【1-1】 騎翔隊 決戦場へ
紫色の淡い光が、東の空に稜線を浮かび上がらせている。
陽光が増すにつれ、ヴァーガルの河面は輝きを帯び、さえずる小鳥はその数を増やしていく。
帝国暦384年11月14日払暁――ブレギア軍の宿将・クェルグ=ブイク、ベリック=ナトフランタルは、砂塵舞う地面にあぐらをかいていた。
同軍の最左翼を担ってきた老将2人は、羊肉の缶詰をスプーンでつついている。
両将軍とも頭髪は汗と砂ぼこりに乱れ、腕や頬に擦過傷を無数にこさえていた。略装軍服のそこかしこに血がにじんでいる。
彼らはわずか5,000の兵で、ヴァーガル河の向こうより押し寄せる帝国軍5万を喰い止めていた。
彼らが崩れたら最後、帝国軍は勢いそのままに北上し、ブレギア本軍に襲いかかることだろう。
是が非でも、この地で帝国を足止めせねばならなかった。
河川と堤防しかない区域で、10倍もの敵を抑えることができたのは、ブイク・ナトフランタルというブレギアきっての良将が、采配を振るったからとしか言えない。
両将軍は土手に沿って展開し、水際に銃撃を集中――時に自ら先頭に騎翔隊を突入させ、帝国軍に数の有利を生かす機会を与えなかった。
名宰相・キアン=ラヴァーダが、選りすぐりの馬匹と乗り手から編成した騎兵は、草原の国の至宝である。老将たちはその能力を存分に発揮させたのであった。
しかし、衆寡敵せず――ヴァーガル河に沿った防衛線もいまやすべて突破され、彼らの奮闘も限界が迫っていた。
帝国軍は、総司令部やその直属部隊こそ西の対岸に残していたが、攻撃隊のほとんどが渡河を終えている。
河辺で必死に防戦していたのは遥か昔のことのように、ブレギア軍・最左翼はヴァーガル河から2キロ以上東へ押し込まれていた。
そして、両将軍以下ブレギア左翼残存兵は、帝国兵によって蟻の這い出る隙間がないほどに囲まれたのである。
帝国軍からすれば、このブレギア左翼軍には、渡河をめぐる攻防でしたたかに出血を強いられ、多くの仲間が川波に呑まれた。
小癪なその生き残りを捻り潰さんと、帝国軍は周囲を将兵軍旗で埋め尽くしたのだ。この期に及んで助命するつもりなど、さらさらないようだった。
帝国増援軍がヴァーガル河沿いに姿を現してから、総司令部軍からの命令が途絶えて久しい。
ブイク・ナトフランタル両将軍麾下、ブレギア左翼各隊では、野砲は砲身が曲がり、小銃は銃弾のほとんどを撃ち尽くした。
馬を失った者たちが、両目をぎらつかせ、軍刀を引っ掴んで最後の突撃命令を待っている。
こうして、四面帝国兵馬のなか、ブレギアの宿将2人は朝食たる缶詰をつついている。
数年前、ブレギアでは缶詰の国産化に成功していた。
帝国軍では導入されて久しいが、ブレギア軍もこれによって遠征時の食料事情が劇的に改善されている。これもまた、名宰相・ラヴァーダによる賜物の1つであろう。
いまさら詮の無いことだが――かのラヴァーダが、全軍の指揮を執っていたら、と彼らは思わずにはいられない。
少なくとも、このような惨めな戦況に陥ることはなかったであろう。
「いまごろ、本軍は撤退を始めていることだろうな」
「あのホーンスキン家の連中が、危険を冒してまで我らを助けに来るものか」
砂ぼこりにまみれた牛肉は、口のなかでじゃりじゃりと不快な音を立てる。
末期の食事としては味気ないことこの上ないが、人生の大半を戦場で過ごしてきた自分たちにとっては、ふさわしい朝餉ではなかろうか。
だがまぁ、とブイクは誤飲しかけた喉を鳴らす。
「このような事態にいたってはやむをえまい。ワシが総司令官だったとしても、そのように指示を出す」
自身が犠牲になることで、ブレギア全軍が撤退する時間を稼ぐことが出来た訳だ。ブイクもナトフランタルも、武人としての使命をまっとう出来たといえよう。これ以後は――。
「……ひと足先に」
「我が君に会いにいけるな……」
老将2人は、どちらからともなく頬をゆるめた。
彼らにとっての国主とは、昨年身罷られた小覇王・フォラ=カーヴァルであって、その妾腹の四男などではない。
周囲の帝国軍が騒がしくなる。夜明けとともに総攻撃を開始するのだろう。
「いよいよ来たか」
腰に下げた鎖の音も鈍く、2人は気だるげに立ち上がる。
鎖の先には、宰相・ラヴァーダが極東の国から手配した特殊な刀剣が結びつけられていた。
これは、故郷の国名から「ハング刀」と呼ばれ、なかでも刀工が腕によりをかけて打ったものは、「アマグニ」や「イナリヤマ」等、彼等の名前が銘打たれている。
帝国由来のサーベルと同じく片刃であるが、強度・切れ味の点においては比較にならないほど優れていた。
ハング刀に着目したラヴァーダは、騎翔隊すべてに装備させようと働きかけ、その目的を7割方達成している。先代国主もハング刀一級品・アマグニを愛用したことで知られていた。
もっとも、この数日の激戦を経た老将2人のイナリヤマは、もはや鞘に収めるのに難儀するほど刀身が湾曲し、人など斬れぬほどに刃こぼれしている。
「……待て」
「妙だな」
宿老たちは、ヴァーガル河とは反対側――日の出の方角に展開する敵の様子に思わず目を細めた。目尻に一層皺を寄せたのは、眩しさが理由ではない。
彼らから見て、東の野を埋め尽くしている軍兵が、こちらに向かって来る気配がないのだ。それどころか、さらにその向こう――帝国軍後方の丘上に姿を現したのは――。
新たな軍勢だった。
ブイク・ナトフランタルは双眼鏡を目に当て、東の丘に視線を交錯させる――おびただしい数の軍旗に兵馬が、次々と稜線の向こうから湧き出してくるではないか。
レンズ越しでは、濃紺の地に前足を勇壮に振り上げた金色の馬――ブレギア大帥旗――が朝陽を背に力強く翻っていた。
「あれは……」
「……我が君」
両将軍が後方の状況を把握するのにやや遅れて、部下たちがそれを報告した。
「み、味方です!御本軍が、若君が駆けつけられましたッ」
突如として東の丘上に出現したのは、ブレギア国主直轄領の部隊であった。それらは、少なくとも2万を数えるだろう。
馬上、金色の髪を律動的に揺らして進んでいた若武者が、紺地の大帥旗の前で駒を止めた。
若者の名はレオン=カーヴァル。ブレギア前国主の四男である。
将校・下士官・兵卒、そして軍馬までが粛然として先代遺児の言葉を待つ。ブルルという馬の鼻鳴りのほかは、東の丘は寂とした雰囲気に包まれた。
騎乗のまま、若者はゆったりとした所作で腰からサーベルを引き抜いた。右手で高く掲げられた帝国製の刀身が旭光を浴びて白く輝く。
「空は我々の上にある」
彼のやや高めながら、凛とした声が全軍に向けて発せられる。
「草原は我々の下にある――」
先代から引き継ぎし濃紺のマントを振り上げて発せられる若き主人の呼びかけは、一言ずつ力強さを増していく。
「空が我々の頭上に落ちて来ない限り、草原が裂けて我々を吞み込まない限り、勝利をもぎ取るべく、ただひたすらに前進せよ!」
国主補佐官随一のファイター・ムネイ=ブリアンを筆頭に、将兵は一呼吸ごとに「「「オウ」」」と唱和していく。
「帝国の腰抜けどもに、お前たち騎馬民族の剽悍さを見せつけてやれ――」
かつての小覇王の姿が、確かにそこに存在した。
「後ろなど振り返るなッ!そんな暇があらば一歩でも前へ進めッッ!!お前たちの骸は、余が故郷へ連れ帰ってやるッ」
「「「「「「「「「「ウオオオオウゥッ!!!」」」」」」」」」」
吸い込まれるように聞き入っていた国主直轄軍の将兵は、一斉に応じた。
歩兵たちは軍刀の鍔元を打ち合い、銃兵たちは上空に小銃を撃ちあげ、軍馬たちは地表に蹄を削る――国主の忘れ形見に鼓舞され、直轄軍は、異様なまでに高揚した集団へと化していた。
「フゥラアァァーー!!」
レオンは叫び声とともにサーベルを振り下ろした。
「「「「「フゥウルァアアアアぁァァァーーーーッッッ!!!」」」」」
空気がひび割れるようだった。
突撃の際の喚声――草原の民の咆哮が唱和され、直轄軍第1陣・1万5,000の騎兵・歩兵が一斉に丘を駆け降りる。
その様子は圧巻であった。まるで山火事が起こっているかのように、馬たちの蹴りあげる土煙が濛々と上空を覆う。
小高い丘とはいえ、そこらの騎兵が降りられるような傾斜ではない。ところどころに急峻な岩肌が見えるほどである。
しかし、ブレギアの至宝・騎翔隊は、崖のような坂をものともしなかった。馬は平原をいくかのように、速度も乗り手も落とすことなく器用に駆け下りていく。
【作者からのお願い】
皆様お久しぶりです。
「航跡 」シリーズの続編が始まりました。
第2部では、草原の国・ブレギアにフォーカスし、物語は進んでいきます。
新章にご期待いただける方、このページの下側にある「ブックマークに追加」や「いいね」ボタン、【☆☆☆☆☆】をタップいただけましたら幸いです。
レオンたちの乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます。
【予 告】
次回、「全騎 突入」お楽しみに。
「何という強引な……」
「フランタルよ、のんびり朝飯を食っておる場合ではなさそうだぞ」
戦況が大きく変わる――切所にさしかかったことを、2人の宿将軍は即座に察知した。
50年以上戦場で磨かれた嗅覚は冴えわたっている。食べかけの缶詰を放り捨てると、それぞれの指揮所に駆け戻っていった。




