースを林檎酒にしたり、世界の時間を遅延させて自分だけ超高速で移動したり出来る、普通の人間が持つには強大に過ぎる能力である。


 この能力を駆使して、咲夜は広大な紅魔館の清掃業務と大量の妖精メイド達の保守管理をたった一人で遂行することが『出来ていた』。


 文末が過去形になったのは、別に彼女から時間を操る能力が失われたりした訳ではない。能力をフル活用しなくても、たった一人で全ての業務を抱え込まなくても問題がなくなったからである。


『彼』がこの紅魔館の執事に就任してから、広義で見るとささやかだが、狭義で見ると劇的に、紅魔館は変化を遂げた。その狭義、咲夜個人の目線から見た変化は、彼女に『能力を使わなくても』人並みの睡眠時間を取ることが出来ている事が、その顕著な例であろうか。


 今まで咲夜はその能力の恩恵を最大限に活用して、一人で膨大な仕事を処理してきた。時間の流れを操るという、一見するとこの世の因果律に干渉するような大魔術を行使しているように見えるが、払うべき魔力を払えば行使には何ら不足もない。体力と違って魔力はしかるべき精神的休息が取れれば回復は肉体の疲労より容易である。常時緊張状態にある戦闘中を除いて、時間停止で消費した分の魔力はその時間停止中に既に回復しているのだ。


 故に咲夜は時間を止めて業務を滞りなく進めながら、時間を止めている間に休息することで、プライベートの自由時間を得られる程に余裕をもって仕事が出来ていたのだ。


 本来なら今この時、夜行性のお嬢様が就寝している間は、咲夜も眠りに就いているはずだった。メイド長は常に主人の要求に迅速に応じなければならない。主人が就寝した後に眠り、主人が起床する前に起きているべきである。その主人が吸血鬼という夜の種族であるが故に、普通の人間の活動時間とは真逆の生活習慣だったサイクルが、この一ヶ月で常人のそれに修正されつつある。


 理由は簡単なようで、複雑に見えて、やっぱり簡単だった。単純に有能な部下が咲夜の下に就き、彼女が今まで考えもしなかった手法で以て、メイド長一人に掛かる負担を減らしたのだった。


「ん〜………」


 未だに完全覚醒していない寝ぼけ頭を二、三回拳で叩いて、咲夜はゆるゆるとベッドから身体を抜け出させると、


「んっ、んんーっ………ふうっ」


 脚を肩幅まで開き、両手を組んで頭上に掲げ、全身をもう一度全力で伸ばす。睡眠中に凝り固まっていた筋肉が、活力を全身に行き渡らせて、今度こそ頭の方も目を覚ます―――


「咲夜さん。起きてるか? 今週の妖精メイド達の分担の件だけど―――」


 その瞬間に、扉の外からノックの音と共に、扉を隔てながらも良く通る男の声が耳に届いた。


「あ………悠人?」


 声の主が誰なのかは、この一ヶ月間を共に仕事をしてきた仲であり、それ以上に複雑な感情を抱いている相手である事から、容易に特定できた。その人物の名前である返事をしてから、咲夜は瞬時に仕事中のメイド長へとモードチェンジする。寝ぼけ眼はキリッとした凛々しいものに、緩慢な動作でベッドから這い出てきた身体はビシッと背筋を伸ばして、部屋履きスリッパのぺたぺたという音が、ハイヒールのカツンカツンという硬質な音に幻聴するくらいの鋭い動作で、部屋の外で待たせている部下と直截話をするべく扉を開ける。仕事に関わる重要な話は相手の目の前で行うのが彼女の流儀であった。


「おはよう、悠人。妖精メイド達の分担は貴方の采配に任せるわ。多分、昨夜の内から考えていたのでしょうから」


「おはよう、咲夜さん。それじゃあ、今週の館内清掃班はA隊からN隊で各個分担して、残りは適当に割り振るか」


 扉を開けるや否や、咲夜はすぐ目の前にいる黒い燕尾服を身に纏った青年に挨拶の言葉を投げ、間髪入れずに彼が言わんとしていた事の内容を先取りして返答とする。今の彼になら、自分が事細かに指示を飛ばさなくても、最も効率の良い人員(妖精)配置を構築して滞りなく妖精メイド達に仕事を与えることが出来るだろう。一ヶ月前に紅魔館執事の初仕事でひいひい言っていた彼の姿は、今や見る影も無かった。


 相変わらず先の先まで読んだ上でこちらの機先を制してくるメイド長だと内心で苦笑しながら、咲夜を訪ねた燕尾服の青年、紅魔館の執事・國崎悠人は、同じように挨拶の言葉を返し、彼女に倣って即座に手に持っているクリップボードに留められた「妖精メイド隊役割分担リスト」に目を落として、具体的(と言いつつ微妙に適当)な仕事の内容、即ち妖精メイド達の担当業務のグループ分けについての説明を続ける。


 自分の前に立って、まるで執事みたいな仕事をしている(いやまぁ執事の仕事をしているのだが)この青年が、まさかこれほど執事として有能な素質を備えていたとは、一ヶ月前には想像も付かなかった。そんな事を考えながら、咲夜は感慨深い思いで彼の横顔を眺め、時折彼が示してくるリストに目を流しつつ、徒然想いを流していた。


 そもそも、どうして彼が執事としてこれほどまでの能力を発揮し得ているのか。


 話せば長くなるが………あれは『紅魔館混沌異変』が終息した直後の事だった。






 一ヶ月前から一日後の紅魔館。


 後に『混沌の炎』と名付けられる事になる紅黒い炎に侵食され狂化したフランドールが、屋敷とそこに住む重要人物、及び客人に対して強大な力を振い、紅魔館の主の身体と屋敷の建物及び大庭園に多大な被害を出した異変。後に『紅魔館混沌異変』として語られる事になるこの激闘から、早くも一日の時が経った。


「―――………と、いうわけで。お屋敷の支柱は無傷でしたので、地下一階と地上一階から屋根までの孔を塞げば、建物の方の損壊は早期に修復できそうです!」


「わかったわ。それじゃあ、適当に妖精メイドを動員して貴女が陣頭指揮を執って修復作業に当たって頂戴。メイド長の権限を一時的に貴女に委譲するわ」


 メイド長の部屋、即ち十六夜咲夜の私室で、ベッドの上に半身を起こして休息の体を取っているのは、当然この部屋の主である咲夜その人。彼女はあの激戦で体力も魔力も使い果たすほどの働きをこなして、その反動から来る極度の疲労という名の代価を己が身を以って払っている。つまり、口と上半身以外は動かす事も儘ならない程の脱力状態に陥っているのである。


 本来なら、多少の疲労であったならば、時間を止めて一人だけ十分な休息を取ってから、彼女自身が陣頭指揮を行うところなのだが。今回ばかりはその時間停止を行うだけの魔力が殆ど残っていなかった故に、不本意ながらここでこうして部下である紅美鈴に口頭で指示を出して、彼女に屋敷の修復作業の指揮を取って貰うことになったのだ。


 その美鈴から、屋敷の損傷具合を確認して貰い、どの程度の損壊でどの程度の資材、人員、時間が必要なのか、それら調査の結果を彼女本人の口から報告という形で聞いていたところだった。思った以上に深刻な損壊具合ではなかったようで安心したのか、それとも単に疲労から来るものだったのか、表情を和らげて嘆息一吐。そしてすぐに表情を引き締めて『メイド長』として『門番(部下)』の美鈴に今後の修復作業に関わる全責任を彼女に委譲すると指示したところだ。


「了解ですっ! 咲夜さんはこの機会にゆっくりとお休みになってくださいね!!」


 指示された美鈴は必要以上に元気な声で返事をし、余計なお世話と知りつつも咲夜(上司)を気遣った言葉を置き土産に、シュバッと一礼してからキビキビとキレのある早歩きで退室して行った。


「…………ふぅ」


「随分張り切っていたな、美鈴」


 あの戦闘の後、咲夜はいつの間にか意識を失って、目を覚ました時には既に自室のベッドの上に寝かせられていた事に気付いたのが、ほんの数刻前の事。その後すぐに美鈴に体調の安否を尋ねられて「問題ない」と答えた後は、即座にメイド長としての職務を思い出して屋敷の被害状況の調査整理に赴こうと身体を動かそうとしたが、体力魔力共に使い果たしている事を自覚して己が職務を果たせず沈み込みそうになっていたところを、美鈴が咲夜(メイド長)の臨時役を買って出て、諸々の調査を依頼し、その報告を受け取った彼女は、美鈴に自分が復帰するまでの臨時指揮者としての役割を任せた、という流れである。


 時間的にはほんの数十分の遣り取りだったが、今の疲弊した彼女にとってはそれすらも重労働に錯覚する疲労を覚える。ようやく息つく暇を得た咲夜が深く短い溜息を吐いた、その隣で、彼女が目を覚まして以降ずっと隣に侍っていた國崎悠人―――ボロボロになって衣服としての様を為さなくなっていたメイド服から私服に着替えている―――が、苦笑の色を含んで、この場においては至極どうでもいい事を口にする。それが自分の気を紛らわす彼なりの不器用な気遣いだと気付いた咲夜は、


「普段は役に立たないけど、こういう時だけ異様に頼もしくなるタイプなのかもね」


 悠人と同じ種類の苦笑を自然に浮かべて、ヘッドボードに立てておいた背もたれ代わりの枕を定位置に戻して、全身をベッドに沈み込ませる。半身を起こして普通に喋るだけでも、今の彼女には重労働並みの負荷が掛っている。昨夜の戦いは、それほどまでの消耗を余儀なくされる死闘だったのだ。


「………どんな状況でも、頼りになるのなら………、それは………」


「? どうかしたの?」


 無意識のうちに何事かを呟いていた悠人の小声に気付いて、しかし細かい内容までは聴き取れなかった咲夜が、きょとんとした表情―――メイド長としての凛々しさではなく、普通の少女としての暢気なそれ―――を向けて、常の彼女(厳しいメイド長)らしからぬ気の抜けた声で尋ねる。


「っ、あ………いや、なんでもない」


「………?」


 明らかになんでもない訳が無い様子を見せる悠人だが、咲夜はそれ以上の追及はしなかった。ある程度の責務(紅魔館の現状確認と美鈴への臨時役職委譲など)を果たした彼女は、安心感から来る虚脱感に全身を苛まれ、目を閉じればすぐにでも熟睡できそうな程に疲弊していた。自分がこんな有様でなければ、上司として、部下の悩み相談程度なら引き受けるところなのだが、生憎とそれは果たせそうにない。


「………………なぁ、咲夜さん」


「今日はもう、これ以上の仕事は勘弁だわ。だから、今の私はメイド長ではなくて―――」


「そう、か………。じゃあ、咲夜」


「何かしら?」


 部下の悩み相談に対して、上司として適切な助言をしてやるには、今の疲労困憊の体である自分には些か以上に負担が大きい。仕事に関わる相談を持ち掛けられて、適当に答えてしまった結果、部下の仕事に悪影響が出てしまっては上司として失態の限りである。故に、咲夜は彼女個人として、悠人個人の話を聞くことにした。余計な敬称を省かせて、部下から上司への相談ではなく、悠人から咲夜への雑談(なのかどうかは定かではないが)として。


 悠人は思い詰めた様な真剣な表情を少しだけ崩して、上司の名を労働時間外の呼称で口にし問いかける。


 問われた咲夜、今はメイド長でも何でもない、過労で床に臥す普通の少女は、短く一言で応じる。


 悠人はともかく、咲夜までもが、一秒が何分にも感じられる重苦しい僅かな沈黙を置いて、


「俺は………これからここ(紅魔館)で、執事としてやっていけるのだろうか………」


「へ………?」


 再び苦虫を噛み潰したような表情に戻って、血を吐くような思いで吐露した悠人に、咲夜は予想の範疇外にある種類の言葉を耳にした結果、つい頓狂な声で返事をしてしまった。


 同時に―――彼が内心に抱く苦渋の感情をも理解した。


 先の戦いが終息してから、戦闘中に意識を失った者達のなかで、悠人は二番目に目を覚ました。それは即ち、あの戦闘で最も消耗が少なく、殆ど戦闘に参加しておらず、守られるだけの立場であったことの動かぬ証明(ちなみに一番最初に目を覚ましたのは美鈴だが、彼女は頑丈さだけが取り柄の肉体派妖怪なので比較するのは無粋だろう)。


 あれだけフランドールを、ルーミアを守ると豪語しておきながら、心に深く覚悟を刻んでおきながら、しかし結局、何も出来なかった。


 役立たず以下の存在に堕した自分を恥じて、自分を許せず自分自身に途方もない怒りを抱く。そんな悠人の心情が、今の彼の表情と声色に余さず隠さず現れていた。


 彼の気持ちは、判らないでもない。かつて彼女も、今の彼と同じ感情を抱いていた時期があった。己の無力さ故に守れなかった大切な存在。あの時の自分自身に対する失望と憤怒と悲嘆は、未だ思い返すだに総身が崩れ落ちそうな程の震えを呼び起こさせる。


 幻想郷に来てからは、そのトラウマ(過去)も忘れずとも業の意識は薄れて、平静を保つことに意識を割く必要もなくなったが。


 今、咲夜の目の前で立ちすくむ、自分を無力な存在だと断じている青年は、過去の彼女を寸分違わず投影していた。あの頃の、無力だった自分の姿を。


 まるで昔の自分を見ているようだと、苦笑するべきか憤慨するべきか迷ってる間に、自然と一つの言葉が浮かんできた。かつて彼女が、今の悠人の様に落ち込んでいた時にかけられた言葉が。


 当時の落胆に沈んだ自分を救ってくれた、彼女の上司、先代のメイド長。


 今、彼女の目の前で道に迷っている部下に、今度は自分の口からこの言葉を送ってやればいい。


「―――『どうすればいいのかではなく、どうしたいのか。あなたが今考えるべきなのは、たったそれだけよ』―――」


「………咲夜」


 ベッドの上で横になって、悠人を見上げる昨夜の視線は、愛する子を慈しむ母のような柔らかなもの。それとまったく同じ性質を持つと感じさせる声で、かつて彼女自身も救われたその言葉を送る。アドバイスとしては抽象的で、心構えの啓発みたいなものではあるが、その言葉で彼女が自我を取り戻せたのは確固たる事実。故に、彼女が自分の部下と認めた彼が、この言葉の効果を受けない筈がなく、


「難しそうな事を、さも簡単そうに言ってくれる………。だけど、そう言われると、実際に簡単に思えてきたな」


 苦笑と憎まれ口で返した悠人の声と顔には、明らかに前向きな決意の明るさが表れていた。


「それは当然。なんたって私の大切な上司のありがたい言葉だからね」


 上司って、レミリアお嬢様のことだろうか? と、少しだけ見当違いな勘違いを内心で零して、悠人は深く頷いた。


「やってみるよ。俺に出来る事を」


「ええ。そうしてくれると助かるわ」


 迷いの晴れた表情で上司を見つめる悠人。メイド長として存分な助言を与えられた事に満足した咲夜。その後は特に会話も無く、ただただ互いの顔を見つめ合うだけの時間が数秒、或いは十数秒過ぎた、次の瞬間―――


「あー、お楽しみのところ悪いんだがー………」


 背後から投げ掛けられた声に、執事とメイド長は内心でギクリと背筋を硬直させる。硬直させて、また次の瞬間にはその緊張を弛緩させる。


「なんだ………魔理沙か、ぅごふっ!?」


「なんだとはなんだ。毎回失礼な奴だな」


 扉の影から現れた、白いブラウスと黒いスカートだけの軽装で現れた金髪の少女、霧雨魔理沙が、適当な態度で出迎えた執事悠人に、手に持っていた荷物をアンダースローでその顔面に叩き込む。毎回変わる事のない物理的な挨拶の痛みに悶絶しかけた悠人だったが、今回は悶絶するほど痛くない。どころか、どちらかというとあまり痛くない。自分の顔面に叩き付けられた物の感触は、厚い布の様なもの。衣類か何かが風呂敷に包まれているような物体だった。というか、まさに衣類が風呂敷に包まれていた。


「香霖からお前に贈り物だとさ。どうせなら完成させてから送り出す(クビにする)べきだったって嘆いてたぜ」


「霖之助から?」


 手をひらひらさせてお使いを済ませた魔理沙と、訝しむ悠人が風呂敷包みを開きながら口にした、香霖、霖之助とは、先日まで悠人が雇われていた古道具屋・香霖堂の店主である森近霖之助のことである。


 彼はとある理由から悠人を香霖堂に住まわすついでに店員として雇っていたのだが、とある理由その2によって止む無く解雇し、悠人を紅魔館に送り付けた張本人でもあった。その霖之助にお使いを頼まれてやって来たのが魔理沙で、彼女は丁度良いタイミングでフランドールの狂化暴走事件に巻き込まれたということだ。


「結局渡すのが一日遅れてしまったが、半日も一日半も大して変わらんだろう」と話す魔理沙の声を半分以上聞き流しながら、悠人は風呂敷の中にある『贈り物』の正体を検める。彼の手によって広げられたそれは、


「黒スーツ………? いや、いわゆる執事服か?」


「いわゆる燕尾服ね」


 悠人が口にし、咲夜が訂正したそれは、まさに執事が纏っていそうな燕尾服だった。


 ビジネススーツを思わせる拝絹地付きのピークドラペルの襟を持つジャケットは、前合わせをウエストの部分で水平にカットされ、後部に腰を覆うように伸びる燕の尾の形をしていることから燕尾服の名を持つ、男性用の最上級礼服の一つである。派手過ぎず地味過ぎず、高貴な主人に仕える誇り高い使用人が纏うには十分な出来栄えの衣服である。


 本来の燕尾服は、執事や使用人が常に身に纏っているという訳ではないのだが、霖之助は『外の世界から流れてきた資料』を参考にして、執事に合う服装をチョイスしてこの服を仕立てたのだと言う。たった半日でこれほどまでの上質な衣服を仕立てるとは、なかなか職人気質な腕を持つ道具屋店主だと内心で感心する悠人。


「代金は『今後何か御入り用でしたら香霖堂を是非ともご贔屓に』だとさ」


 魔理沙が似てない物真似で霖之介の言伝を全て言い終える。ふあぁ、と欠伸を噛み殺して「それじゃ私は部屋に戻って休ませてもらうよ」と、疲れた声で言い置いて、そのまま二人に背を向けて部屋を後にした。


 魔理沙も咲夜同様、先日の戦いで力を使い果たし、紅魔館で休養していたのだ。目が覚めた時は紅魔館の一室にあるベッドの上で、無理をすれば自宅に帰ることも出来たが、珍しく紅魔館の責任者が「今回の件ではあんたも少しは役に立ったみたいだから休んでいきなさい」と無愛想に遇してくれたので、お言葉に甘えたというわけだ。ちなみにその『責任者』とは、戦闘の最中に半身を消し飛ばされて殆ど役に立たなかったレミリアである。


 それに魔理沙自身、用事があって紅魔館に来たわけだし、先の騒動の真相にも興味がある。むしろ宿泊許可は願ってもない待遇だった。


 その『用事』を済ませた魔理沙の背中に、悠人は自然と声を投げかけた。


「魔理沙。おつかれ」


「おう。頑張れよ、新米執事」


 なんてことのない労いの言葉。それを受けて魔理沙は一瞬だけ呆気に取られ、すぐに強気な笑みと共に激励の言葉を送り返す。


 ベッドの上でその様子を見守っていた咲夜も、安らかな笑みを零して、襲い掛かってきた眠気に抗わず、休息の時を堪能すべく眠りに落ちた。


「俺に出来ることを、やってみるよ」


 穏やかな寝顔を見せる咲夜に向けて、悠人は揺るぎない決意を秘めた宣言を口にし、静かに部屋を後にした。




 その翌日から、早速悠人は自分に出来ることを果たすために、紅魔館住人全員が驚嘆する方策に打って出た。


「妖精メイド達のグループ編成による業務分担?」


 ようやく普通に歩く事が出来る程度まで回復した咲夜が、自室に据えられたテーブルとペアになっている椅子に腰掛けて、ティーカップを片手に紅茶を嗜む姿を硬直させて上擦った声を漏らした。


 昼過ぎに咲夜の自室を訪ねて、彼女にそう提案したのは、燕尾服を身に纏った執事らしい姿を見せ付ける悠人。彼の手にはクリップボードに留められた数枚の紙があり、彼の筆跡で書き込まれたリストに、紅魔館で働く妖精メイド全員の名前が記載されていた。


「ああ。妖精メイド一人で仕事が出来ないのなら、複数人を纏めて一人分として数えて、それをグループ毎に各持ち場に分配すれば、少しは役立たせられるんじゃないかと思ってさ」


 悠人が紅魔館執事として就任して以来、彼の目に映る妖精メイド達は、新人の自分が言うのもアレだが、殆ど役に立っていないように見えた。実際に役に立っておらず、妖精メイド達は自分達の服の洗濯と自分達の食事を作る事だけで精一杯な有様だった。


 彼の初仕事の時に、咲夜にその現状を問い質した悠人に返ってきたメイド長の返事は、「私一人でもなんとかなるから大丈夫」というものだった。今朝方、美鈴にその詳細を尋ねてみると、どうやら咲夜は自分の能力を活用して、たった一人で他の妖精メイド達が担当するべきだった仕事をもこなしていたのだという。


 そこで悠人は閃いた。執事として自分に出来ることを。


「今回みたいなトラブルで、咲夜がダウンしただけで紅魔館の機能が停止してしまうのは、誰にとっても望ましくないことだと思う」


「でも、今では別に私一人でも十分………」


 悠人の至極もっともな正論に、咲夜は反駁しかけて、その術が無いことに気付いて口をつぐむ。メイド長として優秀に過ぎる彼女にも気付いていた。今では問題なかったと思っていたシステムが、今回のトラブルで致命的な欠陥を有していたことが露見してしまったことに。メイド長権限を美鈴に委譲するという緊急事態が起きたことが、その証左である。


「次からは、同じ過ちは犯さないわ」


 それでもなお食い下がる咲夜に、悠人は肩を落としてあからさまに残念至極といった風情で、優秀過ぎるが故に全てを一人で背負い込もうとする困った上司に、


「咲夜が一人で無茶する姿を、俺はもう見たくないんだ」


 一見馬鹿にした態度で、しかし内心は真摯な姿勢で、己の本心を吐露する悠人。そんな彼の、自分を想い遣る気持ちを正確に読み取って、咲夜は心臓をナイフで撃ち抜かれたかのような、衝撃ともいえる胸の高鳴りを自覚した。


「俺だけじゃない。皆そう思ってる。さっき確認してきた」


 常に余裕のある態度を崩さない、完全で瀟洒な従者が呆気に取られる様子にも気付かずに、悠人は続ける。その言葉に嘘偽りは無い。実際に彼は早朝に目を覚ましてからこの咲夜の部屋を訪れるまでに、件のリストを作成する為に紅魔館で働く妖精メイド全員から名前を聞き出す際、『メイド長についてどう思うか』といった内容のアンケートまで取っていた。自分勝手な行動律で生きている妖精にしては、紅魔館の妖精メイド達は真面目な方であり、仕事はまるで出来ないが、上司や屋敷の主に対する忠誠心は十分な程に持ち得ていた。その結果が、悠人が口にした事、即ち―――


「皆、咲夜の力になりたいと思ってるんだよ。あいつら―――まぁ俺もだけど、仕事は出来なくても、メイド長の為に頑張りたいって気持だけは、しっかり持ってるはずだからさ」


「………………」


 思い掛けない部下達の声を聞いて(本心を知って)、すべてを一人で背負い込んできた不甲斐無いメイド長は、しばしの沈黙の後―――


「………まったく。勤務中は『メイド長』か、『さん』付けで呼びなさいと言ったでしょう?」


「そう言えばそうだった。ごめん、咲夜さん」


 バツの悪そうな苦笑を隠しきれず、どうでもいい事を嘯いてはぐらかそうとする。その表情には、すべてを自分一人で背負い込めば済むと思っていた孤独なメイド長の険しい色は綺麗さっぱり消え去っており、素直に口で礼を言えない意地っ張りな部分の代わりに、彼に礼を言っているような笑顔だった。




 こうしてメイド長の許可も取り付けた執事(悠人)は、紅魔館の人員運営改革に乗り出す事となる。


 紅魔館で働く妖精メイドは、野生の妖精に比べて仕事意識が高く上司や主には従順でそれなりに敬意も払っているが、頭の中身は普通の妖精と大差はない。目の前にある一つの仕事をやっていると、他の事には目も向けない、どころか頭から完全に抜け落ちてしまう。要するにバカなのである。馬鹿ではなくバカである。


 バカというと聞こえが悪いが、ここでいう『バカ』とは少しだけ頭が残念な、人間(妖精)性で言えばどちらかというと愛すべき存在である種類の者を言う。『愛すべきバカ』という言葉を耳にした事があるだろう。そのバカである。対して『馬鹿』というのは、『馬鹿は死んでも治らない』の馬鹿の方で、もうどうしようもない者のことを指す。幻想郷に生きているほぼ全ての妖精は前者なので、まだ救いはあるのだ。


 話を戻そう。そんな特徴を持つおバカ妖精メイド達だが、今までは咲夜が彼女らの代わりにほぼ全ての仕事を一人で受け持って来たから気にならなかったらしいが、妖精メイドも何ひとつ仕事が出来ない訳ではない。各々の個性、特性、得意分野に限って言えば、どちらかというと仕事は出来るほうなのだ。


 では何故仕事が出来ないのかと言うと、前述の通り妖精の頭が残念なだけである。一つの事(目の前の仕事)に集中できず、その仕事が終わっていないにも関わらず、すぐに他の仕事に移ってしまう結果、咲夜の目には仕事が出来ないと写っていただけの事だったのだ。


 その事に気付いた悠人は、全ての妖精メイドに簡単な自己紹介をしてもらい、彼女らの性格と特性から彼女らに適した仕事を選別・分類した。妖精一人分の頭で処理できない仕事には、複数人の妖精がグループとなって、グループ内の妖精達がそれぞれの欠点を補う形で仕事に当たらせる。


 数だけは無駄に多い妖精メイド達である。1グループに3~5人を割り当ててもその総数は100グループを超えた。妖精メイド3~5人で一個小隊を編成し、館内清掃部隊、庭園剪定部隊、洗濯部隊、調理部隊等に、それぞれの得意分野に適した仕事に小隊を割り振っていく。これだけで、一個小隊で人間一人分の働きが出来る様になるわけである。群体構成による適材適所の有効活用ということだ。


 卯の刻(午前6時)に起床し、正午前までの六時間でこれらの編成を組んだ悠人の意外な才能は、咲夜だけでなくパチュリーやレミリアですら驚嘆の念を禁じ得なかったという。






「今週はフェアリー隊の活躍が目覚ましかったな。先週のエルフ隊に僅差で負けたのが堪えたと見て良いだろう」


 各隊の業務成績を順位付けることで競争意識を生み出し、更なる仕事の効率化にまで手を伸ばしたのが、今から二週間前の事(成績の良い小隊にはおやつ増量の特典を与えることで容易に釣られる妖精メイド達も可愛いものである)。目の前でクリップボードに目を通す悠人は、この一ヶ月でまさに執事と言うに恥じぬ者に成長した。


 単純な個人のこなせる仕事量で言えば、時間を操る咲夜に遠く及ばないのは当然だが、妖精メイド達を自分よりも上手く、効率良く働かせることが出来る隠れた才能を有していた事、それを遺憾なく発揮し、こうして自分に寝坊する余裕さえ与えてくれた事には素直に尊敬の念を抱く咲夜だった。


 同時に、人事運営の手腕に限定すれば自分よりも有能な存在になってしまったんじゃないかという、ちょっとした嫉妬の様なものまで抱く様になった咲夜は、同時にもう一つ抱いていた想いをも深く大きなものにしてきていた。


マリー(エルフ2)は片羽がもげてまで仕事をやり遂げたってことで、『片羽の妖精(ソロウィングピクシー)』なんてあだ名で呼ばれてるそうだ。可愛い奴らだよな。というか休めよ、と思わず突っ込んだけど」


 今、自分の前で執事の仕事を見事にこなしている青年。一目見た時から、なんてことは全く無かったのだが、初めての超ハードワークにもフラフラになりながらもやり遂げて、その直後に発生した妹様の暴走事件の時も、彼は職務を全うしようと素人ながらに足掻いていた。その姿に、自分はいつしか特別な想いを―――


「ということで、今週の部隊編成は以上で………―――っ!?」


「………?」


 人員配備の業務報告を終えたらしい悠人が、自分の姿を見て目を見開き、次いで顔を真っ赤に染め上げている。熱でもあるんじゃないのかと一瞬心配になり、組んでいた腕をほどいた瞬間、違和感に気付いた。


「………―――」


 妙に下半身や腹部、胸元がすーすーすると思って自分の姿を見下ろしてみると、そこにあるのはドレスシャツのパジャマの前が肌蹴て、洒落た意匠のレースがあしらわれた黒いブラジャーが造り出す豊満な胸の谷間。腹筋と脂肪が絶妙なバランスで見事な形を造形する腹部。恐らく寝ている最中に暑さで脱ぎ捨てたのだろう下には、ブラジャーと同じ意匠の黒いショーツだけを穿いた、見事な脚線を描く美脚が惜しげもなく晒されていた。


 完全覚醒していなかった頭が、急な来訪者の声で中途半端にメイド長スイッチをオンに入れてしまった結果、自分の身嗜みを整える間もなく悠人(来訪者)の前にそのあられもない姿を晒してしまった咲夜は―――


「――――――ッ!!!」


 声にならない悲鳴を、早朝の紅魔館周囲に響かせて、


『いつの間にか自分の目の前に現れた』ナイフで全身を切り刻まれそうになった悠人の断末魔で、紅魔館は今日という日の朝を迎えた。




咲夜さんは生乳だと何回言えばうわなにをするきさまら(ry

結局今回も殆ど回想パートになってしまった………

次回からはようやく先に進みます。たぶん。

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