03.地雷男たちに孤立させられるヒロインに声をかけてみる
新学期が始まって、一か月ほどが過ぎた。
王立魔術学園は今日も平和──ということになっているが、私にとっては気の抜けない日々が続いている。
なぜなら、観察対象がいるからだ。
言うまでもなく、あの地雷臭の強い生徒会の面々である。
入学式以来、私は彼らを慎重に、できるだけ目立たぬように観察していた。
人はそう簡単に変わらない。
彼らの言動をよく見ていれば、やがて本性がにじみ出てくるはず。
──で、結果。
やっぱり地雷は地雷だった。
王太子ローレンスは、授業中でも当然のように上から目線で発言し、先生の補足に「そんなことも知らずにいたのか」などと呟いて場を凍らせていた。
赤髪の騎士団長の息子は、口を開けば「根性だ! 俺と一緒に頑張ろう!」の一点張りで、相手のことなど考えずに爽やかな笑顔を見せている。
宰相の息子は丁寧な言葉遣いの裏で、少しでも自分の思い通りにいかないと「……なるほど、それは君の自由だけど、責任は持ってもらうからね」と、にこやかに圧をかけてくる。
そして魔術師団長の息子にいたっては、誰にも関心を向けず、自分の研究にしか興味がない様子。
個人的には一番無害かもしれないけれど──無害と無責任は別問題よね。
はあ、と小さくため息をついた。
家を継ぐと宣言した以上、私は近い将来、結婚する必要がある。
世間がどう思おうと、家の存続には跡継ぎが必要。
血縁にこだわらず、養子を迎えるにしても、正式な婚姻は避けて通れない。
何も、反骨精神で貴族社会に抗っているわけじゃない。
地に足をつけて生きるために、私には伴侶が必要なのだ。
でも──あんな地雷男たちと生涯を共にするなんて、冗談じゃない。
そのとき、ふと目が留まった。
講堂の隅。事務仕事らしき書類を手にして、淡々と働いている地味な男子生徒。
くすんだ制服に、抑えめな佇まい。だが彼の手は迷いなく動き、何かを探すでもなく、必要な書類を正確に処理していく。
ただ静かに、自分の役割を果たす──それだけの姿勢に、妙な安定感があった。
ああいう人こそ、きっと嵐のときにも動じない。
……グレン。下級貴族の出だったかしら。
地味だけど、妙に印象に残る。まるで風景の一部のように馴染みながら、確かに存在を刻む子。
ふと、私はスケジュール帳に「要・人物調査」と書き加えた。
さて、問題はもう一つ。
乙女ゲーム的には絶対に重要ポジションであるヒロイン──つまり、ミアの扱いである。
生徒会の男子たちは、やたら彼女に構っている。
廊下で挨拶すれば笑顔で応じ、荷物を持とうとする者、手を引いて案内する者、さらには「大丈夫? 疲れてない?」と、まるで聖女を労るかのような声がけまで飛び出す。
いや、特別扱いすぎない?
他の新入生には声すらかけないくせに。これが「平等な歓迎」だと言うなら、きっと錯乱魔術でもかけられてるのね。
しかも周囲の女生徒たちは、それを複雑な目で眺めている。あからさまに嫌悪というほどではないけれど、距離を置こうとする気配は見て取れた。
──まあ、当然よね。
入学早々、生徒会の王子様たちに囲まれ、特別扱いされていれば、嫉妬されないほうが不思議だわ。
ミア自身は何も悪くないのに。……いや、むしろ彼女の無自覚さが火に油を注いでる気もするけど。
昼休みの中庭。
ふと目にしたのは、そのミアの姿だった。
木陰のベンチで、膝の上に弁当を置いて、ひとりぽつんと食べている。
近くを通る生徒たちは気づいても声をかけず、見て見ぬふりをして足早に通り過ぎていく。
──孤立しているのは明らかだった。
無理もない。
あの浮いた特別待遇、そして周囲の警戒。
無意識かもしれないけれど、ミアは乙女ゲームの「中心」に配置されすぎているのだ。
……孤立するっていうの、つらいのよね。
思い出すのは、前世でのワンオペ育児。
泣いている我が子を抱きながら、自分も泣きたくて、それでも泣く余裕すらなかった日々。
誰にも助けを求められず、静かに、深く、孤独に沈んでいたあの感覚。
だから──放っておけなかった。
「隣、いいかしら?」
ミアがぴくりと肩を震わせて、驚いたようにこちらを見上げた。
「ノ、ノエリアさま……?」
戸惑いと緊張が混ざったその声に、私は少しだけ首をかしげてみせた。
「……私のこと、知っていたの?」
「はいっ。入学式でお名前をうかがいましたし、上級生の方々が『王族に次ぐ身分のカルディナート公爵家のご令嬢』だと……」
なるほど。入学式で壇上に立った効果は、思った以上に大きかったらしい。
「そんなに硬くならなくてもいいわ。ただのお昼休みでしょう?」
私は彼女の隣に腰を下ろした。
ミアは一瞬きょとんとしてから、慌ててお弁当を隠そうとした。
「すみません、みすぼらしいのをお見せしてしまって……!」
「お弁当は、誰のためでもなく、自分のためのものよ。立派に包まれてるじゃない。器用なのね」
私の言葉に、ミアは戸惑いながらも少しだけ顔をほころばせた。
「ありがとうございます……その、実は寮にまだ慣れてなくて。あんまり食堂に行く勇気が出なくて、自分で作ってきたんです」
「慣れるまで時間がかかるものよ。無理に合わせなくていいの。あなたのペースで過ごせばいいわ」
ミアは安心したように小さく頷いた。
「……ノエリアさまって、優しいんですね」
その言葉に、少しだけ胸がちくりとした。
優しさ。そんなもの、自分にあっただろうか。
これまで私は、自分がどうしたいかもわからないまま、ただ与えられた立場に従ってきただけ。
誰かに褒められるために動いていた前の私には、思い至らなかった感情だったかもしれない。
「ただの通りすがりよ。気にしないで」
そう答えると、ミアは遠慮がちに微笑んだ。
「でも、やっぱり嬉しかったです。ノエリアさまって、やっぱり本当に綺麗で……それでお優しいなんて、憧れちゃいます」
「……どうやら、私を知らないようね」
「えっ?」
ミアは小首をかしげて、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
その反応が、あまりに自然で、演技の匂いなど微塵もなかった。
──確定ね。
彼女には前世の記憶も、この世界の仕組みもない。
「そ、その、噂は聞きましたけれど、噂って当てにならないでしょう? 本当のことは、お話ししてみないとわからないですからっ」
必死で言い添えるミアの姿に、私は心の中でため息をついた。
どうやら、勘違いさせてしまったらしい。
……なるほど。
彼女は本当に、ただのヒロインらしき少女なのかもしれない。
誰かの記憶を背負ってもいない、ただこの世界をまっすぐに生きている。
「……ふふ、あなた、けっこう図太いのね」
「えっ!? ず、図太いって……あ、あの、ごめんなさい! 何か変なこと言いました!?」
慌てて手を振るミアに、私は思わず笑ってしまった。
なんだか久しぶりだ、こういう風に自然と笑えたのは。
「違うのよ。いい意味で言ったの。初対面の私と、こんなふうに話せるのって、ちょっと羨ましいくらい」
「よかった……。あの、わたし、もしかしてノエリアさまのお邪魔だったら……」
「別に、そんなこと思ってないわ。むしろ……」
私はちらりと、周囲を見やった。
少し離れた場所では、女子生徒たちがちらちらとこちらを見ている。その視線には、興味と、そしてわずかな警戒が混じっている。
「あなたのほうこそ、大丈夫なの? 最近、周りから少し浮いてるみたいだけど」
「……うん。なんか、避けられてる感じはします……」
ミアは俯いて、指先でお弁当箱の端をつついた。
「でも、先輩方はみんな優しくしてくれるし。王太子殿下を始めとした生徒会の皆さま、『気にするな』って言ってくれて……」
「……そう」
私は眉をひそめる。
先輩方は優しい──その優しさが、果たして純粋なものかどうか。
彼らが気遣いを見せれば見せるほど、他の生徒との溝が深まっていくというのに。
まるで、舞台のヒロインを特別扱いするために、周囲を引き離しているかのようだ。
そこまで考えたとき──
「ノエリア!」
名を呼ぶ声が、空気を切り裂いた。
思わず顔を上げると、そこには王太子ローレンスが立っていた。いつものように完璧に整った制服姿で、けれどその顔はどこか不機嫌そうだった。
「ミアを、いじめているのか。……恥を知れ」
……はい、来ました。
空気も、会話の流れも、何も読まない王太子殿下のご登場。
私の口元に、自然と冷たい笑みが浮かんだ。