19.私がいないと落ち着かないみたいです
坑道の出口が近づくにつれ、空気が変わった。
ひんやりとした湿り気が薄れ、外から流れ込む風が頬を撫でる。
暗がりに慣れていた目に、差し込む光がわずかに眩しい。
最後の曲がりを抜けると、視界が一気に開けた。
岩肌の斜面と、広がる空。
先ほどまでの閉ざされた空間とは対照的に、外は静かで明るい。
入口の周辺には、教師たちと護衛が待機している。
その奥では、まだ入っていない生徒たちが控えていた。
こちらに気づいた教師が、わずかに表情を緩める。
「戻ったか」
短い声がかかる。
私たちはそのまま外へ出る。
背後には、闇に沈んだ坑道の口が残っている。
つい先ほどまであの中にいたのだと思うと、妙に現実感が薄い。
──ひとまずは、無事に戻ってきた、というところかしら。
胸の奥に残っていた緊張が、ゆっくりとほどけていくのを感じた。
ところがすぐに、入口の近くの籠の中で、リーヴが落ち着きなく動いているのに気づいた。
いつものように静かにしている様子ではない。
小さな体を揺らし、何かを探すようにきょろきょろと視線を動かしている。
護衛の一人が声をかけ、もう一人が軽く手を差し出して宥めようとするが、リーヴはそれに応じない。
落ち着かせようとしても、すぐに視線が外へと向く。
──あら。
私は足を止めた。
そのとき、リーヴの視線がこちらに向いた。
一瞬、リーヴの動きが止まる。
次の瞬間、ぱっと表情が明るくなった。
小さな体を乗り出すようにして、両手を斜め上へ掲げる。
抱き上げてほしいときの仕草だ。
明らかに、私を見ている。
そのまま、じっとこちらへ手を伸ばしてくる。
声はないが、その仕草はあまりにもはっきりしている。
──抱っこ。
ほんのわずか、踏み出せば届く距離だ。
今すぐ抱き上げてやれば、あの落ち着かない様子もすぐに収まるだろう。
けれど、私はその場から動かなかった。
今はフィールドワークの最中だ。
リーヴは保護対象であり、私は一生徒に過ぎない。
勝手に近づくわけにはいかないし、許されてもいない。
それでも、視線だけは逸らせなかった。
リーヴはなおも手を伸ばしたまま、じっとこちらを見つめている。
その様子に、胸の奥が痛む。
護衛たちも困ったように顔を見合わせていた。
どう扱うべきか判断に迷っているのだろう。
教師も同様だった。
リーヴの様子と、私との距離を交互に見ながら、わずかに逡巡する。
──渡したほうがいい。
そう考えているのは、表情でわかる。
だが、それをそのまま通すわけにもいかない。
建前がある。
誰もがそれを理解しているからこそ、場が止まる。
その空気を切ったのは、ユリウスだった。
「……先生。すでに作業を終えている者もおりますし、終わった者から解散としてもよろしいのではないでしょうか」
落ち着いた声音で提案する彼に、教師が視線を向ける。
ユリウスは続けた。
「先ほど奥で魔物が出現しました。詳細については、僕から報告いたします」
その言葉が落ちた瞬間、周囲がざわめいた。
「魔物が出たのか……?」
「奥で?」
控えていた生徒たちが顔を見合わせ、不安そうに声を潜める。
護衛たちの表情も引き締まった。
「……そうだな。作業を終えている者は、そのまま戻って構わない」
一拍置いて、坑道の奥へ視線を向ける。
「最後の組まで、すでに中へ入っている。奥で魔物が出た以上、こちらで様子を見に行こう」
その言葉に、今度は別の空気が広がる。
不安の色は残っているが、それでも教師が動くと決まったことで、どこか張り詰めていたものが緩んだ。
「よかった……」
誰かが小さく息を吐く。
護衛たちもすぐに動き出し、坑道のほうへ視線を向けた。
教師の指示に従って、周囲が動き出す。
その中で、護衛の一人がこちらへ視線を向けた。
リーヴと、私とを見比べる。
次の瞬間には、表情がわずかに緩んだ。
──ようやく、というように。
「お嬢様」
短く呼びかけてきて、護衛が場所を譲る。
リーヴは籠の中で身を乗り出し、両手をこちらへ伸ばしている。
待ちきれないように、小さく体を揺らしていた。
私は一歩踏み出す。
今度は、もうためらう理由はない。
差し出された小さな体を、そのまま抱き上げる。
腕の中に収まった瞬間、リーヴの動きがぴたりと止まった。
ぎゅ、と服を掴む。
そのまま顔を寄せて、すり寄るようにしてくる。
先ほどまでの落ち着きのなさが嘘のようだった。
私は小さく息を吐く。
──偶然、なのかしら。
ここまで反応がはっきりしていると、さすがに気になる。
先ほど、坑道の奥で魔物が出たことと関係があるのだろうか。
リーヴの何らかの力が影響していたのか、それとも私に危険が迫っていたことを、感じ取っていたのか。
腕の中で、リーヴは満足したように目を細めている。
力を抜き、すっかり落ち着いた様子だった。
私はその頭を軽く撫でる。
それから、顔を上げた。
「……助かったわ、ユリウス」
そう言って視線を向ける。
ユリウスは肩をすくめるようにして、小さく笑った。
「いえ。状況的に、そのほうが合理的でしたので」
あくまで淡々とした返しだ。
けれど、その判断がなければ、この場はもう少し面倒なことになっていただろう。
私はもう一度、小さく頷いた。
リーヴが腕の中で、満足そうに身じろぎする。
その様子を見ながら、私はわずかに目を細めた。




