表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化・コミカライズ決定】ワンオペ母が悪役令嬢になったら、攻略対象が地雷にしか見えない件  作者: 葵 すみれ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/43

27.「結果がすべて」そう言った彼の鉢だけが、おかしかった

 数日後の育成授業。

 教室に入ると、すでに教師が机の上に分厚い束を積み上げていた。白い紙がきっちりと揃えられ、いつもと違う雰囲気を放っている。


「今日は新しい観察記録用紙を試してもらう」


 開口一番、教師がそう告げる。

 生徒たちの間にざわめきが走った。


「昨日までのように、思いついたことをばらばらに書いては比較にならん。そこで、雛形を整えた。魔力注入量、芽の脈動、葉の形や色──必要な項目をあらかじめまとめてある」


 一枚ずつ配られる紙は、罫線が引かれ、項目ごとに枠が設けられていた。

 ぱっと見ただけで、どこに何を書けばいいのか一目瞭然だ。


「この雛形は、ベルマーくんの記録を参考にして作ったものだ。彼の整理の仕方が大変優れていたのでな」


 教室が再びざわめく。

 驚きと興味が入り交じった視線が、いっせいにグレンへと注がれた。


「えっ、ベルマーって……?」


「まさか、あの地味な?」


「信じられない……」


 ひそひそと囁き合う声が耳に届く。

 グレンは椅子に固まったように背筋を伸ばし、前を向いたまま動かない。

 首筋まで赤く染まって、視線を伏せていた。


 ──やっぱり。

 褒められるのは苦手なのね。

 けれど、彼の努力がこうして皆に認められるのは誇らしいことだ。

 私は思わず小さく笑みを浮かべた。


「ほら、使ってみろ。書きやすさは一目瞭然だろう」


 教師の言葉に従い、生徒たちはそれぞれ鉢を前にして記入を始める。


「……本当だ、前より整理しやすい」


「比べやすいし、書きやすい!」


「これなら授業の後で見返すのも楽そうだな」


 あちこちから感嘆の声が上がった。

 教師も満足げに腕を組み、「これなら授業の効率も上がる」と頷いている。


「ベルマーくん、よくやったな」


 教師が改めて声をかけると、グレンは慌てて椅子を引き、深々と頭を下げた。


「い、いえ……とんでもありません。僕は、ただ……自分が見やすいようにまとめていただけで……」


 その声は小さく、まるで場から消えてしまいたいかのようだった。

 頬は赤く染まり、視線は机の上の紙に釘付けのまま。

 拍手を送る者や興味深そうに記録を覗き込む者がいても、彼は居心地悪そうに身を縮めている。


 ──本当に、謙虚すぎるくらい。

 誇っていいはずなのに、まるで責められているみたいにうつむいて。


 でも……私にはわかる。

 彼が黙々と積み重ねてきた努力が、今こうして皆に評価されているのだということ。

 それを思えば、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 私は、穏やかに笑んでみせた。

 彼に気づかれなくてもいい。ただ、伝えたかった。

 ──あなたの努力は、ちゃんと形になったのよ、と。


「さて──今日配ったのはお試しだ」


 教師が手元の記録用紙を持ち上げ、生徒たちをぐるりと見渡す。


「明日以降の分は、購買部で必要な枚数を買えるようにしてある。授業だけでなく、家で観察する際にも役立てるといい」


 その言葉に、教室がどよめいた。


「これ、助かる! どうやって書いていいかわからなくて困ってたんだ」


「項目が並んでるだけで、すごく整理しやすいな……!」


「購買で買えるなら、追加で用意しておこうかな」


 あちこちから小声が飛び交い、机に置かれた記録用紙を食い入るように見つめる生徒もいた。

 淡い緑の光を放つ鉢を前に、皆の表情が少し引き締まっていく。


 ──いい傾向だわ。

 育成への姿勢が変われば、それだけシュプラウトたちにも響くはず。


「……あの」


 控えめな声が隣から上がった。ミアだった。


「こうして項目がまとまっていると……比べやすくて、とても助かります。自分が何か見落としていないか、見つけやすくなりますから」


 小さく、けれどはっきりとした声音。

 ローレンスがわずかに眉を上げ、彼女を見やった。


「……なるほど。確かにそうだな。努力の跡が目に見えるのは、悪くない」


 以前のように「信じていればいい」などという曖昧な言葉ではなく、短いながらも彼女の意見を受け入れるような響きだった。


 ──もしかして。

 先日のお弁当のとき、私がきつく言った後、彼は言い返そうとしたもののグレンに生徒会へ呼ばれて、不満そうに去っていった。

 けれど……その後は何も言ってこなかった。

 少しは、何か思うところがあったのだろうか。

 そうであってほしい。


 私が胸の奥で小さく息を吐いた、その直後だった。


「……なんだ、これは」


 低く押し殺した声に視線を向けると、魔術師団長の息子レオニールが新しい用紙を机に叩きつけていた。

 その瞳には苛立ちがにじんでいる。


「こんなもの、わざわざ書く必要があるのか。記録なんてなくても──結果さえ出れば、それで十分だろう」


 静かに、けれど刺すような声音。

 彼はこれまで勢いだけで育成を進め、記録などろくにつけてこなかったはずだ。

 だからこそ、用紙を突きつけられたことが気に入らないのだろう。


「結果だけでは、何が正しかったのか判断できないだろう」


 教師の冷ややかな声が教室に落ちた。

 教壇から一歩下り、レオニールの机に手を置く。


「これは君たちの努力を残すものだ。怠ることは許さん。この用紙でなくともよい。ただ、必ず記録せよ」


 レオニールはしばらく黙していたが、やがて小さく舌打ちをした。

 視線を逸らし、渋々ながら用紙に手を伸ばす。


 ──やはり。

 彼の鉢は、表面上は誰よりも育っている。

 すでに人型の形を成しつつあり、他の生徒たちが歓声を上げるのも無理はない。


 けれど、その姿は。


 膨れすぎた胴体に、ひしゃげたように伸びる腕。脈動は強すぎて荒く、淡い光はぎらぎらと揺らめいている。

 同じく人型に近づきつつある私とグレンの鉢が、穏やかに呼吸するような脈動を刻んでいるのとは、あまりにも対照的だった。


「すごい……! もう人型になってる!」


「やっぱり、レオニールさまのは他と違うな……」


 そんな称賛の声が上がる一方で、ひそひそと不安げな声も交じる。

 ──何か、ちょっとおかしくない? という戸惑いの響き。


 特に、彼の隣に座るペアの女子生徒は、心配そうに鉢を見つめていた。

 けれどレオニールは彼女の視線など気にも留めず、机に肘をついて腕を組み、誰よりも早い成長を誇らしげに見下ろしている。

 ……まるで、ペアの存在など最初からなかったかのように。


 ──やはり、歪だ。


 この記録が、その危うさを白日の下に晒すことになるだろう。

 そう思った瞬間、胸の奥にかすかな緊張が走った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ