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第七話『紅魔館』

お待たせしました。今回から新章突入です!

紅魔館編導入話。導入のクセに紅魔館住人あんまり出ませんが(殴

次話からきっと戦いが始まる筈…!(おい作者ry




「悠人、話があるんだが……」

「なんだよ、急に改まって」


 外の世界から迷い込んできた外来人・國崎悠人が、紆余曲折を経て幻想郷の古道具屋・香霖堂にて住み込みで働き始めてから一週間が経った頃。仕事(といっても店舗内外の清掃くらいしかすることがない)にも幾分慣れてきて、幻想郷にも漸く馴染んだかという頃合いで、香霖堂の店主・森近霖之助が深刻そうな顔で急に話を振ってきた。


 こういう風に話を切り出す霖之助には嫌な予感しかしない事を、悠人は短い同棲生活(その言い方はヤメロォ!)で体感している。軽く答えながら僅かに身構える悠人だったが―――


「本日付けで辞めて貰おうと思っているんだが」

「ああ、なんだそんなこと―――なんだとっ!?」


 想定の範囲外だった霖之助の言葉、それが意味する処に気付いて、悠人は大いに驚き慌てる。


「実は、紫さんからの支援が二日前から途絶えているんだ」

「なん……だと……」


 幻想郷に古くからある道具だけでなく、外の世界から流れてくる道具まで取り扱う香霖堂の経営状態は、決して芳しいものではなかった。本来なら従業員を雇用する経済的余裕はない筈なのだが、紫―――幻想郷を影から管理する境界の妖怪・八雲紫の気紛れなのか定かではないが、彼女の謎の支援により霖之助は悠人を雇う事が出来ていた。その支援が打ち切られたとなれば、店を守る為に彼が取るべき選択肢は一つしかない。


「済まないな、悠人……僕にも生活というものがあってだね……」


 元々、霖之助は商売人というよりも蒐集家としての気質の方が勝っている。幻想郷の住人にとって外の世界の道具は未知の存在で使い方も用途もまるで分からない。何に使うのか分からない物が売れるわけがないし、使い方が分かった道具は霖之助が非売品として彼のコレクションケージに入り売り物として出されることはない。


 つまり、紫の支援が期待できない以上、現在の香霖堂の経営状態でこれ以上の従業員を雇う事―――つまり悠人を居候させ続ける事は事実上不可能であるということなのだ。八雲紫は神出鬼没な上、向こうから一方的に絡んで来る事はあるがこちらから向こうへアクセスする手段は皆無である。何処に棲んでいるのか分からない上、スキマ移動で幻想郷中の空間を好き勝手に移動できる紫を捕捉するなど不可能に近い(一応、神社での目撃情報が割と多いが)。


「丁度良いところに、ここに紅魔館が求人募集を出しているチラシがあるよ」


 先の深刻そうな表情から一変、わざとらしく軽い調子で懐から何かの紙を取り出す霖之助。そこには流麗な筆記体で書かれた英文を含む、執事か何かの求人情報のような何かが書かれていた。悠人の手を取りその紙を握らせる霖之助は、眼鏡をキラリと光らせて無駄に男前な声で、


「キミなら生きて行けるだろう。頑張ってくれ」


 と、爽やかな笑顔で國崎悠人に解雇宣言を付きつけたのだった。






「これがいわゆる出オチというヤツか……」


 あまりに一方的な展開だったが、居候が無理に食い下がるのもどうかと思い、態度はしぶしぶ、行動はさばさばと気分を切り替える悠人であった。一部の人妖の間で『挨拶代り』に繰り広げられる弾幕戦に対抗する為、また中途解雇のお詫びの意味も兼ねて香霖堂で譲り受けた重過ぎる大剣をお土産代りに引き摺って、チラシに記された道順通りに進む事、数十分。


「あれが、紅魔館か……」


 悠然と広がる緑のカーテンを成す森を背景に、広々と澄み渡る空の青を映し出すは眼前に広がる壮大な湖。その畔に端然と佇む、自然とあまりにかけ離れつつも周囲との調和を保つ、紅い館。これこそが、外の世界より館ごと幻想入りした悪魔の棲む屋敷。紅魔館である。


「そのまんまだな」


 恐らくは紅魔館を初めて見た者達が皆そう言ったであろう言葉を悠人も呟き、その館から放たれる威圧感に微量の畏怖を抱きながら、館に歩を進める。鉄格子の巨大な門扉を開き、丁寧に手入れの行き届いた広大な庭園を進み、本館の門前に立つ。扉の傍に備え付けられた取っ手付きの紐が、恐らくは呼び鈴なのだろう。一瞬の躊躇いの後に意を決し、紐の取っ手を握り手前に引き込むと、ゴォーンという低音と高音が混じり合った様な鐘の音が、閑散とした周囲の空間に広がり響く。


「………………」


 しばらく、というほど待つまでもなく、住人からの返事が来た。


「紅魔館に何か用かしら?」

「!?」


 悠人の背後から。


 全く予想外の方向から聞こえた声に驚き、脊髄反射で振り向く悠人。閑散とした自然の中、自分以外の人の気配など欠片も無かった、そんな中、突如現れた気配に本能的に危機感を感じたのだ。


 しかし、その危機感は空振りに終わった。


 振り返り見た先に立っていたのは、メイドの装いをした少女。濃紺を基調としたスカート丈の短いワンピース、その上から白いエプロンドレスを纏い、ナイフの様な刃を思わせる銀髪の上に同色のヘッドドレスという、派手さは無いが実用本位な給仕服に身を包む、悠人と同い年程度の少女である。


「見ない顔ね……外からの迷子かしら?」


 見た目の年齢の割には落ち付いて見える挙措から、このメイドが見かけだけではない、本物の従者であることがありありと見て取れた。なにより、身を包む気配が既に只者ではない、普通の少女とは思えない存在感を放っている。まるで霊夢や魔理沙の持っている様な不思議な存在感を。


「訊いているのだから、答えて貰えないかしら?」


 そして、端正に整った顔立ちに見て取れる、美しさと可愛らしさを兼ね備えた美貌が、少女の持つ雰囲気と相まって悠人の動きを……正確には視線を釘付けにしていた。まるで時を止められたかのように、微動だに出来ない。そんな錯覚さえ覚えた。


「……ッ」


 その事を自覚して、そしてその少女の問いかけの声で、ようやく我に帰る悠人。


「あんたは、この館の……メイドか何かか?」


 悠人の無遠慮な第一声に、そのメイドは微笑みはそのままに、目だけを僅か細めて応える。


「人に名前を尋ねる時は、まず自分から名乗るのがマナーじゃないかしら?」

「え、あ……いや、まぁ」


 先に名前を尋ねてきたのはそっちじゃないのか、と一瞬思ったりしたが、メイド少女の僅かに増した威圧感の前に反抗の意を削がれる悠人だった。


「俺は國崎悠人。このチラシの求人募集を見てここに来たんだ」


 懐から霖之助に貰った紅魔館の執事募集チラシを取り出しメイドに見せる。ちなみに、どう見てもこれは面接を受けに来た者の態度ではないが、悠人は外の世界ではバイトなどしていなかったのだろうか、などと詮索するのは野暮というものだろうか。


「あら、そのチラシは……」


 悠人から受け取ったチラシに目線を落とし、少しだけ驚いた風に目を見開いて、すぐに困ったような顔になる。その移り変わる表情の、素朴な可愛らしさにまたも見入る悠人。その表情から『この求人募集はもう締め切ったわ』という答えが来るかもしれないと予測もできただろうが、当然そんな余裕は持ち合せていなかった。


「全部回収したと思っていたのに……私とした事が」

「もしかして、もう募集は締め切ったのか?」


 メイドの漏らした言葉を聞いて初めてその推測に至る悠人は、『また振り出しに戻るのか……』と、幻想郷に来てから立て続けに続いている目的が半分も果たせていない結果にげんなりしそうになった。というか目に見えてげんなりした。


「実はこの募集、ウチのお嬢様がお戯れにばら撒いた遊びなの」

「……ってことは、最初から募集すらしていなかった、と?」

「そういうこと」


 完全に無駄足だったという事実に、げんなり以上にがっかりする悠人。そのあまりの憔悴ぶりを気の毒に思ったのか、メイドの少女は館の扉を開けて落ち込む青年を手招いた。


「無駄足を踏ませたお詫び、というほどでもないけど……お茶くらいなら出すわ」

「あぁ……そうさせて貰うよ……」


 ここに来るまでにそれなりの距離を歩いてきた悠人である。腰にぶら下げている無駄に重い大剣の負荷もあってか、その疲労はピークに達していた。そしてここに来て紅魔館への訪問が全くの徒労に終わった事実を思い知らされて、全身から力が抜ける思いである。今の悠人に、この少女の誘いを断る理由は何一つなかった。と、悠人が館に一歩足を踏み込んだ時、初めて気付いたようにメイドは口を開いた。


「そういえば、まだ名乗ってなかったわね。私は十六夜咲夜。この紅魔館でメイド長をやっている者よ」


 来客(厳密には違うが)相手に特に媚びるでもなく、平然堂々とした瀟洒な振る舞いはメイド長の肩書を背負うに相応しい貫禄があった。そんなメイド長の少女・咲夜に導かれて、悠人は屋敷の廊下を進む。






「ふぅん……執事募集ねぇ……そんなことやったっけ?」


 通された応接間で一目見て高価と分かる椅子に座って紅茶を啜っていると、突然この館の主を名乗る幼い少女が現れてお茶の席を同じくすることになったのは、今よりほんの数分前の出来事。紫がかった蒼銀のボブショートに薄桃色のナイトキャップのような帽子を被り、同色の配色で繕われた可愛らしいデザインのフリル満載なドレスを纏う姿は、普通の幼い少女である。


「一週間ほど前にお戯れに執事募集を……覚えておられませんか?」


 ただ、その背からは蝙蝠の羽根の様な形の大きな翼が一対生えており、細く可憐な指の先には鋭い爪が伸びて、微笑んだ際に口の端に見え隠れするのは人間には有り得ない程の大きさと鋭さを持つ犬歯。そして照明(ランプ)の明かりを受けて妖しく輝く、真紅の瞳。それら普通の人間には備わっていない異形の特徴を持つこの少女こそ、この紅魔館の主にして吸血鬼として夜の王の座に君臨している(らしい)紅い悪魔、レミリア・スカーレットである。


「私ほど永く生きていると色々な事に興味が湧いてねぇ、一々覚えてられないわよ」


 ちなみに『人は皆、そのカリスマに畏敬の念を払い私を“紅い悪魔(スカーレットデビル)”と呼んでいるわ』という言葉に対し『はぁ』と応えた悠人に『ちょっと!もう少しまともな反応はできないの!?』などと返された姿にカリスマがあるのかどうかは置いておくことにする。


「んで、ユートって言ったっけ? 執事やりたいの?」

「いや、最初からそのつもりでここに来たんだが……」


『“いつもの面子”ではない珍しい来客が来ている』というレミリアの友人の言を受けて、戯れにその顔を眺めに立ち寄ったこの部屋で、いつの間にか一緒にお茶を嗜んでいた紅魔館の主を前にして、その主の見た目の余りの幼さに困惑し緊張すべきか否かに迷う悠人。とりあえず、ここに来た本来の目的を示す事で意思表示とした。


「ふーん。じゃあ、今から早速働いて貰うよ」

「………………は?」


 最初、悠人はその言葉の意味を理解できなかった。執事募集はこのお嬢様のお遊びで、最初から募集などかけていなかった(他にも何人か騙されて面接に訪れた者がいるのかもしれないが、仮に居たとして彼らのその後の行方は定かではない)のだから、執事としてこの館で働く事は叶わないと思っていたのであるから当然ではある。そう思い込んでいたのだから、この事態の転がり方は悠人には予想外過ぎて対応に困るというのが本音である。が、どうやら、このお嬢様にそんな常識は通用しないらしい。


「やりたいんでしょ? 執事。やらせてあげるわ」

「いや、だって、募集は嘘なんじゃ……」

「咲夜、新人の面倒、任せたわよ」

「ちょ、待って……」

「畏まりました」

「えぇ……」


 そんなこんなで、國崎悠人は紅魔館の執事に就任した。






「執事と言っても、最近まで紅魔館にはそんなの居なかったから、基本的には私の部下として色々雑用をやって貰うことになるわね」


 住み込みの執事として働くことになった悠人に与えられる部屋へ案内するついでに、執事の仕事について簡単に説明する咲夜。といっても、彼女の言うとおり、そもそも紅魔館は女所帯であり執事など存在しなかったのだから、その仕事内容など定められているわけもない(主要な仕事は今まで咲夜が全て一人で行っていたらしい)。しばらくはメイド長付きの雑用係、という配役になりそうである。


(まぁ、その程度の事で宿を得られるのなら、安いものさ……)


 この時、悠人は気付いていなかった。

 紅魔館での執事の仕事が『その程度』で済むわけがないということを……






「なぁ、これ……着ないと、駄目か……?」

「それが制服なの。着ないと仕事ができないでしょう?」


 紅魔館執事として居住勤務する事になった悠人は、自室としてあてがわれた部屋に通されて、絢爛豪華とまでは行かずともしっかりと整備された家具類の見栄えの良さに、あまりの好待遇に浮足立ちそうになった。そして、次の瞬間に絶望しそうになった。まるで最初から“それ”を着せる為に用意されていたかのように、ベッドの上に丁寧に畳まれて置かれていたのは、咲夜の言う件の制服。


「生憎、紅魔館は女所帯なので、男性用の執事服なんて用意していなかったのよ」

「そんなことで、よく執事募集なんてやる気になったな……」

「制服貸与とは書いていなかったわよ」

「………………」


 その制服は、濃紅を基調としたスカート丈の短いワンピース。それに白いエプロンドレスを合わせて、頭部に同色のヘッドドレスを載せる、咲夜が着ているものと色違いのメイド服だった(ちなみにメイド長が濃紺で、一般メイドは濃紅の配色なのは、紅に染まる紅魔館内で唯一の異色を放つ存在としてメイド長には青の色を与えられている、とかなんとか)。


「確かに、そんなに上手く事が運ぶわけないよな……」

「就職難のご時世、仕事にありつけるだけでも有り難く思いなさいな」


 幻想郷(こっちの世界)に就職難なんてあるのか、などどうでもいい事をつらつら考えながら、恐らくはレミリアの計略で用意されたメイド服一式を、きちんとメイクされたベッドの上に並べて不備が無いか確認する。といっても、悠人に女装の趣味は無いので足りないものがあったとしても分かる筈がないが……。


「ん、なんだコレ?」

「?―――ッ!?」


 悠人の疑問の声に、不審な顔色を見せる咲夜。これらのメイド服は自分が用意したのだから、不備は無い筈なのだが……。と、彼がその手に持つモノを視界に入れた瞬間、咲夜の目つきが豹変した。


「まさか……これ、パッドってやつか? わざわざこんなものまで入れ―――」


 シュッ、ドカッ―――!!


「―――てぇ!? な、え……?」


 瞬きする間も無いほんの一瞬の内に、自らの手に持っていたバストパッドが消えた事に驚く悠人。パッドを貫き壁に突き立つナイフを見て初めて、先程の音を発したモノの正体とパッドを悠人の手の内より消した犯人を自覚する。


「あ、あの……咲、夜?」


 隣に目線を流すと、ナイフを投擲した直後の姿勢ままで硬直する咲夜が、瀟洒な笑顔を見せる鬼の様な表情で、悠人を睨みつけていた。


「言い忘れていたけれど、勤務中は私の事は『メイド長』もしくは『さん』付けで呼ぶように」


 耳に届く音は先程と全く同じ咲夜“さん”の声である筈なのに、体感的に1オクターブ低く聞こえたのは恐らくは気のせいだろう。というか気のせいだという事にしたい悠人だった。






「へぇ、なかなかに似合ってるじゃない………………ふっ」

「そう思うのなら含み笑い止めろよ」


 着替えの済んだ哀れな新生紅魔館執事の姿は、意外と悲嘆する程のものではなかった。黒髪に白いヘッドドレスはコントラスト的に相性が良く、男の割には全体的に細身なので、遠目から見ると普通に女性のメイド(メイドに女性以外が居てたまるか)に錯覚してしまうかもしれない出来である。元々、中性的から少しだけ男寄りな整った顔立ちをしていただけに、化粧を施し綺麗な服で盛装すれば“それらしく”見えなくもない。とはいえ、背はそれなりに高い方なので『男の娘』ではなくあくまで『女装が似合っている男』あるいは『美人に見えなくもない男』と形容するのが正しい表現なのだろうが。


(いや、そんなのどうでもいいから……)


 何にせよ、これで無事に宿と仕事にありつけた悠人である。ニーソックスとスカートの間に生じる絶対領域というらしい隙間が妙に冷えるが、このメイド服というものは意外と機能的で動き易く作業に支障は生じないようだ(というか元々そのように作られた類の衣服である)。


「それじゃあ、早速仕事を始めましょうか」

「はい、はい」

「仕事を始める前にまず教育が必要かしら?」

「いえ、そんなことはないです、はい……」


 かくして、悠人の前途多難な執事生活が始まった。






 気が付いた時には、時刻は既に22時を回っていたということに、崩れ落ちるように倒れ伏したベッドから視界に入った時計を見て初めて気付く悠人。紅魔館執事としての仕事初日は、それはもう狂気の沙汰(ルナティック)と言っていい程ハードなものだった。


 広大な屋敷内の全フロアをくまなく清掃する、それだけで時間がいくらあっても足りない仕事量だった。それに加えて人間の里までの食糧の買い出しや(慧音にこの姿を見られなくて内心ホッとした悠人だった)、多数の妖精メイド達の食事の調理、時々言い渡されるレミリアお嬢様からの明らかに不可能と分かる無理難題な命令等々……つまり、常人には到底耐えられない程度の仕事内容だった、ということである。


「おれ、明日まで生きていたら……幻想郷に定住できる気がするんだ……」


 満身創痍というも生温い、ズタズタのボロ雑巾の様な変わり果てた姿になった悠人は、勤務時間が終わると共に自室に戻り、そのままベッドに倒れ込んで動かなくなった。否、動く事ができなくなったのだ。想像を絶する重労働に疲労が限界を超え、指一本動かす余力を体が残していない事に、今後の生活に戦慄さえ覚える悠人である。


 と、そこに、


 コンコン


 という、扉をノックする乾いた音が耳に届いた。疲労困憊の体に鞭打って身を起こし、ドアノブに手を掛け来訪者に応える。体感的に重い扉を開けると―――


「お疲れのところ悪いけど、少しいいかしら?」

「咲夜、さん……?」


 扉の前に立っていたのは、仕事初日の悠人をここまで酷使した張本人であるメイド長・十六夜咲夜だった。その手にはティーセット一式が載っているシルバートレイを持っている。そして、仕事中に次々と命令を放つ鬼の様な形相から一変、今の咲夜の顔には悠人を気遣う気持ちが十分に現れていた。


「あぁ、大丈夫だ。どうぞ」

「じゃあ、失礼するわね」


 彼女のこの行動が何を意味しているのかは明白。悠人はすぐに察して意外に(と思ったのは、彼の身に降りかかった惨事を見て推して知るべしである)部下想いらしい咲夜を部屋に通した。備え付けのテーブルと椅子は一組しかないため、咲夜に椅子を譲り悠人はベッドに腰掛ける。咲夜はトレイを置き椅子に着席する、その一連の動作にも全く澱みがなく流れる様な彼女の仕草にまたも目を奪われていた悠人は、


「初日にしては、なかなか頑張った方だったわ。お疲れ様」


 メイド長からの偽りの無い労いの言葉で我に返った。


「え、あ、あぁ……そりゃ、どうも」


 率直な賛辞に言葉を濁したのは、ただの照れ隠しだという事が隠しきれずに現れていた。自分の行動が他人に評価されたりする事に慣れていないのかどうなのか、悠人には分からない。彼、國崎悠人はこの幻想郷に迷い込む以前の記憶を失っており、名前以外に分かるのは生来より自分を形作る性格だけである。


 基本的に真面目で融通が利きそうにないが、都合のいい場面では事に柔軟に対処できる汎用性も持ち合せている。どちらかというと明るく騒ぐタイプではなく、静寂を好む傾向があり人混みを嫌う。思った事を口には出さずあくまで心中でのみ相手に意見を言うので対人折衝は不得手。故に他人と距離を置きがちになるが、少しの間一緒に行動を共にしたりする事で相手に気を許すことができる。


 これらの基本的な性格を、悠人は幻想郷に来て間もなく出会い、しばらく行動を共にした者達との触れ合いの中で自覚した。その性格を形作った、元の世界での境遇も薄々と推測できるようにまでに。つまり、一言で言うと、この男は柄にもなく照れているのである。


「正直、少し驚いているのよ。貴方があれほどの量の仕事を、初めてなりにこなせた事に」


 決して不快ではないがむず痒い気分に浸っている悠人に、咲夜は感心したような声で言葉を継ぐ。


「いや、俺よりも……今まであれだけの仕事を一人でやってた咲夜さんのほうが凄いさ」

「オフの時は咲夜でいいわよ。その代わり私も悠人と呼ばせて貰うわ」


 職場の上司と部下であり、気心の知れた(様に見えなくもない)女と男の、何気ない微笑ましい会話。


 それを―――


 ―――ッドオオオオオォォォォォン!!!!!


「!?」

「なっ、なんだ!?」


 全身を万遍なく叩きのめす様な、空間が爆発したかのような轟音と震動が容赦なく破った。家具が壁が天井が軋みを上げて打ち震え、階下の部屋ではあまりの衝撃に窓ガラスが一斉に割れ砕けたようである。館内に住む妖精メイド達の慌てふためく声が廊下に中庭に広がっていた。



「これは……まさか、妹様?」

「妹様?」


 そんな中、突然の非常事態に特に慌てる様子もなく、それどころか逆に冷静な態度を保つ咲夜の落ち付いた挙措に、悠人も少しだけ冷静さを取り戻してきた。


「レミリアお嬢様の妹君よ。地下で生活しているのだけど、何かあったみたいね」

「一体何が……?」

「何があったのか、心当たりが多過ぎて分からないわね」

「な、なんだそれ……」


 とにかく、と咲夜は椅子から勢いよく立ち上がると、一瞬で表情を引き締め“メイド長”としての十六夜咲夜に切り替わった。


「私はお嬢様に報告に行ってくるわ。あなたは一足先に地下へ様子を見に行って頂戴」

「え、あ……ちょ」


 鋭い動作で踵を返し悠人に背を向け、扉へ歩を進めながら命令一声。悠人の返事も待たずに扉の向こうへ消えてしまった。


「なんだって言うんだ、一体……」


 事態から取り残された悠人は、それでも紅魔館の執事としてメイド長の命令を遂行すべく、壁に立てかけておいた大剣を握り部屋を飛び出した。


 向かう先は、紅魔館の地下。


 そこで待ち受けていた存在に、悠人は戦慄する―――




門番なんて居なかった(キリッ

次回、あの少年が再登場します。乞うご期待!(できないry

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