表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/20

プロローグ


 夢を、見ているようだった。


 自分の体を認識できないあやふやな感覚、

 無意識の海に沈んだように自我を確固と保てぬ思考、

 動きたくても動けない、指一本さえ自分の言う事を聞いてくれない、


 そしてなによりも…………


 見ているのかいないのか、はっきりしない視覚、

 眼から伝わる視覚情報を疑わざるにはいられない、

 こんな状況に陥って、そんな光景を目の当たりにして、

 これを夢と言わずに何と言おう。


 幻想的な…………そう、まさに幻想の様な光景が、

 ひとつしか開かれていない眼に、照り映える。


 白と黒の衣服を纏った金髪の少女が二人、

 自分の頭上、つまり上空で、飛び交っていた。

 だけでなく、戦っていた。あるいは、遊んでいた。


 一人は魔法使いの様に箒に跨り、

 目を焼く程の光量をもって煌めく星の様な何かを撃ち出し、

 一人は両手を磔刑に処された罪人の様に真横に広げ、

 撃ち込まれんとする輝きを飲み込む闇を周囲に広げている。


 暴威と言うには余りにも華々しく、

 熾烈と言うには余りにも楽しげで、

 それはまさに、幻想的と称すべき光景だった。


 やがて、箒に跨った方の少女が懐から何かを取り出し構えたところで、

 自分の全身を殴られたような衝撃、それが齎した激痛を思い出し、

 口中に広がる血の味と、暗夜を真昼の様に照らす輝きを眼に残し、


 そのまま意識は深い深い闇に沈んでいった…………






 普段の生活で刻み込まれた習慣、決まった睡眠時間と起床行動は、半自動である。

 それは頭が働いていない時にこそ発揮されるもので、本人に動作の自覚は無い。

 現実に起きていないにも拘らず、習慣はその状況を疑似再現し実行させる。


「……ん、ぅん……ッ!」


 俺の一日は目覚まし時計のけたたましい音を叩き止めるところから始まる。

 半秒で音源を察知、神速の手際で目覚まし時計のスイッチを叩いて黙らせる。


「いてっ!?なにしやがんだこの!!」


 プラスチックの目覚まし時計を叩いた割には随分と柔らかい。

 叩いた際の「バシンッ!」と小気味良く鳴るはずの音もない。

 代わりに、口調の割には可愛らしい少女の怒声が耳に入った。


「せっかく起こしてやろうと思ったのに……よっ!!」


 そして目覚まし時計にはあり得ない、手痛い『反撃』を受けた。


「ぐほはっ!!?」


 寝ている自分の腹部に、拳を叩き込まれたような衝撃が走る。

 というか、拳を叩き込まれた。

 その衝撃を受けてようやく、それが目覚まし時計でないことに気付く。

 そもそも、果たして自分は本当に目覚ましの音を聞いたのだろうか?


「カッ……ぐ、ゴホッ!……げはっ!?」


 どうやら鳩尾に入ったらしい。呼吸ができない。

 掠れた吐息を喉の奥で繰り返し、ようやく麻痺した肺が蘇生する。


「ハッ……な、なに……す、る……げほっ!ゴホッ!?ごふっ!!」


 整いかけた呼吸が再び乱れる。

 どうやら周囲には大量の埃が舞っていたらしい。

 大きくそれらを吸いこんだせいで余計に咽る。

 気を取り直して、埃を吸わないように小さく、

 しかし大きく深呼吸するという器用な芸当で乱れた息を整える。

 なんとか会話できる程度まで。


「い、いきなり……何、するんだ……!」


 眠気眼と涙目を一緒に擦りながら、切れ切れと抗議の声を継ぐ。


「何するんだ、はこっちのセリフだ!馬鹿野郎!」


 早速容赦ない反撃が返ってきた。

 今度は怒声プラス顔面へのストレートパンチ(威力的にそうだと分かった)。


「だ、はっ……!い……ってぇー!!!」

「当たり前だ!痛くしたんだからな!!」


 二度ある反撃は三度ある。

 今度は頭頂部に固い物……恐らくはハードカバーの本の角だろう。

 それで思い切り殴りつけられた。目覚めかけた意識がまた薄れる。


「~~~~っ!……っ!……っ……!!!」


 とうとう悲鳴が声にならなくなった。それくらい痛かったのだ。


「ったく……助けて損したぜ、こんな奴」


 いまだ刺々しい声音で怒りを露わにする。

 涙で揺らぐ極彩色に乱れる視界と朦朧とした意識を繋ぎ合せ、

 どうやら、自分を何かから助けてくれたらしい少女をようやく見る。


 柔らかくウェーブのかかった金髪、

 白と黒の衣服を纏い、腰に両手を当てて仁王立ちする小柄な体、

 幼さの残る整った顔立ちに、意思の強さと憤怒の形相を現わしている、少女を。


 全身から溢れる力感と存在感に、

 窓から差し込む朝日を浴びて輝く姿に、

 そしてなにより、自分を睨みつける金の瞳に、

 圧倒される。釘づけにされる。目を逸らせなくなる。


「………………………………」

「…………なんだよ?」


 無意識のうちに見つめていたら、凄まじい形相で睨まれた。

 低く抑えられた声には微量の殺意まで混じっていそうな雰囲気である。

 慌てて視線を外しはぐらかす。


「な、なんでもない……!」

「ふん」


 睨み合いで縄張り争いをする猫同士の戦いに勝ったかの如く鼻を鳴らす少女。

 男としては些か以上に癇に障る態度を取られて癪だが、状況が状況である。

 ともあれ、状況把握の為に、ここに至るまでの経緯を聞いてみる。


「ところで、此処は何処だ?そして、あんた誰?」

「古典的で常道的な問いだな。まぁそれ以外に言える事は無いか」


 身も蓋もない前置きを放って、少女は説明する。


「ここは霧雨魔法店。私の家だ。そして私は霧雨魔理沙。魔法使いだぜ」

「………………………………」


 今度は、何が何だかわけがわからない種類の表情を浮かべて少女を見つめる。

 案の定、


「…………なんだよ?」

「…………いや……」


 同じように睨まれたが、今度は何故か威力が低かった。気がした。

 まるで溜息を吐くようにはぐらかす。


「ちなみに、お前の事は知らん」

「知ってるよ……」


 聞いてもいない事まで答えてくれた。意外と良い奴なのかもしれない。

 そんな風に、どうでもいい事に思考を巡らし、ふと気付いた事があった。


「………………なぁ?」

「なんだよ?」


 自身、失念していたが、最も重要な事。

 状況が状況だけに、優先順位を低く設定していたらしい。

 それを、改めて、問う。


「俺は、誰だ?」

「…………はぁ?」


 予想していた通りの反応が返ってきた。むしろ有り難い。


「俺は……誰なんだ?思い出せない……これ、アレか」

「記憶喪失」

「そう、それ」


 そんなの、漫画や映画の世界にしかないと思っていたが……

 どうやら実在したらしい。ものの見事に、記憶が抜け落ちている。

 自分の名前、職業、住所、その他諸々の色々な何かが。


「マジかよ……参ったな……」

「未知の世界に迷い込んで記憶まで失う……まるで空想小説か何かだな♪」


 先程とは打って変わって楽しそうに笑う、魔理沙とかいった少女。

 どうやら熱しやすく冷めやすい、根に持つタイプとは真逆の性格らしい。

 途方に暮れる自分の肩を叩いて、大した事のないように言う。


「ま、この世界じゃよくあることだぜ。気にするな、悠人(ゆうと)

「簡単に言ってくれるぜ…………――――」


 当たり前のように出てきた一つの固有名詞に気付くのに、数秒を要した。

 魔理沙が手に持っているのは、小さな薄い手帳(表紙に学生手帳と書かれている)。

 開いたページを示すと、男の顔写真と名前。


「――――…………」


 ベッド(に寝かされていた事に今気付いた)から半身を起こし、

 都合の良い位置に掛けられている鏡を見る。映った自分の顔を。


「……………………」


 もう一度、魔理沙が持つ手帳に目線を戻す。

 写真の男は、今見た鏡に映る顔と、完全に一致している。

 その下に書かれている名前を、呆けた声で音読する。


「…………くに、さき……ゆうと……國崎悠人(くにさきゆうと)……」

「だ、そうだぜ。お前の名前」


 間抜けな顔(をしていたのだろう)を、三度、魔理沙に向け――


「いて」


 ようとしたら、その顔に手帳を投げ当てられた。

 反射として、大して痛くもないのに声を上げる。

 今度こそ魔理沙の姿を見ると、既にベッドから離れていた。

 黒い大きな帽子と古風な竹箒を手に、外出の準備をしているようだ。


「里までは連れてってやるよ。それから先は自分で考えな」


 男として情けなるくらいの、頼もしい事を言ってのける少女の背を見て、


「あぁ、言い忘れてた」


 対抗心だか何だかわからないが、


「ここは幻想郷。人間と妖怪が気儘に暮らす、平和な世界」


 寝床から立ち上がろうと、脚を踏み出し、


「短い間だろうが、楽しんでいきな、外来人」


 本や謎の器物に溢れた床を、


「だっ……!?ぅあ、いで!!」


 踏み…………外し、


「…………何やってんだ?」


 盛大に転んだ姿を晒し、魔理沙に不思議な顔をされた。






 夢と、言うには余りにも破天荒で、荒唐無稽で、意味不明だが、


 その名が示す通りの、摩訶不思議な出来事が、次々と訪れる、


 そんな予感を抱かせる世界―――幻想郷に飛び込んで、あるいは迷い込んで、


 俺の運命は、大きく動き出したのかもしれない…………


 なんてのは、いささか気取った言い方だな。




 ともかくも、


 これが、俺の幻想の始まりだった…………




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ