第十二話『約束』
紅魔館が誇る普通の門番・紅美鈴、いざ……推して参る!
な感じで始まる事はあんまりない回想シーンからスタートです。
八極拳なんて無かった(棒
※この第十二話はパソコンでの閲覧をオススメします。携帯非推奨。
「ねえ、どうして美鈴はこのお屋敷の門番なんてやってるの?」
「え?」
無垢で無邪気な笑顔を輝かせて問うてくるフランドールの言葉に、問われた紅美鈴は驚きと当惑を等分に混ぜた顔で頓狂な返事をしてしまった。問いの内容もさることながら、どう答えたものか彼女自身にも判らなかったからだ。
「そういえば、なんで門番やってんでしょうねぇ、ははは……」
「自分の事なのにわからないのー?」
と、言われましても……面目次第もございません。はにかみながらそう言って目の前の、可愛らしいが自分よりも遙かに高齢な主の妹君の頭を撫でる。彼女がフランドール相手に返答に窮した時によくやる癖だった。
「ところで、門番って何?」
「門番というのは、文字通りそのお屋敷の門を守る人の事を言うのですよ」
大好きな友達に頭を撫でて貰えてご機嫌になったフランドールは、重ねて問いかける。目の前で苦笑している門番はあまり頭が良い方ではないけれど、どんな質問にも笑顔で応えてくれるから、彼女は美鈴の事が大好きだった。
「じゃあ美鈴はわたし達のこと守ってくれてるんだー!」
「ええ、そうですよ! 悪い人達からお嬢様方をお守りする為に頑張っています!」
「でも美鈴、わたしより全然弱いよねー」
「うぐ………」
悪気の全く無いフランドールの正鵠を射た言葉に引き攣った笑顔を維持しながらショックを受ける。だって一番強い人が門番なんてやったら、なんか、その、色んな意味で格好が付かないというか……。
「ねー美鈴?」
「どうしました?」
それまでとは打って変わって、少しだけ寂しそうな表情を声で、フランドールは美鈴に呼び掛ける。せっかく可愛らしいお顔を持っているのだから、そんなに寂しそうな顔をせずに、もっと笑って欲しいと―――その時の美鈴は心から思っていた。
「門番なんて辞めて、ずっとわたしのそばに居てよ………」
「フランお嬢様………」
「美鈴弱いし、門番なんて居なくても一緒じゃん!」
「フランお嬢様ぁ~………」
無邪気過ぎる言葉は時として刃となって心に突き刺さるが、勿論フランドールに悪気が無い事は判っているので、泣きそうな悲鳴の様な困り声を漏らしながらフランお嬢様に抱き付くことでなんとか心の平静を保とうとする。
「確かに、私は弱いです。お嬢様方と比べたら、そりゃもう目も当てられないほどに」
「………じゃあ―――」
「ですが、私は門番です。門番はこのお屋敷に住む皆さんの安全を守る為の、最初の防衛線。私が居ないと、もし悪い人達が襲って来たりしたら、対応に出遅れが生じてしまいます。私は弱いですから、もしかしたらその人達に負けてしまうかもしれません。ですが、私がその人達と戦うことで、お屋敷に住む皆さんが……咲夜さんやパチュリー様達が異常に気付いて、きっと私の代わりに戦って、悪い人達をやっつけてくれます。だから、門番は必要なんですよ。例え弱くても」
「………………」
美鈴の優しく諭す様な説明を聞いて、フランドールは聞き分けのない子供が今にも泣きそうなしかめっ面をしたので、美鈴は優しくフランドールの小さな身体を抱きしめて、こう続けた。
「でも、門番のお仕事がお休みの時は、こうして会いに来て、遊んであげられます」
「本当に………?」
「ええ。約束しますっ」
「………わかった。約束だよ、美鈴!」
「はいっ!」
紅い悪魔の妹と紅魔館の門番は、互いの小指を固く結んで約束した。
フランドールが他人に心を開き始めてから、程なくしての話である。
「紅剛八式・紅砲―――!!」
美鈴の頭上から強襲を仕掛けようと迫ってきたフランの一人が、天に突き上げられた拳から発した紅の気功砲を腹に受け息を詰まらせる。その隙を逃がすまいと、総身の気を右脚に集中、タイルで舗装された地面が砕けんばかりの震脚の反動で宙に跳び上がり、初撃の痛みに喘ぐフランに容赦無い跳び蹴りと踵落としの二連撃を叩き込み、地面に叩き落とす。
地面に総身を叩き付けられそうになったフランは、全身から紅黒い炎を噴出させて落下の衝撃を緩和し、その勢いを再利用して再上昇、未だ宙に在る美鈴(攻撃直後の無防備な姿勢と見える)目掛けて殺意の魔杖を繰り出す。
「―――はァッ!!」
八極拳とは並べて地に脚を付けて繰り出される中国武術との印象が抱かれがちである。それも当然、普通の人間は空は飛べないのだから、地上での鍛錬を積むに当たり、震脚(足で地面を強く踏み付ける動作)の重要性を見出し、これを用いる門派が数多くあることから容易に推察できる。
しかし、美鈴は人間ではなく妖怪である。普通に空も飛べる。
勿論、彼女が武術を会得し始めた頃は、地上での型が主だったし、現在でも大地から気を練り上げてから繰り出す拳の方が信頼性は高い。彼女が繰り出す高威力の必殺技は総じて地上で繰り出すものである。
だが、美鈴とて空中戦に対する備えが無いわけではない。
気を使う程度の能力―――それが紅美鈴の持つ固有の能力である。別に他人に対して遠慮したりする能力に長けている方ではない(ある意味では当たっているが)。
ここで言う「気」とは、森羅万象に遍く流動体の本質であり、大気が流動することで風となり、血液が流動することで活力となる、といった具合に、その流動する本質を操作する――具体的に言えば気の循環する量を増大したり、加速させたりすることで、身体能力を向上させる力を生み出す素である。
美鈴は妖怪としてその本質を構成する妖力を気に変換することで、様々な戦技を繰り出す際に用いている。例えば――今この瞬間、空中に在る彼女が足元に集めた気の塊に震脚を叩き込む形で。
「―――天震脚・衝龍!!」
紅黒い炎の逆噴射で急上昇中だったフランドールは、美鈴が中空に集約した気の塊と彼女自身に流れる気を一点に集約した震脚との激突で生じた気の大破裂、大気が悲鳴を上げる程の衝撃波で、噴射していた炎に混ざり溶け込むかのように消し飛ばされた。
残るフランドールは唯一人。つまり残った彼女が本物の妹様である。
空中で震脚による発勁衝を繰り出すという人間離れした(まぁ妖怪なのだが)絶技を披露した美鈴は、宙を踏み込んだ反動で軽やかに反転、二回転背面宙返りをしながら軽やかに着地した。最後に残った本物のフランドールを正面に見据えて、彼女の我流武術の基本的な構えを取り、笑顔で言い放つ。
「さて、フランお嬢様。次は何をして遊びましょうか?」
分身とはいえ、暴走したフランドール3人を鮮やかに過ぎる手際で撃退した美鈴の表情は、やはり爽やかで頼もしさすら感じる笑顔を崩さずにいる。
「美鈴……あなた、本当は凄く強かったのね……ていうか本当に美鈴? 本物?」
「咲夜さんそれ酷いですよぉ~っ」
紅魔館の本館門前の物影に退避して魔理沙の手当てを行っていた咲夜が、普段はネズミ一匹の侵入すら阻止できない無能な……無能だと思っていた門番に、驚愕の表情で彼女なりの賛辞を送る。
「褒め言葉に聞こえないんですけどっ!」
「まぁ、あいつは近接戦闘特化型だからな。遠方からマスタースパーク一発で突破自体は余裕だぜ」
「ああ、相性が悪かったのね。それはともかくあなたも後でお話しましょう、ねっ」
「私は話す事なんてなにもあぃたっ!?」
そのネズミに蹴散らされて毎度屋敷への侵入を許す門番の今までの不手際は水に流して、ネズミこと魔理沙を手荒く治療する咲夜は、一同の、特に自分と魔理沙の士気が数刻前より比べて明らかに回復したことに内心で満足し、また実は有能だった門番にも秘めた謝意の感情を僅かな微笑みとして表す。
「―――禁忌」
そのほんの僅かな小休止を打ち破ったのは、一人の少女の声。
誰がと問うまでも無い―――分身を全て倒された、フランドールが、また一枚、新たな切り札を切る、その合図だ。
懐から取り出したスペルカードが、紅黒い炎と弾けてフランの周囲に舞い散る。その炎は零れ落ち舞い上がる軌跡を辿る残像のように直線的に伸長を続け、やがて一つの幾何学的模様の網を形成した。
「―――『スターオブカゴメラティス』」
スペル宣言の言葉を結ぶと同時、列弾構成となっていた紅黒い炎弾群が結束し籠目格子状の監獄を形成、美鈴の全周を取り囲む。名称からして普段のフランが使う『カゴメカゴメ』の上位スペルか。頭に「スターオブ」を付けているところから、恐らくは姉であるレミリアの『スターオブダビデ』を意識したものであると推測される。高密度で編み込まれた三角形と六角形による平面充填による拘束力はそれら二つのスペル以上に行動の自由を封じられる。
「ふむ……今度は刑事さんごっこですか? 事情聴取も無しに容疑者を拘留するなんて、これはまたアグレッシブな女刑事さんですねぇ」
この逃げ場の一切与えられていない絶望的な状況にあって、美鈴は涼しい顔で未だにフランと―――混沌の炎に汚染された状態で、「フランドールの自我」があるかどうか分からない状態のフランと、遊んでいるつもりでいる。それは彼女にとっての余裕の表れなのか、それとも単なる強がりなのか。
通常の『カゴメカゴメ』であれば、列弾格子の密度はそれほど高くない。それよりも、格子を構成した後に撃ち込んで来る巨大な弾がその格子を破壊し破片をばら撒くという滅茶苦茶なランダム性こそが恐ろしかった。もちろん、下手をすれば遊びにならないそれを、格子の密度を薄くすることではじめて遊びとして成立させたという、フランドールなりの遠慮があったのだが、今のフランドールに遠慮の有無を問うのは、腹を空かせたライオンに追い詰められた兎が「私を食べる気か?」と問うくらい意味の無いことである。
大弾をぶつけて檻ごと破壊して弾幕を撒き散らすのか?
再び『魔剣』を顕現させて檻ごと叩き斬るのか?
「――Be crushed to death!」
どちらも否だった―――
一節の呟きと同時に、前方に突き出した掌を握り込む。見えないゴムボールでも握り潰しているかのように硬くゆっくりと閉じられる指の動きと同期して、美鈴を取り囲んでいた籠目格子が圧縮されていく。監獄に囚われた囚人に刑を執行するのに、大弾も魔剣も必要無かった。
「裁判も待たずにいきなり死刑執行ですか! それはちょっとあんまりじゃないですかねぇ……」
この期に及んでまだ冗談めかした台詞を吐き続ける美鈴は無視して、死の格子はその速度を緩めることなく囚人を締め殺そうと迫って来る。混沌の狂気に歪むフランドールの禍々しい微笑が、檻に捕らわれた哀れな小鳥を圧殺する愉悦に染まる。
「そんな不当な判決には、控訴を以って対抗しますよ」
黙って待っていれば確実に死が待つ執行猶予の間にも、美鈴は動じない。動じる理由など無い。
一言だけ静かに抵抗の意を宣言してから、深く、大きく、息を吸う。大気に揺蕩う気の流れを、大地を育む気の流れを、彼女自身の身に取り込み、彼女自身の気と溶かし合わせ、彼女の全身から一挙怒濤の勢いで放出させる―――!
「―――彩符『極彩颱風』!!!」
闘気の気流が渦を巻き、極彩の暴風となって颱風を成す。その流れに身を任せ、自らの身体をも独楽のように回転させながら気を放つことで、気流の勢いは更に増大される。美鈴を中心に生まれた極小でありながら猛烈な威力を持つ台風は、あと少しで美鈴を熱烈な抱擁で絞め殺そうとしていた魔檻を粉々に粉砕した―――
「―――ッ!?」
「―――破ァッ!!」
それだけに留まらなかった。美鈴の周囲を循環するように暴風として荒れ狂っていた気流は、再び彼女の足元に集束し、先の空中震脚と同様の原理で、彼女の身体を弾頭として撃ち出した。『気を操る能力』の真骨頂、特筆すべき特徴の無い美鈴が唯一持つ強み―――能力の汎用性の高さを活かした戦技である。
その気流の砲撃が狙いを定めた先は言うまでもない。
確実に相手を圧殺したつもりになっていたフランドールは完全に油断し切っており、檻を破壊しただけでなくその直後に反撃に転じてくる美鈴の迅速な襲撃に対応が遅れた。
「かっ――は……っ!!」
渦を巻く気流の加速を得て瞬時にフランドールの懐まで入り込んだ美鈴の正拳が鳩尾を直撃する。会心の一撃を確信した美鈴だったが、直後のフランの行動によって、その表情に初めて焦りの色を浮かべることになる。
(―――!?)
フランドールの小さな体は、美鈴渾身の一撃を受けて尚、先の分身達の様に吹き飛ばされず宙に留まっている。背に生える歪な形をした翼、その羽根を成す宝石から噴出される紅黒い炎のジェット噴射による反発力で、美鈴の拳を真っ向から受け止めたのだ。
通常、物理的な攻撃を敢えて受ける時は、その攻撃のベクトルに合わせて身体を移動させるのが最良とされている。打ち込まれた拳が最も高い攻撃力を得る瞬間さえ通過すれば、その攻撃の威力は激減されるのだ。最善のタイミングを逃した攻撃後の隙はほぼ無防備で、その隙にこちらの攻撃を叩き込むのが所謂カウンターである。
故に、拳撃のダメージを軽減させず、どころか威力を分散させることもできない全力の攻撃を敢えて受けたのには何か理由があるはずだ。そう感じた美鈴は、すぐにフランドールから距離を離そうと彼女の身体に叩き付けた拳を引き抜―――
「―――ッ!!」
―――こうとした腕を、フランドールの細腕で掴み取られていた。姉のレミリアと同じ、見た目は人間の幼い子供と変わらない、美鈴の腕の太さの半分にも満たないか細い腕が、万力の様な剛力で美鈴の腕を締め付ける。
「くっ……!!」
慌てて振り解こうとするが、その抵抗は意味を成さなかった。まるで空中に縫い付けられているかのように微動だにしない。焦りの極地に在る美鈴は、ふと至近から視線を感じた。目の前で自分の腕を掴んで離さない、妹様の狂気に歪んだ嘲笑―――それを形作る、混沌の炎が宿る双眸から放射される、殺意の視線を。
その視線の交錯を合図にしたように、フランドールの翼の羽根から噴射されていた紅黒い炎が彼女の背後に放射状に展開し、再び列を成して美鈴を取り囲むように襲い掛かる。籠目格子の檻の再来に際して、美鈴は先の様に闘気の颶風による攻勢防御を行う余裕が無い。更に彼女の身体はその腕をフランドールの―――吸血鬼の剛力によって拘束されて距離を取っての回避も不可能。
「美鈴……っ!!」
後方で待機している咲夜が危機感も露わに叫ぶ。
「速い! 避けられねぇ……っ!」
その隣の魔理沙も、美鈴の窮地に苦渋の声を噛み締める。
今度の魔檻の展開速度は先の『遊び』の時とは段違いだった。余計な反撃を貰う前に一瞬一気に締め殺す。その殺意が遠目から見ても明らかであるフランドールの攻撃を前に、美鈴は―――
(一か八か―――!!!)
回避も防御も不可能ならばと、最後に残った選択肢を採った。
運良く空いている両足を、フランドールの腰部に絡めるように挟み込み、上体と頭を後方に大きく海老反りに振り仰いで、張り詰めた全身のバネを一気に解放する。
「でやあぁっ――ぁがっ!?」
「――っう、ぁぐ……っ!?」
まるでその全身を人差し指に見立てた、前頭の額を爪先にしたデコピンのような、豪快剛速の頭突きが炸裂した。裂帛の気合と共に繰り出した美鈴の頭突きは、フランドールの額に直撃したと同時に、無意識のうちに打点に集中していた気が本人も意図していなかった爆発を起こした。
人間だったなら頭部が吹き飛んでいる程の爆発と衝撃で、フランは硬く掴んでいた美鈴の腕を放してふらふらと後方によろめく。そのダメージで集中が乱れたのか、美鈴の周囲に展開し今度こそ彼女を圧殺せんと迫っていた魔檻は構成を解かれ紅黒い火の粉となって散っていった。
「ひたた……」
まさか爆発するとは思わなかった美鈴は、思いっきり噛んでしまった舌を外気に当てて冷やす。こういうトコロが締まらないから自分はまだまだなんだなぁ、と自嘲気味に苦笑しながら、前方に足取り怪しく着地したフランドールの様子を窺う。左手で額を押さえて悶絶している。混沌の炎に身体を支配された妹様も、この攻撃には流石に痛みを堪えられなかったのだろう。
その、状況が状況でなければ微笑ましくも慌てて駆け寄るところである光景が、不意に揺らめき妹様の身体が、背後の塀や植木が、地面までもが傾く。
「いやぁ、ちょっと無理し過ぎましたねぇ……」
その揺らぐ視界を見せたのが、ふらつく自分の身体であると気付いた美鈴は、フランドールに倣って額を手の甲で拭う。そこには汗に混じって大量の赤い血が滲んでいた。妖怪である彼女にとっては大したことのない掠り傷ではあるが、流石に脳にまでダメージが及ぶと戦闘に支障が出る。今、彼女の身を襲う平衡感覚の失調のように。
妖怪の身体は非常に頑丈で、四肢が吹き飛ばされる程の重傷を負っても数日から数週間もすれば再生する。程度の差こそあれそれはどの妖怪にも共通した身体的特徴で、中でも吸血鬼の再生力は妖怪の中でも桁外れに高い。そして美鈴は吸血鬼以外の普通の妖怪で、相対するフランドールは吸血鬼である。持久戦は甚だ不利である事は火を見るより明らかだ。
(次の一撃に……全力を込める……!)
覚悟を決めた美鈴の見据える正面に、落ち着きを取り戻したらしいフランドールの姿がある。紅黒い混沌の炎を双眸に宿すその表情は、狂気の嘲笑と憤怒の形相が入り乱れる悪鬼の仮面を被っている様に見えた。
そう……あれは仮面だ。美鈴の目には、今のフランの顔に張り付いている貌は仮面であると、そう感じている。そう信じている。何故なら―――
「フランお嬢様……この遊びは楽しいですか?」
「………………」
静かに問う美鈴に無言で返すフランドール。しかしその沈黙には、微量の怪訝が含まれていた。少なくとも、美鈴の話に耳を傾けているように見える。
「私には、とてもフランお嬢様が楽しんでいるようには思えません。全然、楽しそうじゃないからです」
咲夜と魔理沙は共に「いや割と別の意味で楽しんでた気がするけど」と内心で呟く。実際に今のフランドールに痛打を与えられた二人ならではの感想だが、交戦中の、とくにこちら側が追い詰められている状況でのフランの喜悦に歪んだ表情からは、相手を生き物としてではなく唯の玩具のように弄んでいるような感情しか読み取れなかった。
だが、二人と比べて人間の一生分ほどフランドールとの交友歴が長い美鈴には、咲夜と魔理沙には把握できないフランドールの情緒の細かな変化を感じ取れているのだろう。
「お願いです! いつもの―――魔理沙さんや霊夢さんや紅魔館の皆、そして……私と、楽しく遊んでいた頃のフランお嬢様に戻ってください!!」
そのフランの変化を感じ取った美鈴が、瞳に涙を滲ませながら、喉も張裂けよとばかりに叫ぶ。フランがフランに戻ってくれと神にも縋り祈る思いで。
悲鳴にも似た嘆願の叫びが合図だったのか、美鈴の足元から周囲に風が渦巻く。
強い力が流れ込む大地―――龍脈から己が身に許容量の許す限りの気を流し込む。
美鈴の身体に堆積していく気の密度が高まるに連れ、彼女の身体に変化が起こる。
「―――気符」
美鈴の身体から放出される金色の闘気。彼女の内側で爆発的な気の流れが生じる。
「―――『猛虎内勁』!!!」
外界から取り込んだ気、体内を流れる気の量と速度を極限まで加速させ、通常の数倍の身体能力を発揮する、気を使う能力を持つ美鈴が操る発剄武術系スペルの中で最高の効果を持つ大技。最大出力で発動させた場合の持続時間は十数秒にも満たない、効果が切れると同時に全身が脱力し戦闘続行はおろかしばらくの間は歩行すら満足に出来なくなる諸刃の『拳』―――
美鈴はその決意の通り、次の一撃に全てを賭けるつもりなのだ。
「―――華符!!」
更に美鈴はもう一枚のスペルを宣言しながら、フランドールに向けて―――本物のフランドールを取り戻す為に―――フランドールの仮面を剥がす為に、突進する。彼女の全てを込めた一撃を叩き込む為に。
「『破滅を齎す―――」
黄金の闘気をその身に宿し、放出の加速を得ながら迫る美鈴に、フランドールは右手の魔杖にスペルブレイク寸前のスペル(スターオブカゴメラティス)に取っておいた魔力を全て注ぎ込み、三度『魔剣』を顕現させる。彼女の気迫を真っ向から迎え撃つ為に。
「波紋疾走―――彩光蓮華掌!!!」
「―――災厄の剣』!!!」
大上段から振り下ろされた炎の魔剣が、美鈴の黄金の闘気を纏った裏拳を焼き斬―――れずに弾かれた。拳一つで魔剣を軽々と弾き返された、その現象に驚愕する間も僅か、フランドールの胸に美鈴の乾坤一擲の掌底が直撃する。掌を通じて美鈴の体内を高速循環する高濃度の気を一挙怒濤の勢いでフランドールの身体に流し込む。吸血鬼の体内を、金色の闘気が疾走した。
「―――っ、か、はッ!!?」
フランドールの全身から虹色の闘気が―――美鈴の全力を注ぎ込んだ闘気が爆散する。人間ならば全身が四散するどころか肉片の一つも残さず蒸発する気の爆発に、吸血鬼のフランドールは辛うじて耐えた。しかし全身を衝撃波で滅茶苦茶にされた様な実感に、小さな口からの吐血で身体に尋常ではないダメージを負った事を証明した―――
だけに留まらなかった。
「あれは!」
「炎が!?」
フランドールの身体に纏わり付くように、身体から滲み出るように溢れていた紅黒い炎が、美鈴の闘気の解放によって、その大半を内側から吹き飛ばされていた。
「めい……りん…………おねぇ……さま………―――」
混沌の炎の束縛から解放されたフランドールの口から、『いつものフランドール』の声で彼女が正気に戻った事を証明する言葉が、消え入るようにか細くもはっきりと発せられた。
が、一度フランの身体から流出した混沌の炎は、再び彼女の身体に吸い込まれるかのように戻っていく。悲痛の涙を流していたルビーのように美しい真紅の瞳に、再び怨嗟と憎悪を孕む紅黒い炎が宿る。
「美鈴! しっかりしなさい!」
「咲夜……さん。後は……お願い、します………」
時間停止の瞬間移動で地面に倒れ込む寸前だった美鈴を受け止め安全圏まで抱え運んだ咲夜に、美鈴は笑顔で後事を託す。彼女は見事に『門番』の役目は果たした。フランドールを狂気の虜にしている原因を突き止め、彼女をその束縛から解き放つ可能性を見出したという大義を。
「よくやったわ……後は私達がなんとかする。あなたは少し休んでいなさい」
「はい……。えへへ……咲夜さんに、お休み貰ったの……久しぶり、です………」
咲夜の、普段は厳しいが本当はとても優しい上司の温かい言葉を受けて、美鈴は糸の切れた操り人形のように全身から力を抜いて深い眠りに落ちた。彼女が気を失う寸前に口にした「フランお嬢様……約束はまたの機会に……」という小さな呟きは誰に聞かれることもなかった。
「さて……咲夜。このチャンス、無駄にするつもりはないよな?」
「当然。美鈴の弔い合戦よ」
起死回生の好機を得たとばかりに強烈な笑みを見せて語りかける魔理沙に、自分の腕の中で暢気にもぐうぐうといびきをかいて爆睡し始めた大切な―――普段は粗暴に扱っている門番の頭を煉瓦敷きの床にゴツンと落として、毅然と立ち上がることで応える咲夜。
有能な門番がくれたヒントによってフラン奪還の糸口を掴んだ少女二人は、難攻不落の牙城、不死無敵の魔人に見えていたフランドールに、その憤怒と憎悪と殺意に彩られた炎を宿す双眸を真正面から見据えた。
同時刻―――
魔力を過剰に消費することで威力はそのままに詠唱時間だけを短縮させる高速詠唱の技能のみならず、咲夜の『固有時制御』の力をも借りて更に倍速された命懸けの神速詠唱で防御魔法を発動させ二人の少女を守ったパチュリーは、それら不可能という道理を無理で押し通した反動を受けて、二階の部屋で休息しつつ、窓から美鈴達の戦況を見守りながら観察していた。
美鈴の身命を賭した一撃によって、フランドールを狂化させているのは、彼女の身を包み込む赤と黒が混沌と入り混じる炎が原因であり、それを完全に除去ないしフランの身体から分離・隔離することで少女の正気を取り戻す事が可能であると証明された。
(これは確かに大きな進展だけど、問題は妹様の身体からどうやってあの炎を引き剥がすか……美鈴はもう使い物にならないし……)
美鈴が行った絶技を、魔力放出の技術を応用して模倣することは可能だ。だが、先の美鈴が放出した大量の闘気を一気に解放出来るだけの魔力を保有しているのは現状ではパチュリーのみ。
魔理沙は魔法の攻撃力でパチュリーに伍し得る実力と手管を持ってはいるが、それはあくまで破壊力に特化しただけのもの。『純粋な魔力』を闘気の代わりに打ち込んで美鈴の真似事をするには、普通の人間である魔理沙には荷が重い、というか不可能である。
(かといって近接戦闘と最悪に相性の悪い私自らというのも難しい……もし失敗して私がやられたりしたら……)
嫌な自分の未来を想像して青ざめたパチュリーはかぶりを振ってネガティブな思考を頭から追い払う。負ける気でいる奴は必ず負ける。常に勝つつもりで生きているあの白黒の言葉を思い出して自分を鼓舞する(その白黒にいつもそうやって負けている自分の姿は意識的に忘れる)。
(というか、魔力量と放出量に長けたのがもう一人いるじゃない)
この騒動が始まってから唯一人、自ら動かず座視して事態を傍観している者が。血の繋がった家族でありながら、妹に苦手意識を持ちながらも不器用な愛情を最大限に注いでいる姉が。
(レミィったら、一体いつまで引きこもっているのやら―――)
《ぱ、パチュリー様!!》
いつまでも癇癪持ちの妹にビビってないで姉として身体を張って止めるなり何なりしなさいよ、と心中で親友に毒づいていたパチュリーの思考に叫び声が割り込んだ。屋敷の各所に異常が無いか、巡回を命令していた彼女の使い魔からの念話である。ちなみに低級の小悪魔だから名前は『こあ』と名付けた(本名不詳)。
《どうしたの、こあ。いまちょっと忙し―――》
《レミリアお嬢様がっ、先のお屋敷を貫いたアレの余波を受けたらしくて、お体が半分ほど消し飛ばされているのを発見しました!!》
「………………」
それは、それは………。身体を張るどころか、張る身体が半分欠けてちゃ、出るに出られないわよね………。
どうやら身体を張って妹様から混沌の炎を引き剥がす役目を担うのは自分になりそうだと、半ば以上に覚悟を決めざるを得ない状況に追い込まれたパチュリーは、親友の呻き声が雑ざる念話に沈黙で返すしかなかった。
遂に転機を迎えた狂化フランドール戦。
念願の攻略法を見出した代償に大きな戦力を失った魔理沙達は、
どのように反撃に出るのか!そして我らが主人公・悠人は何処に居る!
次回、反撃開始!(だったらいいなーry