07.静かで頼れるパートナーと、口だけ紳士の第一声
「これより、シュプラウト育成課程を開始する」
教師の一言で、教室内が静まる。
ざわついていた生徒たちはそれぞれ席に戻り、整然としたようでどこか落ち着かない空気を纏っている。
「今回の課程では、配布された鉢に入っている種子を二人で育てることになる。四週間にわたり、育成記録をつけながら、魔力の循環・波長の調律・適応の仕組みを学ぶものとする」
教師の声は平坦で事務的だったが、内容は決して軽いものではない。
魔術の根幹に関わる、いわば実技としての魔力論の授業。形式は単純でも、要求される水準は高い。
「本来なら、個々に配布して自由に育てさせるところだが、今年からは魔力の共鳴と協調を重視するため、男女ペア制を導入した。魔力の相性も観察対象だ」
生徒たちの間に再び小さなどよめきが走る。
誰とペアになったか、それがどんな影響を及ぼすのか──それは単なる相性の話ではなく、今後の評価や人間関係にも関わってくる。
私はすでに配布された鉢を前に置き、そっと指先を添えた。
隣では、グレンも静かに姿勢を正している。派手な動きはないけれど、一つ一つの所作が無駄なく、落ち着いていた。
「培養土を均し、種子の中心に軽く触れる。最初は魔力を与えすぎないよう注意しろ。まだ芽吹いてもいない段階で無理な力を加えると、壊れることもある」
教師の言葉に従い、私は鉢の中を覗き込んだ。
先ほど魔力を注いだときに比べ、種子は少しだけ色味を帯び、透明な中心に光の粒のようなものが漂っている。
「一日一回の魔力注入を基本とする。どちらが担当しても構わないが、できるだけ交互に、あるいは共同で行うのが望ましい」
「分担はどうしますか?」
グレンが小さな声で尋ねてくる。
「今日は二人で一緒に。明日は……様子を見て交互でもいいかもしれないわね」
私がそう答えると、彼は素直に頷いた。
周囲からは、まだざわざわとした声が漏れてくる。
配布された鉢を手にしたものの、どうしていいか分からず固まっているペア。
一方的に主導権を握ろうとする男子に、女子が困ったように笑っているペア。
「もっと強く魔力を流せば反応するはずだ!」
「ちょ、ちょっと! 鉢が熱くなってる!」
近くの席から聞こえてくる騒ぎに、私は小さくため息をついた。
やっぱり、こうなるのね。
「……落ち着いていて助かるわ」
思わず漏れた本音に、グレンが少し目を見開いた。
「自分ではあまり落ち着いている方だと思っていませんでしたが……そう見えるのなら、光栄です」
丁寧な返答に、私は小さく笑みを浮かべる。
「そういうの、大事よ。育てるっていうのは、力でどうにかするものじゃないから」
ワンオペ育児をしていた記憶の奥から、自然と出てきた言葉だった。
この世界では当たり前ではない価値観かもしれない。けれど、私は知っている。
育てるというのは、忍耐と観察、そして……ほんの少しの余裕。
それを持っていそうな人を、私は選んだのだ。
午前中の課程が終わり、昼休み。
教室のあちこちで、ペア同士が鉢を囲んで話し込んでいる。お弁当を広げながら、シュプラウトの世話の分担について相談している様子も見える。
私はというと、窓際の席に腰を下ろし、自分たちの鉢をそっと机に載せていた。
シュプラウトの種子は、午前の魔力注入の影響か、淡く温かな光をわずかに灯している。
「……やっぱり、少しずつ変わってきてるわね」
呟いた私の横で、グレンが静かに頷く。
「魔力の安定性が高いのかもしれません。種子の中心部が濁らずに発光しているのは、良い兆候だと聞きました」
「へえ、詳しいのね」
「本で読んだだけです。……実際に育てるのは、これが初めてですから」
控えめに言いながらも、観察眼の鋭さは確かだった。
手際も無駄がなく、過剰でもない。そのバランス感覚は、育成の場面で非常に頼りになる。
「……こういう作業、嫌いじゃないの?」
「いえ。どちらかと言えば……慣れている方かと」
グレンは少しだけ考えてから、そう答えた。
言葉を選びながら話すその態度は、どこか探るようでもある。
「母が世話好きだったので。家では、子どもと一緒に過ごす時間が多かったんです」
それ以上は語らない。語りたくないのか、語る必要を感じていないのか。
けれど私は、もう知っていた。
グレン・ベルマーが子爵家の庶子であること。母親とともに、平民として暮らしていたこと。
調べれば簡単に出てくる程度の事実だ。
彼はきっと、引け目を感じているのだろう。
この学園に通う生徒の中で、私が最も高位の家柄に属することを、誰よりも理解しているから。
でも、生まれは自分で選べない。
大切なのは、血筋よりもどう生きるか──私はそう思っている。
「……じゃあ、育てるってことが、どういうものかよく知ってるのね」
私はそう言って、ふと微笑んだ。
「あなたと組めてよかったわ」
グレンの手が一瞬止まり、わずかに目を見開く。
そして、戸惑いを隠しきれないまま、彼は静かに応じた。
「……光栄です。カルディナート嬢」
控えめな口調に、ほんのわずかな温度が宿っていた。
私はそれを受け取るように微笑んだ。
だが。
「カルディナート嬢。相変わらず、目立つ行動をとるね」
軽やかな声が背後からかけられた。
銀髪に青灰色の瞳。よく磨かれた笑顔を張り付けた男子生徒が、柔らかく歩み寄ってくる。
ユリウス・ヴァルドレイン。宰相の息子。
言葉遣いは丁寧で、誰にでも親しげに接する。
けれどその実、口先ばかりで決して自分の手は汚さない、そういう男。
「まさか、君がその彼とペアを組むなんて。いや、正直言えば……王太子殿下と組まれるものと、当然のように思っていたよ」
彼の目線は、グレンに向けられていた。穏やかな笑みの奥に、値踏みするような光が交じっている。
「もちろん、君が誰と組もうと、学園として咎めることはない。ないけれど……あまりに意外だったからね。まるで、最下位の駒を初手で選ぶような」
……あまりにも無礼な物言いだ。
しかし、もしかしたら彼にとっては悪意などないのかもしれない。
善意でアドバイスを授けようとしているだけ。
でも、それは自分が優位に立つための言葉。相手を陥れようとしているだけだという自覚はあるのかしら。
「あら、ご忠告ありがとう。あなたの言う通りね」
私は静かに微笑んだ。