第九話『悪魔の妹』
お待たせしました!かつてない厨二が炸裂する第⑨話!
厨二の理に導かれてノリだけで書いてたら20000字超え\(^o^)/
ダレる長さ(当社比)ですが、須く読んで頂ければ幸いです!
紅魔館地下大図書館下層区―――
広大な敷地面積を誇る紅魔館の地下に広がる巨大な大図書館の更に下層に建造された、大図書館と同等の広さ―――通常の建築物の五、六階層分に匹敵する高さの天井と、地上の屋敷の建物面積に相当する広さ―――を誇るこのエリアは、主に上層の図書館には収まりきれなかった古い蔵書を保管する倉庫として機能していた。それらの書物はパチュリーの魔法により防水防火防湿防腐防弾幕処理が施されており、大掃除の時などに軽く床面を掃除する程度の管理しか行き届いていない……つまり、去年の大掃除から半年近くが経とうとする五月半ばの現在は―――
「なるほど……これはひどい」
今日から紅魔館の新人執事(メイド服を纏っているが、あくまで執事である)として仕事に従事し始めた、幻想郷の外からやってきた外来人・國崎悠人は、先刻の彼の上司にして紅魔館のメイド長・十六夜咲夜の発した言葉通りの状況―――地上階の百倍は清掃が困難であろう煩雑するこの嵩張る書物と書物と書物、おまけに書物の山々を前にして、戦う前から敵前逃亡の構えを取ろうかと思うほどに圧倒されていた。もとい、圧倒を通り越して既に白旗を挙げていた。この物量を見れば誰だってそうするだろう。
「半年で既にコレだから、年末がどのような状況になっているのかは推して知るべきね」
「マジかよ…………」
咲夜の脅しじゃない脅しに、今日一日で既に紅魔館で働く事の恐ろしさを骨身に染みて味わった悠人はただただ絶望するのみである。働き始めて二十四時間も経たない内に、既に後悔に打ちひしがれるとは、紅魔館の執事たるもの、その程度の貧弱な有様でどうするか。
(いや何言ってんだ俺……)
至極どうでもいい思考を振り払い、本来の目的を思い出しつつ視線を周囲に向ける。大図書館下層は、上層のエリアよりも更に深く暗い闇に包まれていた。パチュリーの光源魔法の恩恵で、ランプ一つだった時と比べて格段の明るさを得ているが、それでもなお光の届かない闇の領域は広く、その空間に何があるのか肉眼で把握することは不可能だった。
「……静かだな」
「ええ……気配を隠しているのかも」
「癇癪起こしてる妹様がそこまでするとは考えられないけれどね」
言わなくても解りきっている事を口にする悠人に、咲夜がその言葉に込められた真意を正確に読み取って同意の応えを返すついでに自分の推理も提案する。その推理は恐らく的外れであろうことを論理的に否定するパチュリー。
この大図書館下層は、普段は閉鎖されており人は立ち入れない区画である。そんな場所に人の気配がある筈もなく、常時ないしは一時的にでも稼働する機械類が設置されているわけでもない。照明の類は松明等の火を用いたものではなく魔法による術式照明なので燃焼音も発生しない。地下であるが故に地上で風や雨が奏でる自然の音も発し得ない。完全なる静寂の空間である。隣に居る者の呼吸音さえ聞き取れる、耳鳴りがするほどの静けさに満ちたこの空間内で、気配を完全に隠す事など、余程の鍛錬を積んだ者でなければ難しい。
そして彼らがここに来た目的の人物、紅魔館の主・レミリア・スカーレットの実妹であるフランドール・スカーレットは、当然そんな訓練など受けてはおらず精神的にも未熟であり、そもそも現在、妹様ことフラン(彼女と親しい者達は皆妹様をこう呼ぶ)は原因不明の錯乱状態―――今回の騒動の原因である―――にあるらしく、気配を消してまで隠密行動を取り追跡者を撒くなどという芸当が出来るとは到底思えない。
「ってことは、もうスデにここには居ない?」
「下層区への入り口は私達が降りてきたあの道一本しかないから、それは考え辛いな」
「その通りだけど、なんで貴方がその事を知っているのよ……」
自分たち以外に人の気配を感じないのだから、ここにフランが隠れている可能性は低いと考える疾風には、魔理沙が事実を突き付けることで否定的な見解を述べる。部外者は立ち入れない筈のこの区画の構造を何故か把握している魔理沙にパチュリーがジト目で突っ込むが、下手な鼻歌で誤魔化された。まぁ普段から図書館に忍び込んで蔵書を盗んで行く常連である。いつの間にか探索していたのだろう。
「ちょっと待って。ということは、片付けたと思っていた所がまた散らかっていたのって……」
「なんのことだぜー」
「まったく……散らかしたらきちんと片付ける。子供にも出来る事よ」
「いつまでも子供心は忘れたくないねぇ」
「お前ら……」
ハッと気付いたように、パチュリーが近年(正確には五、六年前の紅霧異変から)、この大図書館下層で起こる七不思議―――片付けた筈の本の山が何故か再び散らかっている等―――を思い出し、その怪奇現象の犯人と思しきネズミを睨み付けながら自分の(限り無く正解に近い)推測を口にする。睨まれたネズミこと魔理沙は平然とはぐらかし、咲夜が微妙に見当違いな突っ込みを入れる。こんな状況だというのに、あまりの緊張感の無さに悠人はもう呆れるしかない。
「まーあんまり気ィ張ってばかりいても疲れるだけだぜ~」
「お前はもう少し気を張れ……」
既に幻想郷の住人の雰囲気に感化された疾風が、緊張感の欠けた暢気な事を言いながら悠人の左肩をぽんぽんと叩く。確かにその通りだがお前らは少し危機感が無さ過ぎる、などと口に出していない部分の突っ込みを心中で呟く悠人。その時、疾風が何かに気付いた様な顔をして悠人の左肩を掴む。
「なんだ?」
「いや、俺の炎弾が当たったのって、たしかこっちの肩だったよな?」
「ああ、そうだが……あれ、そういえば……火傷が……?」
不思議な物を見るような目で訊いてくる疾風の言葉に、同意しつつも悠人も途中で違和感に気付く。先の疾風との戦闘中、悠人は彼の攻撃をその左肩に受けて決して浅くない火傷を負った筈だ。身に纏うメイド服(今更ながら自分がこんな格好をしているのを馬鹿らしく思う悠人である)の左肩口は焼け焦げていて、内には細身ではあるが硬く鍛えられたような三角筋が覗いている。しかし、服の焦げ具合に反して身体の方はほぼ無傷で、火傷の痕すら残っていない。あの時は確かに、炎が皮膚を炙って激痛を与えた筈なのに……。
「……悠人って、実は妖怪?」
「んなわけないだろ」
自分自身、不思議な現象だと頭を捻る悠人に、疾風が割と真剣な表情で突拍子もない事を訊いてくる。だが疾風がそう思うのも無理はない。人間は体に傷を負うと健常組織に再生するまで大きなものだとそれなりに時間が掛る。深い傷だと一生痕が残ったりすることも有り得る。腕を切り飛ばされでもすれば、一生隻腕で過ごすことになるだろう(外の世界では早急な手術で切断された四肢を元通り癒合する事が可能な高度な医療技術が発展しているらしいが)。
対して妖怪の体は極めて頑丈に出来ており、種族や個体によって差はあるが体細胞組織の再生力も人間と比べものにならないほど高い。腕を丸ごと吹き飛ばされる重傷を負っても、一週間もすれば元通りの運動能力を取り戻したそれに再生する。ベースとなる体が人間の妖怪(例えば元人間の魔法使い)でも、妖力(魔力・霊力)を補給すれば容易に回復することができる。
いまの悠人の身に起きた現象が、妖怪の特徴に合致する以上、その疑問を抱くのは至極当然のことである。口にしてこそいないが咲夜と魔理沙も、疾風と同じ事を考えていた。しかしパチュリー―――生粋の妖怪の魔法使いの少女は、考えるまでもなく答えを導き出していた。正確には、感じ取っていた。
「霊力、魔力、妖力……それら何れも彼からは感知できない。至って普通の人間ね」
魔法使い―――魔法が体を動かす原動力となっている妖怪は、魔力や霊力といった力の流れに対して非常に敏感であり、他の妖怪には気付けない微量な魔力の流れを感じ取ることができる種族である。百年以上を魔女として過ごしてきたパチュリーにも当然その特性は備わっており、人間の身でありながら魔力や霊力を使って戦う魔理沙や咲夜にも気付けなかった事―――悠人が霊力、魔力、妖力を行使する妖怪であるという疑念―――を即座に看破できたのはその特性故である。
「じゃーなんで俺の与えた傷がこの短時間で完全に治ってんのさ?」
「何をムキになってるんだよ……元はと言えばお前が付けた傷だろ」
「だからさ。キリッ!」
「キリッ! じゃねぇよ」
悠人が普通の人間であることは証明されたが、そうなるとそれはそれで謎は深まる。ただの人間がその身に受けた傷を極めて短い時間で再生させる事など不可能。そんなことが可能なのは妖怪だけ。しかし悠人は妖怪ではなく普通の人間だった。この矛盾は一体何なのか。
(というか、別にそこまで突き詰める必要のある問題か? コレ……)
人というものは一度気になり始めると問題を解決するまでずっと尾を引く生き物である。パチュリーは人間ではなく妖怪だが、知識欲に関しては人間を凌駕するほど貪欲な性格である。でなければ百年近くも本の山に囲まれて、一日も欠かさず本を読み続ける事などできない。彼女が本を読んでいるのは、知識に渇望する心を満たす為なのだから。
それに魔法使いは研究熱心な者が多い。魔法は魔法使いがそれぞれ独自の研究や実験を繰り返し行った末に生み出される努力の結晶であり、研究や実験にはそれに関する知識は必要不可欠。旺盛な好奇心を持て余すというのは魔法使いにとって職業病みたいなものなのである。
「たしか、彼の能力は『感情の昂りを力に変換する能力』だと言っていたわね?」
「ああ、あのスキマはそう言っていたぜ。いわゆる火事場の馬鹿力的なアレだな」
そして、いまこの場に在る二人の魔法使いは、極めて好奇心旺盛で知識欲に忠実な生き物だった。前述の通りパチュリーは言うに及ばず、魔理沙も日常的にここの図書館から本を盗み出したり居座って読書に没頭したりと、人間でありながら妖怪の魔法使い並み、或いはそれ以上に知識欲に貪欲だった。
「感情の昂り、ね……仮に『自然治癒力』をその能力で強化できると仮定したら……」
「その可能性はアリだぜ。あまりの熱さと痛さに体が悲鳴を上げるその『状況』に対して怒りを感じたなら」
「或いはまんまと攻撃を受けた自分自身の『無力さ』に対し無意識の内に能力が発現して『細胞再生力』を急速に活性化させれば」
「死なない程度の火傷なんか簡単に治るだろうな。だとしたら汎用性が高過ぎるぜ、この能力」
「………………」
好奇心に囚われ知識欲の虜になった魔法使い二人が、自分を差し置いて勝手に、しかし的確に論理を展開していく様子に、悠人は感嘆すべきか呆れるべきか、極めてどうでもいい二択を迫られた気分になった。
確かに、あの時は灼熱の炎が自分の肩を焼くその感覚に、痛みが麻痺する寸前の激痛に襲われたわけだが、その時の自分が何を感じていたのか、今となっては思い出す事もできない。そんな余裕も無かった。
パチュリーの言う通り無意識の間に怒りを爆発させ能力を行使し自然治癒力を活性化させた可能性もあるが、自分みたいな素人がそんな芸当をやってのけることなど出来るのだろうか?
だが、しかし、現にこうして火傷は跡を焦げ目一つ残さず治っており、能力を発動させた末に強化された治癒力で回復したとしか考えられない。自分に未知の能力が備わっているという実感は湧かないが、もしそうなのだとしたら、この能力には感謝するべきか。
「確証はないけど、これは興味深い研究対象になるわね。魔理沙、彼を貰えないかしら?」
「これは私のだ。私が妖怪に襲われてたこいつを助けて私の物になったんだからな」
「ここの本をしばらく好きに貸し出し許可するという条件でどう?」
「む………むぅ………………乗った!」
「乗るな! 人を物みたいに扱うな! そして俺は魔理沙の物じゃねぇ!!」
当事者の意思も人権も完全無視で勝手に話を進める二人の魔女に怒涛のツッコミを入れて肩で息をする悠人。違うだろ! なんか違うだろ! そうじゃないだろ! 俺たちがここに来た目的は他にあっただろう!!
言った処で通じるとは思えない分のツッコミは心中で吐き捨てるに留めたが、実はこっちを口に出すべきだったと息切れしながら荒い呼吸を繰り返す悠人の後ろから、
「そうよ。貴方達、少し落ち着きなさい」
今まで黙って傍観していた咲夜が口を挟んだ。助かった、漸くこの不毛な論争(と言えるほど高尚なものとは思えないが)から解放される、流石は完全で瀟洒な従者、空気を読むことに長けている……そう思った悠人は、遅れて気が付いた。悠人の肩にポンと手を置いて、
「悠人は私の部下よ」
そう言い放つ咲夜も、幻想郷の住人であったことを。
「………………」
「クッ……くくく……」
後ろで我関せずと一人笑いを堪える疾風に様々な情念、というか怨念の籠もった視線を照射すること、それだけが今の悠人に出来る唯一つの抵抗だった。
妹様は現在発狂中で、気配を消すなどして隠密行動に気を配れるような精神状態には無い。この場に在る一同は皆そう考えていた。その予想は当たっていたようで、外れていた。正確に言うと『半分正解』という表現が正しい。妹様―――フランは確かに、隠密行動に気を配れる状態ではなかった。しかし、『フランではない人格の方』は、その限りではなかった。
「妹様の体を乗っ取って暴れていた、というケースも考えておくべきだったわね……」
「今となっては後の祭り、だぜ……っ!」
眼前に浮かび上がる、赤と黒が混沌と入り乱れるように立ち上る、不穏な気配をこれでもかとばかり放出しているオーラを纏っている、レミリアと同じくらいの背丈の少女が、樹木の枝のような歪な形の翼に垂れ下がる虹の七色に輝く宝石のような羽根を閃かせて七色の光弾を放った。
対象は、今のこの状況―――先の雑談が終息した直後、本棚の暗がりから突然の襲撃を仕掛けてきたフランは、何者かに意識を乗っ取られた状態で気配を隠蔽していた―――を想定していなかったことに自身の不明を後悔するパチュリーと、過ぎた後悔より今の困難を解決するのが先と、パチュリーと自分自身を叱咤しながら撃ち込まれる攻撃を回避する魔理沙。
「フラン……っ! 俺だ! どうしたんだよ!? なんで、こんな……っ!」
「クソッ……! 一体、何がどうなって……」
明らかな敵意を以ってパチュリーと魔理沙を攻撃する、常の発狂する様とは明らかに異質な様子のフランを挟んだ反対側で疾風は、普段から一緒に遊んで遊ばれて、たまに発狂した時は体を張ってでも止める、彼にとって大切な友人にして恩人のフランに必死の呼びかけを送る。その呼びかけが殆ど意味を成していない事に気付いて、しかし疾風を止めることはしない悠人は、突然訪れた、というより襲い掛かってきたこの状況に困惑するのみである。
「どう見ても、普通に発狂しているわけではなさそうね……」
疾風の後ろ、悠人の斜め前でナイフを構える咲夜も、常の余裕に満ちた瀟洒な態度を崩し焦燥の冷や汗を頬に流していた。その左腕には先のフランの完全なる奇襲で反応が遅れた為に受けてしまった不覚の傷が滴る血となって流れていた。
「咲夜、下がれ! ここは俺が……!」
「いいえ、部下を守るのは上司の務めよ」
その傷の原因が自分に有る事に責任を感じる悠人は、なんとか咲夜を下がらせようと前に出るが、傷を負った左手で踏み出す一歩を阻止される。先のフランの襲撃で、攻撃の一端が悠人への直撃コースにあることを察知した咲夜は咄嗟にその身を呈して彼を守ったのだ。守られるだけの不様な存在にだけはならないようにと心に決めたばかりなのに、その直後にこの体たらくである。己の無力さに失望と怒りを燃やす悠人は、しかしその能力―――感情の昂りを力に変換する能力―――を行使できない。咲夜が頑なに彼の戦線への参加を許可しないのだ。
「っ、今はそんなこと言ってる場合じゃ……っ!」
「部下は守る……状況は改善する……両方やらなくちゃいけないのが、上司の辛いところね」
今の咲夜を支配しているのは、彼女のメイド長としての矜持。紅魔館が、紅い悪魔が誇る完全で瀟洒な従者が、部下一人も守れなくてどうするのか。その並々ならぬ執念に突き動かされて、咲夜は常の合理性に基づいた行動を取れない、否、取らない。彼女が守りたいのは、『部下』ではなく、一人の―――
「ッ咲夜―――!!」
「―――ッ!!」
悠人の、守りたい『男』の、自分の名である叫びが危険を報せるものだと即座に判断して、咲夜は能力を解放させる。
瞳の色が蒼穹の青から鮮血の赤に置き換わり、右手を横に薙ぐように振り払う。神速の腕の振りを見たと気付いた時には、既に振り払うと同時に投擲されていたナイフが彼女を狙って飛来してきた弾幕とかち合い相殺されていた。普通にナイフを投げたのではないことは一目瞭然だった。十代後半に見える細身の少女が、弾丸にも勝る速度でナイフを撃ち放つことなど出来る筈がない。しかし、この少女―――咲夜はそれをやってのけた。彼女の持つ能力ならそれが可能だった。
「魔星刻針・閃剣……時間加速!」
太腿に巻かれていたナイフホルダーから次弾を抜き構えた、と同時に腕を振り抜き投げる……否、撃ち放つ。撃ち出されたナイフは、咲夜の手を離れる直後まではその姿を目視出来る速度だったが、咲夜と距離が離れるにつれてその弾速は加速度的に上昇し、五メートルも離れた地点では既にライフル弾並みの加速を得ておりナイフの刃の銀光が残す軌跡しか確認できなかった。
投げ撃たれたナイフの時間を加速させ、銃弾並みの発射速度を持たせる技。
完全で瀟洒なメイド長・十六夜咲夜の能力、それは時間操作だったのだ。
「私の部下には手を出させない……どうしてもと言うのなら、私の時間を超えてみなさい!!」
今のフランドールが、彼女の仕える主の妹であって、そうでないことは気付いている。何処の誰が、何の為にやっているのかその理由は皆目見当も付かないが、今のフランは何者かに操られている。人格がフランではないのなら、言葉遣いや態度を妹様用にする必要もない。元より手加減して勝てる相手でもないし、そんな余裕―――守るべき者が傍にいる状況である―――も無い。ならば、素の態度で全力を出すのみ。
こちらの攻撃を、防御か回避でしか対応しない魔理沙とパチュリーから、明確な攻撃の意思を以って弾を撃ってきた咲夜に、フラン―――の体を支配している何者か―――が向き直り、攻撃の対象を変更する。掌を真っ直ぐに敵対意思を持つ者に向けて、吸血鬼の身に溢れる強大な魔力をほんの一欠片だけ摘み上げて力の塊として顕現、攻撃のイメージを思い描き形状を明確に固形化、両尖端が鋭い米粒の様な形をした握り拳大の弾丸を、ショットガンの散弾の様に無数一気に撃ち出す。
「―――っふ!」
着弾範囲に居れば体が蜂の巣になるどころか木端微塵に粉砕されるであろう弾幕の怒濤を、咲夜は鋭く息を吹いて床を蹴り方向転換、自分自身の体に時間加速の能力を使っているのか、人間離れした動きで弾幕の塊を回避する。フランにしてみれば高速で動く対象が一瞬で転身したことにより視界から消失し、瞬間移動したように見えた。
慌てて咲夜が回避した先に視線を戻すと、その距離は既に十数メートル地点にまで迫られていた。慌てて次の散弾を撃ち込む。今度は三連発、それも微妙に射角を変えることで攻撃範囲を広げたもの。先と同じ疑似瞬間移動程度では回避することは不可能な範囲と密度である。
散弾の集中豪雨が咲夜を撃ち抜く、直前―――
「ッ!?」
フランの頭上―――散弾の攻撃範囲から外れた地点から、時間を加速させたナイフが降り注いだ。鋭く体を捻らせ回避するが、空中であるが故に踏み込みが出来ず僅かに動作の遅れた部位を嘲笑うかの様にナイフが掠めていく。裾に白いフリルのあしらわれた紅いスカートの一端に切れ込みを走らせて、フランはナイフの弾源に目を向ける。そこに在ったのは―――
「散れ―――幻葬『夜霧の幻影殺人鬼』!!!」
両腕を横に広げ、周囲に回転する無数のナイフを舞い踊らせる、紅い瞳を光らせる咲夜の姿。その胸元には一枚のカードが対角線のラインを軸に回転している。無数の紅い閃光が縦横無尽に反射しているイラストの描かれたそれは、スペルカード―――幻想郷に於ける人間と妖怪の為に創られた、最も美しく、最も無駄な遊びの様な決闘方法・スペルカードルール、その命名決闘で用いられる、自身の得意技に名前を付けて提示する符である。
「何処の誰だか知らないけれど、これ以上、妹様の体で好き勝手はさせないわ」
恐らく相手は聞いていないだろうが、この際その事は関係ない。ただ自分を鼓舞する為だけの言葉を呟き、咲夜は自分の周囲で舞い踊るナイフに自身の能力に由来する魔力を注ぎ込む。力の供給を受けたナイフは、その空間に縫い留められていたのかと思うほどの初速で咲夜を中心にした放射状に展開、加速しつつ飛翔する。それらの軌道はいずれもフランへ向いておらず、明後日の方角に飛んでいる。だが、それで良い。それこそがこのスペルの“キモ”である。
対象を直截狙わない弾幕、即ちそれは反射・屈折等を駆使した時間差による全方位攻撃。そうだと気付いたフランは防御姿勢を取ろうとして―――視界に入った咲夜の姿を見て瞠目した。
「惑え―――光速『Celeritas・リコシェ』!!!」
無数のナイフを、決して消費量の少なくない魔力による時間加速で射出した直後だというのに、既に二枚目のスペルカードを構えている。枚数制のスペルカード戦ではあり得ない光景。コスト制の戦いであっても、初撃の効果を確認せずして第二波を繰り出すなど、力の消耗具合が大き過ぎて現実的ではない。もっとも、今は緊急事態であるため、そのようなルールが適用されるかは微妙な処ではあるのだが。
二枚目のスペルカードを切った咲夜は、少し大きめのナイフを、同じように時間加速の力を付与して高速で投擲する。明らかに今までのナイフより加速度が桁違いだったが、やはりそれも見当違いの方向へ投げられた―――
「ッ!?」
―――と思った、その時だった。
一枚目のスペルカードを発動した際に周囲に展開していたナイフが、全方位から戻ってきた。光と見紛う程の速度を以って、紅い光の軌跡を残しながら。やはり時間差攻撃だったと気付いた時には、フランは更なる驚愕に紅い目を見開くことになる。
二枚目のスペルカードによるナイフが、大図書館下層エリアの壁・床・天井・ありとあらゆる障害物にぶつかって反射する度にその速度を増している。それどころか、その障害物には、一枚目のスペルカードで放ったナイフの大群も含まれている。全方位から殺到するナイフの軍勢は、最初はフランが居る場所、その一点だけを狙って襲い掛かっていた。しかし、光速で跳弾するナイフが、それらとぶつかり掠めることで、微妙に軌道を変えている。着弾地点とタイミングの狂いは、回避する者にとって厄介極まりないアクシデントである。
「クッ……!!」
ここに来て初めて、フランの口から声が苦悶の呻きとなって零れた。幼い見た目相応の可愛らしい少女の声……だが、そこにノイズの様に混ざる、老若男女を判別し難い異質な音が混ざっている。それはフランに何者かが取り憑き、その体を意のままに操っているという事実を証明していた。
「―――ッ!!?」
だが、フラン―――の体を支配している何者かに、咲夜は僅かに驚愕する暇さえ与えなかった。細くしなやかで繊細な指に挟まれているのは、メイド服の懐から流麗な動作で抜き出された、三枚目のスペルカード。光の如く荒れ狂うナイフの暴風の渦中にあるが故か、その動作は酷くゆるやかに見えたような錯覚を覚える。当然、それは一瞬を無限に感じる、錯覚だった。
「刻め―――傷魂『ソウルスカルプチュア』!!!」
胸元に掲げた三枚目のスペルカードを宙に放り、両手に持つ近接戦闘用のナイフでそれを十字に刻み四つの紙片に還した―――瞬間、
真空の刃が空間に閃いた。
それも、無数。
自分自身の体と、空を切る刃の衝撃波の時間を加速させて、空間そのものを縦横無尽、木端微塵に切り刻む。
通常、衝撃波とは、超音速で移動する物体の周りに発生し、音速よりも速い速度、すなわち超音速で伝播する圧力の流れであり、例えば天狗等が超高速で駆け抜けていったすぐ傍では、一瞬遅れて突風などが起こる。鎌鼬と呼ばれる現象は、この衝撃波により空間の気圧が強大な圧力によって歪められ断層を生じ、その歪みが急速に収縮することによって発生する気圧の余剰放出であり、それが鋭い刃の様な切れ味を以って人の皮膚を裂くのである。
もちろん、このような芸当が出来る者など、強大な力を持つ妖怪程度である。人間が全力で腕を振って生じる微風程度で、衝撃波など起こる筈が無い。
しかし、この時間を操るメイドにはそれが可能だった。
衝撃波足り得ない微風、何もしなければ力の流れは減速しやがて風は収まる、その流れを、彼女だけは加速させる事が出来た。頬を撫でる微風を、全てを切り刻む鎌鼬を生む衝撃波にまで加速させる事が。
僅かな微風の時間を加速させて、衝撃波にまで昇華させるこの技は、人間が持つ中でも最大級の反則的能力―――時間を操る咲夜の持つ中で奥義レベルのスペルカードである。
気が狂った彫刻家の作り出した作品が如く、大図書館下層区は衝撃波の刃という名の彫刻刀を以ってズタズタに切り裂かれる。その攻撃の中心に居たフランも、強力な再生能力を持つ吸血鬼といえど、直撃を受けて唯で済む筈が無い。この場に居た誰もがそう思った。
「はぁ……はぁ……っ!」
十秒にも満たない時間の間に、三枚ものスペルカードを消費して大技の連携を繰り出した咲夜が、決して少なくない体力・霊力の消耗に肩で荒い息を継ぐ、その背後から―――
「―――っ、く、あっ……!?」
いつの間にか、大図書館下層の側面の壁に沿うように、高速で周回していた大量の魔法陣から放たれた赤、青、紫色の弾幕が、攻撃後の硬直で動けない咲夜を直撃した。完全なる不意打ち。どうやら妹様の体を乗っ取っている者は、余程不意打ちが好きなのだろう。
「咲夜ッ―――!!」
「う、ぐ……っ!」
この期に及んでどうでもいい事を思考の端に過らせる咲夜の許に、悠人が彼女の名前である叫びを上げながら駆け寄って来る。馬鹿―――貴方が今来たら、何の為に私がこうしてこんな目に遭っているのか―――そう口にしようとした咲夜の唇からは、代わりに激痛に震える苦悶の声と、どこかの内臓にダメージを受けたことによる吐血しか出す事が出来なかった。
「―――禁忌『クランベリークライシス』―――」
片膝を付く咲夜の前に立ち、機械仕掛けの大剣を構える悠人の前方空中に在るフランが、彼女のものであって彼女のものでない声で宣言する。右手に掲げる、スペルカードを。
「ちょっと、聞いた事ないわよそんなスペル」
「名前からして『クランベリートラップ』の派生か……?」
反対側で、咲夜の猛攻によりフランの気が逸れたことで一時的な小休止を得て二人の闘いを観察していたパチュリーと魔理沙が、フランの持ち出した未知のスペルに再び身構え、同時に分析を開始する。
スペルカードは使用者の得意技に名前を付けたものだが、当然技の内容と無関係なそれを付けるのは減点対象である。スペルカードルールでは、美しく技を披露した者が勝者なのだから。
魔理沙の言ったクランベリートラップとは、普段のフランが使うスペルであり、その名の示す通りクランベリーの収穫を表現したような弾幕だった。水面に浮かぶ果実のように、音も無く背後に迫ってくる弾幕がいかにもトラップらしい演出だったが、別段難しいというわけでもない。
(クランベリー、クライシス……crisis……恐慌、何を―――)
対して今、フランが宣言したスペルは違う単語と置き変わっている。crisis―――恐慌を意味するこの英単語から読み取れる情景、弾幕は―――
「―――っ魔理沙!!」
「ああ! 多分同じこと考えてたぜ!!」
スペルカードルールに慣れている者、熟練者にとって、名前からそのスペルの効果や弾幕の形を推測するのは、なんら難しいことではない。現にパチュリーと魔理沙はほぼ一瞬で推測を導き出し、対処のための力を練り始めている。
二人の魔女が手際よく対処の行動に入る、その瞬間―――
外壁を高速で周回していた魔法陣から、赤、青、紫色の弾幕―――先の咲夜へ不意打ちを叩き込んだあの弾幕が、一挙怒濤の勢いで撃ち出された。ショットガンの散弾の様に拡散する弾の塊はスペルカードの範囲内―――大図書館下層全域をその数と勢いの暴力で蹂躙していく。
「―――ッ!」
「悠人、逃げ―――!」
クランベリーの恐慌が如き弾幕の奔流、その中心に取り囲まれた形の悠人は、この逃げ場のない状況から動けない咲夜をどうやって助けるか、それだけを考えて―――咲夜を守る為だけに、彼女に覆い被さった。妖怪ではない悠人は、特に頑丈な体を持っているわけではない。だが、他に盾となるものが無い。ならば、戦闘に於いて特に役に立たないこの身を差し出す以外に方法は―――
「伏せてろ!!―――嵐迅刀『蒼雷』が主、神楽疾風の名の下に、その力を解放せん―――!!」
命を賭した決死の覚悟で盾役に殉じるつもりだった悠人の頭上に、鋭い声を叩きつけながら疾風がその名の如く駆け寄り、腰の後ろに提げていた双剣を鞘から抜き放つと同時に流れるような早口での詠唱を開始。彼の左手に握られた蒼い刀身を持つエッジの鋭い剣・嵐迅刀『蒼雷』が、宣言と同時に刀身を眩い紫電の光が包み込み、それに呼応して彼らを中心に直径十メートルの円環型魔方陣が展開される。魔方陣は『蒼雷』の刀身が纏う雷の光量を増すに連れて輝度を増し、回転速度を上げてゆく。
「雷符―――『紫電旋風陣』!!!」
魔方陣に蓄積された力が許容値を上回ったその時、疾風はスペルカードを宣言する。
―――瞬間、高速回転する魔方陣から、『蒼雷』の纏うものと同色の紫電が巻き上がる。それらは魔方陣の回転に合わせ、まるで竜巻の立ち上るかの如く舞い上がり、三人を守る防護壁となる。高圧電流と烈風から成る竜巻の壁は、怒濤の勢いで撃ち込まれるクランベリークライシスの弾幕を触れる傍から弾き、飲み込み、消し飛ばしてゆく。尋常ではない数と威力の弾幕を受けて尚、その壁は微塵も威力を減ずることなく三人を守り抜いた。
これぞ、凄腕の妖怪退治屋を自称する神楽疾風の成せる業。『魔力の込められた武器から力を引き出し魔法戦技として発動させる力』……即ち『道具が持つ真価を引き出す程度の能力』、その力の一端である。
「くそっ……! どうして、こんな……」
殆ど無防備な悠人達を片手間の様に軽々と守り抜いて、しかし疾風の意識は全く別の方に向いていた。全く感情の動きを伺うことができない無表情―――攻撃を全て受け流されたことにも動じていない―――で、今にも第二波を繰り出さんと魔力を練る、何者かに操られていると思しきフランである。
「フラン!! 俺だ! 疾風だよ! お願いだ、話を聞いてくれ!!」
吸血鬼特有の血の様に紅い瞳には、常の無邪気さを宿した光は欠片も無く、今の彼女の体を蝕む様に包み込む赤黒い混沌たる禍々しいオーラと同じ、朧に揺らめく炎の様な影が千路に乱れる情念の様に渦巻いているのみ。疾風の心からの叫びを受けても、その瞳は動じることなく、無慈悲な第二波を繰り出す意志を放ち―――彼らを全方位から取り囲む魔方陣から弾幕を撃ち出した。
「―――ッ!?」
フランの説得―――この期に及んで尚、彼はフランを説得で止めようとしていた―――に意識を傾注していた疾風は、その攻撃の予兆を感じ取るのに一瞬の遅れを取った。その一瞬は、防御の為のスペルを繰り出す余裕を与えず、疾風達を弾幕の怒濤に飲み込むには十分な時間であった。
「恋符―――!!」
―――しかし、その一瞬よりも速く、防御ではなく攻撃の光を放った者が居た。
「―――『ノンディレクショナルレーザー』!!!」
空を切り裂き闇を貫き奔る青白い五条のレーザーが、疾風達の真上から撃ち込まれた。そのレーザーは先の疾風が使ったスペルカードの魔方陣が展開されていた円環をなぞる様に旋回し、徐々に増していく回転速度に連動して径を広げて行き、三人に襲い掛かる弾幕を一つ残らず悉く薙ぎ払い打ち砕く。
疾風が頭上を仰ぎ見た先、三人の頭上に在ったのは、白黒の魔女。箒に跨り(そのすぐ後ろに、紫髪の魔女をしがみ付かせている)、金髪を靡かせ、周囲に紫、赤、黄、緑、青の五色から成る球形状の何かを、彼女―――霧雨魔理沙という名の恒星を中心とした惑星の様に旋回させている。レーザーはそこから照射されていた。
「!!」
更に、三人を守ったレーザーは防御壁の役割を果たしたと同時に、攻撃の為の力として、いつもの遊びの時にもそうするように、弾幕を放つ張本人―――今は何者かに操られているらしいフランへと旋回するレーザーの威力圏を拡大する。
「ちっ!」
逃れようのない全方位無指向性のレーザーが眼前に迫るこの状況で、舌打ちするフランが取ったのは回避ではなく防御。大図書館下層の壁面に高速旋回していたクランベリークライシスの魔方陣を全て回収し防御障壁を展開する。魔理沙の十八番である極太レーザーのスペルには及ばないが、連続的にその障壁を削っていくレーザーの威力には戦慄を禁じ得ない。スペルカードの出力を犠牲にしてでも障壁を展開した甲斐はあった。
「…………」
「そう睨むなよ……この状況じゃこの技が一番有効だったんだ」
魔理沙の跨る箒の後ろに座るパチュリーが、その背中にジトっとした視線を照射しているが、その様子を気配で感じ取った魔理沙は困った風に苦笑して状況説明という名の言い訳で逃れようとする。確かに、全方位から隙間なく迫り来る弾幕を効率的に一掃するにはこのスペルが最も適切なのだが……そのスペルの元となる技を編み出した者としては複雑な心境である。まぁ彼女の高火力によってその性能は十二分に引き出され、こうして見事役割を果たしたのだから後味は悪くはないが。
「それより、今の見たか?」
「ええ……何処に逃げても逃げ場のないこの魔法を、回避ではなく防御で凌いだ……つまり―――」
「ああ……このスペルを何度も見てきて対策も出来ているフランと、今フランを操っている何者かはある程度、意識を共有しているってことだぜ」
思えば当然、その可能性はあったのだ。なんとなれば、今のフランが放ったスペルカード『クランベリークライシス』は、考えるまでもなく元の彼女が使う『クランベリートラップ』を参考に編み出されたであろうものだった。
スペルカードルールは基本的に不殺が絶対原則であり、回避・防御ができない攻撃をしてはいけない決まりである。スペルカードルールはあくまで遊びであり、殺し合いをすることが目的ではない。襲い襲われ、退治し退治される、妖怪と人間の―――幻想郷のバランスを保つ為の―――本来あるべき関係を仮にでも維持する為の形式的な決闘方法である。
対して、先のフランが放ったスペルカードには、そんな遊びの余裕が欠片も無かった。明らかにこちらへ殺意を向けて、本気で消しに来る必殺の攻撃だった。
遠慮も容赦も一切無用の全力―――それはまさにOVERDRIVE級。
「妹様の持つ知識、経験、弾幕……彼女の体を乗っ取っている者は、それらを用いて更に強化された攻撃を繰り出す事が出来るということね。中々理に叶っているわ」
「勘弁してくれよ……タダでさえ対処が難しいフランのあんなスペルやこんなスペルが、全部暴走して襲いかかって来るってのか?」
恐らくは彼女と初めて出会った時以上の死闘を強いられることになるであろうとの予測見解を下すパチュリーに、魔理沙はあの時の命辛々で勝利できた戦いを思い出して、あの時以上に死線の上を踊り狂う事になるのかと思いを巡らし弱気“に見せかけた”声を呟く。当然、その金色の瞳には負けるつもりなど欠片もない事をこれでもかとばかりに表している光が力強く輝いている。
「フラン……」
一方で、決意―――というより覚悟を新たに決める魔理沙とパチュリーとは対照的に、疾風の心は未だにフランと戦う事を躊躇していた。常のただ発狂しているだけのフラン相手なら、癇癪起こして泣き叫ぶ子供をあやす様な感覚で接することが出来た。だが、今の彼女を相手に、その感情を抱く事が出来ない。フランが全く別のものに変わってしまった、しかしその体は正真正銘フランのものである。得体の知れない相手に刃を向ける事は出来ても、その相手が友人―――それもこの世で最も大切だと思える存在の体を使っているとなれば話は別である。
「まぁアレだな。スペルを全部使われる前に叩きのめしてしまえばいいんだ」
「友人に対して執る仕打ちじゃないわね」
煮え切れない心情の疾風を置いて、魔理沙は物騒な台詞を吐いて攻勢に出る。パチュリーの普通過ぎるツッコミを相槌と受け取り、懐から取り出したのは正八角形の面を持つ小型の火炉。紅い波紋の様な光沢を放つ金属質の平面には、古代中国から伝わる易における基本図像、即ち八卦の形が刻み込まれており、中央にはガラスの様な透明なレンズで覆われた太極図が同じように彫り込まれている。一見、火炉には見えないこの道具は、しかし魔理沙の持つ最大級の威力を持つ必殺武器である。
「悪く思うなよ………恋符―――!!」
八卦太極図の刻まれた面を真正面、強力ではあったが防御する事に特段の苦もない攻撃を凌ぎ切り、魔理沙の第二波を待ち構えていたフランに向けて、魔理沙が声高に新たなスペルカードを宣言―――
「ッ!炎符―――『煌焔弾』!!!」
しようとした、その瞬間―――魔理沙とフランの間に割って入った、紅いロングコートを棚引かせ肩甲骨まで届く茶髪を後頭部で結わえた少年、神楽疾風が、魔理沙よりも早くスペルカードを切り、右手に持つ『蒼雷』と同じデザインの、カラーリングだけが赤色基調の剣を振るい、人間大のサイズを持つ炎弾を放った。
今まさに、光の魔砲、彼女の必殺スペルを放たんとする、魔理沙に向けて。
「ぬわぁっ!?」
突然の割り込み、予想外の行動、不可解な攻撃……それら全ての状況に面食らい、魔理沙は慌てて後方へ飛び退く。一瞬前まで魔理沙が居た場所の一歩前の床面に炎弾は直撃し、巨大な火柱を衝撃波と立ち上らせる。
「―――っぶねぇな!! なにすんだこの馬鹿!!」
「………っ!」
理不尽な攻撃を受けた魔理沙の罵声をその耳に叩き込まれて、疾風自身も今頃気付いたかのような反応で自分の執った行動に驚きの表情を浮かべる。今、自分は一体何を思って、何を考えて、何故このような行動に出たのか。
答えはすぐに出た。それは至極単純明快で、何も難しいものではなかった。
何も思っていない。何も考えていない。すべては―――
フランを守る為に執った行動だった。
「フランには……フランは、誰にも傷付けさせない……っ!!」
理由も理屈も何もない、ただそれだけを想い、一同にとって不可解としか思えない行動に出たのだ。
「お前、馬鹿か!? 状況分かってんのか!? 分かってねぇだろ、この馬鹿!!」
「貴方、自分のやっている事の意味が解っているのかしら?」
その一同の一員にして、直截攻撃を受けた魔理沙は二重の意味で怒りを燃やし罵声を浴びせ続ける。罵詈雑言のボキャブラリーが少ないのは、それだけ彼女もこの状況に混乱して頭が回っていないからである。魔理沙と同じくこの状況に驚いていながらも、彼女より多少は冷静なパチュリーが彼にそうさせた理由、ではなく、彼の執った行動がなにを齎すのかを質問する形で突き付ける。
「分かってるさ……分かっててやってるんだ……フランは……俺が、守る……っ!!」
ただ、守りたい。自分の命を救ってくれた少女を。かつて自分がそうされたように、今度は自分が彼女を守る。他には何もない。ただその想いだけを込めた双剣を振るい、彼女に害成す存在を討ち獲ろうと飛び掛かり―――
「―――っ!?」
突如、眼前を通り過ぎて行った鉄色の巨大な刃を紙一重の際どさで躱し、突撃の勢いを九十度左に折れる転身に変じ、障害となる攻撃を放った者と十数歩の距離を置いて対峙する。
「―――ッ邪魔すんじゃねぇ!!」
激昂する猛獣の咆哮の様な叫び声を、彼の進路を阻んだ者、機械仕掛けの大剣を構える紅魔館の新人執事・國崎悠人に叩き付ける。
「魔理沙、こいつは俺が足止めをする。お前らは妹様を何とかしてくれ」
理性を失い暴走する“二匹目の”獣の悲鳴の様な叫びを完全に受け流し、悠人は魔女二人に指示を飛ばす。この場に在る五人が総がかりになっても止め得るか定かでない程の力を暴走させているフランに、機動力の長けた疾風が援護に付いてしまえば、単純な戦力の低下以上の不利な状況に追い込まれてしまう。故に、フラン側に寝返ったらしい疾風を分断して足止めをしておくことで、最悪な四対二から次善の三対一と一対一にすることで、少しでもフランを相手にする側の負担軽減になればとの行動だった。
「悠人、私も―――」
「咲夜は魔理沙達の援護を頼む。この馬鹿は俺一人で十分だ」
もちろん、全然、全く十分ではない。相手は自称ではあるが凄腕の妖怪退治屋。その実力は先のクランベリークライシスの弾幕の怒濤を片手間に凌ぎ切った事から容易に窺い知れるレベルである。片やその強者と相対する悠人はといえば、幻想郷に来て十日にも満たない、戦闘に関しては未熟者というも生易しい素人である。汎用性の高い特殊な能力を備えているとはいえ、経験の差が桁で違う。まともにやり合えば、まず勝負にならないだろう。
「無理よ! 今の貴方じゃ疾風には―――!」
「ああ、勝つのは難しいだろうな……だが、俺がこいつに勝つ必要はない。俺がこの馬鹿を足止めしている間に、魔理沙達が妹様を止められればそれでいいんだ」
「それは……」
当然、咲夜は悠人に―――上司として、自分の部下に―――なによりも、淡い気持ちを抱く男に、そんな無謀極まる真似をさせるわけにはいかない。させたくない。決定的な実力差という現実を突き付けてなんとか説得に持ち込もうとしたが、悠人は屁理屈染みた反論で咲夜の抗議を封じ込める。咲夜は、封じ込められざるを得なかった。悠人の横顔が―――恐らくは虚勢なのだろうが―――負けるつもりなど欠片も感じさせない、強気な微笑を湛えてると気付いたから。
「…………まったく、部下に美味しいところを持っていかれるのも、上司の辛いところね……」
嘆息一吐、彼の配した自分の役割―――制限時間までに妹様を止める為、魔理沙達の援護に徹する―――を全うする為、メイド長は部下に命令する。他に多くを語らない、ただ一言で。
「頼んだわよ、悠人」
「―――御意、メイド長」
命令を受けた新人執事は、その身に纏うメイド服を翻して(この服装さえまともならもう少し格好も付いたんだけどなぁ、などとどうでもいい事を考えながら)大剣を構え直す。切っ先を向ける先は、なにを差し置いてでもフランを守るという決死の覚悟を固めた、故に声色に低く轟く殺気を乗せて呟く、先輩執事。
「邪魔するってんなら、容赦しないぜ……?」
「容赦する余裕があるなら正気に戻れ、この馬鹿」
フランとの戦端が開かれるまでに見せていたふざけた態度とは一変した先輩の、欠片も冗談の含まれない脅しに、新人は圧倒的な実力差の開きを感じていながらも余裕の態度で返す。自分に課せられた目的が勝利ではなく時間稼ぎならば、無駄話を続けて相手の手を足を止めることも決して無駄にはならない。
疾風はなんとしてでもフランを守る。その疾風の愚行を悠人が足止めする。その間に魔理沙、パチュリー、咲夜がフランを力ずくでも止める。五人は決して軽くない覚悟を決めて、各々己が役割に全力を尽くす。
そんな五人が動き出す、直前に―――
「禁忌―――」
五人の仲間割れの様子を何かの作戦かと警戒し身構えていた(その心配は杞憂だった)フランが、唐突に二枚目のスペルカードを宣言する。懐から取り出した、紅く輝く巨大な剣が天を衝くイラストの描かれた、最早スペルカードルールの最低原則を打ち破る威力を持つ、全てを破壊し尽くすスペルカードを。
右手に“構える”そのスペルカードは、発動した証として紅く輝く光を放ったと同時、今のフランを包み込むものと同じ赤黒いオーラを発し、カードを持つ手を基点に前方へ伸長する。赤黒いオーラは同色の炎となり、炎は火勢を増しながら密度を高め、やがて一つの武器を形作る。
常のフランがこのスペルカードを発動する際に持っている、曲線を描く黒い棒の両端に悪魔の鉤爪、トランプのスペードかハートの形をした装飾を持つ、悪魔の尻尾然とした杖型、ではない。
スペード或いはハート状をした装飾部こそ同じだったが、柄は短い。目視で20センチ……手の小さいフランが無理なく握れる部位は精々15センチにも満たない程度の長さ。その基部には鋭角をした悪魔の翼のような形状の“鍔”が飾られて、更にその先を構成するのは、鋭いエッジが非整然と連続する刃を持つ“刀身”。
そう―――これは杖ではなく―――
「―――『破滅を齎す災厄の剣』」
夜の帳も下りた深夜の紅魔館。
雲ひとつない星天を紅い光で彩るのは輝く満月。
「大ちゃん! ほら、はやくはやく!」
「チ、チルノちゃん……やっぱり止めた方が……」
今、その赤い上にも紅い館の屋根の上、紅い月光を受ける場所に、二匹の妖精が居た。先導する一匹は、クセの強い青色のショートボブに青いリボンを載せ、青を基調としたワンピースの装い。背中には氷の様な鋭さと透明感を持つ羽根を一対生やしている。後続する一匹は、左側頭部を黄色いリボンでサイドテールに結わえた黄緑色の髪、同じく青を基調としたワンピースの服を纏い、縁の付いた虫のような羽根をパタパタと蝶のように揺らしている。
「ここのお屋敷に住んでる悪魔さん、すっごく強いってみんな言ってたし……」
「だから! ゆえに! だからこそ! このさいきょーのアタイがソイツを倒してこの“かいわい”で誰がさいきょーなのかをおも、おもい……おもしいらしてやるのよ!」
何をしているのか、などと詮索するだけ無駄である。妖精という種族の持つ頭脳、というより思考回路は、人間の持つそれと明らかにかけ離れていて、その行動律を理解することは極めて困難である。一言で簡潔に表すなら、即ち馬鹿なのである。
「そうして取り戻すのさ! さいきょーの“ざ”を! アタイこそがこの湖でさいきょーのそんざい……あれ、取り戻すってことは、今はまださいきょーじゃないからさいきょーって言うのはまちがいで」
その馬鹿が、
突如、地面を突き破り立ち上った、恐ろしい密度を持つ赤黒い炎の柱によって、断末魔の悲鳴すら残す事も許されずに、蒸散して夜気の風に散って行った。
「チルノちゃんんんんんんんんーーーーーっっ!!!??」
寸での所で直撃の憂き目を逃れた、後に続いていた一匹の妖精の悲鳴を鎮魂歌に。
発動と同時に頭上に掲げられた剣尖、というより刀身が、紅魔館の最下層から最上層を一息に一瞬で一撃の元にブチ貫いた破滅を齎す魔剣、怖気を誘う密度を持った赤黒い炎の刀身のベースとなった、刃渡り100センチ前後から成る幅広両刃の大剣を、玩具でも弄ぶかのように軽い様子で右手に握る、赤黒い混沌のオーラを纏った悪魔の妹が、技の冴えを確かめ終えたのか、次なる目標を魔女二人に射る様な視線として差し向け定める。
「成程……旋回能力を敢えて失うことで、射程距離の増大と一点突破の破壊力のみに特化させた突撃力重視のレーヴァテイン、というわけね」
「冷静な分析ありがとさん。付け加えるとすれば、その攻撃力は直截当たらなくても私達の精神に大ダメージを与えるには十分な威力だってことだな」
気が触れているとしか思えない、あまりにも狂った威力の……否、大威力の攻撃を目にして、パチュリーが頬に冷や汗を流しながら、押し殺しきれない震える声で相手の技を分析する。軽い調子“に見せかけて”礼を言う魔理沙も、震える手脚を、大ダメージを受けた“かもしれない”精神力で抑え込み、しかし抑え込みきれなかった分が僅かな声の震えとして表れている。
「ああ、またこんな大穴空けて……修繕が大変ね、これは……」
「必要以上に仕事を増やさないで貰いたいもんだな、全く……」
流石の完全で瀟洒な従者・咲夜も、今回ばかりは“完全に”平然な態度を“装う”ことは出来なかった。敢えて場違いな冗談を口にしたのは、少しでも恐怖から来る緊張を和らげる為である。彼女と背中合わせに互いの敵と相対する執事・悠人にもそれが分かっているから、わざとらしく呆れた風に冗談で返す。ここで本当に精神面で押し負けてしまえば、彼らを待っているのは灰塵すら残らない死のみである。
「フラン…………」
一切の手加減無く全力で殺しに来ている、殺戮マシンと化したフランの姿を唯一人、脅威としてではなく憐憫の情を以って守ろうとしている疾風は、そんなフランの痛々しい姿を見て心を針金で締め付けられる想いを抱いていた。彼の口を衝いて呟かれるのは、様々な情念の籠った彼女の名。
「余所見をしている暇があるのか?」
「っ!」
そんな疾風の想いを正確に汲んで、しかし大剣の切っ先を差し向けるのは、感情で動く疾風とは真逆、理性で動く悠人。感情の昂りが原動力となる能力を持っていながら、その頭は自分でも驚くほど冴え冴えと冷えていた。無論、戦いに勝つのは戦況を冷静に分析できる者である。戦闘力の差を度外視すれば、の話だが。
圧倒的な戦闘力の差を痛感していながら、しかし悠人は疾風に気迫で伍し得た。
少なくとも、精神力では負けていない。そこから来る気迫で彼は大剣を向ける。
「お前の相手は……この俺だ」
破壊を撒き散らす狂気の化身を背後に置いて、
二人の執事はそれぞれが守るものの為に戦う。
第九話で⑨をこうするという構想はこの話を書いてる途中で閃いた(キリッ
不遇のチルノちゃんは後の物語で名誉挽回話があると思います。多分(ぉ
次回、執事VS執事!