27.「結果がすべて」そう言った彼の鉢だけが、おかしかった
数日後の育成授業。
教室に入ると、すでに教師が机の上に分厚い束を積み上げていた。白い紙がきっちりと揃えられ、いつもと違う雰囲気を放っている。
「今日は新しい観察記録用紙を試してもらう」
開口一番、教師がそう告げる。
生徒たちの間にざわめきが走った。
「昨日までのように、思いついたことをばらばらに書いては比較にならん。そこで、雛形を整えた。魔力注入量、芽の脈動、葉の形や色──必要な項目をあらかじめまとめてある」
一枚ずつ配られる紙は、罫線が引かれ、項目ごとに枠が設けられていた。
ぱっと見ただけで、どこに何を書けばいいのか一目瞭然だ。
「この雛形は、ベルマーくんの記録を参考にして作ったものだ。彼の整理の仕方が大変優れていたのでな」
教室が再びざわめく。
驚きと興味が入り交じった視線が、いっせいにグレンへと注がれた。
「えっ、ベルマーって……?」
「まさか、あの地味な?」
「信じられない……」
ひそひそと囁き合う声が耳に届く。
グレンは椅子に固まったように背筋を伸ばし、前を向いたまま動かない。
首筋まで赤く染まって、視線を伏せていた。
──やっぱり。
褒められるのは苦手なのね。
けれど、彼の努力がこうして皆に認められるのは誇らしいことだ。
私は思わず小さく笑みを浮かべた。
「ほら、使ってみろ。書きやすさは一目瞭然だろう」
教師の言葉に従い、生徒たちはそれぞれ鉢を前にして記入を始める。
「……本当だ、前より整理しやすい」
「比べやすいし、書きやすい!」
「これなら授業の後で見返すのも楽そうだな」
あちこちから感嘆の声が上がった。
教師も満足げに腕を組み、「これなら授業の効率も上がる」と頷いている。
「ベルマーくん、よくやったな」
教師が改めて声をかけると、グレンは慌てて椅子を引き、深々と頭を下げた。
「い、いえ……とんでもありません。僕は、ただ……自分が見やすいようにまとめていただけで……」
その声は小さく、まるで場から消えてしまいたいかのようだった。
頬は赤く染まり、視線は机の上の紙に釘付けのまま。
拍手を送る者や興味深そうに記録を覗き込む者がいても、彼は居心地悪そうに身を縮めている。
──本当に、謙虚すぎるくらい。
誇っていいはずなのに、まるで責められているみたいにうつむいて。
でも……私にはわかる。
彼が黙々と積み重ねてきた努力が、今こうして皆に評価されているのだということ。
それを思えば、胸の奥がじんわりと温かくなる。
私は、穏やかに笑んでみせた。
彼に気づかれなくてもいい。ただ、伝えたかった。
──あなたの努力は、ちゃんと形になったのよ、と。
「さて──今日配ったのはお試しだ」
教師が手元の記録用紙を持ち上げ、生徒たちをぐるりと見渡す。
「明日以降の分は、購買部で必要な枚数を買えるようにしてある。授業だけでなく、家で観察する際にも役立てるといい」
その言葉に、教室がどよめいた。
「これ、助かる! どうやって書いていいかわからなくて困ってたんだ」
「項目が並んでるだけで、すごく整理しやすいな……!」
「購買で買えるなら、追加で用意しておこうかな」
あちこちから小声が飛び交い、机に置かれた記録用紙を食い入るように見つめる生徒もいた。
淡い緑の光を放つ鉢を前に、皆の表情が少し引き締まっていく。
──いい傾向だわ。
育成への姿勢が変われば、それだけシュプラウトたちにも響くはず。
「……あの」
控えめな声が隣から上がった。ミアだった。
「こうして項目がまとまっていると……比べやすくて、とても助かります。自分が何か見落としていないか、見つけやすくなりますから」
小さく、けれどはっきりとした声音。
ローレンスがわずかに眉を上げ、彼女を見やった。
「……なるほど。確かにそうだな。努力の跡が目に見えるのは、悪くない」
以前のように「信じていればいい」などという曖昧な言葉ではなく、短いながらも彼女の意見を受け入れるような響きだった。
──もしかして。
先日のお弁当のとき、私がきつく言った後、彼は言い返そうとしたもののグレンに生徒会へ呼ばれて、不満そうに去っていった。
けれど……その後は何も言ってこなかった。
少しは、何か思うところがあったのだろうか。
そうであってほしい。
私が胸の奥で小さく息を吐いた、その直後だった。
「……なんだ、これは」
低く押し殺した声に視線を向けると、魔術師団長の息子レオニールが新しい用紙を机に叩きつけていた。
その瞳には苛立ちがにじんでいる。
「こんなもの、わざわざ書く必要があるのか。記録なんてなくても──結果さえ出れば、それで十分だろう」
静かに、けれど刺すような声音。
彼はこれまで勢いだけで育成を進め、記録などろくにつけてこなかったはずだ。
だからこそ、用紙を突きつけられたことが気に入らないのだろう。
「結果だけでは、何が正しかったのか判断できないだろう」
教師の冷ややかな声が教室に落ちた。
教壇から一歩下り、レオニールの机に手を置く。
「これは君たちの努力を残すものだ。怠ることは許さん。この用紙でなくともよい。ただ、必ず記録せよ」
レオニールはしばらく黙していたが、やがて小さく舌打ちをした。
視線を逸らし、渋々ながら用紙に手を伸ばす。
──やはり。
彼の鉢は、表面上は誰よりも育っている。
すでに人型の形を成しつつあり、他の生徒たちが歓声を上げるのも無理はない。
けれど、その姿は。
膨れすぎた胴体に、ひしゃげたように伸びる腕。脈動は強すぎて荒く、淡い光はぎらぎらと揺らめいている。
同じく人型に近づきつつある私とグレンの鉢が、穏やかに呼吸するような脈動を刻んでいるのとは、あまりにも対照的だった。
「すごい……! もう人型になってる!」
「やっぱり、レオニールさまのは他と違うな……」
そんな称賛の声が上がる一方で、ひそひそと不安げな声も交じる。
──何か、ちょっとおかしくない? という戸惑いの響き。
特に、彼の隣に座るペアの女子生徒は、心配そうに鉢を見つめていた。
けれどレオニールは彼女の視線など気にも留めず、机に肘をついて腕を組み、誰よりも早い成長を誇らしげに見下ろしている。
……まるで、ペアの存在など最初からなかったかのように。
──やはり、歪だ。
この記録が、その危うさを白日の下に晒すことになるだろう。
そう思った瞬間、胸の奥にかすかな緊張が走った。




