43.昇華の授業、そして──奇跡を抱いて現れた二人(ミア視点)
教室の空気が、静かに張りつめていく。
育成課程、最後の授業。
──けれど、私はすぐに気づいていた。
ノエリアさまとグレンさまの姿が、どこにもないことに。
週末、私とエミリオさまで共謀して、あのお二人を二人きりにする作戦を実行した。
けれど、まだその結果を聞けていない。
エミリオさまは今朝も遅れて登校してきたし、結局、話す機会がなかったのだ。
だから余計に気になる。
──何かあったのだろうか。
けれど、教師は特に触れず、当然のように授業を進めようとしている。
……遅れているだけ。きっと理由があるはず。
そう自分に言い聞かせて、私は胸のざわめきを押し込めた。
その直後、教師の合図とともに、並んだ鉢の上でシュプラウトたちが淡い光に包まれ始めた。
それぞれの光が揺らめき、やがて形を変えていく。
──昇華。
この瞬間に残されたものが、四週間の成果なのだ。
あちこちの鉢で、小さな笑顔を浮かべた人影が光となって散っていく。
そのあとに残ったのは、掌に載せられるほどの実や花弁。
「わあ……!」
「きれい……!」
生徒たちが歓声を上げ、拍手が鳴り響く。
喜びと達成感の混じった声が、教室を満たしていった。
一方で、光が揺らめくだけで何も残さず、やがて乾いた枝や葉を残して消える鉢もある。
「いやだ……」
「どうして……」
泣き崩れる生徒もいれば、唇を噛んで俯く生徒もいた。
──それでも、皆、最後まで一緒に育ててきた大切な存在なのだ。
胸がぎゅっと痛んで、私は拳を握りしめた。
視線を落とすと、自分たちの鉢も光に包まれていた。
次の瞬間、花のように開いたのは、純白の大きな花弁。
高貴さを感じさせる輝きで、教室全体が息を呑む。
その強い光は、どこか周囲を圧倒するような迫力があった。
「……すごい」
自分の胸に手を当てながら、ただ見つめることしかできなかった。
「君のおかげだ、ミア」
隣でローレンス殿下が、王太子らしい落ち着いた声でそう告げる。
その声音に、教室中の生徒たちの視線がまた集まった。
胸が温かくなるのを感じる。
殿下とは、気まずいことや色々あった。
けれど、こうして普通に声をかけてもらえるようになったのだと思うと、ほっとして胸をなでおろす。
……本当によかった。
ふと横を見れば、殿下の横顔が一瞬、硬く引き締まったように見えた。
どうしたのかしら。
やっぱり殿下には、私には想像もできないような思いがあるのかもしれない。
そう思い直し、深く考えるのをやめた。
近くで、オズワルドさまの鉢が光を弾けさせた。
残ったのは、力強い枝と瑞々しい葉。
荒削りで大雑把な力を感じさせつつも、隣の女子生徒の丁寧な手が添えたような、穏やかさもそこにあった。
「よかった!」
オズワルドさまが白い歯を見せて、爽やかな笑顔を浮かべる。
「ありがとう。君のおかげだ」
隣の女子生徒は一瞬驚いたように目を瞬かせ、そして頬を赤らめながら小さく頷いた。
そのやりとりに、教室の空気が少しだけ和らぐのを感じた。
反対側では、ユリウスさまの鉢から淡い紫の光が立ちのぼる。
やがて、儚げな薄紫の花束が残った。
最初の頃は、ユリウスさまが女子生徒に押しつけているようにも見えた。
けれど今は、二人で手を取り合うようにして育てていた。
その結果なのだろう。
「……悪くない」
彼が小さく呟いた声は、どこか誇らしげに響いた。
そして、エミリオさまの鉢。
光のあとに残ったのは、鋭い棘を持つ蕾だった。
まだ花開いていない。けれど確かに力強く、未熟なままそこにある。
「えっと……ありがとね」
彼が隣の女子生徒に気まずそうに言うと、彼女はふっと笑った。
──間違いなく、彼女の功績が大きいのだろう。
それでも、少しずつ何かが変わり始めているように見えた。
最後に目を向けたのは、レオニールさまの鉢。
小さな人影は苦しそうに身を縮めていき……それでも最後に、掌に収まる種を残した。
「……まだ、未来を託してくれたんですね」
隣の女子生徒が泣き笑いの声を上げる。
レオニールさまは両手でその種を静かに抱え上げた。
「僕に……こんな僕に、まだ……」
両手を見つめながら、震える声を漏らした。
その姿に、私も胸が熱くなる。
一通り周囲を見た後、私はそっと息を吐く。
──やっぱり、ノエリアさまとグレンさまは現れない。
生徒たちの間にも、ざわめきが広がっていく。
「ノエリアさまたちは?」
「今日は来ないの?」
ひそひそと交わされる声が、胸を締めつける。
──まさか、本当に何かあったのでは。
そんな予感を振り払うように、私は手を強く握りしめた。
ざわめきが最高潮に達したそのとき──。
教室の扉が音を立てて開いた。
全員の視線が一斉にそちらへ向かう。
そこに立っていたのは、ノエリアさまとグレンさま。
遅れていただけなのだ、と胸を撫で下ろす。
けれど、その腕に抱かれた存在を見た瞬間、息が止まった。
「……えっ……」
思わず声が漏れる。
ノエリアさまの腕の中にいたのは──鉢から抜け出したまま、消えずに残っている人型のシュプラウト。
小さな子どものような姿で、月光の欠片を抱え込んだみたいに淡い光を放ちながら、にっこりと笑っていた。
「な、なに……あれ……」
「シュプラウトが……消えていない……?」
生徒たちの間から驚愕の声が次々と漏れ出す。
私もまた、息を呑むしかなかった。
けれど同時に──胸の奥が熱く震えるのを感じた。
──昇華して消えていくはずのシュプラウト。
それなのに、ノエリアさまとグレンさまのシュプラウトだけは、今も確かな命を宿してそこにいる。
「どうして……?」
胸の奥が大きく揺さぶられる。
疑問と期待と、言葉にできない感情が入り交じり、視線が逸らせない。
やがて、淡い光が教室全体を満たしていった。
奇跡のような光景の中で、私はただ立ち尽くしていた。
──ノエリアさま。
やっぱり、あなたは特別。
どんな困難も、必ず道を切り拓いてしまう。
その背中は、私には決して届かないほど遠くにある。
それでも──少しでも近づきたい。
あなたのように、強く、まっすぐに。
──これから、この学園で、何が起きるのだろう。
私たちの未来は、どんな形に広がっていくのだろう。
溢れる思いを胸に抱えながら、私は輝きの中で瞬きをした。
その未来の扉が、いま確かに開かれようとしていた。
これにて第一部完結となります。
第二部は少し充電期間をいただいてから再開予定です。
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