31.一番早く人型になった鉢が、一番先に壊れはじめた
週明けの育成授業。
教室にはそれぞれの鉢が並べられ、四週目に入った姿を生徒たちがのぞき込んでいた。
並んだ鉢は、それぞれが人型に近づきつつあった。
すらりとした輪郭を整えるものもあれば、まだ枝葉の形が残るものもある。
順調に育っている鉢もあれば、成長が進んでも形を取り損ね、ねじれた枝ばかりを伸ばしている鉢もあった。
同じ過程を辿っているはずなのに、この違いはあまりに大きい。
「さて。ここまでの記録を見返して、今日からの育成に役立てるように」
教師の声に従い、生徒たちは手元の観察記録を広げている。
罫線と項目が整った記入用紙に、魔力の注入量や脈動の推移が整然と書き込まれていく。
「見返すのがずっと楽になったな」
「比べやすいし、助かる」
あちこちから嬉しそうな声が上がり、教師も満足そうに頷いていた。
──あれは、グレンの工夫から生まれたもの。
このわずかな間で、もう当たり前のように皆が使い、授業の形を整えている。
そのことが、私にはひどく誇らしかった。
隣で淡々とペンを動かすグレンの横顔を見ていると、胸の奥に温かなものが広がる。
──けれど、一人だけ。
レオニールの机の上には、ほとんど白紙のままの紙が置かれていた。
彼はそれを隠そうともしない。背筋を伸ばし、鉢を誇らしげに見下ろしていた。
「記録なんて必要ない。結果さえ見れば十分だろう」
淡々とした口調。しかしその声音には、かすかな影がにじんでいた。
私は思わず目を細める。
──記録を残さないのは、ただ怠慢だからではない。
記録に残してしまえば、自分の鉢の異変を認めることになるからだ。
彼自身が、無意識にそれを恐れている。
そう直感した瞬間、胸の奥に冷たいものが走った。
ざわ……と、教室の空気が揺れる。
皆の視線の先にあるのは、レオニールの鉢だった。
確かに──形だけを見れば、誰よりも早く人型を成している。
けれど、その胴は膨れすぎ、手足はひしゃげ、光も荒々しく瞬いていた。
その異様さに、生徒たちは息をのむ。
「これ……やっぱり、おかしくないか」
「先週まですごいって思ったけど……ここまでくると……」
囁き合う声が、次第に広がっていく。
教師も腕を組み、厳しい眼差しで鉢を見下ろしていた。
「……これは歪だ。大きさだけを見れば成長に見えるかもしれんが、健全ではない」
はっきりと告げられたその言葉に、教室はしんと静まり返った。
誰もがようやく気づいたのだ。
レオニールの鉢は、決して順調ではないのだと。
沈黙を破ったのは、レオニールの隣に座る女子生徒だった。
怯えを押し殺すように唇を結び、勇気を振り絞って声を上げる。
「……レオニールさま。やっぱり、この子はおかしいと思います」
その一言に、教室の空気がぴんと張りつめる。
彼女の手は震えていた。けれど、それでも鉢を守るように前へ差し伸べていた。
「形は人に似ています。でも……脈動が荒すぎます。このままでは、きっと──」
「黙れ!」
机を揺らすほどの勢いで、レオニールが立ち上がった。
赤色の瞳が怒りに燃え、隣の女子生徒を射抜く。
「おかしいわけがない! 誰よりも大きく、早く育っている! それが何よりの証拠だろう!」
隣の女子生徒は、びくりと肩を震わせた。
赤い瞳に射抜かれ、怯えたように言葉を失う。
──けれど、それでも。
彼女は唇をきつく噛みしめ、震えながらもレオニールを見据える。
「でも……この子が苦しんでいるのは、誰の目にもわかります……!」
「お前なんかに何がわかる!」
レオニールの怒声が、女子生徒の訴えを叩き潰すように響いた。
その拳は震え、握りしめた手の甲に浮かぶ血管が際立っている。
──強がっている。
そう見えたのは、私だけではないだろう。
それでも、彼は決して認めようとしない。認めてしまえば、自分が築いてきたものが崩れると分かっているから。
彼自身も、すでに気づいているのだ。
目の前のシュプラウトが、健全ではないということに。
その時だった。
──どん、と。
机の上の鉢が、内側から脈動したように揺れた。
「……っ!?」
思わず息をのむ間に、シュプラウトの胴がぐぐっと膨れ上がる。
ひしゃげていた手足がばたつくように伸び、光が荒々しく明滅した。
教室中に、低く不気味な響きが広がる。
「な、何だ……!?」
「動いてる……!? あれ……!」
生徒たちが悲鳴を上げ、椅子を引いて後退する。
枝のような腕が鉢の縁に打ちつけられ、ぱきりと乾いた音を立てた。
光は眩しすぎるほどに揺らぎ、呼吸のようだった脈動は荒く乱れている。
「落ち着け! 皆、下がれ!」
教師が声を張る。
けれど、その表情には迷いと戸惑いがにじんでいた。
これまでのどの育成でも見たことのない異変だったからだ。
ペアの女子生徒が顔を蒼ざめさせ、必死に鉢へ手を伸ばす。
「この子……苦しんでる……!」
レオニールは奥歯を噛みしめ、額に汗を浮かべていた。
周囲のざわめきも、教師の制止も耳に入っていない。
ただ、異様に脈動するシュプラウトだけを、必死に睨みつけていた。




