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【書籍化・コミカライズ決定】ワンオペ母が悪役令嬢になったら、攻略対象が地雷にしか見えない件  作者: 葵 すみれ
第二章 杖作成

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19.私がいないと落ち着かないみたいです

 坑道の出口が近づくにつれ、空気が変わった。

 ひんやりとした湿り気が薄れ、外から流れ込む風が頬を撫でる。

 暗がりに慣れていた目に、差し込む光がわずかに眩しい。


 最後の曲がりを抜けると、視界が一気に開けた。

 岩肌の斜面と、広がる空。

 先ほどまでの閉ざされた空間とは対照的に、外は静かで明るい。


 入口の周辺には、教師たちと護衛が待機している。

 その奥では、まだ入っていない生徒たちが控えていた。

 こちらに気づいた教師が、わずかに表情を緩める。


「戻ったか」


 短い声がかかる。

 私たちはそのまま外へ出る。


 背後には、闇に沈んだ坑道の口が残っている。

 つい先ほどまであの中にいたのだと思うと、妙に現実感が薄い。


 ──ひとまずは、無事に戻ってきた、というところかしら。


 胸の奥に残っていた緊張が、ゆっくりとほどけていくのを感じた。

 ところがすぐに、入口の近くの籠の中で、リーヴが落ち着きなく動いているのに気づいた。


 いつものように静かにしている様子ではない。

 小さな体を揺らし、何かを探すようにきょろきょろと視線を動かしている。


 護衛の一人が声をかけ、もう一人が軽く手を差し出して宥めようとするが、リーヴはそれに応じない。

 落ち着かせようとしても、すぐに視線が外へと向く。


 ──あら。


 私は足を止めた。

 そのとき、リーヴの視線がこちらに向いた。


 一瞬、リーヴの動きが止まる。

 次の瞬間、ぱっと表情が明るくなった。

 小さな体を乗り出すようにして、両手を斜め上へ掲げる。


 抱き上げてほしいときの仕草だ。


 明らかに、私を見ている。

 そのまま、じっとこちらへ手を伸ばしてくる。

 声はないが、その仕草はあまりにもはっきりしている。


 ──抱っこ。


 ほんのわずか、踏み出せば届く距離だ。

 今すぐ抱き上げてやれば、あの落ち着かない様子もすぐに収まるだろう。


 けれど、私はその場から動かなかった。

 今はフィールドワークの最中だ。

 リーヴは保護対象であり、私は一生徒に過ぎない。

 勝手に近づくわけにはいかないし、許されてもいない。


 それでも、視線だけは逸らせなかった。

 リーヴはなおも手を伸ばしたまま、じっとこちらを見つめている。

 その様子に、胸の奥が痛む。


 護衛たちも困ったように顔を見合わせていた。

 どう扱うべきか判断に迷っているのだろう。


 教師も同様だった。

 リーヴの様子と、私との距離を交互に見ながら、わずかに逡巡する。


 ──渡したほうがいい。


 そう考えているのは、表情でわかる。

 だが、それをそのまま通すわけにもいかない。

 建前がある。

 誰もがそれを理解しているからこそ、場が止まる。


 その空気を切ったのは、ユリウスだった。


「……先生。すでに作業を終えている者もおりますし、終わった者から解散としてもよろしいのではないでしょうか」


 落ち着いた声音で提案する彼に、教師が視線を向ける。

 ユリウスは続けた。


「先ほど奥で魔物が出現しました。詳細については、僕から報告いたします」


 その言葉が落ちた瞬間、周囲がざわめいた。


「魔物が出たのか……?」


「奥で?」


 控えていた生徒たちが顔を見合わせ、不安そうに声を潜める。

 護衛たちの表情も引き締まった。


「……そうだな。作業を終えている者は、そのまま戻って構わない」


 一拍置いて、坑道の奥へ視線を向ける。


「最後の組まで、すでに中へ入っている。奥で魔物が出た以上、こちらで様子を見に行こう」


 その言葉に、今度は別の空気が広がる。

 不安の色は残っているが、それでも教師が動くと決まったことで、どこか張り詰めていたものが緩んだ。


「よかった……」


 誰かが小さく息を吐く。

 護衛たちもすぐに動き出し、坑道のほうへ視線を向けた。


 教師の指示に従って、周囲が動き出す。

 その中で、護衛の一人がこちらへ視線を向けた。

 リーヴと、私とを見比べる。

 次の瞬間には、表情がわずかに緩んだ。


 ──ようやく、というように。


「お嬢様」


 短く呼びかけてきて、護衛が場所を譲る。

 リーヴは籠の中で身を乗り出し、両手をこちらへ伸ばしている。

 待ちきれないように、小さく体を揺らしていた。


 私は一歩踏み出す。

 今度は、もうためらう理由はない。

 差し出された小さな体を、そのまま抱き上げる。


 腕の中に収まった瞬間、リーヴの動きがぴたりと止まった。

 ぎゅ、と服を掴む。

 そのまま顔を寄せて、すり寄るようにしてくる。

 先ほどまでの落ち着きのなさが嘘のようだった。


 私は小さく息を吐く。


 ──偶然、なのかしら。


 ここまで反応がはっきりしていると、さすがに気になる。

 先ほど、坑道の奥で魔物が出たことと関係があるのだろうか。

 リーヴの何らかの力が影響していたのか、それとも私に危険が迫っていたことを、感じ取っていたのか。


 腕の中で、リーヴは満足したように目を細めている。

 力を抜き、すっかり落ち着いた様子だった。


 私はその頭を軽く撫でる。

 それから、顔を上げた。


「……助かったわ、ユリウス」


 そう言って視線を向ける。

 ユリウスは肩をすくめるようにして、小さく笑った。


「いえ。状況的に、そのほうが合理的でしたので」


 あくまで淡々とした返しだ。

 けれど、その判断がなければ、この場はもう少し面倒なことになっていただろう。


 私はもう一度、小さく頷いた。

 リーヴが腕の中で、満足そうに身じろぎする。

 その様子を見ながら、私はわずかに目を細めた。

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