37.笑顔の悪だくみ、地味男子が狙われている?
──何、今の笑みは。
教室の入り口で立ち尽くしたまま、私は息を呑んでいた。
今のは明らかに、私に向けた笑みだった。
恋人同士の甘さも照れもない、妙に息の合った企みの笑み。
あまりにも唐突で、胸の奥がざわつく。
……どういうこと? 何を企んでいるの?
疑問ばかりが頭を駆け巡り、足が動かない。
手に、じわりと汗が滲んでいく。
「ノエリアさま?」
不意に背後からかけられた声に、肩が跳ねた。
振り向けば、グレンが立っている。
いつもと変わらぬ無表情に近い顔つきなのに、その瞳にはわずかな戸惑いが宿っていた。
「……グレン」
彼の姿を見て、少しだけほっとした。
何がどうなるわけでもないのに、そばにいてくれるだけで安心できるようだ。
……どうして、こんなときに安心してしまうのかしら。
自分でもわからず、胸の奥がざわついた。
「やあ、我が親友グレンくんじゃないか!」
突然、甲高い声が響いた。
教室の奥から、エミリオが満面の笑みでこちらへ突進してくる。
その勢いに、グレンがわずかに身を引いた。
「……親友?」
私とグレンの声が、同時に重なる。
思わず顔を見合わせ、そろって首を傾げた。
「えっ……?」
グレンは目を瞬かせ、完全に戸惑っている。
──親友? 今なんて言ったの、この子。
聞き捨てならないわね。
「ちょっと、エミリオ。親友ってどういう意味?」
問いただそうとした私の言葉など耳に入っていないかのように、エミリオはグレンの肩に腕を回そうとする。
「僕たちは、もっと親睦を深める必要があると思うんだ!」
「はあ……」
どう返せばいいのかわからず、グレンの声が曖昧に濁る。
彼の表情には「助けてください」と書いてあるのに、エミリオの押しの強さに完全に呑まれていた。
「そうだ!」
突然、エミリオが手を打ち鳴らした。
「今度の週末、泊まりにおいでよ! 夜通し語り明かそうよ!」
「……は?」
「えっ……!?」
私とグレンが同時に声を上げる。
ふたりして硬直したまま顔を見合わせた。
何を言い出すの、この子は!?
よりによって泊まり? 夜通し? どういう発想なのよ!
まさか……エミリオがグレンに禁断の愛……!?
ぞくりと背筋が冷える。
いやいやいや、ないない! さすがにそれはない!
あのエミリオに、そんな高度で切実な感情を期待するほうが間違っている。
慌てて頭を振り、浮かんだ妄想を打ち消した。
でも……じゃあ何なの、この不可解な強引さは?
「いや、あの……」
グレンは困惑しきりで口ごもる。
そりゃそうよ。いきなりこんな誘いを受けて、まともに返せるはずがない。
けれど、エミリオは気にする様子もなく、ぐいぐいと押し続ける。
「大丈夫大丈夫! 僕の部屋もあるし、使用人も用意する! 何の心配もいらない!」
私は唖然としながら、半ば呆れたように二人を見ていた。
「まあ、それは素敵ですね!」
場違いなほど明るい声が割り込んだ。
振り向けば、ミアがぱっと両手を合わせている。
その笑顔は、わざとらしいくらいに弾んでいた。
「私は今週末、予定があってお邪魔できないんです。でも──だからこそ、ぜひ皆さんで親睦を深めてください! あとからお話を聞かせてもらえると嬉しいです!」
瞳はきらきらと輝き、声には熱がこもっている。
あからさまな後押しだ。
……怪しい。怪しすぎる。
エミリオは得意げに胸を張り、グレンの肩をがしっと抱いた。
「ほら! ミアちゃんもそう言ってるじゃないか!」
「え、ええと……」
グレンは完全に固まってしまった。
困惑と戸惑いと羞恥とが入り交じった顔を、必死に取り繕おうとしている。
私は頭を抱えたくなった。
どんどん押してくるエミリオとミア。
いったい何を企んでいるの、この二人……!?
そのとき、エミリオがぐいと身を寄せ、グレンの耳元に何かを囁いた。
小声すぎて、私には届かない。
「っ……!」
グレンが小さく息を呑み、肩を震わせる。
見る間に顔が赤く染まり、慌てて視線を逸らした。
──なに、今の反応。
どうしてそんなに焦っているの?
「じゃあ、決まりだね! グレンくん、いいよね!?」
エミリオが無邪気に畳みかける。
「えっ、いや……」
グレンは視線を泳がせ、困惑を隠せない。
当然だ。いきなり泊まりに来いだなんて、まともな誘いじゃない。
普通なら断るに決まっている。
……はずなのに。
グレンの瞳が、一瞬こちらを掠めた。
迷うように、けれど何かを決意するように。
その視線に気づいた私は、胸がざわつく。
まさか……受けるつもり?
彼の喉が上下し、わずかに赤みを帯びた耳が震える。
ほんの一瞬だけ、私のほうを見て……目を逸らした。
何かを飲み込むように目を伏せ──そして。
「……わかりました。お邪魔させていただきます」
「よしっ!」
エミリオが満足げに両手を叩いた。
「えっ……」
私は言葉を失う。
なんで承諾するのよ!? どうして!?
頭の中で警鐘が鳴り響く。
エミリオとミアの企みは依然として謎。
なのに、どうしてグレンが頷いているの?
胸の奥がざわめくばかりで、答えは見えなかった。




