18.終わったはずなのに、落ち着きません
ユリウスの言葉が落ちたあと、わずかな沈黙が生まれた。
坑道の奥は変わらず闇に沈んでいる。
先ほどの魔物の気配は消えているのに、どこか落ち着かない空気だけが残っていた。
その沈黙を破ったのは、ローレンス殿下だった。
「つまり、リーヴが魔物を強化していると?」
淡々とした口調だった。
──はあ?
思わず、内心でそう返す。
どうしてそうなるのかしら。
ユリウスも同じだったらしい。
一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに首を振った。
「違います。そういう話ではありません」
ユリウスが少しだけ早口になる。
「リーヴ自身が何かをしているという意味ではなくて……何かに反応している、あるいは共鳴している可能性があるのではないかと」
言葉を選ぶように続ける。
「その結果として、周囲に何らかの影響が出ている、というだけで……原因がリーヴにあると断定するつもりはありません」
最後は、はっきりと否定した。
ローレンス殿下は一瞬だけ視線を落とした。
「……すまない。早計だったな」
それ以上は弁解せず、あっさりと引いた。
──こういうところでは、きちんと謝れるのよね。
私は小さく息を吐く。
だから余計に、先ほどの早合点との落差が際立つのだ。
殿下は何事もなかったかのように、再び坑道の奥へと視線を向けた。
「カルディナート嬢、何か心当たりはありませんか?」
ユリウスが、場の空気を切り替えるようにそう言った。
視線がこちらへ向けられる。
私は少しだけ考えてから、口を開く。
「前回のフィールドワークで……風が乱れた場面があったの。そのとき、リーヴが……整えたように見えたのよ」
断定はしない。けれど、見間違いとも思えなかった。
ユリウスがわずかに目を細める。
そして、ローレンス殿下の表情がぴくりと動いた。
ほんのわずか、眉がひそめられる。
だが、それ以上は何も言わない。
すぐにいつもの落ち着いた顔に戻ると、静かに口を開いた。
「分析は後だ」
短く、そう言い切る。
「まずは鉱石をもう一度調べる。魔力を取り込み、杖の核を安定させるべきだろう」
話題を切り替える声音だった。
それ以上、この件を掘り下げるつもりはないらしい。
確かに、その通りだ。
いまは憶測を重ねるより、やるべきことを終える方が先だろう。
私は小さく頷き、意識を切り替えた。
壁面へ視線を戻す。
露出している鉱石はどれも小ぶりだが、淡い光を帯びている。
魔力の流れは緩やかで、癖も少ない。
ただし──最初に魔力を取り込む者は、その性質を探りながら調整する必要がある。
後に続く者は、その結果を見て合わせればいい。
わずかだが、差はある。
「……あの」
女子生徒が、小さく声を上げた。
少しだけ視線を落としながら、それでもはっきりと続ける。
「私からやってもよろしいでしょうか」
そして、ためらうように一拍置いてから、続ける。
「……私だけがお役に立てていないので、少しでもお力になれればと」
その言葉に、私はわずかに眉を下げる。
「そんなことはないわ。先ほどだって、きちんと動こうとしていたでしょう。十分よ。焦る必要はないわ」
女子生徒は一瞬だけ言葉に詰まり、それから小さく息を吸った。
「……それに、こういった観察や調整は、わりと得意なので」
今度は、先ほどよりもわずかにまっすぐな声だった。
「その意味でも、私からやったほうがいいと思います」
控えめではあるが、はっきりとした意思がある。
私はその様子を見て、小さく頷いた。
「そう。それなら、お願いするわ」
女子生徒はほっとしたように表情を緩めた。
「はい」
杖を握り直す手に、迷いはない。
彼女は深く息を吸い、壁の鉱石へと意識を向けた。
最初の一手。
探るように、慎重に魔力を流し込む。
杖先に淡い光が灯る。
わずかに揺れるが、すぐに落ち着いた。
「……大丈夫そうです」
小さく呟く声には、安堵と、ほんの少しの自信が交っていた。
ユリウスが頷く。
「では、次は僕が」
今度は迷いなく手をかざす。
先ほどの結果を踏まえ、無駄のない動きで魔力をなぞる。
取り込みは滞りなく終わった。
続いて、私が杖を握る。
鉱石へ意識を向け、魔力の流れをなぞるように取り込んでいく。
癖の少ない穏やかな流れだ。抵抗もなく、自然に核へと収まっていく。
問題はない。
最後に、ローレンス殿下が手を上げた。
魔力の扱いは正確で、迷いもない。
短い時間で、きれいに取り込みを終える。
「これで一通りか」
殿下が静かに呟いた。
私たちは顔を見合わせ、小さく頷き合う。
作業は、無事に終わった。
「では、戻ろう」
殿下の掛け声で、坑道を引き返す。
来た道を戻りながら、先ほどの魔物のことが頭をよぎるが、足取りは軽い。
しばらく進んだところで、向こうから人影が現れた。
グレンとミア、それにもう一組のペアだ。
「そちらはどうでした?」
ミアが気づいて声をかけてくる。
「一通り終わったわ」
そう答えてから、言葉を足す。
「ただ、先ほど奥で魔物が出たの。すぐに逃げる様子はなくて……炎で威嚇したら引いたけれど」
ミアが少し目を見開く。
「え……そうなんですか」
「ええ。だから、あまり奥に行きすぎないように気をつけて。もし変な気配を感じたら、すぐに引き返して。これから教師にも報告しておくわ」
ミアは真剣な表情で頷いた。
「わかりました。気をつけます」
坑道の中で、立ち止まって長く話し込むわけにもいかない。
互いにそれをわかっているから、言葉は自然と短くなる。
「そちらはこれから?」
「はい」
短く言葉を交わし、そのまますれ違おうとする。
その際、グレンがローレンス殿下へ軽く会釈した。
そのまま私へ視線を向ける。
「僕たちが出てくるとき、リーヴが少し落ち着きなく動いているようでした。ノエリアさまが戻られれば、安心するんじゃないかと思います」
グレンは淡々とそう言って、もう一度軽く頭を下げる。
「……そう」
私は短く応じた。
それ以上は言葉を交わさず、そのまますれ違う。
背後で、足音が遠ざかっていく。
──そのときだった。
ローレンス殿下が、わずかに足を止める。
視線が一瞬だけ、後ろへ向いた。
グレンとミア、その背中をかすめるように。
ほんの一瞬だが、その表情ははっきりと歪んでいた。
苦々しい、と言っていい。
次の瞬間には、何事もなかったかのように前を向く。
「行こう」
それだけ言って、歩き出した。
私はその横顔を見ながら、ふと考える。
──やっぱり、まだ引きずっているのかしら。
ミアに振られてから、殿下は王太子として申し分のない振る舞いを見せていた。
けれど、その裏でショックを受けていたことは、見ていればわかる。
夏休みも経て、今では本当に普段通りに戻ったように見えていたのに。
……それでも、まだ未練があるのかもしれない。
殿下は攻略対象。
ヒロインに惹かれるのは、そういうものなのかもしれない。




