【第24話】仕事でビジネス
私の返事に、津島さんは一瞬ハッとしたような表情を見せる。でも、「『世界が変わる朝に』と同じじゃねぇか」と、驚いたように口にするまでに時間はかからなかった。
改めて現実を突きつけられて、私は胸が詰まる思いがする。ラーメンを食べることも再開できない。
「そ、そうですね……。偶然ですけど、被ってしまいました」
「そっか。だからか。そりゃ『世界が変わる朝に』の名前が出たときに、お前が反応するのも無理ないよな」
私は、小さく首を縦に振る。何と答えればいいのか、気の利いた言葉は一つも思いつかなかった。
そのタイミングで、今度は津島さんの席にラーメンが置かれる。受け取った津島さんは「まあいいから、とりあえず食べようぜ」と言っていて、私も他にできることがなかったので頷いた。
私たちは少しの間、ラーメンを食べることに勤しむ。互いに会話を再開させるきっかけは、すぐには掴めなかった。
「まあでもさ、確かに公開日は被っちゃったかもしれないけど、それでも公開されるだけで大したことじゃねぇか。そこまでいけない映画もごまんとあるから、凄いことだよ。それも、設立されたばかりのお前らの会社が」
ラーメンを食べながらふと言ってきた津島さんは、きっと私を励まそうとしていたのだろう。その気遣いを、私も額面通り受け止めたい。
だけれど、私の頭は未だに軽く混乱してしまっていた。津島さんたちが配給や宣伝を手がける映画と、私たちが配給する映画の公開時期が重なることは当然想定できたけれど、いざそれが現実となると、心の準備がまだ不十分だったことを、私は思い知らされる。
「確かにそれはそうですけど、でも人ってそんなに多くの映画は観られないじゃないですか。同じ時期に公開される映画のうちから一つ、多くても数本を選ばなければならないですし……」
「もしかしてお前、『自分たちが配給する映画に来る観客を取らないで』って言いたいのか?」
私は小さく頷く。情けないことだけれど、そう思っているのは事実だった。
「その気持ちは俺にも分かるけどさ、でもそんなことはじめから分かりきってたことだろ。悪いけど、俺は全力で配給や宣伝に当たらせてもらうぜ。こっちも仕事でビジネスなんだから、目標とする興収はあるからな。それを達成できるように、俺はやれることは全部やるつもりだよ。それがたとえ、お前らの映画にやってくる観客を奪うことになっても」
津島さんの言い方は厳しかったけれど、紛れもない現実だったから、私はぐうの音も出ない。これはお遊びや慈善事業ではない。映画を作った人、関わった人の生活が、人生がかかっているのだ。
それに業界最大手である西宝にいる津島さんだって、これだけ必死なのだ。人気漫画が原作で、出演者も有名俳優を揃えていて、何もしなくてもそれなりの興収が見込めそうな作品でも、一人でも多くの観客を呼ぶために、できることは全てやるつもりなのだ。
だったら、規模や知名度で劣る私たちが、もっと必死にならなくてどうする。映画を観てもらうのも、生かすも殺すも、私たちの仕事にかかっていると言っても過言ではない。
津島さんの厳しい言い方は、その意図があったのかは分からないが、私を発奮させていた。
「そうですね。これは真剣勝負ですもんね。公開日が被ることも十分に予想できましたし、それで弱気になってちゃいけないですよね。津島さん、ありがとうございます。おかげで目が覚めたような気がします」
「ああ、そうだな。まあお互い色々あると思うけど、とりあえずは自分たちの仕事を頑張ろうぜ。お互い一人でも多くの観客を映画館に呼べるように」
「はい!」私ははっきりと返事をする。もはや弱音を吐いてはいられない。
津島さんの言葉には、とはいってもそれとなく余裕が見え隠れしていて、それが私の心により火をつける。興収や観客動員の面で自分たちが負けるはずがないという自負が、津島さんにはあるのだろう。
それは、ある意味では真実だ。『世界が変わる朝に』はおそらく、全国数百館という規模で公開されるのだろう。
かたや『いつの日か青かったねと思い出す』は、まだ片手で数えられるほどしか上映館が決まっていない。興収でも観客動員でも、『世界が変わる朝に』が上をいくことは目に見えている。
でも、だからといってそれは、勝負を諦める理由にはならない。たとえ限りなく勝ち目の薄い戦いだとしても、私たちは私たちができることを、精いっぱいやるしかないのだ。
それに観た人からの評価では、『いつの日か青かったねと思い出す』の方が上回る自信が、私にはある。映画は数字で計れる価値だけが全てではない。
そのためにも、私は自分の仕事をより頑張ろうと決心する。まずは午後も続く劇場営業からだ。
そんな思いで、私はラーメンを食べ進める。津島さんの「美味いな」と呼びかけてくる声にも、いくらか素直に「はい、美味しいです」と答えることができた。
「ごめんね、理歩ちゃん。忙しいだろうにわざわざオフィスにまで来させちゃって」
オフィスに戻ってくるなり、そう言ってきた出水さんに、私は「いえ、そんなことないです」とかぶりを振る。『いつの日か青かったねと思い出す』の情報解禁を翌週に控えた七月のある日、私は千葉の映画館への劇場営業から戻ってきていた。
時刻はもう夕方になっていて、そのまま帰るつもりでいた私がオフィスに戻ってきたのは、出水さんから「ちょっとオフィスまで来れる?」というラインを受けたからだ。ラインで済ませるような用事ではなさそうなことに、私は電車に乗っている間もドキドキせずにはいられなかった。
そして、私は今出水さんと二人きりでオフィスにいる。外はすっかり暗くなっていて、立石さんたちはまだ外に出ているか、もう帰ったらしい。
「実は、理歩ちゃんに一つ仕事を任せたいなって、思ってるんだけど」
出水さんが切り出した話は、私にとって電車の中で考えたいくつかの想像のうち、最も有力と思われたものだった。
私も「はい、何でしょうか?」と、若干の前のめりさを含みつつ返事ができる。私にできる仕事なら、どんな仕事でもどんと来いという気分にさえなる。
「実は、理歩ちゃんには『いつの日か青かったねと思い出す』の、公式SNSを担当してほしいんだけど」
「えっ、私がですか?」
出水さんの提案は鷹揚に構えていた私を、それでも動揺させていた。
私は西宝時代も雑用のような仕事しかしておらず、映画の公式SNSを担当した試しもない。それは出水さんだって分かっていそうなのに。
「そう。理歩ちゃんにはエックスやユーチューブやインスタグラムといった、SNSを運用してほしいの」
「いや、それは分かりますけど、どうして私なんですか? ほら、例えば立石さんならWEBデザインをしていた関係でSNSにも詳しそうですし、そもそも出水さんだって西宝にいた時には、映画の公式SNSを担当していたことがあるって聞きましたけど……」
「何? 理歩ちゃんはもしかして、この仕事やりたくないの?」
「いえ、そういうわけではないですけど……」
私は言葉に詰まってしまう。今の時代、映画の宣伝においてSNSが果たす役割は、限りなく大きい。それが『いつの日か青かったねと思い出す』のような、あまり知名度がない映画ならなおさらだ。
その重責を背負いたくない、誰か他の人に背負ってほしいと、私は情けないことに瞬時に思ってしまう。
「確かに立石さんならSNSにも明るいかもしれないし、理歩ちゃんの言う通り、私も映画の公式SNSを担当したことはある。それでも私は、この仕事は理歩ちゃんに任せたいと思ってるんだけど」
「それはいったい、どういう意味でしょうか……?」
「まあ身も蓋もない言い方になるけど、一個は理歩ちゃんが若いからだね。ほら、理歩ちゃん、『この映画は今まさに学生時代を過ごしている人や、比較的最近に学生時代を過ごした人に観てもらいたい』って言ってたでしょ? その人たちに届けるためには、年が近くて感性も近い理歩ちゃんにSNSを任せるのが一番かなって、思ったんだ。もちろん、私も感性を若く保とうと努力はしてるけど、それでも実際に若い理歩ちゃんには及ばないからね」
「……あの、お言葉なんですけど、そんな理由でですか? 別に感性は人それぞれじゃないですか。年齢を重ねていても感性が若い人もいれば、その逆の人もいる。私が一番感性が若いって、どうして言いきれるんですか……?」
「まあ、理歩ちゃんがそう思うのも分からなくはないけれど、感性っていうのは無意識のものだから。理歩ちゃんは意識せずとも、まだ二五才って若いでしょ? それと一緒だよ」
「そんなもんなんですかね……」
「うん、そんなもんだよ。それに、理歩ちゃんにSNSを担当してほしいと思った理由は、それだけじゃないんだ」
「と言うと……?」
「実はこれが一番の理由なんだけど、それは『いつの日か青かったねと思い出す』の配給を提案したのが、理歩ちゃんだからだよ。間違いなく私たちの中で一番理歩ちゃんがこの映画のことを理解してるし、惚れ込んでもいる。いわば私たちの中で、一番この映画に対する熱意がある。私が買ってるのは、その熱意だよ。仕事で仕方なしにやってる人と、本当にこの映画を観てもらいたいって思ってる人がやるのでは、どうしても投稿に差は出てきちゃうからね。たとえ同じ投稿でも、その奥に覗く熱量は、見てる人は自然と感じ取っちゃうんだよ。それが人を動かす、一番の原動力になるんだ」
出水さんにそこまで言われると、「そんなもんですかね……」と疑義を示すことは私には、憚られた。確かにこの会社の中でも『いつの日か青かったねと思い出す』に懸ける想いは、直接観て買い付けをしたこともあって、私が一番強い自負がある。
それに私だってSNSを見ている中で、投稿をした人の思いを感じ取ることも、多分にしてある。いわゆる中の人の態度が投稿に表れるというのも、まったく否定できる話ではない。
それでも、私はすぐには首を縦には振れなかった。SNSを運用するという重責を背負う覚悟が、まだできていなかった。
(続く)




