42.あなたを救ったのは、私たちが育てた小さな手だった
淡い光が揺らめき、鉢の上の小さな人影がゆっくりとまぶたを持ち上げた。
閉じられていた瞳が、月光を受けてきらりと瞬く。
「……目を、開いた……」
思わず息を呑む。
その小さな腕が、苦しげに横たわるグレンへとまっすぐ伸ばされていた。
まるで、自分の意思で彼を助けようとしているかのように。
「あなたも……そう思っているのね」
私は震える声で呟き、鉢を抱えてグレンのすぐそばに置いた。
シュプラウトの手が届くように。
そして自分も隣に膝をつき、彼の額にそっと手を添える。
「一緒に……助けましょう」
囁くように言葉をかけると、淡い光がふわりと強まった。
シュプラウトの小さな指先がグレンの胸に触れる。
その瞬間、胸の奥に微かな脈動が響き、温かな流れが手のひらを通じて伝わってきた。
シュプラウトの指先から伝わってくる温かな波。
それはただの光ではなく、確かな魔力の律動だった。
小さな存在が、必死にグレンへ寄り添おうとしている。
私はその流れに手を重ねる。
指先から、静かな魔力を少しずつ注ぎ込む。
「大丈夫……あなたは一人じゃない。私も一緒にいる」
語りかけながら、胸の奥に刻まれた感覚を呼び覚ます。
これまで幾度となく、グレンと並んで魔力を流してきた。
少しの力加減で、彼が自然に合わせてくれたあの感触。
それが今、シュプラウトとの間にも広がっていく。
私が力を込めれば、シュプラウトも応えるように光を強める。
逆に力を弱めれば、優しく揺らめいて落ち着きを取り戻す。
まるでグレンと共に練習を重ねたときのように、ぴたりと息が合っていく。
「そう……そうよ。私たちならできる」
呼応する流れに身を委ねながら、荒れ狂う魔力の渦を少しずつ整えていく。
暴れていた波が落ち着き、乱れた呼吸が次第に穏やかになっていった。
温室の空気が、ふっと柔らかく震えた。
さっきまで荒れ狂っていた魔力の流れが、潮のように静かに引いていくのがわかる。
「……グレン」
呼びかける声に、彼の胸が大きく上下し、そしてゆっくりとした呼吸へと変わっていった。
熱で赤く染まっていた頬も、次第にその色を和らげていく。
その変化を目の当たりにして、私は息を詰めた。
本当に……落ち着いてきている。
すぐ傍らで見守っていた魔術師が、杖を握りしめたまま低く呟いた。
「……これは、奇跡だ……」
驚愕と畏怖が入り交じった声。
治療の術はないと断じた本人が、信じられないといった表情でグレンを見つめていた。
やがて、グレンのまぶたがわずかに震える。
重たそうに、けれど確かに開かれていく。
「……ノエリア、さま……」
かすれた声が、静かな温室に落ちた。
「グレン……!」
堪えていたものが一気に溢れ、頬を伝って涙が零れた。
温かな滴が、彼の手の甲に落ちて光をにじませる。
「よかった……本当に……」
握りしめた手をさらに強く抱き寄せながら、震える声でそう告げた。
その手に、かすかな力が返ってくる。
グレンが確かに、私の声に応えたのだと実感して、胸が熱くなった。
「……この子が」
視線を落とす。
鉢の上に立つシュプラウトは、まだ小さな体でありながら、淡い光を纏って揺れていた。
その光が、グレンを包み、私の手を導いてくれた。
「私たちが力を注いできた、この子が……」
言葉にすると同時に、胸の奥から込み上げる感情が溢れてきた。
学びの課題として始まったはずの存在が、今ではこうして命を救っている。
それが、どれほど尊いことなのかを痛感する。
その瞬間。
シュプラウトの小さな体が、鉢の縁を蹴るようにしてぴょこんと飛び出した。
「えっ……!?」
驚きに目を見開く私の目の前に、ふわりと宙を舞う小さな影。
本来なら育成を終えたシュプラウトは「昇華」して光となり、何かを残して消えるはず──。
体を保ったまま、しかも鉢から飛び出すなど、聞いたことがない。
目の前で起きているのは、常識を覆す出来事だった。
シュプラウトの丸い頭のてっぺんからは鮮やかな双葉がぴんと伸び、つややかな頬はほんのり桜色に染まっている。
ふっくらとした手足は、淡い若葉色の肌が透けるように輝き、生まれたばかりの芽のような瑞々しさを放っていた。
まるで柔らかなぬいぐるみが命を宿したかのようだった。
グレンもまた、かすかに動いた瞳でその姿を追っている。
光の粒をまとったシュプラウトは、まずグレンを見下ろし、にっこりと笑った。
そしてゆっくりと首を巡らせ、今度は私に向き直る。
小さな瞳がまっすぐに私を見上げる。
次の瞬間、シュプラウトは両腕を斜め上に伸ばした。
その表情は、あどけないというよりも、どこかきりっと引き締まっている。
まるで「仕事は果たした、ご褒美を」と言わんばかりに、抱っこをねだっていた。
「……これって……」
信じられない仕草に、思わず息を呑んだ。
「まさか、そんな……」
おそるおそる両手を差し出す。
すると、当然のように、その小さな体がすっぽりと腕の中に収まった。
まるで新生児と同じくらいの大きさ。
思っていたよりもしっかりとした重みがあり、けれど驚くほど軽やかだった。
その身体は温かな光を帯びていて、抱き締めると胸の奥までじんわりと満たされていく。
込み上げるものに瞳が熱く滲み、頬を伝いそうになるのを必死に堪える。
思わず腕に力を込めると、シュプラウトは安心したように小さく身を委ね、にっこり笑った。
「……あったかい」
呟いた声が震える。
まるで私たちを労うかのようなその笑みは、小さいのに、不思議と頼もしさを感じさせた。
視線を上げると、グレンがこちらを見ていた。
まだ意識を取り戻したばかりで弱々しいはずなのに、その瞳は驚きと同時に、深い安堵の色を宿していた。
私と彼の視線が重なる。
言葉はなくとも、この奇跡を共にした想いが、確かに──結ばれていた。




