14.褒められたい人と、守る人
最後の風が静まり、杖の先に宿した魔力が安定したのを確認して、私はそっと息を吐いた。
どうにか、形にはなった。
丘を渡る風は相変わらず吹いているが、もう先ほどのような暴れ方はしない。
四人の杖先に灯る淡い光が、それぞれ確かに風の魔力を捉えている。
「っしゃあ……! できた、よな?」
真っ先に声を上げたのはオズワルドだった。
肩で息をしながらも、顔にはあからさまな安堵が浮かんでいる。
「途中どうなるかと思ったけど、なんとかなったな! 俺、あの突風で終わったかと思ったぞ」
大げさなほど笑いながら、隣の一年生女子を見る。
「す、すみません……私、強い流れで少し遅れてしまって」
「いや、謝る必要なんてないって。むしろ俺が押し返しきれなかったんだし……とにかく、無事にできたんだからさ!」
爽やかな笑顔を見せるオズワルドに、女子はほっとしたように小さく頷いた。
「……でも」
彼女は、杖先を見つめたまま、ぽつりと続ける。
「最後のところで、急に……流れが落ち着いたんです。押さえ込んだ、というより……自然に、戻ったみたいに」
不思議そうな声だった。
私は、ほんの一瞬だけ視線を丘の下へ向ける。
あの揺らぎ、あの感覚は……偶然ではない。
「それは僕の制御が効いたからだろう」
静かに、しかしはっきりとした声が割り込んだ。
ローレンス殿下は杖を軽く振り、魔力の残滓を散らす。
「強弱の偏りを均した。干渉が解ければ、流れは安定する。理屈としては当然の帰結だ」
自信に満ちた声音。
間違ってはいない。確かに、殿下の制御は崩壊を食い止める要因の一つだった。
殿下の視線が、私に向けられる。
「そうだろう、カルディナート嬢」
確認するような、期待するような目。
私は、ゆるやかに微笑んだ。
「ええ。殿下の制御がなければ、あのままでは難しかったでしょう」
事実の一部だけをすくい上げる。
殿下は満足げに小さく頷いた。
「役割を分けた判断も悪くなかったが、最終的に整えられなければ意味がない。全体を見る者が必要だということだ」
誇示というほど露骨ではない。だが、自分の働きを位置づける言葉だ。
オズワルドは「おう」と気軽に相槌を打ち、一年生女子は「はい」と素直に頷く。
私は、もう一度だけ丘の下を見る。
リーヴは、籠の中で静かに身じろぎをしている。
うとうとと目を閉じかけているその姿は、先ほどの揺らぎとは結びつかないほど無垢だ。
……あの瞬間。
風は、押さえつけられたのではなく、本来の位置へと戻った。
殿下の制御だけでは、あのようにはならなかったはず。
けれど、ここでそれを口にする理由はない。
「ともあれ、無事に込められて何よりですわ」
私は穏やかに言い、杖先の光を確認する。
「次は回収ですものね」
曖昧に、しかし否定も肯定もせず。
殿下はそれ以上は追及せず、満足したように顎を引いた。
私は内心で、小さく息をつく。
確信には足りない。証明もできない。
それでも、あの揺らぎがリーヴによるものだと──疑いようがなかった。
やがて杖は順に回収され、教師たちの手へと渡っていった。
通常であれば、その場で簡単な講評が入るはずだ。
だが今日に限っては違う。教師陣は互いに目を交わし、何かを確かめるように杖先を覗き込み、落ち着かない様子で小声を交わしている。
やがて代表の教師が咳払いを一つした。
「……本日のフィールドワークは以上とする。各自、転移門へ」
どこか急いた声音だった。
私たちは順に転移門をくぐり、学園の演習棟前へ戻る。
足元の感覚が切り替わると同時に、張りつめていた緊張がわずかにほどけた。
「解散だ」
短い宣言とともに、生徒たちは三々五々散っていく。
「カルディナート嬢」
背後から、落ち着いた声がかかった。
振り返ると、ローレンス殿下がまっすぐこちらを見ている。
「少し時間はあるか。今回の件、振り返りをしておきたい。僕の制御によって食い止められたとはいえ、危ういところだった。役割分担の是非も含めて整理しておくべきだろう」
もっともらしい提案だ。
だが、その視線の奥には、もう一つの期待が透けて見える。
──僕のおかげだ。僕を褒めろ、と。
いつの間にか、産んだ覚えのない長男のような顔をしている殿下に、私は丁寧に微笑んだ。
「申し訳ありません、殿下。今日は少し疲れてしまいましたので……詳しい整理は、また改めてでもよろしいでしょうか」
ほんのわずかに、殿下の眉が寄せられた。
「……そうか」
短く返す声は平静だが、先ほどよりも温度が下がっている。
「無理はさせられないな」
「ありがとうございます」
礼をして、私はそれ以上は続けずに踵を返した。
向かう先は、丘の下で待機していたリーヴのもとだ。
「カルディナート嬢」
教師がすぐに歩み寄ってくる。先ほどの落ち着かなさを、今も引きずっているようだった。
「今日は、たいへん興味深い現象が起こりました。あの瞬間の波形は──」
言いかけて、ちらりとリーヴを見る。
「できれば、もう少しこちらで観察を……」
その言葉が最後まで続く前に、すっと影が差した。
グレンが、何のためらいもなくリーヴを抱き上げる。
動きは静かで、しかし迷いがない。
「疲れているようですので、休ませます」
穏やかな声だが、きっぱりとしている。
腕の中のリーヴは、実際、うとうとと目を閉じかけていた。小さな手が、グレンの胸元を掴むようにして揺れる。
教師は言葉を失い、口を開きかけて閉じた。
私は一歩前へ出る。
「今日の出来事について、少し思うところがございますわ。簡単にではありますが、レポートにまとめて提出いたします」
教師の表情がぱっと変わった。
「ぜ、ぜひお願いします。記録として残しておきたいので……ええ、ぜひ」
気を取り直したように頷く。
「では、失礼いたしますわ」
私はグレンの隣に並んだ。
リーヴの寝息は、規則正しく静かだ。
今日の揺らぎが、まるで嘘だったかのように。
「行きましょう」
グレンが静かに言う。
「ノエリアさまも、お疲れのようです。今日はお早めにお戻りになったほうがよろしいかと」
その声音は、いつもと変わらない。
過剰でもなく、取り立てて気遣いを強調するわけでもない。
ただ、事実を述べるように自然だった。
けれど、私は小さく瞬きをする。
自分では平静を装っているつもりだった。
姿勢も崩していないし、声も乱していない。
だが、彼はそれでも気づくのだ。
──この人は、本当に私のことを見ている。
立場でも、肩書きでもなく、今ここに立っている私を。
「ええ……そうね」
私は微笑み、頷く。
「帰りながら、今日のことを話しましょう。整理しておきたいこともあるわ」
「承知しました」
グレンは短く答え、腕の中のリーヴを抱き直した。
リーヴはうとうとと目を閉じたまま、安心したようにその胸元へ頬を寄せる。
そのとき。
「君は……」
背後から声がした。
振り向くと、ローレンス殿下が立っている。
言葉は途中で途切れた。
「……いや、何でもない」
いつもの整った声音に戻してはいるが、わずかに硬い。
ほんの少しだけ、視線が逸れた。
──ああ。
私は内心で息をつく。
自分とは語ろうとしなかったのに、グレンとは話すのか──そう言いたいのだろう。
振り返りを断ったのは私だ。理由もきちんと告げた。
それでもなお、納得はしていないらしい。
……そういうところよ。
自分の理屈が正しいということだけで、相手の気持ちの置き所を考えない。
私は軽く会釈だけして、今度こそ歩き出した。
そのとき、不意に視線を感じる。
少し離れた位置に、ユリウスが立っていた。
じっと、こちらを見ている。
一瞬だけ目が合う。冷静で、測るような視線。
だが次の瞬間、彼は何事もなかったかのように踵を返し、別の方向へと歩き去った。
残された違和感だけが、胸に残る。
……私を見ていた、というより。
あの視線は、リーヴを見ていたのではないかしら。




